スタジオでのフレディー・マーキュリーとシド・ヴィシャスの諍いから、ブライアン・メイが考えついた『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のビッグなサウンドの秘訣まで、昨年発売40周年を迎えたクイーンの名作『世界に捧ぐ』にまつわる10の知られざる真実を紹介する。

現在でこそ史上最高のロックバンドのひとつとして知られているクイーンだが、その道のりは決して平坦ではなかった。
1977年の夏、6枚目のアルバムを作るべく再集結したフレディー・マーキュリー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラーの4人は、中年の危機的状況に直面していた。

1976年発表の前作『華麗なるレース』は全米チャートで最高5位、イギリスではナンバーワンを記録したものの、売上枚数は1975年発表の大ヒット作『オペラ座の夜』には遠く及ばなかった。同作に対する評価、そしてアメリカとイギリスにおけるリリースツアーの評判も決して芳しくなかった。1977年2月24日発売のローリングストーン誌で、デイヴ・マーシュは以下のように述べている。「ロバート・プラントの恍惚としたヴォーカルから、ビーチ・ボーイズやビートルズのセミ・ボードビリアン・ポップまで、彼らは短絡的に様々なアイディアをよそから拝借している。また前作にも通じる、バンドの「シリアスさ」を強調する狙いが見てとれるインスト曲は、お粗末な映画における白々しい交響曲を思わせる」

またパンクとニューウェイブの隆盛により、70年代のアリーナロックが過去のものとなりつつあった当時、クイーンは生息地を急速に奪われつつある恐竜のような存在となっていた。そういった状況で彼らは、オーバーダブを駆使したゴージャスなプロダクションと決別し、音数を絞ったバンド史上最もストレートなアルバムを作り上げた。同作はより直感的なサウンドとタッチを誇る一方で、トレードマークであるゴージャスなメロディとハードロックのパワーを備えていた。1977年10月28日に発表された『世界に捧ぐ』は、「伝説のチャンピオン/ウィ・ウィル・ロック・ユー」の両A面シングルの大ヒットにも支えられる形で、アメリカ国内だけで400万枚を売り上げるなど、バンド史上最大のセールスを記録したアルバムとなった(昨年11月には同作のデラックス版ボックス・セット・リイシューが発売された)

昨年発売40周年を迎えた『世界に捧ぐ』にまつわる10の知られざる事実を紹介する。

1. 同作のレコーディングで主に使用されたスタジオでは、同時期にセックス・ピストルズが『勝手にしやがれ』を制作しており、バンド間で諍いが起きた

『世界に捧ぐ』の大部分はロンドンのWessex Studiosでレコーディングされたが、バンドは同スタジオで『勝手にしやがれ』の制作を進めていたセックス・ピストルズのメンバーと度々衝突したという。「やつらとは廊下でしょっちゅうすれ違った」ブライアン・メイはクイーンの伝記を執筆したマーク・ブレイクにそう語っている。「ジョン・ライドンとは何度か音楽の話をしたな。
礼儀正しいやつだったよ」

しかしセックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスは別だった。誤ってクイーンのコントロールルームに足を踏み入れた彼は、フレディに向かってこう吐き捨てたという。「バレエを大衆に売り込もうと必死のフレディさん、調子はどうだい?」その挑発に対し、マーキュリーはこう返したという。「まぁまぁさ、サイモン・フェローシャス。ベストを尽くしてるよ」クイーンのバイオグラファーであるダニエル・ネスターによると、フレディは席を立ち、シドのレザージャケットのフロントに付いていた安全ピンを弄びながら、こう口にしたという。「なぁ、これはお前が自分で付けたのか?」シドは肩をいからせて前に踏み出したが、フレディは彼を突き返してこう言い放った。「やる気か?」シドは黙り、そのまま部屋を出て行ったという。

