BiSHのモモコグミカンパニーによる、インタビュー&エッセイ連載「モモコグミカンパニーの居残り人生教室」。第3回目はモモコの大学時代の恩師でもある有元 健氏に会うことができた。


こんにちは! BiSHのモモコグミカンパニーです。連載第3回目は、大学時代の私の卒業論文の担当教授でもある有元 健先生にお話を伺いに行きました。当時、普通の大学生からBiSHに入って人前に立つことになり、私は、普段の「わたし」と「モモコグミカンパニー」という、自分の身体は一つのはずなのに、2人の自分が存在するような不思議な感覚を持っていました。

本当の自分はどこにあるのだろう。自分の中にもやもやとした違和感を感じていました。そんな私は卒業論文制作時、このことをテーマに論文を書くことを決め、タイトルを「アイドルと演じること 一人の人間に見る虚像と偶像」として、BiSHの活動と並行しながら、実体験を元に有元先生からたくさんアドバイスをもらいながら卒業論文を書いていました。

そんなお世話になった有元先生と、当時の私の提出した卒論の内容を振り返りながら、ファンの方と演者の関係性、本当の幸せとは? 今の社会で私たちが生き残っていくには?など、いろいろなお話が聞けました。

社会人になって、今までと生き方が変わった人、人間関係に戸惑っている人、私と一緒に教授のオフィスにお話を聞きに行きましょう。

BiSHでの体験を「社会学」のフィルターで見てみる

モモコ:今回インタビューする方は私の大学時代の卒論の先生です。全然覚えてないかもしれないですが、在学中の私の印象って何かありますか?

有元:あれ受けてたでしょ? 「メディアと多文化社会」っていう授業。で、単位を落としたよね。

モモコ:はい。
レポートもちゃんと出したのに、なぜか落とされてしまったという感じがして、私的には今でも「えっ!?」と思ってるんですけど。

有元:いやいや、あれは出席だよ。いい評価するかどうかは別として、基本的に単位はあまり落とさないので。ただ、出席してもらわないとやっぱり単位はつけられないっていう考えでして。

モモコ:そうだったんですね。私の卒論「アイドルと演じること 一人の人間に見る虚像と実像」について、有元先生からはいろいろアドバイスをいただいたんですけど、実際のところどう思いましたか?

有元:初稿では、たとえば山口百恵さんや松田聖子さんに関することをたくさん書いていたけど、自分のことはあまり書いてなかったよね。だから「自分のことについて、もっと膨らませて書かなきゃいけないんじゃない?」とちょっと厳しく伝えた。モモコが現場で乗り越えてきた葛藤。その過程を社会学的にどう分析していくのか。社会学者のアーヴィング・ゴフマンは演劇論的なアプローチで人々の相互行為を説明してるけど、「演技」「演出」「観客」「舞台裏」という言葉を使って、モモコがどういうことをしているのかを現場の目線で書いたらどうなのかって。

で、第二稿以降、スイッチが入って筆が滑らかになった感じがするよね。アイドルでもアーティストでもそうだけど、人から注目される人たちはメディアに登場するとき記号化される部分があるじゃない。
お客さんから見た記号としてのモモコがどう振る舞うのか、もしくは演じていくのか。論文にも書いてたけど、おっちょこちょいキャラという設定だったら、Twitterにもそういうエピソードを投稿すると、ファン的にはある種の満足感が得られるだろうみたいな。

モモコ:今でもそうなんです。おっちょこちょいであるのは素であると思うんですけど、
それを意図的に隠すこともできるじゃないですか。でも自分はそういう面も隠さずに知ってもらいたいと思ってます。見られてる自分をさらに見てる自分がいる感じがして、面白いですね。

有元:山口百恵さんって自分に正直に、つまり何かを演じずに生きてきたみたいな風に思われていて、逆に松田聖子さんはアイドルを演じていると思われているけど、実は聖子さんこそが自分を客観視しているのでは……? そういうことも書いていたよね。

モモコが感じていた違和感の正体とは?

モモコ:はい。私の場合、人間味をどんどん出していこうと思って活動してるんですけど、有元先生は学生の前で講義するとき、どんな意識で臨んでるんですか?

