2025年12月3日、中国のポータルサイト・捜狐に「鬼滅の刃」がなぜ神格化されたのかを考察した記事が掲載された。

記事は、「熱血漫画と聞くと、多くの人は『血統チート』というお決まりの展開を思い浮かべるだろう。

しかし『鬼滅の刃』は、あえてその逆を行く。主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)は、物語序盤では水の呼吸を修行していたが、物語が進むにつれて、父から受け継いだ『ヒノカミ神楽』こそが、すべての呼吸の源流である『日の呼吸』だと悟る。この設定は、モンキー・D・ルフィのゴムゴムの実や、うずまきナルトの九尾という血統設定よりもはるかに洗練されている。おそらくこれこそが、日本アニメが独自の道を切り開いてきた要因の一つなのだろう」と述べた。

そして、「日の呼吸は、すでにほぼ失伝した技であった。炭治郎は幼少期からそれを体にたたき込まれていたが、その価値を自覚していなかった。これは安易な血統の覚醒ではなく、家族の中にひっそりと受け継がれてきた『隠された遺産』である。炭治郎の先祖は日の呼吸の創始者と縁があり、その所作と思想を家伝として残していた。それは、昔ながらの職人技のようなもので、当初は誰もその価値に気づかなかったが、炭治郎が鬼殺隊に入って初めて真価を発揮する。この伏線の張り方は、非常に巧みである」と評した。

記事は、「物語は炭治郎の出自から始まる。15歳の彼は炭を売って生計を立てており、その名もそこに由来する。

ある日、炭を売りに出た帰り、家族は鬼に惨殺され、生き残った妹・禰豆子(ねずこ)もまた鬼へと変えられてしまう。他の主人公なら心が折れてもおかしくない状況だが、炭治郎は耐え抜き、妹を人間に戻す方法を探しながら、悪鬼への復讐の道を歩み始める。その道中、炭治郎は水柱・冨岡義勇(とみおかぎゆう)との出会いをきっかけに水の呼吸を身につけ、鬼殺隊の選抜試験に合格し、仲間たちと出会う」と説明した。

そして、「熱血漫画を読んできた人なら分かるだろう。この段階では、試練を重ねてレベルアップする展開になる。炭治郎は柱たちとともに死闘を繰り広げ、下弦の鬼から上弦の鬼へと戦いを重ねる。毎回が生死すれすれの戦いだが、その度に極限の状況で新たな境地に到達していく。熱血漫画で正義が敗れることはないが『鬼滅の刃』は容赦なく、勝利の代償はあまりにも大きい。作中で高い人気を誇った柱たちは、全員が命を燃やし尽くす。炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)は無限列車で散り、岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は満身創痍のまま戦い抜く」とした。

その上で、「同作が強く心を打つ理由は、キャラクターを単なる消耗品として扱わない点だろう。9人の柱や主要キャラクターだけでなく、上弦の鬼に至るまで、誰もが血の通った存在として描かれている。

また『神格化』を裏付けるのは、圧倒的な商業的成功にもある。16年に『週刊少年ジャンプ』で連載が始まり、20年に完結すると、停滞していた少年漫画市場を一気に活性化させた。単行本の累計発行部数は20年に早くも1億部を突破し、その到達スピードは『ONE PIECE』を上回る。さらにアニメ化が人気に拍車をかけ、19年放送のテレビアニメを起点に、20年公開の劇場版『鬼滅の刃』無限列車編は社会現象と呼ばれる大ヒットを生んだ」と言及した。

記事は、「同作が支持されるのは、観客を理解しているからだ。少年漫画らしい熱血要素は必要だが、安易なチートは使わない。感動的でありながら、無理にすべてを丸く収めない。炭治郎は生まれながらの英雄ではなく、妹を背負い、刀を握り、一歩ずつ戦い抜いた炭売りの少年なのである。『親が偉大だったから強い』という物語よりも、彼の成長ははるかに共感を誘う。その強さは、家族の教えを守り続ける意志であり、仲間と肩を並べる勇気であり、そして絶望の中でも膝を折らない粘り強さである。最終決戦を目前に、初見の観客も、何度も見返してきたファンも、そこに熱さと感動を見出すだろう。これこそが『鬼滅の刃』の真の魅力である。

同作は神話ではない。信念を胸に、普通の人間が光となって生きた物語を描いただけなのだ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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