カナダに拠点を置く海外在住中国系住民のための情報サイトの「文学城」は12日付で、英国が「美食の砂漠」になった理由を紹介する記事を発表した。「地理と歴史の必然」とも言える経緯があったという。
英国はかつて、世界の貿易航路を支配し、世界で初めて産業革命が成立した国だ。「日の沈まない帝国」と呼ばれたこの国が、なぜ「食」についてはこれほど、華やいだ部分がないのか。その答えは、おそらく台所ではなく歴史の中にある。
地理環境は往々にして一国の「初期の献立」を決定する。英国での美食の欠乏は、まずは物産が豊かではなかったことが主たる原因だ。高緯度の島国である英国は、年間を通して雨が多くて日照時間が限られており、さらに気候はさほど熱くない。そのためさまざまな野菜や果物の生育には不利だ。農作物は長らく、小麦以外にはジャガイモ、ニンジン、テンサイなどの耐寒性根菜類作物が主であり、新鮮な野菜やハーブ、果物は豊かではなかった。
さらに英国の土地は平坦ではあるが、土壌がやせている場所が多く、精密な耕作よりも大規模な放牧により適している。このことも、英国の伝統的な食事において肉類と乳製品の比率が高く、旬の野菜が少ない原因になった。食生活の豊かさは大幅に制限された。
海岸線が長いことは本来ならば大きな利点になるはずだが、問題は海産物が多いことが良い料理につながるとは限らない点だ。
こうなると、フィッシュ・アンド・チップスが「英国の国民食」と呼ばれるようになったことは不思議ではない。白身魚、ジャガイモ、小麦粉を練った衣、油、これらには複雑な調味も調理技術も必要なく、簡単に満腹になれる。言い方を替えれば、英国の限られた物産を十分に利用した料理ではある。
しかし歴史の面白みとは、まさにこの「料理をうまく作れない」自然条件により、英国がかえって「工業をうまくやれた」ことにある。
英国の地理環境は、工業の発展には極めて適していた。土地が平坦で鉄道敷設が容易であり、河川網が密集しているので内陸の輸送コストを下げられた。石炭と鉄の資源が豊富で重工業に基礎が提供された。海岸線が長く港が密集しており、貿易の発展も容易だった。英国は台所を用いて食の文明を形成しなかったが、作業場あるいは工場を通じて帝国を築き上げた。
蒸気機関が作動し始めると、「国の重心」は農村から遠ざかった。
労働時間は長く10時間、12時間の交代制が常態だった。料理を作ることはもはや、一種の贅沢な行為だった。そのことで、食品工業が興隆した。缶詰、漬物、半製品が家庭に入り込み、自ら調理することは少なくなった。
航海や遠征のために設計された保存食品が、都市部の家庭で通常の夕食に使われた。食事は家事労働から商品消費へと移行した。食に求められたことは、かつては「風味が良い、洗練されている、多様である」だったが、「速い、満腹になる、安い」が徐々に取って替わった。
産業革命期の英国は「食事」を工業システムに依存することで解決することを選択し、一種の「文化活動」だった食を、一つの後方支援システムへと変化させた。このことは近代化の一種の勝利であるが、同時に味覚文明の退場でもあった。
そして近代以降の「英国の食」に大きな影響を与えたのが戦争だった。英国は2度の世界大戦期間中、海上封鎖により食糧輸入が妨害された。政府は迅速に肉、乳製品、砂糖、油、茶のすべてに配給制度を導入した。一般家庭が週に配給される食材は極めて限られており、基本的なカロリーを保証することしかできなかった。味については「考えるだけ無駄」という状況になった。
同時に、大量の公共食堂が全国に設立され、統一的に調理を行い、統一的に配食し、すべての人が同じものを食べた。飲食は極端な条件のために完全に「機能目的」となった。人々はもはや食感を細かく選ぶことはできず、ただ生存を追求した。
戦争終結後、配給制度は撤廃されたが、2世代に及ぶ英国人はすでに、単純で、便利で、保存可能な食べ物に依存するようになっていた。缶詰、インスタント食品、冷凍食品が「普通の生活」の一部となり、家庭の台所は2度と戦前の水準に回復することがなかった。ある国で半世紀にわたり、「ただ生存のための食事」が常態になれば、「風味」や「こだわり」は当然ながらあまり考えられなくなる。
今日の英国では、「インド料理」「パキスタン料理」「中華料理」「中東料理」を非常に簡単に食べられるが、「正統な英国式家庭料理」を見つけるのは難しい。
大帝国時代の英国には、植民地から香辛料、茶葉、砂糖などの商品が提供されたが、完全な飲食の体系がもたらされることはなかった。新鮮な食材を植民地から英国に運ぶのは困難であり、調理方法も真の意味で英国の料理体系に吸収され融合することは一度もなかった。
英国の上流社会が外来の飲食に接する際の態度も、自分自身のものにするのではなかった。彼らは、外来の飲食に接した経験を自国の料理体系に転換するよりも、インド料理を食べ、紅茶を飲み、フランス料理を注文することを好んだ。
結果として、英国は「世界の料理を注文する」ことは学んだが、「英国的な風味」を発展させることはなかった。よい例がインド料理だ。今日ではインド料理が頻繁に英国の食卓に現れている。ネットでの注文量も長年にわたり上位に位置している。
英国は異国情緒あふれる風味に不足していたのではない。その風味を自らの飲食文化へと内面化するプロセスが欠けていたのだ。その結果、今日のロンドンの食卓は、世界の縮図のように見えるようになった。











