第91回アカデミー賞で、映画『グリーンブック』のマハーシャラ・アリは、昨年の『ムーンライト』に次ぐ、2度目の助演男優賞を受賞した。ハリウッドで約20年の苦労の末、主役になるためにすべてを賭けた、その半生を追う。


ロサンゼルスの丘の上にあるグリフィス天文台の駐車場を歩きながら「俺はいいバランスを取ろうとしているだけなんだ」と俳優であり夫であり父であり新作映画『グリーンブック』のスターでもあるマハーシャラ・アリは言った。「自分の選択に責任を持って意義のある仕事をしたいんだ。もらえる仕事をしっかりとこなす。それから家族だ。妻と子供の望みを満たすための努力をする。そして、ちゃんと自分の時間を取ることも忘れないこと! 俺は昔から少し1人でいることを好むところがあって。でも、1つ1つがいい状態にあるとその全てがさらにうまくいく、というのが俺の持論。すべてがより良くなるような、お互いを満たす魔法みたい時が来ると思っているんだ。俺ももうすこしでそこに到達できると思っているよ。」と彼は続けた。

インタビューの開始から5分ほどたってアリは私が聞いた最初の質問に答え終わった。その質問は「調子はいかがですか?」である。

現在44歳のアリは広い心の持ち主で非常にソウルフルな人間である。
それは心優しいドラッグディーラーを演じアカデミー賞を受賞した2016年の『ムーンライト』や、トランプ大統領が入国禁止令を出した48時間後に黒人であるアリが純白のタキシードという装いでステージに立ち、堂々と自分がイスラム教徒であることを公表した全米映画俳優組合賞におけるスピーチ、公民権運動の時代にアメリカ南部で差別に立ち向かうピアニストを演じた『グリーンブック』、そしてまさに今ロサンゼルスの観光スポット第2位であるこの場所で観光客に囲まれた状況においてすら深みと知性が溢れ出るように話しているところからも見て取ることができる。

『グリーンブック』の監督、ピーター・ファレリーは「彼は高徳なヤツなんだ。神聖と言うか輝いていてとてもオープンな心とスピリットを持っている。彼と関われるなんて幸せなことだよ」と語る。

もしバランスのことがアリの頭の中にあるとすれば、それは恐らく彼が1年間ノンストップで仕事に打ち込んできたからだろう。彼は昨年秋の『グリーンブック』の撮影の後、1月から始まるHBOの犯罪ドラマシリーズ『トゥルー・ディテクティブ』シーズン3の撮影が始まる前に7日間の休暇を取った。そして、過酷な7ヶ月を送り、すぐにオスカー賞候補の『グリーンブック』のプロモーション活動に奔走した。一方、彼と妻であるアマタス・サミ=カリムは1歳8ヶ月になる娘のために貯金するため、「リノベーション率75%」家に住んでいる。「だから休んでいる暇なんてないんだ。最近、自分の写真を見て『わお、なんて眠そうなんだ!』って思ったよ」とアリは言う。

アリは壮大な景色を見ながら展望台を歩いていた。私達の周りにいた数十の観光客もぶらぶらと歩きながら、下に見える街や、『理由なき反抗』やもっと最近では『ラ・ラ・ランド』のような映画によって有名になった、このアール・デコ様式の建造物である天文台そのものの写真を取っていた。


オスカー史上最悪の混乱を招くこととなった、作品賞を受賞したと思いきやすぐに『ムーンライト』にその座を奪われた『ラ・ラ・ランド』を覚えているだろうか。自然とこの質問が浮かぶ。マハーシャラ・アリは炎上を狙ってわざわざここに来たのか、と。

もちろんアリはそんなことをするような人ではない。本当のところはここは彼が以前取り付かれたかのようによくサイクリングに来ていた場所なのだ。だからこのグリフィス公園に来たのだ。そして、またサイクリングを再開しようとも考えているようである。「依存症かってぐらいに来ていたけど忙しくなってリズムが崩れてしまって。でも今日ここに来る時に『よし、自転車で行こう』って思ったんだ。」とアリは言った。

だからといってここに来たらサイクリングウェアに身を包んだマハーシャラ・アリを見られると思わない方がいい。「サイクリングウェアは好きじゃないんだ。休憩してコーヒーを飲みたくなったらどうするんだい? ウェアのままカプチーノを頼む? ありえないね。
俺はクールにいきたいんだよ」とのことだ。彼は白いTシャツにカットオフのリーヴァイスでサイクリングするのがお好みのようだ。

