世界通貨基金(IMF)の予想によれば、インドの2025年のGDPは4兆1900億ドル(約638兆円)で、日本をわずかに上回って世界第4位になる。インドのGDPは今後2年半から3年の間にドイツも超えて、世界第3位の経済大国になると見込まれている。

ただしインドには、自らの「真の台頭」阻む特有の事情があるという。香港メディアの香港01はこのほど、インドの状況を紹介する記事を発表した。以下は、同記事の主要部分を再構成したものだ。

インドと聞いて最初に思い浮かぶのは「人口大国」だ。さらには「人口ボーナス」、つまり新たな労働人口が大量に発生し、扶養人口がまだ少ないことで、経済成長が後押しされる現象だ。インドの人口は2023年に中国を超えた。現在のインドには約5億9400万人の労働力人口(15-64歳)が存在し、その平均年齢はわずか28歳だ。

インドの人口構造は非常に健全であり、今後20年間でさらに1億8000万人の適齢期労働力が増加すると見込まれている。2050年ごろには人口16億8000万人のピークに達し、2100年時点でも15億人以上の人口を維持すると予測されている。

改革開放を始めた中国は「人口ボーナス」の恩恵にあずかった。しかし現在の中国は高齢化が進行しつつあり、「人口ボーナス」はなくなった。インドでは人口に起因する優位さが発生しているが、単に人口が多いだけで「ボーナス」は発生しない。

「人口ボーナス」がなくなった中国に対して、インドの問題は「人口ボーナスが空転」していることだ。

インドの労働参加率は依然として約50%にとどまり、女性の労働参加率は10%未満で、10年前とほとんど変わっていない。全国では約52%の労働力が失業または非活動状態にある。特に若年層の失業率は、25%以上の水準が長期にわたって続いている。

つまり、インドは全体として台頭しつつあるが、良い暮らしをしているとは言えない人がかなり多い。なぜか。これほど多くの人口が「遊休」状態にあるのは、構造的な問題で機会が与えられていないからだ。

インドの直接の問題はカースト制にあらず

インドについてある程度以上知っている人なら、多くの労働人口が「遊休」状態にある原因として、カースト制を思い浮かべるだろう。そのこともあるが、直接の原因はむしろ、旧態依然とした土地所有の状況だ。この点、1950年代前半までに「土地改革」を断行して、地主階級を一掃した中国とは事情が完全に異なる。

工業化を目指すならば、土地に対して非常に大きな需要が生じる。しかし、インド国内の地主勢力は依然として非常に強大であり、地方政府の利益と深く結びついている。地主たちは土地が荒れ果てていたとしても法外な価格を要求するため、インドの工業用地取得コストは極端に高騰している。

仮に土地を提供しても、労働組合を使って外国企業を脅迫するような行為が行われ、工業化の進展を著しく妨げている。

これが、インドが世界第4位の経済大国となった一方で、製造業のGDP比率がさらに低下して14.3%となり、インド製品の世界の輸出市場におけるシェアがわずか1.8%にとどまっている理由だ。一方でサービス業は依然として経済の柱であり、GDPに占める比率は60%を超えている。たとえばIT業界では、インド人プログラマーによる海外アウトソーシング業務が世界の55%を占め、全GDPの9%を創出している。

サービス業によるGDPへの貢献は、もちろん実質的な価値があり、悪いことではない。しかし、インドは製造業の台頭が生じていないことが、インド最大の強みである「人口ボーナス」をしっかり利用できない損失をもたらしている。

ごく少数の「超富裕層」が絶大な富を独占

カースト制度の影響は、「超富裕層」による富の独占をもたらしている。「太陽の沈まぬ帝国」の一部だった1930年代のインド地域では、最富裕層に属する1%の人口が所得の20%を占めていた。47年の独立時には、多くの富裕層が国外に逃れ、この比率は12.5%に低下した。82年には歴史的最低水準の6%にまで下がった。しかし91年に「改革開放」が実施されると状況は反転し、2014年にモディ氏が政権を握った時点で、再び100年前の水準である20%に戻っていた。

当時のモディ首相は製造業による1億人分の雇用を創出し、低所得層の収入を増やし、貧富の格差を緩和すると約束した。しかし結果はどうだったろう。

14年から23年にかけて、インドの最富裕層の純資産は300%以上増加し、同じ期間の国民所得の伸びの10倍に達した。上位1%の所得比率は前例のない22.6%に達し、富の占有比率は40%を超えた。

