日本語の「観光」に対応する中国語は「旅遊(リューヨウ)」とされる。しかし香港メディアの香港01は、日本人の「観光」と中国人「旅遊」では、実質が異なると紹介する記事を発表した。
「観光」という言葉の最初の用例は、紀元前に成立した「周易」にまでさかのぼる。「周易」に出てくる「観光」の語は、「他国の文明や礼儀を観察し、学び、統治に役立てる」ことを意味する。つまり、他国の長所や制度を見て学び、自国に持ち帰って生かす行為だ。つまり「観光」は決して娯楽ではなく、学びの旅であり、謙虚な姿勢で知見を得る行動だった。言い換えれば、観光とは本来「学ぶ」ための行為であって、「遊ぶ」ためのものではなかった。
時代は大きく進み、19世紀の明治維新期へ。日本は西洋のあらゆるもの、すなわち哲学、経済、社会、個人、概念を必死に吸収しようとした。これらの言葉は今では当たり前に使われているが、実は明治期などに西洋の言語を翻訳する中で生まれた「和製漢語」だ。「tourism(ツーリズム)」をどう訳すかも議論され、最終的に「観光」が選ばれた。
理由は単純だった。
日本人は「観光」を単なる娯楽ではなく、「学び」の要素を残したまま受け継いだ。だからこそ、今日の「観光庁」は単なる観光経済を管轄する機関ではなく、文化振興や国際交流といった機能も担っている。「観光教育」という言葉も政策文書に頻繁に登場する。さらに、「修学旅行」は子どもの成長に不可欠な経験とされている。つまり、日本社会では旅行と「学び」が密接に結びついており、「観光」とは単に景色を眺めることではなく、「世界を観察し、何かを学ぶ」ことなのだ。
もちろん、日本に純粋な娯楽旅行がないというわけではない。江戸時代にはすでに「物見遊山」があり、人々は名所を訪ね、飲食を楽しみ、賑やかな雰囲気を味わっていた。しかし同時に、宗教的な参拝や巡礼ももう一つの重要な旅行の流れだった。
これに対して、中国語の「旅游」はまったく異なる雰囲気を持つ。「旅+遊」、つまり「移動しながら遊ぶ」という意味だ。中国人が「旅游」と聞いてまず思い浮かべるのは、リラックス、レジャー、消費、美食、写真撮影といったものであり、重視されるのは「遊び」と「楽しみ」だ。
だから同じ二文字でも、「観光」と「旅游」はまったく異なる道を歩んできた。一方は「学び」を基調とし、もう一方は「リラックス」を基調とする。日本の観光庁は、自国民や外国人に「観光を通じて文化を理解する」ことを促し、中国の観光局は「経済を活性化し、消費を促進する」ことを重視する。この違いは、二つの文化の特徴を反映している。すなわち一方は旅行を「見学」と捉え、もう一方は「休暇」と捉える。
だからこそ、日本を旅した中国人は、しばしば微妙なズレを感じることがある。たとえば清水寺では、日本人観光客が整然と列を作り、静かに解説を聞いている一方で、外国人観光客は数人ずつ楽しげに会話をしている。清水寺だけでなない。日本人が観光地を訪れると、年齢を問わず、まず説明板を読む習慣があり、多くは音声ガイドを借りて、最後まで聞き終えて初めて「来た甲斐があった」と感じる。
観光地を訪れた日本人と中国人が漂わせる雰囲気の違いは非常に大きい。どちらが正しいということではない。そもそも「旅行」の定義が異なるのだ。
とはいえ、昔からの言葉にあるように「万巻の書を読むより、万里の道を行け」だ。旅行ほど人の見識を深め、認識を高めてくれるものは他にないだろう。観光と呼ぼうが旅游と呼ぼうが、外に出て世界を見ることが常に知見を広げてくれることに変わりはない。(翻訳・編集/如月隼人)