2025年11月24日、中国のポータルサイト・捜狐に「鬼滅の刃」の猗窩座(あかざ)は童磨(どうま)をどれほど嫌っているのか考察した記事が掲載された。

記事は、「『鬼滅の刃』において上弦の参・猗窩座と上弦の弐・童磨はともに上弦の鬼という同僚関係にあるが、猗窩座の童磨に対する嫌悪は誰が見ても明らかなほど露骨である。

作中で猗窩座は他の上弦に対しては比較的礼儀正しいが、童磨に対してだけは激昂し、さらには上弦会議の場で二度も童磨の顔を傷つけている」と述べた。

また、「公式ファンブックによると、童磨が上弦の弐になって以降、非常に煩わしい存在となり、猗窩座はそれを理由に無惨へ苦情を申し立てたという。その時こそが、猗窩座が無惨に口答えした唯一の機会であったとされている。これらの描写からも、猗窩座がいかに童磨を嫌っていたかがうかがえる。では、猗窩座はなぜそれほどまでに童磨を嫌っているのか。その理由は一つではない」と言及した。

そして、まず「猗窩座は武の道の純粋性を追い求める求道者である一方、童磨は自分よりも鬼としての経歴が浅いにもかかわらず、地位は彼よりも上であった。これは彼にとって受け入れ難い事実であったのだろう。また、童磨の実力は猗窩座を上回っていた可能性が高い。かつて黒死牟(こくしぼう)が『気に食わぬのならば入れ替わりの決戦を申し込むことだ』と言った際、猗窩座は沈黙したままであったことから、自身が童磨に及ばないことを理解していたと推察される」と論じた。

次に、「猗窩座には『女性を傷つけない』という独自の信条が存在する。鬼となった後も女性を食らうことを拒み、それを鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)にも認めさせていた。

しかし、童磨はそれとは正反対であり、女性を『栄養』と呼んで殺害するばかりか、その行為を猗窩座の前で誇示し、意図的に猗窩座の逆鱗に触れ続けていたのである」と説明した。

記事は、「総じて言えば、童磨と猗窩座の関係は『鬼滅の刃』の中でも最も緊張感に満ちた敵対関係の一つだと言える。努力と執念によって強さを手に入れた者と生まれ持った才能で容易く強大になった者。一方は原則と底線を持った強さであり、他方は道徳も制約もない強さ。ひとりは大切な人を守るために戦い、もうひとりは自己の欲望を満たすために殺す。感情と記憶を持つ『人』に近い存在と、感情も魂も持たない完全な『鬼』。両者の関係は単なる『悪役同士の対立』を超え、人間性、力、存在意義にまで踏み込んだ深いテーマへと発展していたのである」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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