「俺は映画のために存在するような映画と、リアリティに満ちた映画を組み合わせたようなものを作りたい。いかにも映画らしいストーリーでありながら、息を呑むほどにリアルな展開が待ち受けているような映画さ」。
こう語るのはアメリカ映画界にインパクトを与えた監督の一人、クエンティン・タランティーノ。彼の名前を世界に知らしめた『レザボア・ドッグス』(92年)、『パルプ・フィクション』(94年)公開時の空気感がよく分かる1994年のアーカイブ記事をお届けする。

タランティーノの自宅に飾られたトラボルタの写真

映画界を席巻している鬼才、クエンティン・タランティーノには母親がいる。その事実に驚く人間は少なくないだろう。脚本と監督、そして演技までこなす彼女の息子が手がけた1992年公開の『レザボア・ドッグス』における、生きた人間の耳を切り落とす場面を含む10分間にわたる残酷極まりない拷問シーンは、当時の映画界に衝撃をもたらした。「あのシーンは彼女のお気に入りらしいよ」。現在31歳のタランティーノは母親についてそう語る。

高校を中退し、レンタルビデオ店でアルバイトとして働いていた彼は、過去数年間で映画界における最重要人物の1人となった。彼の母親が観終えたばかりだという、ロサンゼルスの闇をコミカルに描いたクライムムービー『パルプ・フィクション』は、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、ニューヨーク映画祭のオープニングを飾り、タランティーノを来年のアカデミー賞最有力候補の座に押し上げた。銃撃、刺殺、SM、同性愛者間のレイプ、ドラッグのオーバードーズといった過激な描写の数々に観客が眉をひそめる中、彼の母親は平然とスクリーンを見つめていた。そんな彼女も、カリフォルニアのハリウッドで彼が暮らす質素なアパートの内装は気に入っていないという。「あれは私の趣味じゃないわね」。
彼女は笑ってそう話す。

ジェネレーションX特有の大胆な発想で独自のジャンルを確立しつつある若きセレブレティ、そういったイメージからはハリウッドの豪邸が連想されるが、彼の住処はまったくの別物だ。生活感溢れる散らかったその部屋は、映画のポスター、ビデオテープ、レーザーディスク、アルバム、ファンジン、雑誌など、その空間には映画関連のグッズが所狭しと散りばめられている。耳を切り落とすシーンで使われたカミソリを含む、自身の映画で使われた小道具の数々はもちろん、恐ろしくリアルなB級映画の女王バーバラ・スティールの頭部模型、『テキサス・チェーンソー』に登場するチリ缶、ジェニファー・ビールスから譲ってもらったという怪傑ゾロのナイフ、ロバート・ヴォーンの人形、ペプシのボトルが詰まったケース、そしてマニアをも唸らせる映画・テレビ関連のボードゲームのコレクションなど、目を引く品の枚挙にいとまがない。

暖炉の上にはジョン・トラボルタの写真が祀られている。タランティーノにとって『パルプ・フィクション』のハイライトは、彼がこよなく愛する70年代のテレビシリーズ『Welcome Back, Kotter』で、SweathogのリーダーVinnie Barbarinoを演じたジョン・トラボルタを起用したことだった。魅力の乏しい役柄が続いていた当時40歳のトラボルタにとっても、同作はかつての人気を取り戻すきっかけとなった。ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ティム・ロス、アマンダ・プラマー、クリストファー・ウォーケン、ハーヴェイ・カイテル、そしてタランティーノ自身という錚々たる面子が出演した同作において、下っ端のギャングでヘロイン中毒者のヴィンセント・ヴェガを演じたトラボルタは、劇中で披露した見事なダンスのインパクトも手伝って、俳優として完全復活を遂げてみせた。

ブライアン・デ・パルマの1981年作『ミッドナイトクロス』におけるトラボルタの「神がかった」演技について、タランティーノは何時間でも語っていられると主張する。「ジョンは最高にいいヤツで、俺たちはすっかり打ち解けた。彼はそう話す。「彼がかつて演じていたような役をやらせようと思った。
俺は彼の才能を信じていたからね。でも互いに気を許すようになって、俺は彼が『ベイビー・トーク』のような映画に出る理由が分かった気がしたんだ。滑稽でチャーミングなキャラクターっていうのは、彼の素顔なんだよ」

