私の初恋は、中国の海南島でした。2015年9月、当時21歳の大学生だった私は、知人の紹介で兵庫県が主催する海外養成塾に参加し、中国の海南島と香港を訪れました。

この海外養成塾は、兵庫県が関西の若者を募り、2年に一度東南アジアの地域を実際に訪れ、現地企業や文化・歴史について学ぶ研修旅行です。貧乏学生だった私には、旅費の半額を県が負担してくれるこのプログラムは、海外へ行く絶好の機会でした。参加者は学生や社会人を合わせて60人程度でした。

初めて訪れた中国は驚きに満ちていました。QRコードでの電子決済や電動バイクが走る光景、エネルギー溢れる現地の人々。私は「日本は負けているのでは」と率直に感じました。これが初めての中国旅行だった私は、自分の世界が広がる感覚を覚えました。こうした異文化への興奮と羨望の中、彼女と出会いました。

現地企業や博物館への訪問などの予定がある中、海南師範大学の日本語専攻の学生たちとの交流の時間がありました。オリエンテーションとして、折り紙で手裏剣を一緒に作る時間が予定されていました。日本人がいくつかのグループに分かれ、中国側の学生も各グループに数人ずつ分かれて同じテーブルにつきます。数分ごとに人が入れ替わり、挨拶と簡単な会話をします。

そこで出会ったのが彼女でした。

彼女の名前は氷華(ひょうか)。一目惚れとはこういう感覚なのかと、今でもあの光景は鮮明に思い出せます。彼女は他の学生よりも日本語が上手で、ムードメーカーのような存在でした。彼女が私の近くに座るチャンスがあったので、勇気を出して声をかけ、一緒に折り紙を折りました。彼女の名前と漢字を教えてもらい、“氷華”という名前なのに太陽のような人だと思いました。無心に折り紙に熱中する彼女の横顔から目が離せませんでした。

そのあとは、同じグループで大学構内の食堂で夕食をとりました。初めての中国料理は、知らない料理ばかりでした。バイキング形式だったので、料理のおかわりをするときに彼女が一緒についてきてくれて、どんな料理かを教えてくれました。教えてくれた料理は「宮保鶏丁」(鶏肉のピーナッツ炒め)と「辣子鶏」(鶏肉のトウガラシ炒め)でした。料理の味は覚えていませんが、彼女からの言葉は今でもはっきりと覚えています。

この日は、そのままホテルへ戻りました。

翌日は、参加者6人一グループに中国側の学生が2、3人ついて、海南島の主要な施設や自然スポットを訪れる予定でした。偶然にも、彼女は私と同じバスに乗ることになりました。バスの座席でどこに座ろうか迷っている彼女を見つけ、「一緒に座ろう」と手招きして隣に座ってもらいました。道中では日本の漫画やアニメの話をしました。私は中国語が話せず、彼女もまだ日本語を勉強中だったので、メモ帳に絵を書いたり、スマホで調べたりしながらコミュニケーションを取りました。

最初の訪問地は、博鰲(ボアオ)というASEAN会議が実施された会場でした。ステージ上のスポットライトの集まる司会台から、広い会場を見渡すことができました。次に訪れたのは、玉帯灘(ユーダイタン)という海南島から少し離れた小島でした。記憶に残っているのは、美しい景色ではなく、しつこい押し売りに絡まれていた私を彼女に助けてもらった光景です。言葉が全く分からない中で、断り方が分からず戸惑っていた私に代わり、彼女が助けてくれました。彼女の頼もしさに感動しました。

その後、彼女が日傘を取り出したので、格好悪い姿を何とか挽回したいと思い、咄嗟に「持ちましょうか?」と言い、1つの傘に2人で入り並んで歩きました。いま思い返せば、普段なら絶対に言わないようなことを、旅先の雰囲気に後押しされていたのだと思います。しかし、せっかく隣に彼女がいるのに、緊張して浜辺の砂ばかりが視界に映っていました。そして、そのまま何も進展もなく大学へ戻りました。

海南師範大学へ戻ってからは交流の日程がすべて終わり、解散の挨拶がありました。少しの自由時間があり、ラストチャンスだと思い彼女に一緒に写真を撮ろうと声を掛けました。彼女は応じてくれ、3メートルはある大きな孔子像の前で2人の写真を撮りました。このときに、2人のピースをくっつけて“W”にするポーズで撮影しました。(これが今でも2人で写真を撮るときの定番のポーズになっています。)一緒にいたのは2日間だけでしたが、とても幸せな時間でした。別れ際に、彼女から「帰りの飛行機の中で読んで」と手紙を手渡されました。これが彼女からの初めてのプレゼントでした。

バスに乗り込み、遠く小さくなるまで彼女の姿を見つめていました。

その後、晴れてお付き合いすることとなり、最終的には彼女と結婚しました。今も中国とかかわりのある仕事に就いており、私と中国を結びつける原点であり、大切な思い出です。これからも彼女と共に2人で、笑顔と愛に満ちた日々を過ごしていきます。

■原題:忘れられない海南島

■執筆者プロフィール:大平直人(おおひら なおと)会社員

1994年兵庫県生まれ。大学時代に兵庫県の主催する海外養成塾に参加し、海南島で現在の妻と出会う。コロナ禍など様々な壁を乗り越え、8年間の遠距離恋愛を経て2023年に結婚。現在は帰国し、神戸の食品メーカーへ勤務。

※本文は、第7回忘れられない中国滞在エピソード「中国で人生初のご近所付合い」(段躍中編、日本僑報社、2024年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

<日本人の忘れられない中国>私の初恋は海南島での一目惚れだった
忘れられない中国

編集部おすすめ