3月21日に開催されるDownload Japan 2019のヘッドライナーを務めるオジー・オズボーン。「メタル界の帝王」として君臨するオジーが、ロサンゼルスの自宅で特別に取材に応じてくれた。
50年近いキャリアを通して気づいたこと、音楽業界のトレンドについて、ポール・マッカートニーとの話、ランディ・ローズからの影響、日本での好物など、日本のファンに向けてたっぷりと語ってくれた。

オジー・オズボーンのインタビューはLAにある彼の邸宅で行われた。詳しい場所は言えないが、規格外の家が立ち並ぶ閑静な超高級住宅街にそれはあった(ちなみに、MTV「オズボーンズ」に登場した家とは異なる)。「犬は気にする必要ないが、家主には気をつけろ」と書かれたプレートが掛けられた門をくぐると、さっそく彼の愛犬”ELVIS”が駆け寄ってきて、我々取材陣を飛び跳ねながら出迎えてくれた。ELVISはオッドアイのシベリアンハスキーで、これまでに出会ったどの犬よりも人懐っこく、よくしつけられている。

視線を彼よりも上に向けると、よく手入れされた芝生の向こうに巨大な玄関扉が見える。一見しただけでは全体が把握しきれないぐらい大きな二階建ての建物は、2本の大木に挟まれるような形でそこにあった。しかし、オジーという人物から想像するようなおどろおどろしさはない。どうやら100年近く前に建てられたもので、建築関係の賞を受賞したこともあるようだ。

建物が誇る威容とその奥に潜んでいると思われる家主が放つオーラに一瞬、足がすくむ。恐る恐る邸内へと足を踏み入れ、最初に目についたのはエントランスホールに屹立する巨大なクリスマスツリー。12月中旬ということもあり、ツリーの下には既にたくさんのプレゼントがところ狭しと置かれている。
そのアットホームな光景に少しだけ緊張がほぐれ、吹き抜けになっているホール内をぐるりと見渡すと、そこには壁面を埋め尽くすほど巨大な絵画や風景写真があった。すべてモノクロで統一されていたのは誰のセンスだろうか。

ホールを入って右手には、大小様々な絵画や家族写真が飾られ、巨大なソファがいくつも並んでもまだ余裕があるほど広い応接室があり、左手には今回の撮影が行われた書斎がある。そこは天井まである本棚に囲まれていた。音楽、映画、ファッション関係の書物を中心に数百冊はあっただろうか。そして、その本の手前には彼が受賞した数々のトロフィーが飾られていた。MTV、Kerrang!などなど……。今回、撮影とインタビューは日を分けて行われたのでこの家を2度も訪れたが、待ち時間の長さに困ることは一切なかった。

インタビューが行われたのは2日目の午前10時半。紫のジャケットに身を包んで撮影に臨んだ1日目とは違い、この日のオジーはタイトなニット姿で登場。彼は応接室にある、座面が大きく膨らんだロングソファに腰を下ろし、筆者と通訳は彼と斜めに向き合った。その場に立ち会ったオジー側のスタッフは1人だけ。
オジーは耳が悪いため、こちらの言葉を聞き逃さないようにグッと前かがみになる。それが、インタビュー開始の合図となった。

―まず、2018年5月からスタートしたファイナルツアー「No More Tours 2」について聞かせてください。

最初に伝えておきたいのは、自分はツアーを止めるわけではないということ。ワールドツアーはもうやらないけど、ツアーはするよ。例えば、日本に行ったり、USツアーをやったり、UKで公演をしたり。ただ、もう狂ったようにワールドツアーをやるのは止めるということ。ちょっと誤解している人が多いみたいだけど、これが終わりではないということは強調したいね。

―ファイナルツアーのオーディエンスはどうですか?

もうかれこれ50年近く活動しているけど、今回のオーディエンスは本当に最高だよ。自分もよく歌えてるし、楽しませてもらってる。

―それはいいですね。

ステージに上がると何が起こるかわからないものでさ。
自分が「今回のオーディエンスはグレイトだ」と感じたときに限って、みんなは「オジー、大丈夫か?」と言ってくる。反対にあまり調子がよくないと感じているときに周りは「オジー、最高だ。どんどんよくなってるよ!」と言ってくる。さっきも言ったけど、自分は50年近く活動を続けているし、君がもし「オジーも若くないんだから、スピードを落としてゆっくりするときだよ。家族がいるし、孫だっているんだから」って言うのなら、それもわかる。でも、オーディエンスはどんどんクレイジーになっていくんだよ。自分が若い頃よりもずっと。本当に毎回驚かされるよ。

―先ほどおっしゃっていたように、あなたは50年近く活動を続けていますが、これまでのキャリアでもっとも困難だった出来事はなんですか?

