中国のSNS・微博(ウェイボー)に1日、「日本に5日間滞在して気付いたが、日本は非常におかしな場所だ」との投稿があり、大きな反響を呼んだ。

投稿者はフォロワー130万超の時事ブロガーで、冒頭で日本のおかしさについて「まるで東洋人が自分自身を切り離し、体の一部を捨てて、そこに西洋人の一部を縫い付けたかのようで、言葉では言い表せない不思議な感覚がある」と総評した。

そして、「日本に来たばかりの頃、飛行機の客室乗務員からホテルのスタッフ、普通の店の店員まで、みんな非常に丁寧で、満面の笑みを浮かべ、明るい口調で話しかけてくることに気付いた。しかし時間が経つと、その明るい日本語は問題を解決しようとしているのではなく、ただ延々と意味なく明るく話し続けているだけであることに気付く。それは、壊れたロボットのようで、礼儀や丁寧さではなく、単なるプログラム的反応である」とした。

また、「日本は非常にルールを守る社会に見える。誰もが自分のやるべきことに従い、境界線を越えず、赤信号を無視したり、ごみをポイ捨てしたりする人はほとんどいない。働く人々は礼儀正しく、会うと互いに深くお辞儀し、意味のない敬語を延々と話す。写真を撮る際も決まったポーズをとる。まるでそれぞれがあらかじめ書かれたプログラムを持っていて、ボタンを押すと自動的に決められたルーティーンを実行するかのようだ。一見すると全てが整っているようだが、長く見ていると少し息苦しく感じ、まるで『トゥルーマン・ショー』の世界に生きているかのような気分になる」と表現した。

一方で、「職場の上下関係は非常に厳格で圧迫感が感じられるが、日本人の内面には狂気じみた自由奔放さもある」と言及。「夜になると社畜たちは仮面を脱ぎ、豪快に酒に酔い、叫び声をあげる。街を歩いていると背後から鋭い叫び声が聞こえ、それに続いて大笑いが起こる。

深夜の街では、肩を組み、大声で騒ぐ酔っ払いがあちこちに見られる。これを見た人の中には『日本人は礼儀正しく、教養があるのでは?』と疑問に思う人もいるかもしれない」とした。

さらに、「ホテルで目覚めた初日の朝6時過ぎに、白髪の老人が背を曲げ、上半身がほぼ地面と平行になるほど折りたたんで、道の清掃をしているのを見た。これはレアケースだと思ったが、後に他の清掃員や警備員、駐車場の管理員などもほとんどが高齢者であることに気付いた。ジャパンモビリティショーでも地面にはいつくばって車を研究する技術者、企業のビジネスマン、巨大なカメラを抱えてあくせく働くメディアのカメラマン、いずれも白髪の高齢者が多い」とし、「もし国内で、背中が地面と平行になるほど曲がった高齢者に重労働をさせれば、家庭や子ども、社会や政府も含め、叱責されるのが普通だろう。しかし日本では、これがごく普通の光景なのである」と説明した。

また、日本の街がきれいなのはごみ箱が設置されておらず、人々がごみを持ち帰るからだとする一方、「中国の大都市も同じように清潔で、ごみの分別も行われている。中国には成熟した選別・リサイクルシステムがあるが、日本はこの産業化・科学技術によるごみ処理の工程を省き、あえて市民に負担を押し付けている」と主張。「観光客が集中する場所では、一晩でごみがあふれかえる。彼らの組織動員能力では、到底処理しきれない。これは見栄ばかり気にして、実際の問題を解決していない例である」と指摘した。

日本に多い戸建て住宅にも言及し、「これを称賛する声も多いが、私の目には交通を極めて悪化させる原因の一つに見える。

東京都市圏には人口が集中しているにもかかわらず、積み木のような戸建てを放置しているため、都市計画は混乱し、小さな建物が密集し、道路は極端に狭くなり、あちこちに2車線や一方通行の狭い道しかない。車の運転は苦痛の連続となる。東京の多くの一般市民は車を購入しない。駐車場が高額で予約も必要だからだ。戸建てに住む日本の中産階級や富裕層も、生活はかなり苦しく、多くは軽自動車しか購入できない」などと紹介した。