トラボルタもまた、タランティーノという人間に魅力を感じていた。「俺は20年この業界にいるけど、クエンティンほど撮影を楽しんでる監督には会ったことがないよ」。彼はそう話す。「そういうムードは出演者にも伝染るんだ。どうせやるなら彼ぐらい楽しまなきゃ損だってね。映画というものを正しく理解している彼は、その楽しみ方を熟知してる。クエンティンは普通の人間にはない、ピュアなエネルギーを全身から発してる。賞賛と批判を等しく重要に受け止め、厳しい言葉を向けられても決して消極的にならない芯の強さに、俺は心底感銘を受けているんだ。何も恐れないその勇敢さには、少し嫉妬してるくらいさ」

過去の出演作における演技をタランティーノが絶賛することについて、トラボルタはどう感じているのだろうか? 「率直に受け入れるしかないと思った」。彼はそう話す。
「彼の世代だけじゃなく、あらゆる世代の人々にとって、俺という俳優がどう映っているのかをはっきり認識させられたよ」。そう話す彼は小さく笑い、さらにこう続ける。「クエンティンの目を通して、俺は世間における自分のイメージを知ったんだ。自覚はしていても、なかなか口には出せなかったけどね」 

2人はまさに相思相愛だ。トラボルタのキャスティングが実現する前、タランティーノはトラボルタと初めて会った際に、自宅の暖炉の上に彼の写真を祀っていることを伝えたのだろうか? 「いや、それは言わなかったよ」。タランティーノはそう話す。「Vinnie Barbarinoのフィギュアにはサインしてもらったけどね」

『パルプ・フィクション』の原型は500ページのラフな脚本だった

『パルプ・フィクション』のスタート地点は、500ページに及ぶラフな脚本だった。「『パルプ』の脚本を書く上でそれまでと違っていたことは、執筆の段階から内容をそのまま映画にすると決め込んでいたことだった」。 彼はそう話す。「あやふやな部分は残さないと決めたんだ。そして映画にするからには、それだけの価値があるものにすると誓った。その分、ディティールにはものすごくこだわった」

事実、当初彼は同作を「詐欺師たちのコミュニティのアンソロジー」と表現していたが、脚本には何度も手が加えられた。
『パルプ・フィクション』の脚本について、彼はJ.D.サリンジャーの作風に影響を受けたと話す。「グラース家の物語は全部、より大きなストーリーの一部になってるんだ。俺もそういうのをやりたいと思った」。脚本家友達の多くからは、『レザボア・ドッグス』に続く作品の執筆には苦労するだろうと忠告されたという。「『テルマ&ルイーズ』のカーリー・クーリにも、『フィッシャー・キング』のリチャード・ラグラヴェネーゼにもそう言われたよ」。彼はそう話す。「幸いにも、実際はそうでもなかったんだけどね」

脚本の段階でTriStarが赤字と見積もったことを受け、Miramaxから提供された制作費が800万ドルにとどまったこともあり、『パルプ・フィクション』は前売券のセールスだけで既に黒字を記録していた。「『パルプ』の制作は『ドッグス』のときよりもずっとやりやすかった。経験を積んだことで、やるべきことがわかってたからね」。タランティーノはそう話す。「『ドッグス』を撮ってたとき、俺とローレンスは自分たちの未熟さを自嘲してた。実際未熟だったから。
でもそういう経験を経て、映画作りをより楽しむ余裕が生まれたんだよ」。頼りになる男ウルフを演じたハーヴェイ・カイテル、そして自分自身を含め、タランティーノは本作のキャスティングに絶対の自信を持っている。タランティーノが世に出るきっかけを作り、『レザボア・ドッグス』にも出演したカイテルの起用は、典型的なキャスティングといえる。

『パルプ・フィクション』の成功以降は、ハリウッドの慣習に頭を悩ます機会も増えたという。「若くして成功を収めた監督の多くは、電話ジャンキーと化すんだ」。タランティーノはややうんざりした様子でそう話す。「電話をかけ続けて1日を終える、俺はそんなのはごめんだ。くだらないミーティングなんかに出るより、他にやるべき仕事があるんだよ。この業界で働く人間の8割は、一日中電話をかけ続けてる。それは俺たちのやり方じゃないんだ」