「21世紀の資本」の著者であるトマ・ピケティ氏らが組織した「世界不平等研究所」のリポートによれば、現在のインドの「億万長者支配」は、英国植民地時代よりも不平等であり、史上最も高い水準に達している。一方で、資産が下位50%の人口の所得比率は15%にまで低下し、全国の90%の人口の所得は平均水準を下回っている。また、2億2400万人が長期的な飢餓の影響を受けている。

インド特有の矛盾、台頭の道は見えてこず

一方で、「インド社会はインドであることに救われている」ともいえる。インド固有の宗教に根ざした階級観念は、貧困層の人々による巨大な貧富格差への不満を大きく和らげている。カーストの最下層とされる人々は、実際には「残酷な抑圧」を受けているのだが、輪廻転生を基本的な考え方をする宗教は彼らに、「苦しみは神が与えた今生の試練であり、天命だ」と教えているからだ。こうした教義は、社会の安定を維持するだけでなく、今日のインドという国家形態の根幹をなしている。

客観的に言えば、ヒンドゥー教のイデオロギーに基づくインド人民党が台頭できた最大の理由は、モディという政治家が過去からの歴史に迫られた選択に従ったからだ。すなわち、インドはヒンドゥー教によってアイデンティティーを維持する必要がある国家であり、ヒンドゥー教に真に抗うことはできない。しかし一方で、インド政府がどれほど現代化改革を推進する決意を持っていても、必ず直面する問題がある。それは、現代化が宗教的アイデンティティーを必然的に弱め、あるいは歪めることだ。

これこそが、今のインドにおける最大の矛盾点なのかもしれない。もし人々が皆豊かになり、啓発されれば、それは国家の根本的な立脚点に衝撃を与えることになる。このことが、インドでは改革が徹底されず、製造業が低迷している理由をある程度説明できるのかもしれない。この壁を乗り越えなければ、インドが真に台頭することはあり得ない。

経済発展により収拾つかない混乱に陥る可能性も

今日のインド人は、少なくとも比較的開明的な南インドの人々は、改革開放期の中国人に少し似ている。彼らは裕福になりつつあることを実感しており、時代の恩恵を受けた幸運な人々の一部は、数千年の束縛を打ち破り、階級を跳躍することを実現している。大きな例では、モディ首相やアダニ・グループの創業者で大資産家になったアダニ氏はいずれも低いカーストの出身だ。小さな例では、新興産業で成功した若者が高いカーストの女性と家庭を築くこともできる。かつては考えられなかったことだが、今では普通のことになっている。

このことは、北部の農村と鮮明な対比をなしている。北部の農村ではカースト制度が依然として支配的であり、無数の低いカーストの人々が数千年変わらぬ生活を続けている。これこそが、多くの人がインドを批判する理由でもある。

南北の格差が広がるにつれ、北部の人々が南へ出稼ぎに向かうことがますます増えるだろう。ちょうどかつて中国で内陸部の多くの人々が南東部の沿海部へ働きに出たように。そして、より多くの人が啓発され、次世代が高等教育を受けるようになり、さらにインターネットの影響が加われば、敬虔な信者でさえも新しい考え方によって心は「汚染」されることになる。かつて人々はただ運命に従い、すべてを神に捧げていた。今では、自分のために考えることを覚え始めている。しかし、精神的な「枷(かせ)」に深く依存して成立している国家にとって、これは果たしてよいことなのだろうか。

「開明化」の傾向が進めば、インドはより生命力を持つようになるだろう。しかし、根深い階級観念が完全に打破されれば、下層の人々は巨大な貧富の格差に対してますます不満を抱くようになる。インドのような人口大国で、社会の集団の衝突にいったん火がつけば、「星火燎原(小さな火が原野全体を焼き尽くす)」の状況になるかもしれない。逆に、ヒンドゥー教のイデオロギーがインドの発展を深く封じ込めてしまえば、深刻な場合には「永世不得超生(永遠に再生できない)」という事態にもなりかねない。これほどの重荷を抱えたインドは、どうすれば真に台頭できるのだろうか。その道筋は見えてこない。

(翻訳・編集/如月隼人)

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