実施について泥沼化していたウッドストック50周年イベントは、当初予定していた開催日まで数週間というところで、メリーランド州での無料イベント開催に失敗したため、ウッドストックの共同創立者マイケル・ラングはイベントの中止の決定を下した。前金でギャラを支払われていたアーティストや関係者、開催に向けて最後まで駆け回った主催陣の内幕とは?

開催予定日まで1ヵ月を切った今、最終的なウッドストック50の中止が公式に発表された。
オリジナルの3日連続のコンサートの共同創立者でもあるマイケル・ラングは、土壇場でメリーランド州での開催を目論んだが、結局は中止することとなった。ここ数ヵ月間、ラングとその仲間の主催者たちは、ニューヨーク州ワトキンスグレンとバーノンでの開催を試みた。ラングは中止を伝える声明で、1969年に開催されたオリジナルのウッドストックの会場の近くのニューヨーク州ベセルで開催が予定されている50周年記念のトリビュート・イベントを支援したいと述べている。

この声明で、「独自にブッキングした最高のラインナップと、参加を予定していた社会貢献活動で、我々が思い描いていた最高のフェスティバルを開催しようとしたが、不慮の妨害が続いたことが原因で実施できなくなったことを悲しく思う。最初にグレンを、次にバーノンダウンズを開催地として失ったとき、中止するのではなく、もっと良いフェスティバルを実現する方法を模索した。そこで(コンサートで有権者の投票登録を行う非営利団体)ヘッドカウントと提携して、(メリーランド州コロンビアの)メリウェザー・パビリオンで規模を縮小したイベントを行うことにした。そこでヘッドカウントの活動だけでなく、地球温暖化防止活動を行う特定のNGO団体への寄付金を募る予定だった」と、ラングは語る。

また、メリーランド州で開催予定だった無料イベントへのボランティア参加を期待して、ウッドストック50側は当初ブッキングしていたすべてのアーティスト、つまりジェイ・Z、マイリー・サイラス、イマジン・ドラゴンズ等との契約を解消したと、ラングが明かした。しかし、メリーランド州の会場がワシントンDCとバルチモアの近くであること、会場自体が決められた敷地の範囲内でのイベント開催を要求していたことが重なって、アーティストたちが徐々に脱落していったと言うのがラングの弁だ。

そして、「出演料などが全額支払われたアーティストとエージェント全員に対して、ヘッドカウントやそれ以外の任意の団体に、平和の精神を発揮して、彼らのギャラの10%を寄付することをお願いしたい。ウッドストックは常に社会の変化に関与しているし、今後もヘッドカウントへの支援を積極的に行って、次の大統領選の前に有権者の登録数を増やすという重要なミッションをサポートするつもりだ。困難な状況に陥っても我々の味方だったアーティスト、ファン、パートナーのみんなに感謝している。
私の現在の意識はすべてベセルと、そこで開催される50周年記念イベントに向かっていて、ウッドストックが受け入れた慈悲心の価値、人としての尊厳、人間の持つ違いの美しさを強化したい」と、ラングは述べている。

ウッドストック50の主要関係者の一人グレッグ・ペックは電通イージスの責任だと言う。電通イージスはもともとウッドストック50の金融パートナーだった企業で、4月に同フェスティバルの中止を発表した。しかし、のちに判事が電通イージスには同フェスティバルを中止する権利はないと明言する。「金融パートナーとの不運な論争が起こり、その結果として法的手段に訴えたことが我々を危機的な状況へと導き、我々の計画をぶち壊し、ワトキンスグレン以外の会場を探すことを余儀なくさせた。開催までに残された時間の短さもあり、ブッキングしたアーティスト全員のパフォーマンスが可能な収容能力のある会場の選択肢はほとんどなかった。ちゃんとしたトリビュート・イベントを実施するための方法を必死に探したし、土壇場でウッドストック50をサポートする素晴らしいアーティストたちの参加も決まったが、いかんせん時間的な余裕がなさすぎた」とペック。

