中国のポータルサイト・捜狐に「劇場版『チェンソーマン レゼ篇』が実現した『映画的感覚』」と題した記事が掲載された。

記事は、「劇場版『チェンソーマン レゼ篇』は、多くのアニメファンの今年のベストアニメ映画になったのではないだろうか。

米国のアニメ関連サイト・MyAnimeListのアニメ映画ランキングで9.14点を獲得し、堂々の2位に躍り出た。一方、日本国内では累計興行収入が98億円を突破し、日本映画史上51位、年間興行収入4位という成績を残した。これらの成功を収めたことで、アニメ制作会社・MAPPAはテレビアニメ版『チェンソーマン』の円盤の初週売上が1735枚にとどまったという過去の評価を事実上払拭した」と紹介した。

その上で、「多くのファンは、テレビアニメ版の出来が作品の人気や制作体制に見合っていなかったと考えており、その原因を監督・中山竜氏の演出方針に求めてきた。特に『映画的感覚』を過度に追求した結果、原作の魅力や視聴者の期待と乖離(かいり)したという見方だ。再編集された総集編や今回の劇場版のスタッフクレジットに中山氏の名はなく、かつて否定的に語られていた『映画的感覚』という言葉が、今や皮肉にも『レゼ篇』を称賛する言葉として用いられている」と説明した。

記事は、「『レゼ篇』は、マキマとのデート直後のデンジが、雨宿りの電話ボックスで少女・レゼと出会う場面から始まり、2人は日常を共にするうちに、次第に親密になっていく。デンジにとってこれは2人の女性の間で揺れる幸福な悩みだが、レゼの視点に立てば、自らの過酷な生い立ちと『爆弾の悪魔』という宿命に縛られた悲劇の物語である。彼女は、デンジと同じ痛みを抱える哀れな存在でありあがら、同作の残酷な世界において『チェンソーマンの心臓』ではなく、デンジ本人を見てくれた貴重な存在でもあった」と述べた。

また、物語は『殺し屋が暗殺対象に恋をし、やがて決戦を迎える』という王道な構図ながら、原作者・藤本タツキ氏はキャラクターの内面描写を重視した。突如として断ち切られる結末は、読者に『もしあの時…』という消えない余韻を残し、今なお『レゼはいつデンジを好きになったのか』という議論を呼び続けている。原作漫画の『レゼ篇』は全12話と短編ながら完成度が高い。

純愛と暴力が交錯するカルト映画的な狂気、一瞬で消え去る感情の描写や、自由と愛への問いかけなどの要素がそろい、映画化に適した物語だったといえる」と言及した。

さらに、「同作がアニメ映画として成功を収めた背景には、原作ファンの予想を凌駕する圧倒的な『映画的感覚』がある。劇中では『シャークネード』や『レオン』といった名作をほうふつとさせる演出が随所に散りばめられており、それらは視覚と聴覚を総動員して観客に深い余韻を与える。物語前半は、月光下のプールや花火大会を舞台とした純愛が、緻密な光彩と構図で美しく描かれる。一転して後半の戦闘シーンは、圧倒的な制作熱量による『爆発的芸術』へと昇華され、緩急のある構成が観客のアドレナリンを刺激し続ける」と評した。

そして、「声優・上田麗奈の繊細な演技、作曲家・牛尾憲輔の劇伴、そしてシンガーソングライター・米津玄師と宇多田ヒカルによる主題歌が重なり合い、観客は否応なくレゼの運命に没入させられる。これは単なる漫画の映像化に留まらず、感情を増幅させるアニメ映画というメディアの強みを最大限に活かした結果といえる。『恋愛の相手が呪いとなって存在し続ける』という藤本氏の美学は、同作で見事に体現された。鑑賞後、多くの観客がデンジの『俺のハートはレゼに奪われちまった』というセリフを、自らの消えない余韻としてかみしめることとなっただろう」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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