レッド・ツェッペリンのデビューアルバムからニルヴァーナの『ネヴァーマインド』まで、ローリングストーン誌の批評が歴史的な評価と一致しなかった10枚を紹介する。
音楽評論家という職業は、決して楽なものではない。
ジミ・ヘンドリックス 『Are You Experienced(アー・ユー・エクスペリエンスト?)』(1967年)
ローリングストーン誌の創刊号でジョン・ランドーは、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスという新しいバンドがリリースしたニューアルバムへの大きな不満を示した。
ジョン・ランドーによるオリジナル:全ては正気の沙汰でなく、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。基本的に私はいくつかの理由により”嫌い”の方に入る。ジミの持つ優れた音楽の才能とバンド全体としての精密さにもかかわらず、楽曲のクオリティの低さと空虚な歌詞が足を引っ張る場面があまりにも多すぎる。
ポール・エヴァンスによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
サマー・オブ・ラヴ(1967年)にリリースされたデビューアルバム『Are You Experienced』のサウンドは、神々しい狂気といえる。「Purple Haze」、「I Dont Live Today」、「Manic Depression」、「Fire」は、心の底からの驚嘆、欲望、恐怖から生まれた歌詞を、ギターフィードバックと圧倒的なテクニックが包み込んでいる。
レッド・ツェッペリン 『Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン I)』(1969年)
レッド・ツェッペリンが新しいブルーズロックバンドとしてヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライらのオープニングアクトを務めていた頃、ローリングストーン誌はデビューアルバムに対する痛烈なレビューを掲載した。バンド側は同レビューに対して、その後長い間に渡り遺恨を抱いていた。
ジョン・メンデルソンによるオリジナル:ブリティッシュ・ブルーズグループのひとつとみなされている最近デビューしたバンドの音楽は、3カ月先を行く双子的な存在であるジェフ・ベック・グループに及ばない。彼らのデビューアルバムは、ジェフ・ベック・グループのアルバム『Truth(トゥルース)』を酷くしたようなもので、注目すべき点といえば好き放題やっている様子や世界の狭さだ。ツェッペリンの中心的存在であるジミー・ペイジは、世間が認めるように卓越した熟練ブルーズギタリストであり、エレクトリックギターの先駆者といえる。
グレッグ・コットによる改訂版:5つ星 ローリングストーン誌(2001年)
正にエネルギーが伝わってくる。英国生まれのカルテットによる1969年の衝撃的なデビューアルバム『Led Zeppelin』のアルバムジャケットには、立派な男性器を思わせる飛行船ヒンデンブルク号が炎に包まれて落下していく様子が描かれている。同ジャケットデザインは、セックス、大惨事、爆発など、アルバムに収録された音楽を上手く表現している。オープニングの「Good Times Bad Times」から、バンドの自信たっぷりな態度が見られる。ジミー・ペイジのギターがスピーカーを通して威嚇し、ジョン・ボーナムの力強いキックドラムがスウィングする。さらにロバート・プラントが男の危機を長々と歌い続けている。ハードロックはいつまでも同じではない。ツェッペリンの作品の中には、通称『Led Zeppelin I』以上により良く、より洗練されたアルバムも存在するかもしれない。しかし、彼らのデビューアルバムは最も粗削りで心地良いサウンドを聴かせ、バンドの意図するものを明確に包括している。
ブラック・サバス 『Black Sabbath(黒い安息日)』(1970年)
レスター・バングスは史上最も評価の高いロック評論家のひとりだが、そんな彼でさえ、1970年にリリースされたブラック・サバスのデビューアルバムを聴いてもバンドを評価しなかった。
レスター・バングスによるオリジナル:クリーム国家のインダストリアルサイドには、ロックの悪魔儀式などと大々的に宣伝するブラック・サバスのような未熟練労働者による楽曲が多い。ブラック・サバスは、まるでカヴン(魔女集会)に対する英国の回答のようだ。そう悪くはない。しかしながら彼らに下せる評価はその程度で、アルバムは全体的に無価値だ。曖昧な楽曲のタイトルと空虚な歌詞は、まるでヴァニラ・ファッジがアレイスター・クロウリーに下手な詩を捧げているようだが、同アルバムはスピリチュアリズムやオカルトなどとは何の関係もない。ただブラック・サバスのメンバーが本から学んだクリーム的なありふれた表現による不自然な朗唱が、しつこく何度も繰り返される。ヴォーカルは薄っぺらで、アルバム全体を通じて緊張感のないベースラインが続く。さらにリードギターは、最もくたびれたクリーム時代のぎこちないクラプトニズムを垂れ流している。走り出したら止まらないスピード狂のように、お互いの音楽の境界線を踏み越えながらも全く同調しないベースとギターによる耳障りなジャムセッションだ。クリームっぽいが、もっと質が悪い。
スコット・スワードによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
ブラック・サバスはブルーズロックからブルーズを取り出してワーグナーに置き換え、あらゆる思春期の若者が直に体験するであろうテンションと解放感を含む叙事詩的なリズムのバトルを生み出している。プロデューサーのロジャー・ベインは、ブラック・サバスのサウンドを大音量かつ不健康に仕上げた。
