鹿児島県・屋久島で3日、「唐鑑真和上屋久島上陸記念碑」の除幕式が行われた。日本各地から集まった20人余りの在日中国人代表、マカオから訪れた鑑真の末裔(まつえい)および地元関係者が式典に出席した。記念碑は重さ約1.5トンで、鑑真が第6回東渡の際に出発した地である中国江蘇省蘇州産の天然花崗岩を使用している。建立にかかる費用は、100人以上の在日中国人および鑑真の末裔である陳捷(チェン・ジエ)博士の寄付によって賄われた。

鑑真(688~763)は江蘇省揚州出身の唐代の高僧だ。8世紀中頃、日本からの招請を受けて仏教の戒律を伝えるため渡日を志した。約12年の間に6回にわたって渡航を試みたが、前5回は風波や病、外的阻害などにより失敗し、その過程で視力もほぼ失った。753年12月7日、6回目の渡航でついに成功し、66歳で屋久島に到達した。屋久島は日本上陸の最初の地とされる。その後、奈良に唐招提寺を創建し、戒律を体系的に伝えるとともに、医学・建築・彫刻・書法など唐代文化を日本にもたらし、天平時代の社会と文化に大きな影響を与えた。

日中交流の原点を後世へ、鑑真ゆかりの地・屋久島に記念碑、民間の力で歴史を刻む

史料「唐大和上東征伝」には、鑑真が屋久島に上陸した事実が明確に記されているが、これまで現地では簡素な木柱のみがその場所を示すにとどまり、正式な記念施設は存在していなかった。2023年3月、桜花学園大学の高文軍(ガオ・ウェンジュン)教授と在日学者の周先民(ジョウ・シエンミン)氏が屋久島を訪れた際、この状況を確認し、記念碑建立の構想を提起した。

日中交流の原点を後世へ、鑑真ゆかりの地・屋久島に記念碑、民間の力で歴史を刻む

同年4月、高文軍、周先民の両氏および南山大学教授の蔡毅(ツァイ・イー)氏、詩人・愛知華僑総会会長の趙晴(ジャオ・チン)氏、名古屋大学などで教壇に立つ研究者の董紅俊(ドン・ホンジュン)氏、音楽家・琵琶演奏家の涂善祥(トゥ・シャンシアン)氏の6人により建立準備委員会が発足した。計画は在日中国人社会に呼び掛ける形で募金により推進され、25年3月には屋久島町より許可を取得した。

除幕式に際し、日本の政界および宗教界から祝意が寄せられた。日中友好議員連盟会長で自民党前幹事長の森山裕氏は、「本記念碑は日中友好の原点であり、両国の未来をつなぐ架け橋となることを期待する」とのメッセージを寄せた。また、元衆議院副議長の海江田万里氏も祝辞を送り、漢詩を創作して記念碑の完成を祝った。

さらに、鑑真ゆかりの寺院である揚州大明寺、唐招提寺、東大寺の各住職も祝意を表した。

日中交流の原点を後世へ、鑑真ゆかりの地・屋久島に記念碑、民間の力で歴史を刻む

除幕式では、涂善祥氏がこのために作曲した琵琶曲「鑑真頌」を演奏し、式典に彩りを添えた。(取材/レコードチャイナ編集部)

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