このイベントの公式の中止が実現するまで相当の時間がかかった。本来は(オリジナルのウッドストックと同じ)8月16~18日にニューヨーク州ワトキンスグレンで開催される予定であった。参加アーティストの多くはすでに出演料が支払われていたため、4月に中止が発表され、すぐに復活し、他の会場に移動し、再び暗礁に乗り上げるという成り行きを無言で見守りながら、彼らも最終的な決定を待っていた。ウッドストックの伝説のアーティストと若手アーティストが混在するヘッドライナーとして、キラーズ、マイリー・サイラス、サンタナ、デッド・アンド・カンパニー、チャンス・ザ・ラッパー、ジェイ・Z、イマジン・ドラゴンズなどが予定されていたが、彼らは誰一人として他の予定を入れずに、ほんの数日前までじっと待ち続けたのである。

ウッドストック50の一連のトラブルは、当初の投資会社の電通イージスが、チケット発売予定日から1週間経った4月29日に、同フェスティバルの中止を発表したことに端を発している。
当時、電通イージスは声明で「これまで同フェスティバルに深く関与し、膨大な時間と労力を投じてきたが、我々はこのフェスティバルがウッドストックのブランド名に見合うイベントではなく、出演アーティストたち、パートナーたち、観客の健康と安全を確保できないと判断した」と述べていた。

のちにわかったことだが、電通イージスは、ラング&CO社が当事者としての責任を果たしていないため電通イージスが決定権を引き継ぐことが許される、と主張して、ウッドストック50との契約書にあった「制御オプション」を発動させたのだった。この時点で、本来15万枚のチケット販売を目論んでいた同フェスティバルは、集客数をその半数まで減らしてニューヨーク州から大集会の許可を得ようと考えていた。観客数を半減することによって収益も半減するのだが、それでも州からの許可は出なかった。

ラングは、投資会社には一方的に中止を決める権利はないとして、電通イージスの決定に異論を唱えた。チケット購入予定者に送られたニュースレターで、ラングはフェスティバルを計画通りに実施すると強調した。彼は「(資金提供者の電通イージスが)このように私たちを間接的に攻撃してフェスティバルの開催を阻む理由が理解できない。これは彼らにとってベストな方向性という一方的な決断だろうが、我々のことを一切考慮しないのは如何なものか。ウッドストックは電通の所有物ではないのだから、彼らにはフェスティバルの中止を宣言する権利などない」とニュースレターで伝えたのだった。しかし、我が道を進むラングは、次に制作パートナーのスーパーフライという強力な協力者を失うこととなる。スーパーフライはボナルーやアウトサイド・ランズの制作担当で有名な会社だ。彼らは電通イージスの発表後、3日ほどでウッドストックからの撤退を決めた。


そして、スーパーフライの撤退が決まった週の後半に、ラングは電通イージスに対して非難の声を上げた。金融パートナーであった電通イージスが1800万ドル近い資金をフェスティバルの銀行口座から「違法に引き揚げて」、開催を危うくさせたと主張したのである。そして、電通イージスが下劣な行為を行ったことで大企業との事業を恐れるようになったという内容の、電通イージス宛レターを公開した。

ウッドストック50の弁護士がニューヨーク州の最高裁判所に書類を提出したとき、ラングは電通イージスの協力を再び得るための最後の賭けに出た。同フェスティバルの弁護士が裁判所に求めたことは、電通イージスがメディア等と話すことを禁ずること、彼らが勝手に引き揚げた1780万ドルをウッドストック50に返金すること、会計の透明性を高めて、フェスティバルと協力することだった。裁判所に提出された書類には、件の金融パートナーは「秘密裏に中止を決定したあとで、決して実地できないように妨害した」と書かれていた。また、両者が交わした契約書では、フェスティバル中止の決定は書面での合意書を両者で取り交わして初めて成立するとなっていることにも言及した。電通イージスはフェスティバルの権利の引き継ぎを主張したことで、ラング側との見解の違いを証明した形になった。

このようなゴタゴタが続く間、前金で出演料が全額支払われた(合計で3200万ドル以上と言われている)アーティストたちをブッキングしたエージェントたちは、ことの成り行きを沈黙の中で見守っていた。この時点では出演料がどうなるのかわからなかったが、出演者の一人ジョン・フォガティは出演料を返さなくてもいいのであれば、この金の使い道は決めてあると言っていた。ちなみにフォガティはオリジナルのウッドストックにクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの一員として出演したレジェンドである。「私は昔気質のアメリカ人だから、何もしないで金をもらうのは忍びない。
だから、この金を善良な活動をしている団体に寄付するつもりだ。これがベストな使い方だよ」と、フォガティがローリングストーン誌に語った。

