ユニバーサル・スタジオでの思い出
いつも通り、ジョーダン・ピールは事前に立てた計画に沿って行動していた。
アシスタントに運転させてやってきたのは、彼がこよなく愛するユニバーサル・スタジオ・ハリウッドだ。全米を震撼させ、オスカーを受賞した2017年の初監督作品『ゲット・アウト』、そして彼が脚本と監督を担当した身も凍るようなホラー映画『Us(原題)』(全米では3月22日に公開された)が共にユニバーサル・ピクチャーズ配給であることを考えれば、その行動は滑稽に思えるかもしれない。「今日は魔法の杖をオーダーメイドしようかな」。VIPエスコートに案内されながら、ピールは満面の笑みを浮かべていた。
彼はワールドクラス(あるいは全宇宙クラス)のポップカルチャーオタクだ。「彼は筋金入りのオタクよ」。『Us』の主要キャラクターを演じるにあたって、ホラー映画について集中講義を受けたというルピタ・ニョンゴはそう話す。「彼ほど勤勉な人には会ったことがないわ。
「子どもの頃、こういうのに夢中だったんだ」。そう話す彼が向かったのは、ホグワーツで魔法を学ぶ子どもたちのお出かけスポットであり、丸石を埋め込んだ石畳の道が印象的なホグズミード村を再現したエリアだ。「ここに来ると童心に帰れるんだよ」。ニューヨークのアッパーウエストサイドでオフィスマネージャーとして勤めていた彼の母親には、女手ひとつで育てる息子をディズニーランドに連れて行くだけの経済的余裕はなかったが、彼が12歳の頃に職場のイベントでユニバーサル・オーランド・リゾートを訪れることになり、2人はそこで数日間を過ごした。映画に夢中だったピールにとって、それは初めて触れる本格的なショービズの世界だった。ブルース・ブラザーズに扮した2人組が現れて「シェイク・ユア・テイルフェザー」を歌ったことさえも、彼にとってはエキサイティングな経験だったという。
黒人の若者の観点が共感を呼んだ『ゲット・アウト』は、全米規模で人種差別に対する議論を活性化させただけでなく、精神のくぼみという恐るべきリンボをもって、アメリカのカルチャーをメタファーやミーム、そして悪夢として描き出した。500万ドル以下で製作された同作の興行収入は全世界で2億5000万ドルを超え、ピールは業界で最も注目を集める監督の1人となった。優れたエンターテイメント作品でありながら、数々のオプ・エド記事やNPRでのシリアスな対談を生んだ同作は、あらゆる層の支持を集めることに成功した。
アカデミー賞で作品賞の受賞こそ逃したものの(同作は脚本賞を受賞し、ピールは同賞を獲得した初のアフリカ系アメリカ人となった)、『ゲット・アウト』が収めた成功は破格だった。それでもなお、ピールは次のように語っている。「僕はホラー映画オタクだから、『ゲット・アウト』の括られ方には少しがっかりしたんだ。ホラー映画を撮るつもりだったけど、出来上がったのは少し違うものだったからさ」。事実、同作は『ステップフォワード・ワイフ』や『ローズマリーの赤ちゃん』のような、洗練されたソーシャル・スリラーに近い。「ホラー映画好きとして、その分野に貢献するものを作りたかったんだ」
「痛みは胸の奥にしまいこんでいる」
彼の新作、『Us』がそういった作品であることは疑いない。『ゲット・アウト』と比較すれば、『Us』で描かれる恐怖はより具体的だ。ある家族がそれぞれのドッペルゲンガー(ピールはTetheredと表現している)と対面する本作を、彼はユニバーサルが生み出してきた『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『狼男』といった映画の系譜に連なる「モンスターもの」として捉えているという。そこには『ゲット・アウト』を楽しんだ上品なオーディエンスを震え上がらせてやりたいという、ピールの悪戯心がはっきりと見て取れる。
ピール自身もまた、父親との別離を経験している。
