Coffee & Cigarettes 06 | トータルテンボス(藤田憲右、大村朋宏)
静岡県御殿場市出身の同級生、大村朋宏と藤田憲右が結成したお笑いコンビ、トータルテンボス。20年の芸歴は山あり谷ありだったそうだが、どんな状況でもハングリーに「面白さ」を求めるその姿勢は、2人の自然な関係があってのことだろう。
昨年、結成20周年を迎えたトータルテンボス。毎年恒例となっている「トータルテンボス全国漫才ツアー」は完売が続く人気・実力ともに兼ね備えたお笑いコンビだ。
インパクト大なアフロヘア―がツッコミ担当の藤田憲右。藤田は大の愛煙家で撮影でも取材でもタバコを離さなかった。そんな強烈なインパクトの藤田だが、かつてはプロを目指すほどの野球少年だったそうで、野性味があり直感的で楽観的で、面と向かうだけで、人を笑わせる勢いみたいなものを感じる。一方、ボケ役でネタを作るのが大村朋宏。スマートなイメージ通り、取材を始めてすぐに、彼の頭の良さと話が論理的なことに気づく。ただし、話す内容がいちいちネタのように面白い。
そんな2人は小・中学校の同級生だった。だが、高校と大学はそれぞれ別の学校に進んだ。最初にお笑いの道を志したのは大村の方だった。「大学は麻雀をしに行ってたようなもので、2年生の段階で総合単位数が2しか取れてなくて、早々に2留が決まりまして(笑)。これでは良い企業に就職するのは無理だなぁって。で、どうしようと思ったときに、お笑いなんかどうかなぁって思ったんです。当時は今ほどお笑いの地位もなかったし、深夜番組でロンブーさんを観ていたんですけど、これならできるだろうって勘違いをしていて。で、一緒にバカをやってた藤田に声を掛けてみたら、意外と二つ返事でOKだったんですよね」と大村が結成のいきさつを語る。

Photo by Kentaro Kambe
大村からの急な誘いにOKをした藤田はどういう事情だったのだろうか?
「ガキの頃は野球少年だったんですけど、大学に入るときに浪人して、1年遅れて野球部に入ってもダメだろうと思って、それで大学に入ったもののずっとドラクエをやる日々でした。でも、それくらいの時期って自分の将来を考えるじゃないですか? 僕はずっと自分は有名になれると思っていたんですけど、このままだと平々凡々とした人生を歩むなぁと現実を知った瞬間、大村から芸人の誘いが来て。僕も大村も昔から人を笑わすのが得意で、この2人なら意外と有名になれるかもと思って、OKしたんです」と教えてくれた。
こうして2人は1997年にトータルテンボスを結成。翌98年に吉本の養成所・東京NSCに入り、デビューを果たす。デビューした年に劇場のレギュラー出演を獲得。それは東京NSC史上最短でのレギュラー獲得だったらしく、順調なデビューとなった。
ところが、レギュラー出演していた劇場が閉鎖され、レギュラーのポジションを失ってしまう。そこで快進撃が少し止まるも、2001年にルミネtheよしもとがオープンすると、早々にレギュラーの座を獲得した。新人としてはかなり順調に進んでいるように思えた。ところが……お笑いの道に誘ったはずの大村が「お笑いを辞める」と言い出した。その理由を大村は「焦っていたんですよ」と振り返った。
自分たちよりも面白くても売れてない先輩がゴロゴロいるし、東京に出てきた地元の仲間にはIT企業に勤め、月収で400万稼いでいるやつもいた。そんな環境の中で、辞めるのを決断するなら早い方がいいと大村は悟ったのだ。しかも、相方の藤田は芸人世界にどっぷりつかり、150万ほど街金から借りている生活……。

Photo by Kentaro Kambe
その際に、引き留めてくれた人から「今年からM-1という漫才のコンクールが始まるから漫才をやってみては?」と言われ、それまではコント専門だったが、漫才にもチャレンジした。そして、その漫才が予想以上にウケた。大村が漫才にシフトチェンジした際の気持ちをこんなふうに振り返る。「コントより漫才の方が気持ちよかったです。コントはキャラを演じているけど、漫才は2人で笑わせてる感じがするんです。漫才で人を笑わせていたら”お笑いを辞めよう”というモヤモヤはなくなってましたね」と。一方の藤田はその漫才に少しモヤモヤを感じていた。「ネタは大村が作るので、コントを演じるのと同じ感じで、漫才でもツッコミを演じていて。