裁判の戦績は最終的にウッドストックも電通イージスも一勝一敗となった。担当裁判官のバリー・オストラガー判事は、電通イージスが合法的にフェスティバルを中止することはできないが、彼らが提供した資金を取り戻すのは問題ないと判断したのである。その後すぐに、ウッドストックが新たな投資会社オッペンハイマー&CO社とパートナー契約を結んだこと、そしてフェスティバルを開催する作業を続行することを発表した。しかし、6月に再び不幸に見舞われる。ワトキンスグレン・インターナショナルが契約を破棄すると発表したため、彼らは新たな会場探しを余儀なくされた。

このとき、オッペンハイマー&CO社の代表者はフェスティバルでの自分たちの役割を明確にした。「ウッドストック50はオッペンハイマーに彼らの金融アドバイザー役となる約束をし、ウッドストック50フェスティバルの制作資金を調達する協力を求めた。オッペンハイマーは同フェスティバルを制作することも、資金を提供することもない」と、彼らのスポークスマンがコメントを出したのだった。

それから約1ヵ月後、ウッドストック50がバーノンダウンズ・カジノ&ホテルに対して、開催場所の提供を打診していたことが明らかになった。(シラキュースから車で1時間弱の)ニューヨーク州バーノンは小さな町で、住人は即座に開催を拒絶した。
彼らは近くの町ロームで行われたウッドストック99の大失敗を覚えていたのである。しかし、ラング&CO社は地元民専用VIPルームの確保と新たな遊び場建設のための寄付を約束して、地元民に対して必死に懇願し続けた。ところが町の計画委員会は、ウッドストックのフェスティバル開催申請を4度も却下したのである。ウッドストックの主催者たちは無料の食事を振る舞う説明会を行って地元民を懐柔しようと試みたが、これも成功には至らなかった。そして7月16日の火曜日に町の役人が投票を行い、全員一致でバーノンでのフェスティバル開催の禁止を決定した。この翌日、ウッドストックの広告を担ってきたヴァージン・プロデュースト社が撤退を表明する。

「我々が望み通りの決定を得られないのであれば、それについて熟考しないといけないだろう」と、ラングは最終決断を下す前に市役所のスタッフに告げたという。「今年の企画が上手くいかないのなら、今年の開催は無理だということだ。出来ることはすべてやった。最善を尽くした。フェスティバルの実現に向けて、今後も何らかの方法が見つかるまで一生懸命頑張るつもりだ」と。

バーノンダウンズが4度目の申請を却下したときでも、主催者たちはフェスティバルの開催を諦めてはいなかった。
彼らは次のターゲットをメリーランド州コロンビアのメリウェザー・ポスト・パヴィリオンに決めて、無料イベントの噂を流布した。その週末はすでにスマッシング・パンプキンズがブッキングされていたにも関わらずに、だ。しかし、この会場を運営するIMPの会長セス・ハーヴッツは、価値のあるラインアップを組めるのであればフェスティバルの開催に協力してもいいと言った。中止が決定した現在も、ハーヴィッツはウッドストックと喜んで手を組むという。

「こちらにはウッドストック並のフェスティバル開催に適した会場を準備できる能力はあったが、時間的にあまりにも遅すぎた。十分な準備期間をもらえるなら、メリウェザーはオリジナルのウッドストックの雰囲気を持った将来のウッドストック会場となるだろう。ここでやってほしい人が沢山いるのは明らかだ」と、ハーヴィッツが教えてくれた。

ハワード郡最高責任者カルヴィン・ボールは、メリウェザーという好立地を鑑みると、ウッドストックの開催が中止になって落胆していると言い、「この記念となるイベントの文化的特性を知っている者として、出来る限り協力してこのフェスティバルの開催を実現したかった。残念なことに、フェスティバルのプロモーターたちは自分たちの義務を全うすることができず、ウッドストック50がメリウェザー・ポスト・パヴィリオンで開催されることはなくなった。このフェスティバルで『平和と愛』の記念を祝いたいと思っていた人々同様に私も落胆している」というコメントを出した。
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