ああ、デモクラシーの匂いがする。
米下院民主党議員のナンバー3でサウスカロライナ州の党トップを務めるクライバーンが、各候補者を紹介する。午後10時をかなり回った頃、政治経験がないものの「ヤン・ギャング」と称するネット上の熱狂的な支持者を有する候補者のアンドリュー・ヤンがステージ上に姿を現すと、クライバーンが紹介する前に大歓声が上がった。
アン、ドリュー、ヤン! アン、ドリュー、ヤン!
イベントに駆けつけた20数名の候補者の多くはこのような歓声を受けることはなく、大統領候補に名乗りを上げた議員や知事ら全員に対する拍手喝采よりもヤン一人に対する歓迎の声のほうが大きかった。普段は感情をあまり表に出さないジム・クライバーンですら、もう笑うしかなかった。
マイクを手にしたヤンは、拳を天につき上げながら叫んだ。
「ハロー、サウスカロライナァァァ!」
彼は「現代の最も大きな問題を解決するために」立ち上がった、と観衆に向かって語った。
2018年前半に大統領選への立候補を表明した時、ヤンは米国の政治の世界で全く無名の存在だった。
ヤンが提唱する「自由の分配」とは?
それから1年半後、44歳のヤンは相変わらず自己紹介を続けている。しかし、TV番組『Fear Factor』の司会者からポッドキャスト王となったジョー・ローガンとの対談や、ヤンのウェブサイトに記載された寄せ集めの長々とした政策リストを読んで彼のことを知った人々の多くは、興味をそそられ、中には魅了される者もいた。数カ月前まで脇役だったヤンは、最近のいくつかの世論調査では候補者のトップ10に入るまでになった。
民主党予備選挙の投票者を対象としたMorning Consultによる最新の調査でヤンは、コリー・ブッカー上院議員と並ぶ7位にランクされた。同調査でヤンより下位になった候補者たちの選出公職年数を合計すると、150年以上になる。ヤンは、2019年6月と7月に行われる米国民主党全国委員会が主催する最初の2つの討論会への参加資格を早々に得た。ヤンのTwitterのフォロワー数は、民主党候補者の半数が抱える人数よりも多い。マイアミでの討論会における期待はずれのパフォーマンスにもかかわらず(ヤンは全20人の候補者の中で最も発言が少なかった)、ヤンは2019年秋に行われる第3、第4回目の討論会への参加に必要な正味13万人のドナーを集めた。
ヤンの主張によれば、ドナルド・トランプが選挙に勝利したのは、米中西部の製造業がオートメーション化され400万人の仕事が奪われたからだという。結果、経済の不安定を招き生活の質を低下させた。
この転換に対するヤンの最重要プラン、即ち彼のビッグアイデアとは、全国民に対する最低所得保障制度(ユニバーサル・ベーシック・インカム)だ。彼はこの政策を、自由の分配(Freedom Dividend)と呼んでいる(ヤンは、ユニバーサル・ベーシック・インカムという表現よりも保守層に受けがよいという理由から、自由の分配という呼び名を選んだ)。自由の分配は、18歳以上の全ての米国民に無条件で月1000ドル(約10万円)を支給する政策だ。数兆ドル規模の新政策案と既存の社会保障との関連性について、彼は未だ解決策を打ち出していない。しかし彼はトマス・ペイン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、リチャード・ニクソンらを念頭に、最低所得保障の発想は何世紀も前から存在する、と主張している。ロボットやAIの台頭と同じくらい複雑な問題に対するシンプルでわかりやすい解決策に魅力が感じられるのは、明らかだ。「皆さんは、”全ての国民に毎月1000ドルを分配することを公約に掲げ、大統領選に立候補したアジア人がいる”ことを知っているでしょう」とヤンは、Fish Fryイベントで語った。「サウスカロライナの皆さん、これらは全て実現できるのです!」
ヤンを支えるチームの面々
筆者はこの3週間、ニューハンプシャー、ワシントンDC、サウスカロライナと動き回るヤンの選挙キャンペーンに同行した。ヤンは筆者に対し、彼と彼の小規模ながら成長を続けるチームと移動を共にし、身内の会合にも同席するよう求めた。
しかし筆者の好奇心には、罪悪感も混じっていた。前回の選挙で極論を唱えるある候補者が登場し勢いをつけ始めたが、筆者は彼を、まぐれ当たりのペテン師として気にもかけなかった。その候補者とはドナルド・トランプだったのだが、今回は何かを学ぶことができるかもしれないと思った。アンドリュー・ヤンの言うロボットが支配するこの世の終わりは本当にやって来るのか? 彼は他の候補者が触れようとしない真実を語っているのか、それともTEDカンファレンスでよく語られる職業の剥奪を持ち出して人々に恐怖を植え付けるテクノ未来主義者の単なる受け売りか? 一時的なものかもしれないが、彼の人気は米国の有権者の期待を表しているのだろうか?