ニール・ヤング 『Harvest(ハーヴェスト)』(1972年)
レッド・ツェッペリンの最初の2アルバムをこき下ろしたジョン・メンデルソンが、今度はニール・ヤングのアルバム『Harvest』に毒を吐いた。
ジョン・メンデルソンによるオリジナル:1年以上の長い時間をかけて苦しみながら製作した(より正確に言うと、寄せ集めた)『Harvest』のニール・ヤングは、ロサンゼルスのあらゆるスーパースター界の最もうんざりする陳腐な表現を思い起こさせる。初期の自分自身を上手く模倣できない無能さをごまかそうとしているようだ。(中略)実を言うと私は、評論を書く前にアルバム全体を通して10回以上聴いた。唯一なんとか褒められる点といえば、ニール・ヤングの歌は相変わらず上手く、時に感動的だということ。しかしその他の部分で彼はどうやら、比類なく感動的かつ刺激的だったかつての自分の音楽の作り方を忘れてしまったようで、ソロシンガーとして歌の上手なただのスーパースターになってしまった。がっかりせざるを得ない。
改訂版:ローリングストーン誌が選ぶ「オールタイムベストアルバム500」の82位(2003年)
アルバム『Harvest』には、ニール・ヤング唯一のナンバー1ヒットシングル「Heart of Gold(孤独の旅路)」が収録され、1970年代のソフトロック・ブームの火付け役となった。アルバムにはジェイムズ・テイラーやリンダ・ロンシュタットもシンガーとして参加している。
ザ・ローリング・ストーンズ 『Exile on Main Street(メイン・ストリートのならず者)』(1972年)
パティ・スミス・グループでギターを弾くレニー・ケイはライターとしても素晴らしく、アルバム『Nuggets』でも才能を発揮している。彼は、以下のレビューを投稿した1972年当時よりも今では『Exile on Main Street』をリスペクトしているようだ。
レニー・ケイによるオリジナル:『Exile on Main Street』は、前作『Sticky Fingers(スティッキー・フィンガーズ)』に続く作品としてリリースされた。自身の問題に対処しようとしているストーンズは、またもや的をやや外したようだ。彼らは一方の問題に対処するための唯一のソリューションを一掃し、両極端のもう一方の側へ行ってしまった。いくつかの例外を除き、彼らは安易にできるものに執着し、ぬるま湯から脱しようとしなかった。確かにこのやり方で良い楽曲が生まれることもあり、彼らが再び多くの楽曲をレコーディングしていることの良い表れでもある。しかし、円熟期に入った偉大なるストーンズのアルバムと言うにはまだ遠いように思う。
ロブ・シェフィールドによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
彼らの最も衝撃的な作品で、究極的には感動を呼ぶアルバム。ミックのヴォーカルは、壮麗なハイスピードのエレクトリックノイズの中ではひとつの楽器であり、ギター、サックス、ハーモニカの中で歌詞がかろうじて聴き取れる。何を歌おうがミックはただプラグインしてサウンドを出し、ファイトし、煽りたいのだ。キースは激しいオープニング曲「Rocks Off」から、アコースティックギターをけだるくかき鳴らす「Sweet Virginia」まで、自分の嫌な習慣や内部的なカオスを全てギターに向けた。さらに「Shake Your Hips」におけるチャーリー・ワッツのシンプルなプレイは、ノーベル賞ものだ。
ボブ・ディラン 『Blood on the Tracks(血の轍)』(1975年)
”ニュー・ディラン”と称されたブルース・スプリングスティーンと仕事を始めた頃、ジョン・ランドーは”オールド・ディラン”の最新アルバムを聴いたが、気に入らなかった。ローリングストーン誌に掲載された問題あるレビューが改訂されるまでに数十年を要することも、時にはある。しかし本アルバムの場合、全く同じタイミングで異なる2つのレビューが掲載された。ジョナサン・コットによるレビューの方は、かなりポジティブなものだった。
ジョン・ランドーのバージョン:ディランの極端な世界観の中にどっちつかずの場所があるとすれば、私は『Blood on the Tracks』をそこに位置付ける。『Blonde on Blonde(ブロンド・オン・ブロンド)』以来のヒットアルバムだが、前作品には程遠い。「Forever Young」のセカンドヴァージョンほど酷い楽曲が収録されていないにしろ、「Tangled Up in Blue(ブルーにこんがらがって)」だけが「One of Us Must Know (Sooner or Later)(スーナー・オア・レイター)」に匹敵する作品だ。そもそもニューアルバム『Blood on the Tracks』を『Blonde on Blonde』と比較するということは、人々が同アルバムを『Blonde』同様に深く、長く愛することを意味するのかと言えば、そうではないだろう。
ジョナサン・コットのバージョン(ランドーのレビューと同時掲載):
『Blood on the Tracks』ほど、ディランの存在感が大きく感動的な作品はない。どんな雰囲気の曲でも、ディランは曲に合わせた豊かで、優しく、悩ましく、時には怒りに満ちた歌を聴かせる。(中略)クリーンできらめく非人間的なサウンドが完璧に、ディランによる光り輝く素晴らしいハーモニカ、マンドリン、ギターのプレイと、美しくつなぎ合わされた熱い歌詞とを機能的に支えている。彼の歌詞の持つパワーは、「Tangled Up in Blue」にも歌われている13世紀の詩のようだ。「ひとつひとつの言葉が真実に聞こえた/そして燃える石炭のように真っ赤に輝いた/1ページ1ページから流れ出る/まるで俺の魂に書きつけられているように/俺から君へ/ブルーにこんがらがって」