我々が今いるピールのオフィスは、より大きなスペースに拠点を移したMonkeypawがかつて借りていたハリウッドヒルズの一軒家の中にあり、室内は思い出深い品々で溢れている。我々のすぐ隣には、『ゲット・アウト』でキャサリン・キーナーが演じたキャラクターの部屋に置いてあったレザーのアームチェアがある。凍りついたまま涙を流し、精神のくぼみへと落ちていったクリスが座っていたあの椅子と同じものだ。パーソナルな質問を投げかけた筆者は、無意識のうちにそのアームチェアの影響を受けていたのかもしれない。

『ゲット・アウト』の撮影現場で、ダニエル・カルーヤに指示を出すピール。
我々を見下ろしているオスカー像が収められたガラス製キャビネットの中には、あの花柄のティーカップ、そしてアリソン・ウィリアムズが「鍵は渡せないの」と口にするシーンで中身を探るふりをしたポーチもある。本棚には無数の脚本執筆の教習本のほか、スティーヴン・キングやニール・ゲイマンの小説なども見られる。壁に貼られた『ローズマリーの赤ちゃん』でのナイフを握ったミア・ファローの白黒写真、そして机のそばにある額縁に入れられた『サイコ』に登場する屋敷の間取り図は、どちらもユニバーサルから贈られたものだという。
彼は自身のアイデンティティについて悩んでいたことを認めている。父親は黒人だったが、彼は白人の母親の手で育てられた。幼少期に父親が不在だったことによる影響については、自分でも把握しきれていないという。「痛みは胸の奥にしまいこんでいるんだ」。彼はそう話す。「でも映画で父親と息子の交流シーンなんかを目にしたときに、ふと涙ぐんだりするんだよ。もし自分がそばにいなかったら息子はどう感じるんだろうって考えるたびに、自分が心に傷を負っていることを自覚するんだ。僕は実際にそういう環境で育ったけど、そのことを意識しすぎないよう努めてきたから、ネガティヴな感情を抱えこまずにやってこれたと思う。
夜になると恐怖心が煽られたという幼少期の傾向は、そういった背景と無関係ではないのかもしれない。「クローゼットの中に潜んでいるお化けなんかを想像してしまうんだよ」。ピールはそう話す。「精神的に病んでたんだろうね」。しかし学校の遠足でキャンプファイアを囲みながら自作の怪談(停車している不審な車、生首、不気味なチャント等が登場する)を披露したとき、彼は自らの恐怖心という呪縛から解き放たれた。「みんなすごく怖がってたよ。そのとき以来、僕は何も恐れなくなったんだ」。ピールはそう続ける。「心に抱えていた痛みや傷、そして恐怖心と折り合いをつけられるようになった。森の中から突如ジェイソンか何かが現れて切りつけられたとしても、少なくとも僕は怖がったりしない。キャンプファイアで自分の空想について語ったあのとき、僕は自分の中の恐怖心を克服したんだ。あの瞬間に感じた圧倒的なカタルシスによって、僕は子どもから大人へと脱皮したんだ。
自分の将来について、ピールは極めて自由に選択することができたという。「父親がそばにいないことの利点のひとつは、時間と労力を何に費やすべきかなんて熱っぽく語るやつと関わらなくてすむことさ」。そう話す彼がアーティスト気質の人間であることは、かなり早い段階から明らかだった。絵が得意だった彼は写生の授業を選択し、子役としてアマチュアの舞台に出演するなど、幼い頃から演技の才能も発揮していた。「12歳の頃には既にマネージャーかエージェントがついてたと思う」。彼はそう振り返る。「オーディションにことごとく落ちて、思い悩んだ時期もあったけどね。挫折した子役スターってやつだよ。典型的なね」
