3月3日は元宵節(旧暦1月15日)。中国の人々はこの日、湯圓(もち米粉で餡を包み茹でた団子)を食べたり、飾り提灯を鑑賞したりして一家団らんを楽しむ。

実は古代中国では元宵節が「バレンタインデー」だったことは、あまり知られていないかもしれない。

七夕よりもバレンタインデーに近い元宵節

「中国のバレンタインデー」というと、七夕節(旧暦の七夕)を連想する人も多いだろう。しかし、民俗学の視点から見ると、中国の伝統文化には正式にバレンタインデーとされている祝祭日はない。

しかし、その「機能」に着目するならば、七夕節よりも元宵節の方がよりバレンタインデーに近いと言えるかもしれない。七夕節は「乞巧節」に端を発し、女性はその日、織り姫星である「ベガ」に機織りの知恵と上達を祈った。そこには、結婚している男女の間に見られる揺るぎない愛を願う思いが込められている。

一方、古代中国では夜間の外出が禁じられていたものの、元宵節の日はその禁令が解かれ、夜に外出することができ、若い男女が出会う機会にもなり、ロマンチックな祝祭日としての側面があった。

元宵節こそが中国のバレンタインデー?

元宵節が古代のバレンタインデーとなりえたのは、若い男女にとって、その日は1年に一度しかない出会いとデートの機会だったからだ。

古代において、未婚の女性は夜間の外出が禁止されていたため、普段は外に出ることがほとんどできなかった。しかし、元宵節に限っては3日から5日間、その禁令が解かれ、人々が夜間に外出することができた。普段、外に出ることができない女性たちも、この時ばかりは着飾って外出し、提灯や月を鑑賞することができた。そしてこうした人々が大勢集まることで、絶好の「デートスポット」となったのだ。

漢詩の「衆裏尋他千百度」や「月上柳梢頭、人約黄昏後」といったフレーズに出てくるようなロマンチックなシーンが、春節の最初の満月を迎える元宵節の夜に幾度となく繰り広げられてきた。

七夕節が「中国のバレンタインデー」と呼ばれるようになった理由は?

では、現代の人々が「中国のバレンタインデー」というと七夕節を連想するようになったのはなぜなのだろうか?その主な理由には、牛飼いの牛郎(彦星)と機織りの少女・織女(織姫)のロマンチックなストーリーが広く知られていることと、商業界の宣伝の二つが挙げられる。

20世紀の終わり頃、中国ではビジネスに敏感なフラワーショップやジュエリーショップ、飲食店といった各種事業者が七夕節のロマンチックな要素に目を付け、西洋諸国のバレンタインデーのスタイルを参考に大規模なマーケティングを展開した。

長年にわたりこうした宣伝が続けられたことで、「七夕節=中国のバレンタインデー」という考えが多くの人にとって「新たな伝統」として認識されるようになっていった。一方で、元宵節のバレンタインデーのような要素は業界によって宣伝されることがほとんどなかったため、多くの人の意識からどんどん薄れていくようになった。

また現代においては、1年に一度の「元宵灯会(ランタンフェスティバル)」で、出会いを求めたり、デートをしたりしなくても、ソーシャルメディアを使って気軽に出会いの場を見付けることができるほか、24時間眠らない都市もデートできる無数のシーンを提供している。

しかし、漢詩の「人約黄昏後」や「灯火闌珊処」に描かれているようなロマンチックな物語を追体験することで、今でも多くの人が同じようなロマンチックさを感じている。それはストレートな愛の表現ではなく、特定の時と場所でしか味わうことができない奥ゆかしさがあるからだ。

中国の多くの都市では元宵節に合わせて盛大なランタンフェスティバルやマーケットイベントが開催されている。きらびやかなネオンが輝くこうしたイベントに参加している若者は、恐らく気付いていないかもしれないが、1000年以上前から数え切れない男女がこのロマンチックな時間を楽しんできたのだ。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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