2. 「シアー・ハート・アタック」はクイーンからのパンクロックへの回答と言われているが、実際には1974年発表の同名アルバムのセッションの際に生まれた

『世界に捧ぐ』ではバンドのメンバー全員が作曲に携わっているが、とりわけタフな「シアー・ハート・アタック」と「秘めたる炎」の2曲は、ドラマーのロジャー・テイラーによるものだ。ハードでフィードバックが印象的な「シアー・ハート・アタック」は、急成長していたパンクムーヴメントに対する回答(あるいは敬意の証)とされる向きが多かったが、実際に同曲が生まれたのは、グラムロックが隆盛を極めていた1974年に発表された、彼らの3作目にあたる同名アルバムのセッション時だった。「『シアー・ハート・アタック』っていうアルバムのタイトルはあの曲からとったんだけど、曲自体は未完成だったんだ」テイラーは1991年にRockline誌にそう語っている。「数年後にようやく曲が完成して、『世界に捧ぐ』に収録することになった。セックス・ピストルズと同じスタジオでレコーディングしてたことも、当時盛り上がってたパンクのテイストがあの曲に見られるのも、実はまったくの偶然なんだ。
あの曲が『世界に捧ぐ』に収録されることになったのは、結果的に幸運だったと言えるね」

3. 「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「伝説のチャンピオン(ウィ・アー・ザ・チャンピオン)」は、あるコンサートでの観衆の反応がきっかけで誕生した

『世界に捧ぐ』の冒頭を飾るストンピング・アンセム「ウィ・ウィル・ロック・ユー」とドラマチックなバラード「伝説のチャンピオン」(全英チャート最高2位、全米5位を記録)の2曲は、アメリカのラジオ局ではペア扱いでプレイされることが多かった。今ではスポーツにおける定番とされている両曲が誕生したきっかけは、1977年5月29日にスタフォードのBingley Hallで行われたコンサートにおける、過度に盛り上がったオーディエンスの反応だった。「『ウィ・ウィル・ロック・ユー』は、オーディエンスの存在がバンドそのものよりも大きくなりつつあったことに対する反動から生まれたんだ」メイは2002年にGuitar World誌にそう語っている。「ファンはあらゆる曲を合唱する。Bingley Hallでは客が盛り上がりすぎて、俺たちは演奏をやめて彼らに歌わせるしかなかった。それがきっかけでフレディと俺は、客が参加することを念頭に置いた曲っていうアイディアを思いついたんだよ」その直後にメイは「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、フレディは「伝説のチャンピオン」を書き上げている。

4. フレディが書いた「伝説のチャンピオン」は「気取りすぎている」として、当初他のメンバ−3人はアルバムへの収録に難色を示していた

「あの曲を書く時に思い描いたのはフットボールだった」フレディ・マーキュリーは「伝説のチャンピオン」について、1978年にCircus誌にそう語っている。「ファンが一緒に合唱することを念頭に置いた曲を書いてみたいと思ったんだ。ありがちなフットボールアンセムなんかじゃなくて、オペラのようなデリケートさを持った曲をね」壮大さはクイーンの音楽とライブにおけるアイデンティティとなっていたが、「伝説のチャンピオン」のメッセージは傲慢だと捉えられかねないとして、当初他のメンバーたちは同曲に難色を示した。「初めて曲を聴いた時は、さすがに気取りすぎだと思った」メイは2008年にGuitay World誌にそう語っている。「俺たち全員でフレッドにそう伝えたよ。でもあいつは、あの曲の持つポジティブなエネルギーがオーディエンスの心を一つにするって確信してたんだよ。
大勢の観衆が全員であの曲を合唱する、そういう光景を思い浮かべてたんだ」

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5. 「伝説のチャンピオン」におけるブライアン・メイのギターソロは、完成間際の土壇場で収録された

「伝説のチャンピオン」のクライマックスを飾るギターソロは、ブライアン・メイが残した数々の名パフォーマンスの中でも屈指だが、当初のバージョンに収録されていたソロは全くの別物だったという。「あの曲のギターは、比較的早い段階で録り終えてた」メイは1993年にGuitar for the Practicing Musician誌にそう語っている。「全員その出来に満足してたと思う。曲を書いたのはフレディだったから、曲のミキシングもあいつが担当してた。完成は翌朝に持ち越されたから、俺は半分程度ミキシングを終えた状態のテープを持ち帰ったんだ」