AC/DC 『High Voltage』(1976年)
1976年当時、生意気そうなオーストラリアのグループによる「Shes Got Balls」などという曲を含むニューアルバムをデスクの上に放り投げられた時のことを想像してみて欲しい。しかもメンバーのひとりは、気の狂った小学生のような格好をしている。まさかそのグループが、2人のアイコン的なリードシンガーを失った後もなおスタジアムを満杯にできるような史上最高クラスのハードロックバンドに成長しようとは、その時点で想像もできなかっただろう。誰もがきっと、ビリー・アルトマンのような見方をするに違いない。
ビリー・アルトマンによるオリジナル:ハードロックの将来を心配する者は、オーストラリアから来た不快王の集団による米国での初リリースアルバムが、ハードロック界で紛れもない史上最低記録を打ち立てているニュースに安堵することだろう。状況はここから良い方向にしか向かわない(少なくとも私はそう信じている)。ビーニー帽に半ズボンという小学生の格好でライヴに登場し、いやらしい目つきで威嚇するリードギタリスト(アンガス・ヤング)を擁するAC/DCに対し、音楽的にコメントすることは何もない(何も考えずに弾けるスリーコードに乗せて2人のギタリスト、ベース、ドラムがグースステップを踏んでいる)。歌詞的に見ると、彼らの世界は全て「I」で始まり「me」や「mine」で終わる。リードシンガーのボン・スコットは、本当にイライラする攻撃性をもって歌を吐き出している。毎晩セックスできるスターになることだけを目指す唯一の方法なのだろうと思う。本アルバムでは全体を通じてそんなことがテーマになっている。バカバカしい。計画的な愚行に怒りを覚える。
デヴィッド・フリッケによる改訂版:2つ星『ローリングストーン・レコードガイド』(1983年)
オーストリアで結成されたブギーバンドがアルバム『High Voltage』(オーストラリアでリリースされた2枚のアルバムのコンピレーション)で米国にデビューして以降、痛烈で時には中傷するようなレビューがつきまとってきた。しかしどの批評家も知らないことを、このヘヴィメタルキッズは理解している。スコットランド出身の頑強なギター使いであるアンガスとマルコムのヤング兄弟率いるAC/DCは、ロックンロール・パーティサンダーにほかならない。リフ&リズムの戦車隊が現実離れした110デシベルを発射し、小学生の制服に身を包んだ狂犬のような目つきのアンガスが汗まみれになって跳ね回る。そしてオリジナルシンガーのボン・スコットが挑発的な唸り声を上げている。
クイーン 『Jazz(ジャズ)』(1979年)
ある批評家が特定のバンドを極端に過小評価しているように思えることもある。デイヴ・マーシュとクイーンの場合がそうだった。マーシュのレビューから数年後、バンドのアルバム『Jazz』は『ローリングストーン・アルバムガイド』で、今回は”ファシスト”呼ばわりされることもなく、もう少しましな評価を受けた。
デイヴ・マーシュによるオリジナル:ジャズ或いはクイーンの名が汚されるのではないか、とやきもきさせられた両方のファンに念のため言っておくと、クイーンのニューアルバムのどこにも”ジャズ”は見当たらない。クイーンには、ジャズをプレイしようというイメージはない。さらに言うと、クイーンにはロックンロールをプレイしようというイメージもない。アルバム『Jazz』は、このブリティッシュ・スーパーグループによる過去の作品の単調で退屈な寄せ集め以上の何ものでもない。ありふれたヘヴィメタルのタイトなギター、ベース、ドラムに、ややクラシック寄りのピアノ、ザ・フォー・フレッシュメンをファンキーにしたような四声合唱のハーモニー、そしてフレディ・マーキュリーによる喉を引っ掻くようなリードヴォーカル…(中略)何と言おうがクイーンは楽しませるつもりはない。同グループは、誰が上に立ち誰が下位かをはっきりさせようとしてきた。代表作の「We Will Rock You(ウィ・ウィル・ロック・ユー)」でも「お前らは俺たちの心を動かせないだろう。俺たちがお前らを感動させてやる」という態度だ。とにかくクイーンは、本物のファシストによる初のロックバンドなのかもしれない。なぜ皆がこんな気味の悪さや汚らわしい考えを許しているのか、私には全くわからない。
マーク・コールマンによる改訂版:2つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
アルバム『Jazz』から衰退が始まる。しかし即席オペレッタ「Bicycle Race(バイシクル・レース)」を含む同作品も、それ以外は完全なジャイヴだ。
ニルヴァーナ 『Nevermind(ネヴァーマインド)』(1991年)
アイラ・ロビンスによる『Nevermind』に対する3つ星評価は、ローリングストーン誌の1990年代における最も悪名高いレビューかもしれない。しかし今になって読み返してみると、ロビンスが同アルバムを本当に満喫していたのは明らかだ。内容は4つ星のレビューのようである。彼はニルヴァーナの影響力を正当に理解し、時代のコンテキストに沿ってバンドを評価した。この取るに足らないアルバムがその後の世界を変えることになろうとは、彼には知る由もなかっただろう。