今、俺が最も恐れていることの一つは、昔と比べて新しいレコードを作るのにどんどんお金がかかるようになってきていること。もう誰もレコードを買わないからな。レコードが存在しないときがくるなんて思いもしなかったよ。

―今やストリーミングが当たり前になっていますよね。


これまでとはまったく違うね。ヒットするバンドをいち早く見つけられるようにはなったかもしれないけど、ヒットするバンドをゼロから生み出すことはもはやできない。この業界は音楽を捨て去ってしまったようだ。エレベーターミュージック(ホテルやデパートのエレベーター内で流れるような取るに足らないBGM)だよね。業界にはまだ良心的な人もいるけど、ロックミュージックと同様、そこに魂と心はほとんどない。まるで工場だよ。

―なるほど。

業界は一つ盛り上げたらすぐにそれを捨て去って、次へと移っていく。エルトン・ジョンのバンドに参加している友人がいるんだけど、彼が嘆いてたよ。「僕らがいなくなったらいったい誰が後を引き継ぐんだ?」って。もうすべてはストリーミングだからな。ロボットみたいなものだ。


―わかります。

俺は1968年にレコード作りを始めたけど、それは苦痛の始まりでもあった。ヴァイナルを切って、いくつも曲を作ってきた。俺の周りには「自分のスタジオを作るぜ!」なんて言っている奴が今でもいるけど、自分にはもうそんな余裕はない。なぜならリスナーは「(具体的な曲名ではなく)2曲目が好きだぜ!」って感じだからな。ただ、俺もストリーミングで音楽を聴くことはあるんだよ。例えば、ザ・ビートルズ! でもさ、ストリーミングで音楽を聴くことへの誘惑があるのは自分でも使ったことがあるからわかるけど、そこから何か得るものがあると思う? 何もないだろ。今、唯一可能性があるのはライブコンサートだね。今もどんどん数が増えているし。

【独占取材】オジー・オズボーンが語る、自分のことを笑えるヤツは強い説

Photo by Yuri Hasegawa

―あなたがツアーに注力しているのはそれが理由ですか?

いや、ここ数年新しいレコードを作ってないから、オーディエンスは俺の新しい曲を聴くことができないだろ? でもみんなのことは楽しませたいじゃないか。一方、ツアーをやっていると疲れ切って休みを取りたくなることもある。愛憎入り混じる関係だよ。


―では、ソロツアーの話に戻りましょう。ブラック・サバスのツアーを昨年2月に終えて、あまり間を空けずにソロツアーをスタートしました。これには何か理由があるんでしょうか?

もう自分も若いわけではないからね。時は本当に早く過ぎ去っていくよ……ブラック・サバスは終わってよかったと思ってる。もちろん、とても悲しくも感じるけどね。サバスは自分にとってスタートだったし、すべてを作ってくれたものだから。俺たちの地元UKのバーミンガムで最後の公演をしたときは悲しかったよ。ステージに立ちながら「1968年に始めたブラック・サバスの最後のツアーをバーミンガムで締めることになるとは思ってもみなかったな……」と思った。これは離婚みたいなものだよ。再び一緒に住みたくはないけど、楽しかったときのことは覚えているからさ。

―ああ、とてもわかりやすいです。

ブラック・サバスのツアーが終わったあと、「これですべて終わり」とは言いたくなかった。でも、当時はまだ自分がそのあとに何をしたいのか分からなかったんだ。自分のキャリアを続けていくのか、ストップするのか。

―そうだったんですね。

自分が生きていくためにやっていることは普通の仕事とは違う。いったん休んで、カッと一杯やって、また職場に戻るっていうようなことではない。自分の人生にとってロックンロールは最大のロマンスなんだよ。お金は入ってくる。欲しいものすべてを買うことができる。そして、人々を幸せにする。これはとても難しくて、とても短命なもの。まるで樽に入れられて丘の上から転がされるようなもので、自分はただそこにしがみついてるだけ。だから、ここまでなんとか生き残ってはいるけど、これは稀なケースだよ……俺は俺の道を行き、彼らは彼らの道を行った。でも、結局のところ俺たちは友だちなんだ。

―もう一度ブラック・サバスで彼らと演奏することはあると思いますか?

(即答で)いや、ないね。

―人生には様々なターニングポイントがありますが、これもあなたにとって大きなターニングポイントの一つになりますね。

そうだな。ブラック・サバスを始める前、俺らはただのキッズでさ、労働者階級出身の4人の男にとって、プラチナディスクと車を手に入れることなんて想像できなかった。本当に一度も想像してなかった。俺は素晴らしい人生を送ったし、いつ終わりがきてもいい。もう何も不満はないよ。人生で本当に大きなパーティを楽しんだからさ。

―そしてパーティはまだ続くわけですね。

そうだね。

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Photo by Yuri Hasegawa

―ソロツアーが終わったあと、ファンは何を期待したらいいでしょうか?