しかしそのラフミックスを聴き返した時、メイはそのギターソロが楽曲を締めくくるには「弱すぎる」と感じた。「俺はフレッドに『もう一度やらせて欲しい』と頼んだ。特に注意を払ったのは、フレッドが圧倒的なヴォーカルパフォーマンスを見せる終盤の部分で、俺はそれに見劣りしないギターを聴かせないといけなかった。音源だと感じとるのは難しいかもしれないけど、まるでヴォーカルとギターが絡み合っているように聴こえるんだ。奇跡的な瞬間を捉えたんだよ」

6. 「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のストンピング&クラッピングのパートには、ブライアン・メイが培った物理学の知識が反映されている

ロックスターになる前、ブライアン・メイはロンドンのインペリアル・カレッジで数学と物理学を専攻しており、1968年に後者の分野で理学士号を取得している。2010年に行われたNPRのテリー・グロスとのインタビューによると、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」のリズムトラックには、彼のそういったバックグラウンドが活かされているという。「あの曲のレコーディングにはロンドン北部にある教会を使った。音響がすごく良かったからね」彼はそう話している。
「古い板がたくさん置いてあって、それを踏みつけるといい音がするんじゃないかと思ったんだ。それを全部床に並べて実際にやってみたところ、なかなかいい音が録れた。でもその時、俺の物理学者としての勘が働いたんだ。1000人でこれをやったら、ものすごいことになるんじゃないかってね。ストンピングが生む残響音についても、数学的な計算に基づいて考えた。結果的に、複数のテイクを活用することにしたんだ。教会のナチュラルなエコーには頼らず、マイクを置く位置を変えて録音した複数のテイクを重ねることにした。一番肝心なのは、音の発生場所からマイクまでの距離だった。各テイクが被って聞こえないように、それぞれ異なる長さのディレイをかけた。だからストンピングのパートには、教会のエコー音はほとんど混じってないんだよ。ステレオで鳴ってるクラッピングについても、広がって聞こえるように計算した上でマイクの設置場所を決めた。ストンピングとクラッピングを繰り返す、大勢の人間に囲まれているような感覚を狙ったんだよ。


7.「オール・デッド」の誕生には、ブライアン・メイの飼い猫の死が関係している

ブライアン・メイがヴォーカルを担当したメランコリックな「オール・デッド」は、愛する恋人を失った悲しみを感じさせるが、実際にはメイが子供の頃に飼っていた猫の死が関係している。「あの曲は随分前からあったんだ」メイはIn the Studio with Redbeard出演時にそう語っている。「元々は友人の死についての曲だったんだけど、なぜか昔飼ってた猫のことを思い出したんだ。その猫が死んだ時、幼かった俺はその事実となかなか向き合うことができなかった。子供の頃に経験したそういう思いは、大人になってからもふとした時に脳裏をよぎるんだよ。あの曲をアルバムに収録することになって、改めて取り組み始めた時はまったく別のことを考えてたはずなんだけど、あの時に感じたものが無意識のうちに表面に現れたんだ」

8. 「うつろな人生(原題:Sleeping on the Sidewalk)」はクイーンのディスコグラフィーにおいて、一発録りでレコーディングされた唯一の曲である

多重録音をはじめ、クイーンは様々な編集テクニックを駆使したことで知られるが、『世界に捧ぐ』は10週間という、バンドにとっては異例ともいえる速さで完成させている(『華麗なるレース』の制作には5ヶ月を費やしている)。11月頭に控えていた6週間に及ぶアメリカツアーに間に合わせるという課題があったがゆえの結果だったものの、メンバーの大半はかつてなく直感的でスピーディーな作業に満足していたという。『世界に捧ぐ』(あるいはクイーンの全作品)において最も直感的な曲といえるスペーシーなブルースシャッフル「うつろな人生」のバッキングトラックは、メイとロジャー・テイラー、そしてベーシストのジョン・ディーコンの3人がシングルテイクで録っている。