有元:その話、実はしようと思ってたんだ。僕の場合も同じ。演じてるところがある。

モモコ:私の中では、フレンドリーで人気者だけど、授業中の私語にはすごく怒ったりしていて、学生から愛されるような緩さを持ちつつ、厳しさもある先生というイメージでした。


有元:僕は大学生の頃、バーテンダーのバイトをしてたんだけど、バーテンダーってお酒を作ってないときこそ勝負で、常にお客さんの視界に入ってるわけだから、バーという空間の舞台設定の一つなのね。佇まい、声の大きさやトーン、身体の向きとか、バーテンダーとしての「演出」をしなくちゃいけない。それがお店の雰囲気にも反映されるから。今も自分の授業をするときに気をつけてるのはそういうこと。声のトーンや話すときの身体の角度。学生の真正面に立つと圧が強いから、斜めに角度をつけたり、黒板をうまく使ったりして、圧をわざと弱めて、緊張感を強いるときは逆に圧を強めたりする。そういう操作は自分の中でしてるかな。

モモコ:私は昔から先生に心を開くことができない人で、先生とすごく仲良くしてる生徒はみんな敵な気がしていて、だから有元先生もある意味で敵側かも?って思ってたんですけど、講義で話してるのを見てたら、私の卒論のテーマも理解してもらえるんじゃないかなと思って。

有元:たぶんモモコの場合、社会のはみ出し者じゃない人たちが作る集団の中で、ちょっとした違和感を感じてたんじゃない? 今の若い子たちは自分が満足できる「答え」を先送りにしたまま、受験に臨んでると思うんだ。中学校に入って勉強をするのはいい高校に入るためで、高校に入ったらいい大学に入るために勉強をする。勉強そのものから満足感を得られるかどうかは別だけど、これが30年くらい前だったら答えを先送りにした後、ある程度ちゃんとした解決策があったんだよね。つまりいい会社に入れますとか、マイホームを買って家庭を持ちますとか。
でも今は先送りにされた後のゴールのイメージも流動化している。

モモコ:私がBiSHのオーディションを雑誌で見つけたときも、自分だけの道は何かないかって抜け道をすごく探していて。当時は大学を卒業して就職しようという気持ちがなくて、やる気もなかったんですよね。でも何もしないわけにもいかない。そんな状況でオーディションを受けたんです。

有元:そう考えると渡辺さん(渡辺淳之介/WACKの代表取締役)がモモコを採用したのって不思議だよね。

モモコ:そうなんですよね。当時はいいところが一つもなかったと思うので。

有元:でも『目を合わせるということ』(モモコグミカンパニー著)のインタビューで渡辺さんが言ってたよね。「(モモコを取るのは)自分の役目だ」って。僕も似たようなことを思ってて、他の先生に任せられない感じが当時はちょっとあった。「僕が見ないと」って(笑)。


モモコ:昔からヘンだとは言われてたんですけど、自分の中では全然ヘンだとは思ってなかったんですよ。むしろヘンって言う奴がヘンだって思いながら生きてきたんですけど、いざ人前に出て自分のことを客観視できるようになってから、「あ、やっぱりちょっとヘンだったんだ」って。

モモコグミカンパニーの居残り人生教室「大学の恩師と語った幸せの話」


有元:距離感とかおかしかったよね。覚えてる? 最初この部屋に入ってきたとき、めちゃくちゃ近くまで寄ってきて話すんだもん(笑)。

学生との信頼関係

モモコ:(笑)人間の表情や立ち振る舞いって、その人がどういう人生を歩んできたのかってことと結びついてるじゃないですか。私はBiSHに入る前まで普通に生きてきたので、最初の頃は動きや話し方が「素人くさい」ってめちゃめちゃ言われてて、すごく嫌だったんです。でもそれって私にはどうしようもできないことだと思って、私生活の姿をどうやってモモコグミカンパニーとしていいように出せるか、考え方を切り替えたんです。

有元:映画『世界でいちばん悲しいオーディション』の中でモモコが渡辺さんにブチギレるシーンがあるじゃん。ああいうのってめちゃくちゃ大事で、いろんな意味であれはあの映画を救ってると思っていて。

モモコ:あのときはカメラがまわってたからこそ、自分が本当に思ってることを声に出して反論したいと思いました。だから撮られてなかったら逆に何も言ってなかったかもしれないです。

有元:あのシーンって、演者さんがたくさんいる空想的な世界に対して亀裂を入れてるわけじゃない? 「ちょっとこれおかしくないですか?」って。
でもあの声があることで、「こういう意見を許容するところも含めてWACKです」っていう風に見えるわけだし、モモコの行動は渡辺さん的にもいいアクションだったと思うんだよね。

モモコ:この連載では、登場していただく方と自分との共通点を毎回探してインタビューしてるんですけど、学生から見たら有元先生もアイドル的存在な気がするんですよね。

有元:ある意味、虚像ではある。

モモコ:だから見られ方とか似てる部分があるかなって。

有元:演じてるっていう部分では本当に。

モモコ:学生との関係性って今はどんな感じなんですか?