「俺は今も暇さえあれば映画を観に行ってる」

ある晴れたハリウッドの午後、クエンティン・タランティーノはいつものように映画を観に出かけた。撮影で忙しい最近は映画を観る時間が奪われがちだが、今日は別だった。彼はロサンゼルス・カウンティ美術館でランチタイムに開かれた、『狂恋』のスクリーニングに来ていた。
「今日ここに来てる人の大半は、1935年に作品が公開されたときにリアルタイムで観たんじゃないかな」。高齢者が大半を占めた客席を見渡しながら、彼はそう話す。

カール・フロイントによるユーモアの効いた『狂恋』(のちに『芸術と手術』としてリメイクされている)では、ピーター・ローレが演じる愛に溺れた博士が禁断の手術を実行する。同作を観るのは初めてだとしながらも、タランティーノは既に作品について熟知しているようだった。「この作品の監督はメトロポリスで撮影技師をやってたんだ」。彼は興奮した様子でそう話す。「ポーリン・ケイルの有名なエッセイ『スキャンダルの祝祭』によると、この作品は撮影技師のグレッグ・トーランドが関わっていて、のちに公開される『市民ケーン』の試金石になってるらしい」。話し終えると同時に劇場の明かりが落とされ、彼は満面の笑みを浮かべて座席に深く腰掛けた。

映画を観終えて外に出ると、タランティーノは眩しいほどに晴れ渡ったロサンゼルスの街を歩き始めた。 『レザボア・ドッグス』に登場する色気のないダイナー、Johnniesの近くの店でランチをとりながら、晴れた日の午後に映画を楽しむようなことは滅多にないのかと尋ねると、彼はこう答えた。「そんなことないよ。俺は暇さえあれば映画を観に行ってる。時々インタビュアーから、俺の典型的な1日を再現してほしいって言われるんだ。たぶん俺が乗馬とかやってると思ってるんだろうけど、見当違いもいいとこさ。俺がすることといえば映画館に行くか、友達と集まってTVを見るかのどっちかさ。映画館をハシゴすることもあるよ。あとはたまにカフェに行くぐらい。それ以外のときは仕事してるよ」

彼のそういった生活パターンは今に始まったことではない。ロサンゼルス国際空港のそばにあるサウスベイエリアで過ごした幼少期から、そのルーティンはほとんど変わっていない。彼の両親はクエンティンが2歳の頃に離婚し、母親のコニーは彼を連れて、学生時代を過ごしたテネシー州のノックスビルから西海岸へと移った。現在は再婚しているコニー曰く、クエンティンは当時から映画に強い興味を示していたという。「寛容すぎるってよく言われたわ」。彼女はそう話す。「映画を観に行くときは必ずあの子を連れていってたの。内容が適切かどうかなんてことはまるで気にしなかった」。ほどなくして未来の映画監督のベッドルームは、現在の住処の原型といえる様相を呈するようになった。「自分の寝室以外には浸食させないように目を光らせてたわ」。彼女は笑ってそう話す。

10代の頃、タランティーノはトーランスにあったポルノ専門の映画館、Pussycat Theaterで案内役として働いていた。その時点で彼は、『Captain Peachfuzz』『Anchovy Bandit』という2作の脚本を完成させていた。16ミリ作品『My Best Friends Birthday』(結果的に未完成に終わる)の撮影に着手したばかりだった22歳のとき、タランティーノはVideo Archivesで働き始める。小規模ながら「ロサンゼルス屈指のレンタルビデオ店」とされる同ショップに勤めた経験は、彼に様々な恩恵をもたらした。同じくそこで働いていた友人のロジャー・エイヴァリーは、初監督作品『キリング・ゾーイ』で、タランティーノをエグゼクティヴ・プロデューサーに迎えている。「カイエ・デュ・シネマに対するロサンゼルスからの回答、それがVideo Archivesさ」。タランティーノは笑ってそう話す。「ウィリアム・モリス(業界最大手のエージェント会社)の従業員たちは、『シーンについて知りたければ、Video Archivesに行け』って言われてたらしいよ」

「何年もの間、俺はあそこに住み込み同然で勤めてた」。彼はそう続ける。「店を閉めた後は、一晩中そこで映画を観てた。俺とロジャー、それに友達のスコットの3人で金曜にシフトを入れて、新作を4本立て続けに観たこともあったな。俺たちは稼いだ金を、そのまま映画業界に還元してたんだ」