そして、「日本の若者たちはみんな生気がなく、車も家も欲しがらず、生活は死んでいるように見える。夜に大っぴらに酒を飲む以外にほとんどやりたいことがないのだ」「中国の若者は貧富にかかわらず、あるいは過当競争に疲れていても新疆ウイグル自治区やチベットに行きたいと思う。しかし、日本の若者が向かうのは居酒屋や歌舞伎町だけだ」と主張。「東京はあまりに小さく、狭く、息苦しい。浅草寺は古風な商店街を模した観光地に過ぎず、南京の夫子廟、西安の回民街、重慶の磁器口などには遠く及ばない。東京湾も死んだように暗く沈んだ港であり、武漢の漢口、天津の海河、上海の外灘、重慶の洪崖洞とは比べようもない。東京ゲートブリッジも見た目は平凡で、青島の膠州湾大橋には到底及ばない」などと論じた。

その上で、「30年前の東京は確かに素晴らしく壮観だったが、今は特に驚くべきものは何もない。食事も量は足りず、味は単調。見た目は華やかだが豪快に肉や炭水化物を頬張ることはできない。味や香りに豊かさや力強さがなく、小皿に冷たい料理が少しずつ出てくるだけ。日本酒も冷水にアルコールを数滴垂らしたようなもの。これがどうして楽しみや深夜の羽目を外した騒ぎを生むのか、疑問に思う」と酷評し、「人は一度、広大で雄大な風景に慣れると、このような小さな文明には圧迫感を覚える。この感覚を言葉で説明するのは難しい。要するに、東京には陽の気が少なく、陰鬱で死んだような空気が多い。文化の中にも、ポジティブで明るく前向きな要素はほとんどない」と主張した。

同ブロガーは「日本はまさに小さな『ショーケース国家』で、着物を着た操り人形やマリオネットが、まるでレゴの城の中で『現代文明』という人形劇を演じているかのよう。食事から礼儀作法、生活習慣に至るまで、彼らのすべては『展示』のために存在し、プログラムされたように繰り返している」とし、「(日本は)国土が狭く、資源が乏しく、文化的にも貧弱。精緻さや奇抜さなどは自らの不足や窮屈さを隠すための手段にすぎない。

口では自由を叫ぶが、実際には上下の階級が厳格に分離され、至る所に封建的な名残が残る。自由市場を尊重すると言うが、実際は極めて閉鎖的で保守的なのである」と論じた。

そして、「彼らは科学技術が進んだ先進国だと自称するが、実際には欧米の支援や国際市場に依存し、長年にわたって吸い取られる立場にある。ここでの窮屈な生活や抑圧的な雰囲気は、人々を異化させる。数十年にわたり、イノベーションや活気あふれる発展を見ることはできていない」とし、「この場所は、観光や珍しい体験には向いているが、生活や発展には適していない」と結んだ。

この投稿に中国のネットユーザーからは2000を超えるコメントが寄せられており、「素晴らしい文章だ。日本社会全体がよく理解できた」「これは真実。特に東京に関する描写は」「東京五輪の開会式の演出も、陰鬱(いんうつ)としてたからね」「仮面をかぶる日本」「そういう抑圧的な環境だから変人が多く生まれる。日本はまさにそう」「日本は『中身』より『形式』に重きを置く国」「日本人は重要じゃない些細なことに必要以上にこだわり、それに自己満足する傾向がある」「20年くらい前に初めて日本に行った時は、この国には多くの長所があると感じた。でも今年また東京に行ったら…。日本が変わったんじゃなく、われわれが強くなったんだ」「仕事で何度も日本に行ってるけど、投稿主に完全に同意。日本は将来性のない死にゆく国。

何も変化がない」といったコメントに共感が寄せられている。(翻訳・編集/北田)

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