自分はもうツアーにこだわりはないし、少しスピードを落とす時期だと思う。音楽はまだ作り続けるけど、もう70歳。今でも21歳の頃と同じことをやってるけど、LAから東京へのフライトはさすがに長いね。だから、今は家や家族からあまり離れたくない。妻も俺と一緒に同じ距離を移動するわけだし。

―先ほど、ストリーミングでザ・ビートルズを聴くことがあるとおっしゃっていましたが、彼らからの影響について教えてください。

当時、イギリスは第2次世界大戦が終わったばかりで、不幸な人がたくさんいてね。そんなある朝、ラジオをつけたらザ・ビートルズの「She Loves You」が聴こえてきたんだ。衝撃を受けたね! 「一体これはなんなんだ!」って。この世に生きる意味を見つけたような気分だったよ。それがきっかけで自分もミュージシャンになりたいと思うようになったんだ。そして、どういう経緯だったかは覚えてないけどブラック・サバスが生まれた。ギタリストのヤツと同じ学校に通っていて、神に導かれるかのようにバンドに入れ込むようになったんだ。

―ザ・ビートルズのメンバーとお会いになったこともあるかと思いますが、どのような印象を受けましたか?

ポール・マッカートニーを見たときは本当に緊張して一言もしゃべることができなかったよ。

―多くの人があなたに対して同じように感じていると思います(笑)。

それはわかってるよ(笑)。ひとつエピソードがあるんだけど、俺が「Dreamer」というバラードを作っていたとき、レコーディング・スタジオにいたエンジニアが「君のレコーディングが終わったあと、誰が来るか知ってる?」って聞いてきたんだ。「知らない」と答えたら、「ポール・マッカートニーだよ」なんて言うもんだから、一生のお願いだからポールに「Dreamer」でベースを弾いてくれるように頼んでくれって伝えたんだよ。そして、家に帰ってベッドに寝ころびながら「ポール・マッカートニーが自分のアルバムでベースを弾いてくれる……!」って興奮してたんだ。

―そのときの光景が目に浮かびます。

次の日、スタジオに行って、心配、興奮、そしてクレイジーな気分でエンジニアに「ポールはベースを弾いてくれた?」って聞いたんだ。そうしたら「いや、弾いてない」って言うんだよ。「どういうことだ!?」「元々録ってあった演奏を超えられないからって」「元の演奏なんてどうでもいいんだよ!」って。俺は彼が「べーンべーン」って何か適当に弾いてくれたなら、もうそれだけで十分幸せだったのに。彼が元の演奏よりうまく弾けなかったというのは言い訳にはならない。そんなことは重要じゃなくて、ポール・マッカートニーが俺のアルバムで演奏しているという事実だけで、もう死んでもいいぐらいの気持ちだったんだ。

【独占取材】オジー・オズボーンが語る、自分のことを笑えるヤツは強い説

Photo by Yuri Hasegawa

―それは残念でしたね。

それから半年後、ニューヨークのラジオ局で彼と会ったんだけど、彼は本当に素晴らしくて、とてもいい人だったよ。俺の娘が時々彼と会うことがあるらしいけど、10代の頃にはまさか自分がポール・マッカートニーと会って、しかも自分の子供まで彼と会うことになるなんてまったく想像していなかったよ。

―では、あなたのキャリアのターニングポイントについて教えてください。これまでで最も大きな節目は何ですか?

ブラック・サバスの1stアルバムを出したとき、バーミンガムのとあるバーにいたらマネージャーがやってきて「いい知らせがある。アルバムがUKチャートの17位にランクインしたぞ!」って教えてくれたんだ。ちなみに、それまでは1stシングル「Evil Woman」が朝の5時にラジオで流れたことがあるぐらいだった。

―では、当時はそんな結果はまったく予想していなかったんですか?

そのときは本当に信じられない思いだった。その話を聞いてから、新聞とか音楽雑誌を読んで「おおお~っ!」ってなったことを覚えてる。その後セールスがさらに伸びて、10年もしないうちに俺らはロックスター……でもなんでもいいけど、そんなもんになった。

―すごい話ですよね。

で、当時俺たち4人は酒を飲みすぎていてね。まあ、自分はそのときはまだそれほどのめりこんでいなかったけど……ちなみに、今の妻シャロンは元々俺のマネージャーで、当時からかなり俺を助けてくれたんだ。俺の父親が死んで、ブラック・サバスをクビになり、ソロになって、前妻と離婚し、ランディ・ローズも事故で死んで……もう限界だった。神に祈ったし、本当に信じられなかった……俺には特別な人を見分けられる特別な力があって、そういう意味でランディは本当に特別な人間だったんだよ。彼とはたった2年しか一緒にいなかったけど、一生のことのように感じてるんだ。俺たちは1対1で時を過ごし、彼は「なんだそれ!?」って俺が驚くようなギターをいつも弾いてくれた。彼は常に自分自身を更新していたんだよ。他にも多くのターニングポイントがあるけど、ランディ・ローズが死んだときのことは特によく覚えてる。

―当時、彼の死とはどう向き合ったんでしょうか?

