台湾メディアの女子漾はこのほど、「チェンソーマン」はなぜ人気なのかを論じた記事を掲載した。
記事はまず、「血みどろで残酷、しかし同時に胸を打つ『チェンソーマン』は、近年最も矛盾に満ち、そして最も魅力的なアニメ作品の一つである。
続けて、「デンジというキャラクターが人々の心を打つのは、彼があまりにもリアルだからである。彼は偉大な夢を抱く少年ではなく、朝食すら満足に取れず、借金に追われた末に絶望へと追い込まれた子どもであった。チェンソーの悪魔・ポチタと融合し再生した後も、デンジが望むのは、おいしいものを食べ、女性の手を握り、ふかふかのベッドで眠ることだけである。このむき出しの欲望は一見俗物的に見えるが、藤本氏の描くもっとも純粋な人間性である。なぜなら、一度も優しさに触れたことのない人間にとっては、『生きている』そのものがすでにぜいたくだからだ」と述べた。
また、「『チェンソーマン』の世界では、悪魔は単なる怪物ではなく、人間の恐怖が形をとった存在である。『銃の悪魔』は暴力と戦争を象徴し、『永遠の悪魔』は終わりなき輪廻への恐怖から生まれ、『支配の悪魔』であるマキマは人間の心に潜む『他者を支配したい』という欲望の具現である。そして藤本氏の恐ろしさは、善悪を分けないことにある。彼は『私たち一人ひとりの中にも悪魔の側面がある』と読者に突きつけるのだ」とした。
さらに、「藤本氏が描くのは、単なる暴力ではなく『存在』そのものである。『チェンソーマン』には、切断された手足や飛び散る血の描写があふれている。だがそれは単なる刺激ではなく、『存在への不安』を象徴している。デンジは何度も死の淵でもがき、そして生き返る。そのたびに彼は『なぜ俺はまだ生きているのか?』と自問する。藤本氏は血と肉で、人間の幸福への貪欲さ、愛への渇望、痛みに慣れていく過程を描く。それゆえ、『チェンソーマン』は残酷さの中に詩のような哀しみを湛えているのだ」と論じた。
加えて、「デンジのみならず、『チェンソーマン』の魅力は脇を固めるキャラクターたちにある。マキマの放つ神秘的な気配は、まるで全てを操る悪魔の神のようであり、彼女は『愛』という名のもとに『支配』を行う。早川アキは冷静で理性的なデビルハンターだが、復讐(ふくしゅう)心と感情の狭間で引き裂かれている。劇場版『チェンソーマン レゼ篇』の中心人物・レゼは敵でありながらデンジの心をもっとも揺さぶる存在となる。どのキャラクターも『生存』と『欲望』の狭間でもがき、そこには純粋な善も悪もない。
そして、「藤本氏の創作世界には『正解』が存在しない。彼は少年漫画の熱血を現実というミンチ機に放り込み、登場キャラクターたちに血と欲望で意味を探させる。彼の描くロマンとは、星空や勝利ではなく『たとえ世界が滅んでも、朝ご飯を食べたい、誰かに抱きしめられたい』と願う執念である。このブラックユーモアに満ちた優しさこそ、『チェンソーマン』が人々を惹きつけてやまない核心なのだ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)