「クエンティンはあの頃から話し上手だったよ」。エイヴァリーはそう振り返る。「当時との大きな違いは、世間が彼の言葉に注目するようになったってことだ」。出会ったばかりの頃、2人は互いのことをライバル視していたという。「どっちがより映画に詳しいか、競い合ってるような節があったね」。エイヴァリーはそう話す。「でもしばらくして、互いに異なるタイプの人間でありながらも、映画の趣味は共通してるって気づいたんだ。俺たちの出会いは運命だったんだよ」 。近年は映画作りのノウハウを独学で身につけたディレクターの活躍が目立っているが、『パルプ・フィクション』に原作者の1人としてクレジットされているエイヴァリーは、自身とタランティーノをそのムーヴメントの一部とみなしている。「フィルムスクールはもう完全に商業化されてしまってる」。エイヴァリーはそう話す。「今業界を賑わせてる新進気鋭のディレクターたちは、みんなレンタルビデオ店で働いてたんだ。無数の映画に接することで、ユニークな感性を養ってきたんだよ」

一部の批評家からの批判とカンヌ映画祭での受賞

一部の批評家は、タランティーノの作風が独創性に欠けると批判する。『レザボア・ドッグス』が、キューブリックの『現金に体を張れ』を含むヴィンテージ作品の焼き直しだと批判する声もある。「メディアの大半は好意的で、基本的には満足してるよ」。彼にとって唯一の心残りは、「俺にとってのキングスフィールドであり、最大のインスピレーション」とするニューヨークの映画批評家ポーリン・ケイルが、『レザボア・ドッグス』の公開時に既に引退してしまっていたことだという。

「皮肉なことに一部の批評家は、あの映画がリアリティに欠けるオマージュ作品で、フィルムスクール的だって表現したんだ。俺はそうは思わない。リアリティはあの映画の魅力の一つだと、俺は自負してるんだ。観客はあの映画を通じて、犯罪者の心理を垣間見ることができる。でもあの作品が古い映画のオマージュだっていう見方には、共感できる部分もあるよ。俺が尊敬するディレクターの多くは、それと同じことをやってるからね」。タランティーノはそう話すと、突然顔に満面の笑みを浮かべた。「ぶっちゃけると、実際によそからパクったシーンもあるんだ。誰も気づいてないけどね」

「先人たちが育んできた土壌の存在は、映画作りの面白味の一つだと思ってる」。彼はそう話す。「その土壌はあくまで出発点であって、そこからどこに向かうかは自由だ。俺は映画のために存在するような映画と、リアリティに満ちた映画を組み合わせたようなものを作りたい。いかにも映画らしいストーリーでありながら、息を呑むほどにリアルな展開が待ち受けているような映画さ」

これまでの作品で芸術的な残忍さというトレードマークを確立したタランティーノは、バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパーと並んで、暴力描写を芸術に昇華させる存在として語られるようになった。敬虔なカトリックでポップ・ミュージック愛好家というタランティーノならではのチョイスといえる、スティーラーズ・ホイールが70年代に残したクラシック「スタック・イン・ザ・ミドル・ウィズ・ユー」をバックに繰り広げられる、『レザボア・ドッグス』の耳を切り落とすシーンが頭から離れないという視聴者は少なくないだろう。

「途中で席を立つお客さんもいたけど、全然気にしてないよ」 。タランティーノはそう話す。「それだけあのシーンが強烈だったってことだからね。レンタルビデオ屋でアクションものの映画を適当に10本選んだとしたら、そのうち9本は俺の映画より残忍なはずさ。でも俺はそういうアニメじみたものには興味ないんだ。俺はリアルな暴力を描きたいんだよ」