アリの正式なファーストネームはMahershalalhashbazという。ヘブライ語の聖書にある天啓で、大まかに訳すと「急いで物にしろ」といった意味になる。

2度の助演男優賞受賞、マハーシャラ・アリという生き方

父フィリップ・ギルモアとアリ。1978年頃。ハーシャルと呼ばれていた彼が3歳の時、ギルモアはカリフォルニアに家族をおいてプロのダンサーになるためにニューヨークに移り住んだ。「今はそれが完全に理解できるんだ。少しも怒りの感情はないし、父が自分の道を貫いたことでより多くを教えてもらうことができたと感じている」とアリは恨む気持ちは全くないという。Photograph courtesy of Mahershala Ali

アリは急いで物にすることはなかった。物にするのに40年かかった。

彼はマハーシャラ・ギルモアとしてオークランドに生まれた(2000年にイスラム教に改宗して改名)。
母は16歳、父は17歳であったが2人の関係は長くは続かなかった。「もし一緒にいつづけたらお互いがなるべき人間になれなかったんだろうね。母は結局、聖職者になったし、父は自分の道を進んだ。2人は合わなかったんだ」とアリは語る。

ハーシャルと呼ばれていた彼が3歳の時、父フィリップ・ギルモアはソウル・トレイン・ダンスコンテストで2500ドルを勝ち取りニューヨークに移り住んだ。ダンス・シアター・オブ・ハーレムでバレエを学び、後にミュージカル劇場で仕事をするようになる。ブロードウェイ・ミュージカル『ドリームガールズ』や、映画『マルコムX』でジルバダンサーとして出演した。アリは年に1度、父に会いに行っていたが決してそれで充分ではなかった。家に戻ると自分のホームタウンが小さく感じられた。

一方、彼の母は床屋で生計を立てていたが、やがてしつけにうるさい海軍のサンドブラスト技師と再婚した。しかし、彼は母との仲がうまく行かなくなって、16歳の時に祖父の家に引っ越した。彼の祖父と母は15年間、滅多に話すことはなかった(今はいい関係だ)。


高校生になるまでにアリはバスケットボールのスターとしての芽が出始めていた。チームを州大会に導き、遠征チームでは後にNBA殿堂入りしたジェイソン・キッドともプレイしていた。それでも彼はそれが自分に合っていると感じたことはなく、自分の居場所を見つけられないまま思春期の大部分を悲しく孤独に感じて過ごした。

1994年、父ギルモアが長く患っていた病の末に亡くなった。息子の演技を一度も見ることはなかったが興味を持ち始めていたことは知っていた。「父は喜んでいたと思う。初めて今までにないほどに気持ちがつながったと思うよ。父はスポーツに興味を持つような人ではなかったけど父もこれなら応援してくれるはずだ」とアリは言う。

数年前、アリは倉庫を片付けている時に父が書いた古いポストカードを見つけた。それは彼の父がキャスティング事務所に配っていたもので、ジムで上半身裸でポーズを決めた写真が使われていた。「ベルベットかスエードのような生地のきれいなパンツをボタンを外した感じで履いていて、父は上を向いてるから顎の下しか見えないんだけどかっこいいんだ。裏には『やあ、母さん。
まだあの主役になるためにがんばってるよ』って書いてあった」とアリは言う。

2度の助演男優賞受賞、マハーシャラ・アリという生き方

アリはカリフォルニア州ヘイワードにあるマウント・エデン高校バスケットボール部のスタープレイヤーだった。後に遠征チームでは後にNBA殿堂入りしたジェイソン・キッドともプレイしていた。「俺はポイントガードの補欠で、彼は言うまでもなく先発選手だった」とアリは語る。Photograph courtesy of Mahersha

アリがそのカードを見つけた時、彼の父が亡くなってから20年が経っていた。「それなのにすごく心に来るものがあったんだ。多くの親にとっては子どもとは中心にあるものだけど俺はどちらかというと父の外周にいた。でも思い返してみると俺は父から必要なものはちゃんと受け取っていたことに気づいたんだ。少しも怒りの感情はないし、父が自分の道を貫いたことでより多くを教えてもらうことができたと感じている。ある意味、俺はそれを受け継いでいると感じている」とアリは言う。

ある秋の夜、アリは1996年に卒業したオークランドの東側の郊外にある小さなカトリック学校、セント・メアリーズ大学のラウンジを訪れた。奨学金の資金を集めるための『グリーンブック』の上映会の開催するため、そして、その多くが自身の家族の中で初めて大学に行く「ハイ・ポテンシャル・プログラム」の学生と面会するためにキャンパスを訪れたのである。アリ自身もこのプログラムの第1期生であり、今でもそれは彼にとって大きな意味を持っている。アリはキャンパスの異文化センターでマルコムXの壁画とプライドフラッグに囲まれて自身の遍歴を学生に語る。「信じないかもしれないけどスペイン語の2期目を取るのが嫌だったから俺は自分にとって初めての演劇の授業を取ったんだ」とアリは話す。

