米現地時間3月7日のデシベル・マガジン主催のツアーでニューヨークのステージに登場したカンニバル・コープスは、アンダーグラウンド・メタル界で最も信頼のおけるライブ・アクトを披露し、30年を経てもなお勢力が衰えない理由を演奏で証した。

カンニバル・コープスのフロントマン、ジョージ・”コープスグラインダー”・フィッシャーは観客をからかうように酷評しつつ、アンコールの可能性をきっぱりと否定した。
しかし、それでも観客は知っていたのである。デスメタル界で最も人気があり、最も愛されているこのバンドが、彼らのアンセム「Hammer Smashed Face(原題)」を演奏せずにステージを去ることなどあり得ない。それが彼らの流儀だということを。そして先日のプレイステーション・シアターでも、カンニバル・コープスはその流儀を通したのだ。

職人のごとく、バンドは1992年のこの曲を激しくプレイし始めた。轟音のイントロで始まり、一瞬の静寂のあと、荒れ狂うスピードで爆発するこの曲は、映画『エース・ベンチュラ』(1994年公開)へのカメオ出演が有名だが、アンダーグラウンド・メタル界におけるFM局のジングルのようなものになっている。つまり、ロック界でいうところの「天国への階段」に相当するのが、大きなハンマーで息絶えるまで人を叩き続ける様子を歌った4分間のキャッチーなこの曲だ。

このサブジャンルとそのファンたちには若干の懐古傾向が許されてもいいだろう。現在、カンニバル・コープスや、木曜日のデシベル・マガジン主催ツアーのニューヨーク公演で彼らと共にヘッドライナーを務めたモービット・エンジェルを含むデスメタルの年長組は、グランジ・ブーム全盛当時のクラシック・ロックの神様たちよりも年上だ。2100人収容のプレイステーション・シアターに集まった観客数から判断すると、彼らの人気はかつてないほどの盛り上がりを見せている。この日、会場を埋め尽くした観客の一番の目当てが2組のヘッドライナーと言えども、彼らはオープニングを飾った新進気鋭のネクロットとブラッド・インカンテーションの演奏も熱狂的に楽しんでいた。

この日の観客の中にこんなことを考えた人間は一人もいないとは思うが、活動開始時期が80年代まで遡るこれらのバンドは、過去の膨大なレパートリーだけで自らの人気を支えているわけではない。
モービット・エンジェルは今回のライブで2017年リリースの最新アルバム『Kingdoms Disdained(原題)』収録の3曲を立て続けに演奏した。インダストリアル・メタルに寄り道した2011年リリースの不評アルバム『狂える神々』での苦い経験を経て、この新作では荒々しく無秩序なサウンドへと回帰し、その強度を増している。もちろん1991年のアルバム『Blessed Are the Sick(原題)』収録の「Day of Suffering(原題)」や、1993年の名盤『Covenant(原題)』収録の「God of Emptiness(原題)」などのファン垂涎の楽曲も披露するのだが、オリジナル音源よりも遥かに残忍さを増した演奏になっていた。

これはクラシック時代のボーカリストだったデヴィッド・ヴィンセントと、現在のフロントマン、スティーヴ・タッカーの明らかな違いに寄るところが多い。ヴィンセントは自信満々で横柄なシンガーだったが、タッカーはしゃがれ声の強気なシンガーだ。90年代はMTVで取り上げられることの多かったモービット・エンジェルは、現在、彼らが忠誠を誓うアンダーグランドに戻っている。彼らが演奏する現在の「Unholy Blasphemies(原題)」が『Blessed Are the Sick』収録のアレンジではなく、それ以前のデモ・バージョンに戻っている点に、アンダーグランド・バンドとしての彼らの強い意志が表れていると言えるだろう。

タッカーに負けず劣らず有能なのが、モービット・エンジェルの頭脳である狂気の天才ギタリスト、トレイ・アザトースだ。彼は唯一残っているオリジナル・メンバーでもある。木曜日の彼のパフォーマンスを見て、デスメタル最高のギタリストであり、最も魅力的なプレイヤーと呼ばれる所以がはっきりとわかった。彼の愛器である複数の7弦ギターを自由自在に操りながら、激しく邪悪なリフを巧みにソロに混ぜ込んだプレイは、天才の域に達したシュールさがあるのだ。Quake IIIにインスパイアされたミュージシャンであり、自己啓発講演者トニー・ロビンスの教えをエディー・ヴァン・ヘイレンやモーツアルトと同等のインスピレーションと言うアザトースは、有害な音の雲から落ちてくるトレモロアームを駆使した音の酸性雨に、アクロバティックな両手のタッピング奏法を組み合わせる。
木曜日の彼は、しばしばアンプの前で観客に背を向けながら、アンプから聞こえる音の洪水に酔いしれているようだった。