アイラ・ロビンスによるオリジナル:ダイナミックにミックスされた歪んだパワーコード、熱狂的なエネルギー、抑制したサウンドで、ニルヴァーナはがっちりとしたメロディ構造を組み上げている。ザ・リプレイスメンツ、ピクシーズ、ソニック・ユース等のバンドに代表される口ずさみたいハードロックだ。ニルヴァーナの場合はさらに、熱狂的なシャウトと破壊的なギターで攻撃してくる。(中略)準備不足のままレコーディングに力を浪費するアンダーグランドのバンドがあまりに多い。そして、苦労の多いツアーでエネルギーやインスピレーションを使い果たしてしまう。『Nevermind』でニルヴァーナは岐路に立った。ガレージ国の向こう意気の強い戦士たちは、巨人の国を目指している。
チャールズ・M・ヤングによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
注目すべきは、15年前にヒットしたボストンの「More Than a Feeling(宇宙の彼方へ)」にも見られる断続的なコード進行。ニルヴァーナは、トレードマークであるラウド&ソフトのダイナミックとダークかつシュールなムードでそれを完全に変換した。詩人エズラ・パウンドの戦闘準備司令にコバーンは新たな解釈を加えた。トーキング・ヘッズの言うことに従い、コバーンは道理を通すのを止めた。さらに彼は、彼の疎外感を共有する人々に完全に理解させようとする努力を止めた。映画『理由なき反抗』におけるジェームズ・ディーン、「Subterranean Homesick Blues」を歌ったボブ・ディラン、「Summertime Blues」のエディ・コクラン、「Pretty Vacant」のジョニー・ロットンらを全員ひとまとめにし、ボサボサの金髪で美しい目をしたひとりの少年に押し込んだような感じだ。「mulatto」、「albino」、「mosquito」、「libido」などの言葉の意味に少しでも疑問があれば、MTV史上最も魅惑的な3分間のビデオがある。ラストではハイスクールの壮行会が地獄の様相を呈している。ストレス障害を経験した多くの人々が、すぐに共感を覚えた。アルバムの他の部分は容赦ないモンスターリフと恐るべきイメージの連続で、それを実現するのは間違いなくレッド・ツェッペリン以来となるロックにおける最高のリズムセクションだ。
ウィーザー 『Pinkerton(ピンカートン)』(1996年)
1996年のローリングストーン・クリティックポールにおいて『Pinkerton』は、同年のワーストアルバムの1枚にランクされた。ただ、ロブ・オコナーによるオリジナルのレビューはそう辛辣でもなかった。
ロブ・オコナーによるオリジナル:ウィーザーはクオモ(ヴォーカル)の全ての傷を癒やすキャッチーな曲に、極端に依存している。「El Scorcho(エル・スコルチョ)」の覚えやすいコーラスはあまり効果がなかった。悩める絶倫男の空虚なセックスライフを描いた「Tired of Sex」は、テーマとなっている毎晩のルーチンと同じように目的がわからない。しかし、ビッグ・スター(訳註:米国のロックバンド)の美しく感動的なビンテージ曲を思わせる上品なアコースティックナンバーの「Butterfly」は、真の癒やしだ。歌詞の中で思いがけず、か弱い生き物を殴る時、クオモの声はかすれる。マニアックなティーンエイジャーの態度の裏には、成熟へと向かうアーティストの姿がある。
ギャヴィン・エドワーズによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・ホール・オブ・フェイム』(2004年)
バンドのデビューをプロデュースしたリック・オケイセックがもたらした輝きを排除したセルフプロデュースによる同アルバムは、クオモによる歌詞同様に生々しい。しかし、ピンカートンがブログの1記事程度に収まらず広く話題となったのは、クオモのパワーポップに対する尽きない才能のおかげだ。日本人からのファンレターの大半を引用した(クオモは彼女に作詞作曲収入の一部を支払った)「Across the Sea(アクロス・ザ・シー)」は、傑作だ。クオモが高値の花の女の子たちとの遠い距離を嘆くごとに、ますます強烈さを増す。最終的には「あなたは私に手紙を送ってくれた/私はあなたに歌を送る」と、コーラスが膨らます。これから実現するファンタジーは、誰でもワクワクする、とクオモは言う。彼は説得力のある情熱をもってファンタジーを歌うのだ。
音楽評論家という職業は、決して楽なものではない。
時にはニューアルバムを十分に聴き込む時間のないままに全体像を把握し、後世まで残ってしまう可能性のあるレビューを書かねばならない。しかし中には、何度も何度も聴き込んで初めて、真価が明らかになるアルバムもある。例えば、何の予備知識もないままにAC/DCやラモーンズを聴いたとする。すると彼らの音楽は滑稽で幼稚に感じると思う。後になって当のバンドを崇拝するようになるとしても、第一印象は決して忘れないだろう。ローリングストーン誌では、1967年の創刊号からアルバムのレビューを続けてきた。何千、何万とレビューする中で、我々が酷評したアルバムが後に人気の名盤となることも少なくなかった。以下に、最も悪名高かった10のレビューと、後に別の評論家によって見直された評価を並べて紹介する。
ジミ・ヘンドリックス 『Are You Experienced(アー・ユー・エクスペリエンスト?)』(1967年)

ローリングストーン誌の創刊号でジョン・ランドーは、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスという新しいバンドがリリースしたニューアルバムへの大きな不満を示した。
ジョン・ランドーによるオリジナル:全ては正気の沙汰でなく、好き嫌いがはっきり分かれるだろう。基本的に私はいくつかの理由により”嫌い”の方に入る。ジミの持つ優れた音楽の才能とバンド全体としての精密さにもかかわらず、楽曲のクオリティの低さと空虚な歌詞が足を引っ張る場面があまりにも多すぎる。
