2026年3月25日、中国のポータルサイト・捜狐に、漫画「チェンソーマン」完結後の作者の発言が大きな議論を呼んでいると紹介した記事が掲載された。(本記事はネタバレを含みます)
記事は、「『チェンソーマン』第2部が完結した。約8年にわたる連載を経て、同作はついに終着点へと到達した。しかし、結末そのもの以上に注目を集めているのは、その後の動きだ。というのも、議論が最も激化していたタイミングで、原作者の藤本タツキ氏が発言したからだ。その内容は、これまで支えてくれた読者への感謝を述べるだけのものだった。物語の解釈についての説明も、議論への回答も、結末に対する言及も一切なかったため、事態は収まるどころか、なぜ何も語らなかったのかという疑問をさらに強める結果となった」とした。
その上で、「今回の論争の核心は、最終話でポチタが『自己捕食』を行い、それによって世界線のリセットが発生した点にある。その結果、誕生した新たな世界では、デンジは過去の出来事を経験しておらず、パワーやナユタと共に、ごく普通のデビルハンターとして生活している」と説明。一方で、「かつて物語を動かしていた大きな対立、例えば『戦争の悪魔』などについても解決されないまま、物語はそこで止まってしまった。クライマックス後の余韻もなく、真の意味での収束もない。まるで『リセットボタン』を押した後、そのまま電源を切ったかのようだ」と指摘した。
記事は、「この結末を『オープンエンド』と解釈しようとする向きもある。しかし問題は、それが『続きがある』という感覚を与えない点にある。むしろ、それまでの物語が無効化されたかのようにされ感じられるのだ」と言及。「読者が怒りを覚えた理由は、単に理解できなかったからではない。むしろ理解した上で作者が明確にリセットを選択したことが見えてしまったからだ。余白とは語り切らないことだが、今回はそれまで語られてきたこと自体が無効であると突きつけられたようなものだ」とした。
また、「興味深いのは、藤本氏がこれまでも同様の手法を用いてきた点だ。『ファイアパンチ』を振り返れば明らかなように、もともと『正統的な物語』を語るタイプの作家ではない。物語構造を解体し、キャラクターの意味を覆し、世界観そのものを極端な形で崩壊させる」と説明。「言い換えれば、すべてを無意味化することこそが藤本氏の表現方法なのだ。そのため、今回の『チェンソーマン』の結末も一部の読者にとってはむしろ妥当だと受け取られている。しかし他の読者にも評価する自由は当然ある。作風は選択の理由にはなり得るが、それを正当化するものではない」と述べた。
そして、「もしある表現が、多くの読者に否定された、あるいはもてあそばれたと感じさせるのであれば、それは単なる『個性』ではなく、コミュニケーションの失敗だ。そして今回の『チェンソーマン』は、まさにその境界線に触れている」と言及した。
記事は、「影響力という観点から見れば、本作は依然としてこの時代を代表する重要な漫画の一つだ。しかし結末だけを見れば、評価は大きく分裂している。これを天才的な締めくくりだと評価する者もいるが、一方で完全な崩壊だと感じる者もおり、中間的な立場は少ない。『藤本タツキらしい』という評価は、賛辞であると同時に問題点でもある。作家の作風があまりにも強くなりすぎると、それはすべてを説明する一方で、逆に障壁にもなり得るのだ。作品が読者に対して責任を負わなくなり、読者側もまた、すべての作風が受け入れられるべきではないと学んでいく」と論じた。
その上で、「藤本氏は8年間の読者の支持に感謝を述べた。そして読者はその8年に対して議論という形で応えた。これこそが『チェンソーマン』の本当の結末なのかもしれない」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)
チェンソーマン見てくれてありがとうございました!手伝ってくれたアシスタントさん達もありがとうございました!映画ももう少しで上映終わるらしいです!両方長く見ていただいて感謝です!
— ながやま こはる (@nagayama_koharu) March 25, 2026