中学3年の頃、彼は奨学金を受けて私立学校のCalhoun Schoolに入学し、アートに関心のある友人たちとサークルを立ち上げた。ゴスに夢中だった彼はトゥールやナイン・インチ・ネイルズを愛聴し、常に全身黒ずくめだったという。子どもの頃に愛用したおもちゃをキャストとした一連のカムコーダームービー『Planet of the Beasts』について、ピールの高校時代からの友人であり、現在はMonkeypawの社長を務めるWin Rosenfeldはこう語る。「『ジュラシック・パーク』もどきのふざけた作品さ。ティラノサウルスとルーク・スカイウォーカーがガチンコバトルを繰り広げるようなね。ジョーダンらしいユーモアとホラーと馬鹿馬鹿しさのおかげで、かなりオリジナルな内容ではあったけどね」
ピールはニューヨーク大学のフィルムスクールで学び、映画監督になることを切望していた。「必要な教育を受けることさえできれば、その夢を叶えられるって確信してた」。彼はそう話す。「自分には才能があるって分かってたんだ」。しかし、その情熱が強すぎるがゆえに半ばパニックに陥った彼は、おそらく人生で初めて自分を見失い、その道に進むための努力さえしなかった。彼は奨学金をもらってサラ・ローレンス大学に進み、需要の高い人形劇の分野で自ら専攻科目を立ち上げた。ピールは当時についてこう話す。「将来はロアーマンハッタンのどこかで、アヴァンギャルド寄りのホラー・コメディみたいな人形劇をやるつもりだった」。しかし学内で行われていた即興コメディにのめり込むようになった彼は、3年に上がる前に同大学を中退し、セカンド・シティのコメディシーンに憧れてシカゴへと移り住んだ。ほどなくして彼は、アムステルダムに拠点を置くコメディ集団Boom Chicagoの一員となる。オランダ人女性との接し方を悟るまでには少し時間がかかったが、彼はそこで素晴らしく充実した(マリファナ漬けの)3年間を過ごした。そして2003年、シカゴでの一時滞在中にキーガン=マイケル・キーと出会ったことで、彼の人生は大きく旋回していく。

コメディ番組『Key and Peele』でピールが演じるバラク・オバマと「怒りの通訳者」のやりとりは、大統領本人のお墨付きを得た。(Phohto by Ian White/Comedy Central)
シャマランが送ったメッセージ
ユニバーサルのオフィスに戻り、ピールは『ゲット・アウト』の次回作における課題について語り始めた。彼の背後に立つ等身大のヴェロキラプトルの模型(アニマトロニックだが、着ぐるみのようにも見える)は、今にも動き出してうなり声を上げそうなほどリアルであり、まるでピールの空想の世界に迷い込んでしまったかのようだ。「似たような恐竜の着ぐるみを使って無防備なサラリーマンたちを驚かせるっていう、日本のドッキリ番組が最高なんだ」。彼はそう話し、ある若者が飛び上がって驚くYouTube動画を見せてくれた。彼は滅多に人前で笑わないが、このときは腹を抱えて爆笑していた。「本物だって信じてなきゃ、このリアクションは到底できないよ」
『Us』を撮るにあたって、彼はそのサラリーマンのように怯えてはいなかったが、2作目のジンクスに対する不安は感じていたという(巨大な予算がつぎ込まれた大作を撮る話もあったが、彼は全て辞退している。「時間は限られてるからね」)。「前作が絵に描いたような成功を収めただけに、次回作へのプレッシャーはひしひしと感じてた」。彼はどこか淡々とそう話す。尊敬する映画監督たちの2作目に絞って研究を重ねたという彼は、M・ナイト・シャマランの『シックス・センス』(厳密には処女作ではないが、そう捉えて差し支えないだろう)から『アンブレイカブル』への流れにとりわけ感銘を受けたという。また彼は『レザボア・ドッグス』で名を馳せたクエンティン・タランティーノが、『パルプ・フィクション』で遂げた進化についても触れていた。
シャマラン自身もピールに共感していると語っており、『ゲット・アウト』と『スプリット』でプロデューサーを務めた共通の友人ジェイソン・ブラムを介し、彼に次のようなメッセージを送っている。「伝えたい物語をありのままに伝えればいい。外野の声に耳を傾けず、常に初心を忘れないことだ」