ジミは心理状態を歌詞にする傾向にあるが、それにしても”Manic depression is a frustrating mess(うつ病はフラストレーションの溜まる混乱状態)”などという歌詞はいただけない。芸術に対して嘘偽りはないが傲慢な態度のジミは、歌詞に対しても同じ調子で書いている。そういう意味で「I Dont Live Today」は、本アルバム中の最高傑作であり最悪の作品ともいえる。とても素晴らしくコントロールされた精密さでプレイしている反面、ジミが伝えようとしているのは”Theres no life nowhere…(生きる道はどこにもない)”といった退屈な内容だ。理解できる人もいるかもしれないが、私としてはジミのブルーズが聴きたい。
ポール・エヴァンスによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
サマー・オブ・ラヴ(1967年)にリリースされたデビューアルバム『Are You Experienced』のサウンドは、神々しい狂気といえる。「Purple Haze」、「I Dont Live Today」、「Manic Depression」、「Fire」は、心の底からの驚嘆、欲望、恐怖から生まれた歌詞を、ギターフィードバックと圧倒的なテクニックが包み込んでいる。
レッド・ツェッペリン 『Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン I)』(1969年)

レッド・ツェッペリンが新しいブルーズロックバンドとしてヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライらのオープニングアクトを務めていた頃、ローリングストーン誌はデビューアルバムに対する痛烈なレビューを掲載した。バンド側は同レビューに対して、その後長い間に渡り遺恨を抱いていた。
ジョン・メンデルソンによるオリジナル:ブリティッシュ・ブルーズグループのひとつとみなされている最近デビューしたバンドの音楽は、3カ月先を行く双子的な存在であるジェフ・ベック・グループに及ばない。彼らのデビューアルバムは、ジェフ・ベック・グループのアルバム『Truth(トゥルース)』を酷くしたようなもので、注目すべき点といえば好き放題やっている様子や世界の狭さだ。ツェッペリンの中心的存在であるジミー・ペイジは、世間が認めるように卓越した熟練ブルーズギタリストであり、エレクトリックギターの先駆者といえる。
残念ながらプロデューサーとしての彼の能力はかなり限定的で、作曲もイマジネーションやインパクトに欠ける。そんな彼のプロデュースと、ほとんどを単独か或いはメンバーとの共作で手がける楽曲が、アルバムを台無しにしてしまっている。
グレッグ・コットによる改訂版:5つ星 ローリングストーン誌(2001年)
正にエネルギーが伝わってくる。英国生まれのカルテットによる1969年の衝撃的なデビューアルバム『Led Zeppelin』のアルバムジャケットには、立派な男性器を思わせる飛行船ヒンデンブルク号が炎に包まれて落下していく様子が描かれている。同ジャケットデザインは、セックス、大惨事、爆発など、アルバムに収録された音楽を上手く表現している。オープニングの「Good Times Bad Times」から、バンドの自信たっぷりな態度が見られる。ジミー・ペイジのギターがスピーカーを通して威嚇し、ジョン・ボーナムの力強いキックドラムがスウィングする。さらにロバート・プラントが男の危機を長々と歌い続けている。ハードロックはいつまでも同じではない。ツェッペリンの作品の中には、通称『Led Zeppelin I』以上により良く、より洗練されたアルバムも存在するかもしれない。しかし、彼らのデビューアルバムは最も粗削りで心地良いサウンドを聴かせ、バンドの意図するものを明確に包括している。
ブラック・サバス 『Black Sabbath(黒い安息日)』(1970年)

レスター・バングスは史上最も評価の高いロック評論家のひとりだが、そんな彼でさえ、1970年にリリースされたブラック・サバスのデビューアルバムを聴いてもバンドを評価しなかった。
レスター・バングスによるオリジナル:クリーム国家のインダストリアルサイドには、ロックの悪魔儀式などと大々的に宣伝するブラック・サバスのような未熟練労働者による楽曲が多い。ブラック・サバスは、まるでカヴン(魔女集会)に対する英国の回答のようだ。そう悪くはない。しかしながら彼らに下せる評価はその程度で、アルバムは全体的に無価値だ。曖昧な楽曲のタイトルと空虚な歌詞は、まるでヴァニラ・ファッジがアレイスター・クロウリーに下手な詩を捧げているようだが、同アルバムはスピリチュアリズムやオカルトなどとは何の関係もない。ただブラック・サバスのメンバーが本から学んだクリーム的なありふれた表現による不自然な朗唱が、しつこく何度も繰り返される。ヴォーカルは薄っぺらで、アルバム全体を通じて緊張感のないベースラインが続く。さらにリードギターは、最もくたびれたクリーム時代のぎこちないクラプトニズムを垂れ流している。走り出したら止まらないスピード狂のように、お互いの音楽の境界線を踏み越えながらも全く同調しないベースとギターによる耳障りなジャムセッションだ。クリームっぽいが、もっと質が悪い。
スコット・スワードによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
ブラック・サバスはブルーズロックからブルーズを取り出してワーグナーに置き換え、あらゆる思春期の若者が直に体験するであろうテンションと解放感を含む叙事詩的なリズムのバトルを生み出している。プロデューサーのロジャー・ベインは、ブラック・サバスのサウンドを大音量かつ不健康に仕上げた。