有元:昔よりも信頼関係の構築が難しくなってるかな。というのは、学生がどうこうというより、僕も含めて、このネオリベラルな社会の中で人間関係の構築がみんな苦手になってきているんだと思う。人と付き合うことを「機能」として捉えているようなところがあって、手段のために「じゃあ、この人と付き合おう」みたいな感じがあるよね。

モモコグミカンパニーの居残り人生教室「大学の恩師と語った幸せの話」


モモコ:卒論のために先生を選ぶっていうのも、ある種そういうことですよね。

有元:そうそう。単位をくれる人、卒論の指導をくれる人っていう「機能」を学生から求められてるわけだけど、自分的にはそれだけでオッケーだと思われると寂しいところはあって。

モモコ:どこまで踏み込むか。

有元:金八先生じゃないけど、本当は人と人との付き合いってところで関係を構築したいから。つまり「この人は僕を受け入れてくれてるんだから、単位じゃないところも含めて僕も引き受けたい」みたいな。

手段ではなく目的として扱う

モモコ:なるほど。あと音楽についても先生の意見を聞きたくて。私はBiSHに入る前まで何よりも勉強を優先して頑張ってきたんです。でもBiSHで他のメンバーと一緒に音楽をやることになって、私以外は人間力が高い子ばかりで「自分は何のために勉強をしてきたんだろう」って思ってしまったんですよね。でも音楽の力はすごいなとも思っていて。

有元:音楽って、感情や情動ってものと結びついてる文化現象なんだよね。例えばライブに行くとファンの人たちは自分のハートがガッて揺さぶられるわけじゃない? そういう空間こそ今の社会の中で貴重なものだと思う。今は感情が爆発しないように生きていかなきゃいけないわけでしょ。人前で怒鳴ったらダメだし、酔っ払って騒いで大声出すのもダメ。人間なんて単なる生物だから、そういう環境にいると無意識のうちにストレスをためてしまうんだよ。でもライブに行けば、自分と同じ音楽を好きなファンがたくさんいて、その中でお互いの感情を高め合いながら、アーティストとの信頼関係が築ける。

モモコ:今の社会で私たちみたいな若者が生き残っていくために、何を大切にしたらいいと思いますか?

有元:今は「幸せ」という概念がパッケージ化されてしまってる社会なの。大企業に入って年収1500万円もらうとか、自分で会社を起業して高値で売却するとか、休みの日には趣味を充実させるとか、クオリティ・オブ・ライフって考え方があるように、幸せが指標化されてるんだよね。でもそれらを幸せだと決めつけるのは、自由とは正反対のことだよね? 既存のイメージの中にある「幸せ」を探す必要はないし、人それぞれ自分が到達できる幸せの形があると思う。

モモコ:はい。私達の世代って、本当にそういう感じだと思うんです。描かれた幸せに向かって走り続ける子もいるし、例えば女の子だったら結婚もありますよね。

有元:いわゆる「いい高校」や「いい大学」に入ると、なんとなく階段を上っているような感覚が持てると思うんだけど、その階段の先にある「幸せ」っていうものを一度は疑ったほうがいいよね。僕の話をすると、僕は生まれて1歳になる前に喘息になって、ほぼ毎日のように喘息の発作が出たわけ。それが15年ぐらい続いたんだけど、12歳ぐらいのときに神様にお願いしたの。「喘息だけ治してくれたらあとは何もいらん」って。小学生のときに「喘息がきっかけで死んでしまうかもしれない」と思っていて、自分がこの世に生まれて生きている意味を常に考えてたわけ。そんな中、自分の幸せって何だろうと思ったとき、喘息が治って息がラクに吸えるとか、夜ぐっすり眠れるとか、そういうことだった。それで神様にお願いしたら、治ったんだよ。そうやって幸せを手にすることができたわけだけど、そのあと出会った本がサン=テグジュペリの『人間の土地』だったんだ。読んだことある?