シャロンには「もうこれ以上は無理だ」って言ってたな。俺の心はもうズタズタに引き裂かれてたから。でも彼女は「続けなさい。私たちは止まらない」って言ってさ。俺は「俺を見てくれ! これは本当に悪夢だ。悪い夢だよ!」って感じだったんだけど、結局妻が正しかった。もし、彼女が励ましてくれなかったら俺は何も成し遂げることはできなかった。あのときで終わってた。今、シャロンと俺は決して止まらない。前進し続ける。

―あなたはとても強い心を持っているんですね。

いや、シャロンがいなかったら今頃生きてはなかっただろうね。彼女は「飲みすぎないで、ドラッグは止めて、タバコも止めて」と言って、実際それを俺に実行させた。俺一人だったら絶対無理だったよ。彼女は偉大なマネージャーだし、彼女のおかげで俺はまともでいられるんだ。

【独占取材】オジー・オズボーンが語る、自分のことを笑えるヤツは強い説

Photo by Yuri Hasegawa

―成功した男性の影には偉大な女性がいるとよく言われますよね。あなたは自分自身の人間性についてどう感じてますか?

結局のところ、自分のことを笑えるかどうかというのがすべて。以前TVショーに出てた頃、ジャックっていうスタッフが「人々があなたのことを笑うのと、あなたとみんなが一緒に笑うのだったらどっちがいい?」って聞いてきたんだけど、俺は「ジャック、彼らが笑っている限り、それが俺のことであろうと俺と一緒に笑っていようとどっちでもかまわないよ」って答えたんだ。人は笑うものだし、みんなには泣くよりも笑っていてもらいたいね。

―では、日本について話を聞かせてください。

俺は80年代から日本へ行っているけど、日本ではやることがたくさんあるし、買いたい物もたくさんある。だけど、東京だけではなく田舎へ行ってみるのもいいかなと思っているよ。どんな感じなのか見てみたい。あと、日本の電車にはいつも驚かされる。例えば、大阪に11時半に行く必要があるとしたら常に時間通りに着くからね。

―日本の電車の正確さに驚く人は多いですね。

日本には常に行きたいと思ってる。あと、日本に関して俺がかなり気に入ってるのはカレーだね。大好物だからいつも日本から送られてくるんだ。

―日本の音楽シーンについてはどう思いますか?

実はほとんど知らない。俺はカレーを食べるのに忙しいからさ。

―3月21日にDownload Japan 2019が開催されますが、過去のDownload Festivalはいかがでしたか?

Download Festivalは元々、Monsters of Rockっていう名前だったんだ。本当に楽しいフェスティバルだから、今度日本でも開催されることになって本当にうれしいよ……俺のほかには誰が出るんだっけ?

―スレイヤーやアンスラックスといったバンドが出演します。日本のファンに何を期待していますか?

もしオーディエンスがクレイジーになったなら、それは励みになるね。

―アンスラックスのスコット・イアンはDownload Japanであなたと共演できることをとても楽しみにしていると話していました。何かコメントはありますか?

間違いなく素晴らしいイベントになるから、俺たちの魂を見せつけてやろうぜ!

【独占取材】オジー・オズボーンが語る、自分のことを笑えるヤツは強い説

DOWNLOAD JAPAN 2019
日程:2019年3月21日(木・祝)
会場:千葉県 幕張メッセ国際展示場9~11
出演:オジー・オズボーン、スレイヤー、SUM 41、アンスラックス、アーチ・エネミー、ヘイルストーム、MAN WITH A MISSION、アマランス、ライク・ア・ストーム 他
料金:スタンディング ¥16,500(税込/1ドリンク代別途必要)
VIPチケット ¥30,000(専用ビューイングエリア、専用入場レーン、物販ファストレーン、専用クローク、1ドリンク付、VIPラミネート配布)

チケットぴあ、イープラス、ローソンチケット、他プレイガイドにて一般発売中
https://www.downloadfestivaljapan.com/ja/tickets

【独占取材】オジー・オズボーンが語る、自分のことを笑えるヤツは強い説
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