彼らのアルバムはヒッピー文化をあっという間に飲み込み、また仮にひとつの脳細胞が砂粒の大きさだったとすると、リリースから1年の間にアルバムを聴いた者から失われた細胞の量は、グランドキャニオンを優に埋めてしまうだろう。わかりやすい悪魔的イメージとハロウィーンの雰囲気を持つブラック・サバスについて忘れられがちなのは、彼らは史上最も神に身を委ね、生真面目で空気を読まないロックバンドのひとつだということ。”人間は邪悪であり、不道徳な行為を悔いるべき”という彼らの論理は、メタリックアートにおける未来の全ての吟遊詩人に影響を与えるだろう。
ニール・ヤング 『Harvest(ハーヴェスト)』(1972年)

レッド・ツェッペリンの最初の2アルバムをこき下ろしたジョン・メンデルソンが、今度はニール・ヤングのアルバム『Harvest』に毒を吐いた。
ジョン・メンデルソンによるオリジナル:1年以上の長い時間をかけて苦しみながら製作した(より正確に言うと、寄せ集めた)『Harvest』のニール・ヤングは、ロサンゼルスのあらゆるスーパースター界の最もうんざりする陳腐な表現を思い起こさせる。初期の自分自身を上手く模倣できない無能さをごまかそうとしているようだ。(中略)実を言うと私は、評論を書く前にアルバム全体を通して10回以上聴いた。唯一なんとか褒められる点といえば、ニール・ヤングの歌は相変わらず上手く、時に感動的だということ。しかしその他の部分で彼はどうやら、比類なく感動的かつ刺激的だったかつての自分の音楽の作り方を忘れてしまったようで、ソロシンガーとして歌の上手なただのスーパースターになってしまった。がっかりせざるを得ない。
改訂版:ローリングストーン誌が選ぶ「オールタイムベストアルバム500」の82位(2003年)
アルバム『Harvest』には、ニール・ヤング唯一のナンバー1ヒットシングル「Heart of Gold(孤独の旅路)」が収録され、1970年代のソフトロック・ブームの火付け役となった。アルバムにはジェイムズ・テイラーやリンダ・ロンシュタットもシンガーとして参加している。
アルバムがリリースされた最初の週末、2人はヤングと共にナッシュヴィルで行われたジョニー・キャッシュのバラエティ番組(米ABC)に出演。番組には他に、ジェームス・ブラウンとの共演経験も持つティム・ドラモンド(ベース)ら経験豊かなセッションミュージシャンも参加した。アルバムにはヤングのバンドメイトであるクロスビー、スティルズ、ナッシュも参加している。「Old Man(オールド・マン)」や「The Needle and the Damage Done(ダメージ・ダン)」などの楽曲で聴かれるサウンドは、飛び出したギザギザの縁を削って再構築したアメリカーナ(スティールギター、スライドギター、バンジョー)と言える。
ザ・ローリング・ストーンズ 『Exile on Main Street(メイン・ストリートのならず者)』(1972年)

パティ・スミス・グループでギターを弾くレニー・ケイはライターとしても素晴らしく、アルバム『Nuggets』でも才能を発揮している。彼は、以下のレビューを投稿した1972年当時よりも今では『Exile on Main Street』をリスペクトしているようだ。
レニー・ケイによるオリジナル:『Exile on Main Street』は、前作『Sticky Fingers(スティッキー・フィンガーズ)』に続く作品としてリリースされた。自身の問題に対処しようとしているストーンズは、またもや的をやや外したようだ。彼らは一方の問題に対処するための唯一のソリューションを一掃し、両極端のもう一方の側へ行ってしまった。いくつかの例外を除き、彼らは安易にできるものに執着し、ぬるま湯から脱しようとしなかった。確かにこのやり方で良い楽曲が生まれることもあり、彼らが再び多くの楽曲をレコーディングしていることの良い表れでもある。しかし、円熟期に入った偉大なるストーンズのアルバムと言うにはまだ遠いように思う。
できれば『Exile on Main Street』をしっかりとした足がかりとし、(おそらく2カ月のツアーで磨きがかかるとは思うが)もう少しだけ視野を広げてから、次回作を我々に届けてくれることを願う。
ロブ・シェフィールドによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
彼らの最も衝撃的な作品で、究極的には感動を呼ぶアルバム。ミックのヴォーカルは、壮麗なハイスピードのエレクトリックノイズの中ではひとつの楽器であり、ギター、サックス、ハーモニカの中で歌詞がかろうじて聴き取れる。何を歌おうがミックはただプラグインしてサウンドを出し、ファイトし、煽りたいのだ。キースは激しいオープニング曲「Rocks Off」から、アコースティックギターをけだるくかき鳴らす「Sweet Virginia」まで、自分の嫌な習慣や内部的なカオスを全てギターに向けた。さらに「Shake Your Hips」におけるチャーリー・ワッツのシンプルなプレイは、ノーベル賞ものだ。
ボブ・ディラン 『Blood on the Tracks(血の轍)』(1975年)

”ニュー・ディラン”と称されたブルース・スプリングスティーンと仕事を始めた頃、ジョン・ランドーは”オールド・ディラン”の最新アルバムを聴いたが、気に入らなかった。ローリングストーン誌に掲載された問題あるレビューが改訂されるまでに数十年を要することも、時にはある。しかし本アルバムの場合、全く同じタイミングで異なる2つのレビューが掲載された。ジョナサン・コットによるレビューの方は、かなりポジティブなものだった。