アリはバスケットボールの奨学金でセント・メアリーズ大学に行ったが、すぐに選手が不当な扱いを受けていると感じ幻滅した。教育と家族に関わる誘い文句で入ることとなったが「実際に入ったら突然自分が使い捨ての物みたい、人扱いされていないと感じた。特に黒人の少年として騙されたと感じたんだ」と彼は言う。

彼はバスケットボールから離れていくと同時に演劇を始めた。演劇科の教授レベッカ・エングルは彼が多様性に関するキャンパス内討論会で話しているのを見て自分の授業を取ることを勧めた。アリはスペイン語より演劇の授業の方がGPA3.0をキープできる可能性が高いことに気づいて同意した。(「そういえばその教授は俺にBを付けたんだ。それは今でも少し根に持っているよ」と笑いながらアリは言う。)

いずれにせよ彼はのめり込んで、学内公演を何度か経験しニューヨーク大学の大学院課程のオーディションを受けることとなった。3年後、彼は初めての大きな仕事を勝ち取った。ジェームズ・アール・ジョーンズが初代を演じ、ピューリッツァー賞を受賞した演劇作品『ボクサー』の2000年版リメイクの主役である。ニューヨーク・タイムズ紙は彼の演技を「感動的」と評し、バラエティ誌は「ずば抜けた才能」と言明した。アリは自分が一人前でないことは自覚していた。その後18年間、彼が演じた主役を演じることはなかった。

2度の助演男優賞受賞、マハーシャラ・アリという生き方

2000年のワシントンDC版リメイク『ボクサー』でボクサー、ジャック・ジェファーソンを演じるアリ。彼にとって初めての主役で絶賛を受けたが次に主役を勝ち取るまでに20年近くかかった。Photo credit: Scott Suchman/Arena Stage, Washington, D.C.

当初は『きみの帰る場所アントワン・フィッシャー』(アントワン・フィッシャー役)や『アリ』(ドゥルー・バンディーニ・ブラウン役、最終的にこの役はジェイミー・フォックスに決まった)など、いいオーディションがあった。「その後は何もなくて。俺はエネルギーに満ち溢れていて仕事ができる才能があると感じていた。でも何も起こらなくて完全に消沈してしまったんだ」と彼は語る。ブルックリンの屋根が壊れたテレビもない違法なサブレットの部屋に住んで、オートミールとインスタントラーメンを食べて生きていた。サンクスギビングに地元ベイエリアの祖母に会いに行っている間に、管理人は彼の所持品をゴミ袋に詰めて地下室に入れ鍵を掛けた。彼は戻らなかった。

代わりに彼はロサンゼルスに行き、そこでネットワーク番組の脇役にありつき、その後、他のネットワーク番組の脇役の仕事がさらに入ってきた。そして、映画の脇役も入るようになった。彼に訪れた最初の転機は2013年の『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のワシントンDCの有能なロビイスト役だ。しかし、その時ですら俳優の仕事はそれほど金になるものではなかった。「ケビン・スペイシーなら1エピソードで100万ドルぐらい稼ぐかもしれないけど俺は25,000ドル。税金、エージェント、弁護士、マネージャーへの支払いをしたら手元に残るのは8000ぐらいだし他で働くこともできない。だからこの4ヶ月間は金を貯めることもできないし他の仕事もできない。家を買いたくても子供が欲しくても学資ローンを返済したくても、もっと上に行かない限り無理なんだ」とアリは言う。

中でもよくなかったのはクリエイティブ的な部分に不満があったというところだ。「俺はうんざりしていたんだ…。チャンスがもらえなかったとは言わないけど問題はチャンスの『種類』だね。2,3シーンをやる機会を監督からの『ナイス』なメモ書き付きでもらった。でも俺は言いたいことはもっとあると感じていたんだ」とアリは言う。

彼は自分がもっと大きなことをする運命にあるという自信を持っていた。「バスケットボールで俺にセンターでやらせるコーチがいた。でも自分に合ったポジションはシューティングガードだってわかっているんだ」と彼は言う。そして、彼は『ハウス・オブ・カード』を辞めさせてほしいと頼んだ。「彼らは驚いたと思う。やめる役者はほぼいないのに『俺はこのヒット番組を辞めたい』のだからね。」しかし、こう続けた。「俺はただ自分が主役クラスだと感じていたんだ」と。

同じ年に彼は『ムーンライト』の仕事を手に入れた。

天文台に戻るがアリがパーキングメーターの時間切れを気にしていたのでコーヒー店に移動することにした。そこで『グリーンブック』の話題になった。実話に基づいたこの映画でアリは1962年にアメリカ南部をツアーする天才ピアニスト、ドン・シャーリーを演じている。用心棒としてブロンクス出身の(ヴィゴ・モーテンセン演じる)トニー・リップという屈強な運転手を雇い、奇妙な2人組で旅をするのだ。笑いあり涙あり、今までの常識は覆され、差別主義者は天罰を受ける。これは観客とアカデミー賞が歴史的に見ても絶賛するような気持ちのいい映画なのである。ただアリはこれ以上、白人が黒人の人種差別との戦いを助ける映画を作るべきではないと主張した。