「素材をぶった切って並べ替えるっていう作業もやったけど、基本的には1発で録音したテイクをほぼそのまま使った」メイは1983年にBBC Radio Oneでそう語っている。「ルーズな感じがすごく曲にフィットしてたからね。俺たちの過去の作品にはない要素だったから新鮮だったよ。それまでは完全に納得がいくまで、リズムトラックの隅々にまで手を加えてたからさ。
別々のテイクを編集でつなぎ合わせたこともあった。そういうテクニックを駆使するのもいいけど、このアルバムでは直感的な部分を残そうとしたんだ」

9. 両手でのタッピング奏法はヴァン・ヘイレンの1978年発表のデビュー作で世に広まったが、その数ヶ月前にブライアン・メイは「イッツ・レイト」で同テクニックを披露している

両手でギターの指板を叩いて対位旋律を奏でるタッピング奏法は60年代から存在したが、エディ・ヴァン・ヘイレンが大々的に駆使して以来、そのテクニックは80年代のハードロックとメタルの代名詞となった。ヴァン・ヘイレンの1978年発表のデビュー作はギターの概念を大きく覆したが、実は『世界に捧ぐ』収録曲の「イッツ・レイト」のソロにおいて、ブライアン・メイは両手でのタッピング奏法をいち早く実践している。

「ある人物からパクッたんだ。そいつもZZトップのビリー・ギボンズからパクったらしいんだけどね」メイは1982年にRecord誌にそう語っている。「テキサスのとあるクラブでそいつがハンマリングをやってるのを見て以来ずっと、自宅で密かに練習し続けてたんだ。「イッツ・レイト」のレコーディングの際に、その成果をようやく発揮できたってわけさ」同曲に収録されているソロには満足しているというものの、メイは両手タッピングを自身のレパートリーに加えようとはしなかった。「あれはライブの場で再現するのが難しいんだよ」彼はそう話している。「かなり難易度の高い技だからね。我慢強く続けてれば自慢のテクニックのひとつにできたかもしれないけど、そこまでやる必要性を感じなかった。飛び道具的で、俺のスタイルには合わなかったんだ」

10. SF系アーティストのフランク・ケリー・フリースによるジャケットは、約25年前に彼が手がけた雑誌の表紙イラストが元になっている

観音開きの『世界に捧ぐ』のジャケットでは、巨大なロボットが意識を失っているブライアン・メイと流血しているフレディー・マーキュリーをすくい上げており、そこから落下するジョン・ディーコンとロジャー・テイラーが描かれている。そのイラストはマッド・マガジンをはじめ、様々なSF系出版物に作品を提供しているフランク・ケリー・フリースによるものだ。大のSFファンであるロジャー・テイラーは、Astounding Science Fictionの1953年10月号の表紙イラストをいたく気に入っていた。死体を掌に乗せた巨大なロボットが描かれているそのイラストには、「お父さんお願い…どうか直してあげて」というキャプションが添えられている。

バンドはテイラーの意見を採用し、「世界に捧ぐ」のジャケット用にイラストを描き直して欲しいとフリースに要請した。「過去4作が自宅に送られてきたよ」同作の発売直後に行われたインタビューで、フリースは作家のメル・ヴィンセントにそう語っている。「でもそれらを聴く前に、私はイラストを描いてしまうことにした。彼らの音楽が気に入らなかったら、モチベーションをなくしてしまうと思ったからね」フリースはクラシック音楽のファンだったが、自身でも驚いたことにクイーンの音楽にとても魅力を感じたという。「クラシック音楽の要素をはっきりと残しつつ、すごく先進的でもあると思った」彼はそう話している。「様々な音楽に精通している彼らの多様なバックグラウンドが、バンドという容器の中で複雑に溶け合っていると感じた」
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