スペインで開催されたホラー映画祭(同会場ではその後、Brain Deadというスプラッターものに特化したフェスティバルが開催されている)で、彼の作品が早い時間帯に上映された際に、観客の中にはサディスティックなシーンに耐えかねる人もいたという。「あの拷問シーンの最中に、15人くらいの人間が席を立った。(カルトホラームービーの有名ディレクター)ウェス・クレイヴンや、(ホラー映画における特殊効果のスペシャリスト)リック・ベイカーもその一人だった」。タランティーノはそう話す。「あの『鮮血の美学』を撮ったウェス・クレイヴンだぜ。『ZOMBIO/死霊のしたたり』を撮ったスチュアート・ゴードンが審査員の一人だったんだけど、彼は両手に顔を埋めてた。最高の気分だったよ」。のちにタランティーノとベイカーが偶然顔を合わせた際に、ベイカーは彼にこう伝えたという。「クエンティン、僕は君の映画の途中で席を立ったけど、あれは賞賛の証だと受け止めてほしい。僕はファンタジーの世界に生きる人間で、狼人間や吸血鬼のような架空の存在には慣れてる。でも君が描く本物の暴力には、僕は免疫がないんだ」

2人の男性が繰り広げるSMレイプのシーンは、過剰なほどに見ごたえのある『パルプ・フィクション』における名場面の一つだ。「『脱出』にもそういうシーンがあるよね」。彼はそう話す。「『アメリカン・ミー』もそうだ。あの映画にはケツを掘るシーンが3回くらい出てくる。その点においては、あの作品を超えるのはかなり難しいな」

『パルプ・フィクション』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したことは、批評家たちのみならず、タランティーノ本人をも驚かせた。「思いもよらなかったね」。彼は笑顔でそう話す。「俺たちの作品はまるで注目されてなかったからね、まさに大番狂わせさ。あの作品が受賞したことで、パルムドールの意味を知った人も多かっただろう。セックス、噓、ビデオテープ、そういうものが世間を賑わしたんだ。パルムドールを獲った後、俺はパリに行って休暇を取ったんだけど、あれは大きな間違いだった。フランスの人々にとってカンヌ映画祭は、アメリカ人にとってのアカデミー賞なんだ。パリに滞在していた間、いろんな人からこう言われたよ。『お前があの名誉な賞を奪い取ったアメリカ人だな』ってね」

作品に起用した女優との熱愛の噂もなく、現在はシングルだというタランティーノは、しばらく休暇を取るつもりだという。「ちょっと自分の時間を持ちたいんだよ」。彼はそう話す。しかしその数週間後には、タランティーノが仕事に復帰するという噂が流れた。彼は10月にラスベガスで撮影が開始するジャック・バラン監督作、『ジョニー・デスティニー』で主演を務めるほか、その後は『フォー・ルームス』と題されたオムニバス映画に、アリソン・アンダース、アレクサンダー・ロックウェル、ロバート・ロドリゲス等の映画監督たちと並んで参加することが決定している。

カート・コバーンが『イン・ユーテロ』のライナーノーツで感謝を捧げたタランティーノは、映画界におけるスラッカー・アイコンとなりつつある。しかし息子の思いを尊重すべく『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を観るのをボイコットしている彼女の母親は、成功はクエンティンを変えてはいないと主張する。「特に変化は見られないわね。あの子が自信たっぷりなのは昔からだから」

長期的なキャリアを展望するタランティーノは、常に予測不可能な存在でありたいと話す。「ハリウッドにおけるキャリアのパターンは、主に2つしかないんだ」。思い入れのある品々でごった返した自室のソファに腰掛け、彼は心地好さそうに話す。「スタジオの犬になるか、自己満足をひたすら続けるかのどちらかだ。どちらも危険な道さ。誰だってスタジオの言いなりにはなりたくないけど、我が道を突き進みすぎて誰にも相手にされなくなるのは避けたい。でも他の道もあると思うんだよ。作品に見合っただけの予算を手にして、自分がいいと思うだけじゃなく、世間が興味を持ってくれるような映画を撮り続けるっていう道がね」

そして最後に締めくくった。「俺はそういう道を進んでいくだけさ」

クエンティン・タラティーノ
1963年、米テネシー州生まれ。1992年公開の『レザボア・ドッグス』で脚本家・映画監督デビュー。その後、『パルプ・フィクション』(94年)をはじめ長編映画を9作発表し、2019年には10作目となる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が控えている。また役者としても活躍し、この記事にも出てくる『レザボア・ドッグス』においてミスター・ブラウンを演じた彼は、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の真意について、劇中でミスター・ピンク(スティーヴ・ブシェミ)と議論を交わしている。
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