「キレイな女の子ですよ~」通訳さんが、私の手を握りながら、教えてくれた。ついに、中国で3人目のこどもが生まれた。

これまでの苦労からの安堵で、胸がいっぱいになり、涙が溢れた。

当初、中国渡航の予定時に、私は妊娠していなかった。しかし、コロナで、突然、家族ビザが降りなくなり、私はこども2人と東京に残ることになった。そこで妊娠が発覚した。ワンオペ妊婦の仮住まい生活は、体力的にも精神的にも、激しく辛いものだった。お腹はどんどん大きくなるものの、ビザは一向に降りず、日に日に不安と焦りがつのっていった。妊娠末期は、飛行機に乗ることができない。諦めかけた時、奇跡的に、ビザが降りることになった。

半年以上の別居生活を経て、ついに家族全員で、広州の地を踏むことができた。しかし、安堵も束の間、妊娠8ヶ月の妊婦、こども2人、猫1匹とともに、雨が降りしきる真夜中、隔離ホテル行きのバスに乗り込んだ。そして、3週間のホテル隔離が終わるとすぐ、妊婦検診に向かった。

産院は、夫がいくつか見学して、先に決めてくれていた。

当時の私は、テレビ電話越しに、どこも意外に綺麗だと感じていた。産院での検診は、通訳さんが、終始サポートをしてくれた。これまで何人もの日本人や外国人の出産をみてきたと聞き、とても安心した。病室や医療機器も、日本と同等か、それ以上の性能、清潔感があり、「中国での出産は怖い」というイメージは、初回の検診から払拭された。

中国と日本の妊婦検診で、大きく異なっていた点。それは、胎児の性別を事前に教えないことと、日本では任意である出生前診断が、中国ではほぼ必須だということ。出産に対するお国柄の違いを肌で感じた。

妊娠の経過は良好だったが、一つだけ懸念があった。私の場合、過去2回の出産とも帝王切開だったため、今回も帝王切開だと決まっていた。しかし中国は、いまも一人っ子が多く、3回目の帝王切開の事例はほとんどないのだろう。出産のリスクがやや高いと言われ、追加料金を支払った。

この時期の広州のコロナの感染は、厳しい規制のため、かなり抑制されていた。

PCR検査が陰性であれば、小さいこどもも含めて、病院の個室で一緒に過ごすことができた。一方、東京は、コロナがまたピークを更新したタイミングで、当時は、検診から出産まで、孤独に耐える他なかった。私は、東京よりもここで出産できることが、とても嬉しかった。

きたる出産当日、こどもたちは学校が休みだったため、一緒に病院へ。この時のこどもたちは、新しいインターの学校に通い始めたばかりで、まだ馴染めずにいた。「言葉が分からなくて、休み時間に遊ぶ人がいない」と切なく漏らす娘に、心を痛めた。彼らも新生活に強いストレスを感じていたが、新しい家族が増えることを心から喜んでくれていたことが、救いだった。

出産は、帝王切開なので、私は医師達に身を委ねるだけなのだが、やはり緊張する。特に、一切聞き取れない中国語が飛び交う中であれば、なおさらだ。しかし、手術室では、音楽が流れ、医師は鼻歌を歌い、看護師も談笑していた。少し気が抜けた。通訳さんが、手を強く握って、日本語で励ましてくれたことも、とても心強かった。

下半身の麻酔を入れて、手術が始まる。しかし、いくらか麻酔を入れても、下半身の感覚は残ったままだった。これには、激しく焦った。ふと、目を閉じたら、急に意識がなくなった。そして、次の瞬間、赤ちゃんの泣き声で、目が覚めた。それが、本文冒頭の「キレイな女の子ですよ~」の台詞につながる。

産後の入院生活は、看護婦さんと翻訳アプリを使いながら、何とか過ごすことができた。入院中は余裕がなく、中国語を覚える気力はなかったが、唯一、「痛(トン)」だけ、頻発したため、自然と覚えてしまった。日本では、産後すぐに、院内の授乳部屋に集まり、精神的にも体力的にも辛い中で、スパルタな授乳指導を受けることも多い。また、新生児の体重を測って、母乳やミルクの量を細かく管理する。

しかし、ここでは看護師さんが個室にきて、終始、授乳を手伝ってくれた。私はほぼ寝ているだけで良かった。

おおらかな育児が、私にはとても有り難かった。中国には、「月子(ユエズ)」という風習があり、産後の赤ちゃんのお世話やごはんを用意してくれる場所がある。私は残念ながら経験することはなかったが、日本でもこのような産後ケア施設が増えたら、助かるお母さんがたくさんいるはずだ。

中国生まれの娘は、すくすく育ち、2歳になった。ちなみに、上のこどもたちは、中国広州のフランス学校に通い、フランス語、中国語、英語、日本語と、4カ国語の生活に染まっている。中国の文化だけではない、多文化が融合した国際的な広州の生活を、家族みんなで楽しんでいる。末娘とは、これから、何語で会話ができるのか、とても楽しみだ。

■原題:赤ちゃん、中国で生まれる

■執筆者プロフィール:モワンヌ前田未希(まえだ みき)ユーチューバー

1986年生まれ、東京出身。青山学院大学を卒業後、法人向け教育研修会社にて、グローバル研修等の営業や講師に従事。フランス人の夫に帯同し、中国広東省広州市へ渡航。現在は、YouTube「中国広州の街歩き*モワンヌファミリー」を通して、中国のリアルな日常を発信中。趣味は、中国の古典舞踊を踊ること。

※本文は、第7回忘れられない中国滞在エピソード「中国で人生初のご近所付合い」(段躍中編、日本僑報社、2024年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

<日本人の忘れられない中国>「中国での出産は怖い」というイメージは初回の検診で払拭された

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