「私たちが知らなかったことが本当にたくさんあった」と他の共同脚本家と同じく白人であるファレリーは言う。彼はシャーリーが疑いながら初めてフライドチキンを食べることに同意するシーンを挙げて「本当に人種差別になってしまうんじゃないかって神経質になっていた。マハーシャラは私を本当に…教育してくれたとは言わないけど、最もいろんなことを学ばせてくれた。一緒にセリフを一行一行確認して、彼はちゃんとした形にするのに本当によく協力してくれた」と語った。

「俺にとってのメインテーマは救世主的な部分だった。ドンが臆することのない力強い存在であることをはっきりと表現したかったんだ。同じようなのはみんなもうたくさん見ただろ?もう2018年だ。人にはもう見たくないものだってある。『公民権と人種差別を扱っているのか?白人は出てくるのか?興味ないな…』ってなるだろう」とアリは言う。

アリはその役のために数ヶ月ピアノを習った(デジタル技術を駆使していることも認めている)。しかし、彼は自信に満ちあふれエキセントリックで雄弁でありながらも内に苦悩を秘めたこの天才を、それでも親しみやすく、真実味が感じられるようなトーンで演じることに最大限の力を注いでいた。「彼はまるでフェンシングの剣士のようだ。巧みな技と軽いフットワークで演じなければいけない。逆に『トゥルー・ディテクティブ』のウェインは言うなればブロードソード使いだ」と彼は言う。

『トゥルー・ディテクティブ』の新シーズンでアリは、1980年に起きたオザークでの2人の子どもの失踪事件を調査していたが数十年後に何かにとりつかれたように再調査するアーカンソー州の刑事ウェイン・ヘイズを演じている。「あれは強烈だったよ。またやりたいと思っている。俳優としてすごく成長できたと感じているからね」と3つの違う年齢を演じなければならなかった7ヶ月の撮影を振り返る。

2度の助演男優賞受賞、マハーシャラ・アリという生き方

Photograph by Melodie McDaniel for Rolling Stone

プロデューサーはアリのオスカー受賞の後すぐにその仕事のオファーを出した。彼はシリーズを引き継ぐこと、そして1960年代にカリフォルニア州警察だった彼の祖父ウィリー・ゴインズへの敬意の印にできるということで楽しみにしていた。最近、HBOでアリがプロデュース兼主演を務める番組が決まったことからもその成功は明らかであった。彼はまだ何も発表していないので誰かにアイデアを盗まれる心配はない。「ついにより権限のあるポジションで仕事ができるようになることを実感している。『トゥルー・ディテクディブ』はまさにあの時の自分がやりたかったことだよ。ただ存在した選択肢の中でベストだったというわけじゃなくてね」とアリは言う。

リノベーションの一貫で、彼は妻ともう1人のパートナーと共に管理できるよう自宅の一部に自身のプロダクション会社ノー・ワンダー(Know Wonder)の事務所を作っている。(おそらく彼のオスカー像もしまってある箱を見つけ次第、この事務所に来ることになるのだろう。「緩衝材を巻いてどこかにおいてあるよ」と彼は笑いながら言った)

アリの妻は2人が90年代にニューヨーク大学で演劇を学んでいた頃に出会った芸術家だ。(イスラム教指導者の娘で、彼女がアリをイスラム教へと導き、1999年のクリスマスイブにモスクの礼拝に連れて行った)。やがて2人は別れ、何年も連絡を取らなかった。「でも常に頭の片隅にはあった。『彼女こそが運命の人だ』って思って」と彼は言う。2012年の終わりに自分が安定した、いい状況にあると思い、何の前触れもなく彼女にメッセージを送った。2人は再び連絡を取り合い、そして1年も経たないうちに結婚した。

アリは言う、妻は今、彼が一度に何週間、何ヶ月と出る撮影に関してルールを設けていると。「そんなに長く家を空けるからにはつまらない仕事をしてきたらダメ。いい仕事をしてくること」と彼女は言ったそうだ。

アリの妻の話をしていたところで、ちょうど彼女からアリに「帰宅予定時間は何時?」とメッセージが入った。絵を掛けに家に人が来るらしく、アリは帰らないといけないそうだ。携帯電話を取り出したついでに彼は自慢の(可愛らしい)娘の写真を何枚か見せてくれた。そして彼は挨拶をして車の方へと向かった。「バランス」を取るために。
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