ジョン・ランドーのバージョン:ディランの極端な世界観の中にどっちつかずの場所があるとすれば、私は『Blood on the Tracks』をそこに位置付ける。『Blonde on Blonde(ブロンド・オン・ブロンド)』以来のヒットアルバムだが、前作品には程遠い。「Forever Young」のセカンドヴァージョンほど酷い楽曲が収録されていないにしろ、「Tangled Up in Blue(ブルーにこんがらがって)」だけが「One of Us Must Know (Sooner or Later)(スーナー・オア・レイター)」に匹敵する作品だ。そもそもニューアルバム『Blood on the Tracks』を『Blonde on Blonde』と比較するということは、人々が同アルバムを『Blonde』同様に深く、長く愛することを意味するのかと言えば、そうではないだろう。
ジョナサン・コットのバージョン(ランドーのレビューと同時掲載):
『Blood on the Tracks』ほど、ディランの存在感が大きく感動的な作品はない。どんな雰囲気の曲でも、ディランは曲に合わせた豊かで、優しく、悩ましく、時には怒りに満ちた歌を聴かせる。(中略)クリーンできらめく非人間的なサウンドが完璧に、ディランによる光り輝く素晴らしいハーモニカ、マンドリン、ギターのプレイと、美しくつなぎ合わされた熱い歌詞とを機能的に支えている。彼の歌詞の持つパワーは、「Tangled Up in Blue」にも歌われている13世紀の詩のようだ。「ひとつひとつの言葉が真実に聞こえた/そして燃える石炭のように真っ赤に輝いた/1ページ1ページから流れ出る/まるで俺の魂に書きつけられているように/俺から君へ/ブルーにこんがらがって」
AC/DC 『High Voltage』(1976年)

1976年当時、生意気そうなオーストラリアのグループによる「Shes Got Balls」などという曲を含むニューアルバムをデスクの上に放り投げられた時のことを想像してみて欲しい。しかもメンバーのひとりは、気の狂った小学生のような格好をしている。まさかそのグループが、2人のアイコン的なリードシンガーを失った後もなおスタジアムを満杯にできるような史上最高クラスのハードロックバンドに成長しようとは、その時点で想像もできなかっただろう。誰もがきっと、ビリー・アルトマンのような見方をするに違いない。
ビリー・アルトマンによるオリジナル:ハードロックの将来を心配する者は、オーストラリアから来た不快王の集団による米国での初リリースアルバムが、ハードロック界で紛れもない史上最低記録を打ち立てているニュースに安堵することだろう。状況はここから良い方向にしか向かわない(少なくとも私はそう信じている)。ビーニー帽に半ズボンという小学生の格好でライヴに登場し、いやらしい目つきで威嚇するリードギタリスト(アンガス・ヤング)を擁するAC/DCに対し、音楽的にコメントすることは何もない(何も考えずに弾けるスリーコードに乗せて2人のギタリスト、ベース、ドラムがグースステップを踏んでいる)。歌詞的に見ると、彼らの世界は全て「I」で始まり「me」や「mine」で終わる。リードシンガーのボン・スコットは、本当にイライラする攻撃性をもって歌を吐き出している。毎晩セックスできるスターになることだけを目指す唯一の方法なのだろうと思う。本アルバムでは全体を通じてそんなことがテーマになっている。バカバカしい。計画的な愚行に怒りを覚える。
デヴィッド・フリッケによる改訂版:2つ星『ローリングストーン・レコードガイド』(1983年)
オーストリアで結成されたブギーバンドがアルバム『High Voltage』(オーストラリアでリリースされた2枚のアルバムのコンピレーション)で米国にデビューして以降、痛烈で時には中傷するようなレビューがつきまとってきた。しかしどの批評家も知らないことを、このヘヴィメタルキッズは理解している。スコットランド出身の頑強なギター使いであるアンガスとマルコムのヤング兄弟率いるAC/DCは、ロックンロール・パーティサンダーにほかならない。リフ&リズムの戦車隊が現実離れした110デシベルを発射し、小学生の制服に身を包んだ狂犬のような目つきのアンガスが汗まみれになって跳ね回る。そしてオリジナルシンガーのボン・スコットが挑発的な唸り声を上げている。
クイーン 『Jazz(ジャズ)』(1979年)

ある批評家が特定のバンドを極端に過小評価しているように思えることもある。デイヴ・マーシュとクイーンの場合がそうだった。マーシュのレビューから数年後、バンドのアルバム『Jazz』は『ローリングストーン・アルバムガイド』で、今回は”ファシスト”呼ばわりされることもなく、もう少しましな評価を受けた。
デイヴ・マーシュによるオリジナル:ジャズ或いはクイーンの名が汚されるのではないか、とやきもきさせられた両方のファンに念のため言っておくと、クイーンのニューアルバムのどこにも”ジャズ”は見当たらない。クイーンには、ジャズをプレイしようというイメージはない。さらに言うと、クイーンにはロックンロールをプレイしようというイメージもない。アルバム『Jazz』は、このブリティッシュ・スーパーグループによる過去の作品の単調で退屈な寄せ集め以上の何ものでもない。ありふれたヘヴィメタルのタイトなギター、ベース、ドラムに、ややクラシック寄りのピアノ、ザ・フォー・フレッシュメンをファンキーにしたような四声合唱のハーモニー、そしてフレディ・マーキュリーによる喉を引っ掻くようなリードヴォーカル…(中略)何と言おうがクイーンは楽しませるつもりはない。同グループは、誰が上に立ち誰が下位かをはっきりさせようとしてきた。代表作の「We Will Rock You(ウィ・ウィル・ロック・ユー)」でも「お前らは俺たちの心を動かせないだろう。俺たちがお前らを感動させてやる」という態度だ。とにかくクイーンは、本物のファシストによる初のロックバンドなのかもしれない。なぜ皆がこんな気味の悪さや汚らわしい考えを許しているのか、私には全くわからない。
