2026年3月29日、中国のポータルサイト・捜狐に「『葬送のフリーレン』200年かけて建設した橋にツッコミが相次ぐ」とした記事が掲載された。

記事は、「『葬送のフリーレン』第2期の最終話において、本来は単なる『つなぎのエピソード』に過ぎなかった場面が、突如として大きな議論の的となった。作中でフリーレン一行は北へ進むため、ドワーフのゲーエンが1人で200年かけて建設したというトーア大峡谷に架かる橋へとたどり着く。しかし映し出された木の橋は、特別に幅広いわけでも高いわけでもなく、やや質素にも見えた」と述べた。

その上で、「今回の論争の核心は、その『ギャップ』にある。原作漫画の橋はまったく異なる描かれ方をしており、橋は断崖の間に架けられ、細い構造でありながら遥か遠くまで伸びた空中に浮かぶ一本の線のように見えた。非常に幻想的であり、まるで神が谷を切り裂き、人間が執念でその両端をつなぎ合わせたかのようでな印象を与え、危険で壮大であり、どこか非現実的ですらあった」と言及した。

一方で、「アニメでは明らかに別の方向性で描かれた」と指摘し、「橋は木造で、下部には支えがあり、全体として現実の工学に近い構造へと変更されている。峡谷の幅も縮小され、視覚的なインパクトは弱まったが、その分安定感は増している。もっとも、多くのツッコミが集まったのは『出来が悪い』という点ではなく『この(建設に200年かかったという)効率はさすがにおかしいのではないか』という点であった。その結果、さまざまなネタや揶揄が広がり始めたのだ」とした。

記事は、「木造と支柱構造のアニメの橋の方が工学的にはむしろ自然だと考える人もいる。さらに世界観の設定として、資源の不足、輸送の困難さ、魔物の妨害、そしてほぼ一人での作業といった条件を考慮すれば、200年という年月もそれほど大げさではないように見える。漫画版の橋は確かに壮大だが、現実的には成立し得ない構造だ」と説明した。

その上で、「この論争をさらに掘り下げると、そこには二つの創作思想の衝突が見える。一つは『幻想ロマン主義』であり、多少不合理であっても視覚的なインパクトを重視し『200年の価値があるように見える橋』であることを優先する考え方である。もう一つは『現実ロジック主義』であり、世界観の整合性を重視し『実際に建設可能に見える橋』であることを求める立場である。『葬送のフリーレン』自体は、時間の詩的表現と生活の細やかさ、魔法と日常を併せ持つ、両者の間を行き来する作品だと言えるだろう」と論じた。

そして、「アニメが現実寄りの表現を選択した時、一部の視聴者が物足りなさを感じるのも無理はない。漫画ではトーア大峡谷そのものが圧迫感を持って描かれ、橋の存在自体が自然への挑戦として機能していた。しかしアニメでは、そのスケールが明らかに縮小されている。その結果、橋もそれほど大きく見えず、峡谷もそこまで壮大に見えないという、やや中途半端な状況が生まれてしまったのだ」と述べた。

記事は、「興味深いのは、議論が人々の好奇心を刺激したことにより、この橋への批判が原作漫画への関心を高めた点である。SNS上では『漫画はもっと迫力がある』『原作を読むべきだ』『両方にそれぞれの良さがある』といった声が見られ、この論争そのものが一種の『逆宣伝』として機能したのだ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)

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