陝西省考古研究院は11日、一連の考古成果を発表した。中でも2022年に発掘した董氏家族墓地では、「宰相の妻を務めた女性の墓が婚家ではなく実家の墓地にあった」とみられる特異な事例があったという。
発掘作業は、西安市長安区賈里村内で老朽化した住宅地の再開発に先行して実施された。地下に歴史的遺物が多く残る西安市では、工事をする際には関連当局の許可が必要であり、多くの場合には先行して発掘調査が行われる。重要な文化財の存在が確認されれば、当初予定よりも大規模な調査が行われることになる。

発見された「問題の墓」に葬られた人物は、唐代玄宗の開元年間(713-741年)の名宰とされる張九齢(678-740年)の妻の董韶容と推定されることになった。
張九齢は高い地位ではない家に生まれたが、科挙に合格したことで高級官僚になった。清廉潔白な人物だったと伝えられるが、当時はまだ存在した貴族の家柄に生まれたために登用された官僚とは不仲だった。なお、張九齢は、後に大反乱を起こす安禄山の野心を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言したことでも知られる。

歴史書に董韶容という女性の記述はないが、発掘調査した墓で見つかった墓誌により葬られていた人の名が分かった。夫については「張府君」と書かれていたが、「張府君」が歴任した役職や「張」という姓を持つ当時の人物は張九齢以外にいないため、董韶容は張九齢の妻と推定されることになった。張九齢は「開元の治」と呼ばれる、繁栄した時代を出現された大きな功労者の一人とされるが、対立する官僚に陥れられて、荊州に左遷された。張九齢は董韶容を伴って荊州に赴くことが認められず、董韶容は張九齢が荊州にいた時期に、28歳で亡くなったことも分かったという。
董韶容が葬られた墓は比較的簡素だが、陶俑、陶器、銅器、鉄器、玉握、捻金線などのさまざまな材質の副葬品が合計23点(組)出土した。副葬品の中には比較的珍しい物もあるという。

董韶容の墓について「最大の謎」は、夫の一族の墓地ではなく、実家の墓地に葬られたことだ。このような事例は珍しいという。
墓誌によれば、董韶容の曽祖父、祖父、父はいずれも中央から派遣されて地方の高官を務めた。つまり董韶容は名家の出身だったことになる。今回の調査では、周囲からも董氏の墓が多く見つかった。

唐代に結婚した女性が夫の一族の墓地に葬られない場合は、おおむね3種のうちのどれかの事情があったと考えられている。まず、異郷で亡くなったので祖地までの距離が遠く、費用が莫大(ばくだい)で負担できない場合だ。次に、女性が生前に仏教や道教などの宗教を信仰し、死後の埋葬地を生前に選定していた場合だ。三つ目は、一族の血縁関係をより重視して、出身一族の墓地に葬られる場合だ。
考古学専門家は、史料文献に基づき董韶容が実家一族の墓地に葬られた経緯を推定した。

そして、実家一族の墓地に葬られたことにも意味があると考えられる。董韶容は当時、夫が格下げされて地方に「飛ばされ」、さらに同行も認められない不遇に直面していた。にもかかわらず、一族内では元宰相の妻として、敬意をもって待遇される比較的高い位置を保っていたと想像できるという。(翻訳・編集/如月隼人)