ピールと『ブルックリン・ナイン-ナイン』で知られる女優/コメディアンのチェルシー・ペレッティ。2人は結婚して2年になる。(Photo by Chelsea Lauren/REX/Shutterstock)
マリファナ漬けだった頃、彼はキャリアの大半を占めるであろう量のアイデアを生み出した(「ハイだった自分に感謝さ」)。最近では、『ゲット・アウト』の系譜に連なるソーシャル・スリラー作品のアイデアを4つ考えついたという。『Us』はそのひとつが元になっているが、ホラーとしての要素が濃くなるにつれてそのカテゴリーから逸脱していった。そのインスピレーションが、彼が子どもの頃に観た『トワイライト・ゾーン』のエピソード『Mirror Image』であったことは疑いない。そのエピソードでは、ある女性がバス停で自分に瓜ふたつの人間と出会い、相手が自分の人生を乗っ取るために並行世界からやってきたのだと思い込む。「恐ろしくも美しい、ものすごくエレガントなストーリーテリングなんだ」。ピールはそう話す。「視界がパッと広がるっていうのかな。すごく想像力を刺激するんだ」。彼は6カ月間に渡って脚本のアイデアを練り続け、執筆作業にさらに6カ月を費やした。『ゲット・アウト』と比べれば、同作は遥かに短い期間内に完成したことになる。
黒人文化の盗用について
『ゲット・アウト』には長く記憶に残る場面が多い。才能あるフォトグラファーのクリスは、盲目の白人の画商が自分の体を乗っ取ろうとしていることを知り、自らの置かれた状況に恐れおののく。その画商は黒人の死体を盗むカルト集団に関与していながら、自分は人種差別主義者ではないと強く主張する。「私は君の目が欲しいだけさ」。画商はそう口にする。「君の目を通して世界を見たいのだよ」
あのシーンには多くの意味が込められているとピールは認める。「盲目である以上、人を肌の色で判断することは文字通り不可能なはずなのに、あの男は人種差別のシステムに加担している。才能ある黒人のアーティストの目を自分のものにすることで、あの男は自分に欠けているものを補うことができると信じてるんだ。それはあの映画のマニフェストと言っていい。またそれはオバマ政権時代に広く共有されていた感情と、黒人であることのアドバンテージという迷信に対する批評でもあるんだ」
ピールが「憧れがもたらす人種差別」と呼ぶ、何世代にも渡って続いてきた白人のセレブリティたちによる黒人文化の盗用は、本作における明確なテーマのひとつだ。「マジでムカつくよな。だからこそ訴えたいわけだけどさ」。ピールはそう話す。制作会社の重役たちをはじめ、周囲の人間から「君の目が欲しい」と仄めかされたことはないかという筆者の質問に、彼は肩をすくめて「まぁね」と答えた。「っていうか、日常茶飯事さ」
しかし、ピールはそのヴィジョンを真の力へと変えてみせる。スパイク・リーの『ブラック・クランズマン』を共同プロデュースしたMonkeypawの躍進も手伝って、彼はJ・J・エイブラムスやスピルバーグのような大物感をまといつつあり、その影響力は急速に拡大している。「巨大な組織を築き上げるなんてことよりも、とにかくやり続けることが大事だと思ってる」。ピールはそう話す。「頭悪そうに聞こえるかもしれないけど、一番面白いのは何かを生み出す過程そのものなんだよ」
ユニバーサル・スタジオでの滞在中、我々はアニメに出てきそうな急傾斜のエスカレーターに乗って展望台に登り、青空の下に広がるロサンゼルスの街並みと遠方の山々を眺めた。そのパノラマに思わずため息をつき、ピールはこう口にした。「伝えたい物語が山ほどあるんだ」

Photo by Frank Ockenfels 3 for Rolling Stone
ジョーダン・ピール
1979年、米ニューヨーク生まれ。大学中退後、コメディアンの道に進み、友人であるキーガン=マイケル・キーとの番組『Key and Peele』で、ピールは名声を手にした。2017年の初監督作『ゲット・アウト』では脚本も務めた。