モービット・エンジェルがエキセントリックな雄だとすると、一方のカンニバル・コープスは破壊槌と例えられ、プレイステーション・シアターのファンもそれ相当の反応をしていた。モービット・エンジェルまでの3バンドへ熱狂的な反応を示していた観客たちは、トリであるカンニバル・コープスの登場で完全に狂気の塊と化した。これはカンニバル・コープスの楽曲の為せる技とも言える。最近のダウンテンポな曲「Scourge of Iron(原題)」や「Evisceration Plague(原題)」は、巨大モッシュを誘発する目的で作られたカスタムメイドの曲なのだから。これらの楽曲と、2017年のアルバム『Red Before Black(原題)』収録でこの日のセットのオープニング曲として演奏された「Code of the Slashers(原題)」には、ストレートで抗いがたい破滅的なリフがあり、ピットのファンたちは歓喜の表情をたたえた荒くれ者の一群のように反射的にモッシュしていた。それに続く『Red Before Black』収録の「Firestorm Vengeance(原題)」、2004年の『The Wretched Spawn』のタイトル曲、1996年の「Devoured by Vermin(原題)」(コープスグラインダーが初めて参加したアルバム『Vile』の1曲目)で、彼らならではのハイスピードな撲殺サウンドが炸裂したのである。

デスメタルが30年経てもなお衰えない理由

モービット・エンジェルのトレイ・アザトース

モービット・エンジェル同様にカンニバル・コープスも過去の曲を演奏するが、彼の場合は控えめで、90年代初期の『The Bleeding(原題)』や『殺鬼~トゥーム・オブ・ミューティレイテッド』から1曲ずつ披露する程度だ。カンニバル・コープスのセットでは毎回お馴染みなのだが、「Hammer Smashed Face」は『The Bleeding』収録のある曲のあとに演奏される。この曲は前のボーカリスト、クリス・バーンズ作詞の女性嫌悪の暴力を不快な言葉で描いたもので、ほとんど発展しなかった曲だ。しかし、コープスグラインダー時代になり、バンドは「Hammer~」の前に演奏する曲の凶暴さを劇画タッチに変化させ、木曜日のライブでは血に飢えたゾンビが狩りをしまくる曲「Kill or Become(原題)」にして、リフレイン部分「Fire up the chainsaw! Hack their fucking heads off!」を観客とともに陽気に歌ったのだった。

2018年12月に窃盗強盗と暴行容疑で逮捕されたカンニバル・コープスのギタリスト、パット・オブライエンについて、今回のライブで彼らが一切言及しなかったことは大した驚きではなかった。
また、現在ヘイト・エターナルのリーダで、かつてモービット・エンジェルのメンバーだったエリック・ルタンがオブライエンの穴を完璧に埋めていたのも自然だった。ルタンこそが、近年のカンニバル・コープス作品を最高のサウンドに導いた張本人なのだから当然だろう。首がへし折れるほどにヘッドバングしてしまうリフを繰り出し、コープスグラインダーとともに歌詞を口ずさみ、このセットのギターソロの大部分を弾きこなしたルタンは、現在の彼の姿を余すことなく観客に印象づけたと言える。デスメタル屈指のバンドの一つであるカンニバル・コープスと同世代のミュージシャン仲間であり、昔からカンニバル・コープスのファンだったルタンは、この夜の短い共演を思う存分楽しんだのだった。

出演バンドは最初から最後までソリッドだった。トリオのネクロットは一切の無駄を削ぎ落とし、臆面もないほどにレトロなデスメタルを披露し、ブラッド・インカンテーションは特筆すべきステージを披露した。コロラド州デンバー出身のこの4人組のレコードの演奏はソリッドなのだが、ライブでの彼らは驚くほどタイトで印象深い。2015年のデビューアルバム『Starspawn(原題)』収録の1曲を紹介するフロントマンのポール・リードルが「宇宙で死ぬことを歌った曲」と紹介したように、サイエンス・フィクションとオカルトを組み合わせたテーマを、音楽的な専門知識と騒々しいヘッドバンギング要素を上手くブレンドしたサウンドで奏でている。彼らは過去から現在までデスメタルを維持してきたすべての要素を楽しんでいるようだ。リードルと同バンドのギタリスト、モリス・コロンタースキー(要チェック㊥)は、B.C. Richのアイアンバードのトレイ・アザトース・モデルを自慢げに弾きながら、彼らが選んだジャンルの歴史を築いてきた先人たちに最大の崇敬を表しつつ、このジャンルを今後も発展させていく意志を示していた。

どのバンドも気軽に取材に応えることはなかったが、スティーヴ・タッカーだけは一瞬言葉を発し、「デスメタルのライブをこんな会場でやるなんてね」と、会場を見渡しながら驚いた様子だった。ここで取り上げたバンドも、彼らが築き上げてきたシーンも、メインストリームのレーダーに引っかかることはないかもしれない。
しかし、先日ライブを見た限りでは、誕生から30年を経たこのシーンは過去を懐かしむだけに留まらず、現在も十分な活気を維持していると言える。それこそがクラシック・ロックと呼べる所以なのだ。
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