マーク・コールマンによる改訂版:2つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
アルバム『Jazz』から衰退が始まる。しかし即席オペレッタ「Bicycle Race(バイシクル・レース)」を含む同作品も、それ以外は完全なジャイヴだ。
ニルヴァーナ 『Nevermind(ネヴァーマインド)』(1991年)

アイラ・ロビンスによる『Nevermind』に対する3つ星評価は、ローリングストーン誌の1990年代における最も悪名高いレビューかもしれない。しかし今になって読み返してみると、ロビンスが同アルバムを本当に満喫していたのは明らかだ。内容は4つ星のレビューのようである。彼はニルヴァーナの影響力を正当に理解し、時代のコンテキストに沿ってバンドを評価した。この取るに足らないアルバムがその後の世界を変えることになろうとは、彼には知る由もなかっただろう。
アイラ・ロビンスによるオリジナル:ダイナミックにミックスされた歪んだパワーコード、熱狂的なエネルギー、抑制したサウンドで、ニルヴァーナはがっちりとしたメロディ構造を組み上げている。ザ・リプレイスメンツ、ピクシーズ、ソニック・ユース等のバンドに代表される口ずさみたいハードロックだ。ニルヴァーナの場合はさらに、熱狂的なシャウトと破壊的なギターで攻撃してくる。(中略)準備不足のままレコーディングに力を浪費するアンダーグランドのバンドがあまりに多い。そして、苦労の多いツアーでエネルギーやインスピレーションを使い果たしてしまう。『Nevermind』でニルヴァーナは岐路に立った。ガレージ国の向こう意気の強い戦士たちは、巨人の国を目指している。
チャールズ・M・ヤングによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・アルバムガイド』(2004年)
注目すべきは、15年前にヒットしたボストンの「More Than a Feeling(宇宙の彼方へ)」にも見られる断続的なコード進行。ニルヴァーナは、トレードマークであるラウド&ソフトのダイナミックとダークかつシュールなムードでそれを完全に変換した。詩人エズラ・パウンドの戦闘準備司令にコバーンは新たな解釈を加えた。トーキング・ヘッズの言うことに従い、コバーンは道理を通すのを止めた。さらに彼は、彼の疎外感を共有する人々に完全に理解させようとする努力を止めた。映画『理由なき反抗』におけるジェームズ・ディーン、「Subterranean Homesick Blues」を歌ったボブ・ディラン、「Summertime Blues」のエディ・コクラン、「Pretty Vacant」のジョニー・ロットンらを全員ひとまとめにし、ボサボサの金髪で美しい目をしたひとりの少年に押し込んだような感じだ。「mulatto」、「albino」、「mosquito」、「libido」などの言葉の意味に少しでも疑問があれば、MTV史上最も魅惑的な3分間のビデオがある。ラストではハイスクールの壮行会が地獄の様相を呈している。ストレス障害を経験した多くの人々が、すぐに共感を覚えた。アルバムの他の部分は容赦ないモンスターリフと恐るべきイメージの連続で、それを実現するのは間違いなくレッド・ツェッペリン以来となるロックにおける最高のリズムセクションだ。
ウィーザー 『Pinkerton(ピンカートン)』(1996年)

1996年のローリングストーン・クリティックポールにおいて『Pinkerton』は、同年のワーストアルバムの1枚にランクされた。ただ、ロブ・オコナーによるオリジナルのレビューはそう辛辣でもなかった。
ロブ・オコナーによるオリジナル:ウィーザーはクオモ(ヴォーカル)の全ての傷を癒やすキャッチーな曲に、極端に依存している。「El Scorcho(エル・スコルチョ)」の覚えやすいコーラスはあまり効果がなかった。悩める絶倫男の空虚なセックスライフを描いた「Tired of Sex」は、テーマとなっている毎晩のルーチンと同じように目的がわからない。しかし、ビッグ・スター(訳註:米国のロックバンド)の美しく感動的なビンテージ曲を思わせる上品なアコースティックナンバーの「Butterfly」は、真の癒やしだ。歌詞の中で思いがけず、か弱い生き物を殴る時、クオモの声はかすれる。マニアックなティーンエイジャーの態度の裏には、成熟へと向かうアーティストの姿がある。
ギャヴィン・エドワーズによる改訂版:5つ星『ローリングストーン・ホール・オブ・フェイム』(2004年)
バンドのデビューをプロデュースしたリック・オケイセックがもたらした輝きを排除したセルフプロデュースによる同アルバムは、クオモによる歌詞同様に生々しい。しかし、ピンカートンがブログの1記事程度に収まらず広く話題となったのは、クオモのパワーポップに対する尽きない才能のおかげだ。日本人からのファンレターの大半を引用した(クオモは彼女に作詞作曲収入の一部を支払った)「Across the Sea(アクロス・ザ・シー)」は、傑作だ。クオモが高値の花の女の子たちとの遠い距離を嘆くごとに、ますます強烈さを増す。最終的には「あなたは私に手紙を送ってくれた/私はあなたに歌を送る」と、コーラスが膨らます。これから実現するファンタジーは、誰でもワクワクする、とクオモは言う。彼は説得力のある情熱をもってファンタジーを歌うのだ。
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