そんな藤田のモヤモヤもすぐに解消された。それまで、大村の作ったネタをこなしていた藤田だったが、あるとき、自分の言葉でツッコミをさせてほしいと申し出た。大村もこれを快諾。藤田は地元の言葉や同世代の若者の言葉=等身大の言葉でツッコミをした。これが大いにウケた。「初めて自分が笑わせている感じがしてすごく気持ち良かったですね」と藤田。さらに、当時はツッコミが立っている漫才がなかったので、ツッコミ役の藤田がアフロヘアになり、柄の悪そうな本来ならボケ役な印象の藤田が、「ハンパねぇ」といった若者言葉でツッコむ”トーテン漫才”が完成した。「それが04年ぐらいで、そういう自分たちのスタイルが完成して、M-1の決勝にも進出できて、そこからはおかげさまで忙しくしていますね」と大村がコンビとしての成功の転機を振り返った。客観的に見てみると、”スタイルの完成”とは大村も藤田もモヤモヤがなく人前に立てるようになったことだとわかる。
コンビの調子の良さはネタ作りにも表れているようだ。ネタは大村一人で作ってきた。
冒頭にも書いた通り、去年結成20周年を迎えた。現在、2人は休みがほとんどないほど多忙だ。芸人として順風満帆、百点満点のように思える。だが大村が意外な言葉を放った。「実は少し前まではまたモヤモヤがあったんです。M1という賞レースも卒業して目標がなくなった気がしたのと、仕事はあるけどテレビにいつも出ているわけじゃなくお茶の間での知名度が高いわけじゃいので、なんかモヤモヤしていたんです」と。大村は笑顔でこう続けた。「でも、自分たちが面白いと思うことをやっていればいいだって思えたんです。藤田にイタズラをする自分たちのYouTubeチャンネルを立ち上げたり、毎年の全国ツアーも完売で、好きなことをやれているので、今はモヤモヤは全然ないですね」と。
藤田はOiパンクのバンド、THE SESELAGEESでも活動中。「確かにM-1を卒業した当時は目標を失って、誰のためにお笑いをやるのか分からなくなったんですけど、今は”お客さんのため”って言えるようになりましたね」と、20年の芸人生活に満足している。そして、藤田が「仕事は忙しいんですけど、ちょっとした合間にタバコで気分転換ができるので、モヤモヤ解消できてます!」と最高の笑顔でインタビューを締めてくれた。
トータルテンボス全国漫才ツアー2018
「いきなりミックスベジタブル」
2018年9月29日(土)広島・アステールプラザ 中ホール
2018年9月30日(日)岡山・おかやま未来ホール
2018年10月6日(土)沖縄・よしもと沖縄花月
2018年10月13日(土)青森・BLACK BOX
2018年10月14日(日)栃木・栃木県総合文化センター サブホール
2018年10月20日(土)愛知・日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール
2018年10月21日(日)北海道・共済ホール
2018年10月28日(日)島根・松江テルサ
2018年11月4日(日)高知・高知県立県民文化ホール グリーンホール
2018年11月10日(土)長崎・チトセピアホール
2018年11月11日(日)福岡・JR九州ホール
2018年11月17日(土)石川・石川県文教会館
2018年11月23日(金・祝)東京・ルミネtheよしもと
2018年11月24日(土)東京・ルミネtheよしもと
2018年11月25日(日)大阪・なんばグランド花月
料金:前売3500円 当日4000円
トータルテンボス(大村朋宏、藤田憲右)
ともに静岡県御殿場市出身。1998年4月、コンビ結成。東京NSC3期生。M-1グランプリ2007準チャンピオン。2017年にはYouTubeチャンネル「SUSHI★BOYS」を開設。毎年開催している全国ツアーは即ソールドアウトとなり、昨年は9000人の動員を記録した。今年は9月8日から「トータルテンボス全国漫才ツアー2018『いきなりミックスベジタブル』」がスタートし、全国20都市を回ることが決まっている。https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=203
また、藤田が組んでいるおいパンクバンド THE SESELAGEESも、9月と11月に公演が決定している。
撮影協力:HangOut HangOver 渋谷店
〒150-0041 東京都 渋谷区 神南1丁目20-2 第一清水ビル1階
TEL:03-6416-1150