モモコ:いえ、読んだことないです。『星の王子さま』の作者ですよね。

有元:うん。じゃあ、あげるよ。

モモコ:やったー! ありがとうございます。うれしいです。

有元:喘息も治って、じゃあ次は何が自分にとって幸せなんだろうと考えていたとき、大学3年生ぐらいのときに読んだこの本のおかげで方向性が見えた。本の中に<真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ>という言葉が出てくるんだけど、自分にとってお金や名声は中心的なものではないなと。あったらうれしい程度というか。「自分も他人も”手段”として扱うことなく、”目的”として扱いなさい」とは哲学者のイマヌエル・カントの言葉なんだけど、お金や名声よりも僕を目的として扱ってくれる人との関係を大事にしたいと思ったの。

例えば、モモコの今のBiSHという看板を見て、手段として捉えて近づいてくる人もいるかもしれない。でも、モモコのお母さんやお父さんは目的としてモモコのことを扱ってると思う。「うちの娘、TVに出てるんですよ」ってとこに重きを置いてるわけじゃなくて、もしモモコが仕事を辞めたとしても、ずっとこれからも支えてくれるわけでしょ。そんなふうに、この人と一緒にいて話をすること、同じ時間を過ごすこと、そしてすごく幸せだなとか楽しいなとか思ってくれる人をいっぱい持てるんだったら、それは人間関係の贅沢だと思うんだ。

モモコ:ありのままの自分を見てもらう。

有元:だから僕も自分の授業に来てくれる学生さんに対しては、そういう風に見てるよ。この子の人生がより良いものになるように、授業を通じたり、チュートリアルを通じたり、もしくは飲み会の席での一言を通じたりして、いろいろやるようにしてる。そういうことを一生懸命やっていると、自分の軸がハッキリしてくるからブレないで済むんだよね。それこそクオリティ・オブ・ライフという言葉なんかに惑わされることはないし、人間関係の中で幸せを感じられる。それが僕にとって一番の幸せ。

モモコ:手段ではなく目的として扱う。いい言葉ですね。

有元:目的として扱う、扱われるという関係をたくさん作れると、それは真の贅沢になると思うよ。

=あとがき=

本当の幸せってなんだろう? きっと誰でも一度は考えたことがあると思います。有元先生のお話を聞いて、作られた幸せに惑わされてはいけないな、と感じました。「いい学校を出たら幸せ」「結婚したら幸せ」そんな「〇〇したら幸せ」というようなパッケージ化された、分かりやすい「幸せ」に飛びついて、自分を追い詰めたり、焦ったりする前に、「みんなはそうかもしれないけど、自分はどうだろう?」と常に自分の声を聞くこと。それは時に難しいけど、とても大切なことなのかもしれません。

Edited by Takuro Ueno(Rolling Stone Japan)

モモコグミカンパニーの居残り人生教室「大学の恩師と語った幸せの話」

モモコグミカンパニー(BiSH)
https://twitter.com/gumi_bish
2015年3月、BiSHのメンバーとして活動を開始。2016年5月のシングル「DEADMAN」で早くもメジャーデビュー。2017年12月には、結成からわずか3年で『ミュージックステーション』に出演し、”楽器を持たないパンクバンド”として強烈な個性を見せつける。その間、『KiLLER BiSH』と『THE GUERRiLLA BiSH』の2枚のフルアルバムを発表。2018年12月22日には幕張メッセ9・10・11ホールにて1万7,000人を動員した単独ライブ「BRiNG iCiNG SHiT HORSE TOUR FiNAL "THE NUDE”」を開催した。2019年4月からは全国ツアー「LiFE is COMEDY TOUR」がスタート。7月3日には最新アルバム『CARROTS and STiCKS』をリリース、また9月23日には大阪城ホールワンマン『And yet BiSH moves.』が決まっている。現在BiSHのメンバーはモモコグミカンパニーの他、アイナ・ジ・エンド、セントチヒロ・チッチ、ハシヤスメ・アツコ、リンリン、アユニ・Dの6人。
https://www.bish.tokyo/

有元 健
国際基督教大学教養学部 アーツ・サイエンス学科、上級准教授。著書に『耳を傾ける技術』 (訳書)、『大衆文化とメディア』(共著)、『メディア・レトリック論-文化・政治・コミュニケーション』(共著)など。
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