クライバーン主催のFish Fryイベントでヤンが「できるだけ早期に私たちの社会と経済を発展させなければなりません。この私こそがその任務の適任者です。なぜならドナルド・トランプを正反対にすると、数学が好きなアジア人になるからです!」とジョークを飛ばすと、観衆は拍手喝采を送った。ジョー・バイデンですら隣にいる友人の肩を叩いて満足気にうなずいた。ホテルへ戻る車中、広々としたシボレー・サバーバンの助手席に座ったヤンは、まだブツブツ言っている。ヤンの選挙参謀兼運転手のザック・グローマンは、ヤンがステージ上で両手を大きく広げて「キリストのポーズ」を取り、観衆から大ブーイングを浴びたことをからかった。
「キリストを真似た訳ではない。あれはクリードのリードシンガーのつもりだった」とヤンが言うと、本人を除く車内は爆笑に包まれた。
「いや、キリストのほうがよかった」とグローマンは言う。「彼に従え」
「両手を大きく広げ……全てが変わった……」とヤンは、クリードのヒット曲を歌い始めた。
バックシートで筆者は、選挙キャンペーンのドキュメンタリー映画の製作者の横に座り、グローマンがその晩早くヤンに言ったことを思い返していた。元ウォールストリートの投資家だったグローマンは、過去に政治経験はない。「僕がよく言うのは、”ただ善人になるのでなく、他人と違う人間にならなければならない”ということ。ああ、でも君は既に独特な人間だね」
立候補を決めた経緯とは?
ヤンは、トランプが大統領に就任してから数カ月の内に立候補を決意したが、最初に決意を打ち明けたのは友人でもある映画製作者のシェリル・ハウザーだった。ハウザーの製作したドキュメンタリー映画『Generation Startup』は、ヤンが設立した非営利組織Venture for America(VFA)のサポートを受けながらそれぞれのキャリアを歩み始めた6人のアントレプレナーを追っている。
VFA以前にヤンは予備校を経営し、成功した。彼は、米国のトップクラスの学生たちが卒業後に、3、4カ所の主要都市に集中する金融、コンサルティング、法律、医薬といった限られた有力産業に進んでいくのを見ていた。彼は、勝者が独り勝ちする経済の中で置き去りにされた都市とアントレプレナーとをつなぐパイプラインを構築したいと考えた。
2011年に設立したVenture for Americaは、5年の内に17の都市へ活動拠点を広げた。当時のオバマ大統領は、ヤンをグローバルアントレプレナーシップのアンバサダーのひとりに任命した。ヤンは、自身の暮らすニューヨーク市やサンフランシスコなどの大都市と、VFAのフェローが住む国内各地を行き来した。サンフランシスコからミシガン州デトロイトやロードアイランド州のプロビデンスへのフライトは、タイムゾーンをまたぐだけでなく、まるで時代や次元を超えているようだった。
「気候変動について納得させるには、アラスカの氷河へ連れて行き、どんなに大変なことが起きているかを実際に見せればよいのです」とヤンは言う。「同様にテクノロジーやオートメーション化が経済や労働者にどれほどの影響を与えているかを説明するには、オハイオ州のヤングスタウンやクリーブランド、ミシガン州デトロイト、ミズーリ州セントルイスの現状を見せれば説得力があります。」
ヤンは、2017年のほとんどを著書『The War on Normal People』の執筆に費やした。チャート上位にランクした同書の中で彼は、迫りくるオートメーション化の驚異に対し、最低所得保障制度と「人を中心として」形成される資本主義が有効な解決手段である点を主張している。2020年の選挙まで1000日以上を残した2017年後半、ヤンは大統領選への出馬に必要な書類を提出し、その数カ月後、正式に選挙キャンペーンを立ち上げた。ニューヨーク・タイムズ紙のテック関連コラムはヤンについて、「全く勝つ見込みのない候補者」と表現し、「ロボットが支配するこの世の終わりを主張する」唯一の大統領選候補者だと評した。
トランプ支持者を惹きつけるヤンの魅力
主要メディアのほとんどに無視されたため、ヤンは自身の主張を伝える別の手段を探す必要があった。それがポッドキャストだった。初期のポッドキャストの中に、2018年6月にリリースした著名な無神論者サム・ハリスとの対談がある。
ハリスとの対談のおかげで、ソーシャルメディア上の新たなフォロワーを獲得し、寄付金も増えた。このためヤンは、選り好みせずあらゆるポッドキャスト番組に出演した。そして新しい番組が流されるたびに増えていくネット上のフォロワーは、ヤン・ギャングと呼ばれるようになった。
現状のヤンの支援者数は追い切れていないが、ポッドキャストをきっかけにヤンを知った者も多いという。彼らは、ヤンが自分の考えを内容が精査されたテーマとしてまとめたり、テレビ向けのキャッチフレーズに要約したりしない点を評価している。また、彼が鏡に映る自分の姿を見て将来の大統領像を想像しているのではなく、立候補の理由は彼自身の政策案を国策に採り入れてもらうためだと述べている点も、支援者は称賛している。
また立候補するには知識も経験もないという厳しい状況もあった。彼に耳打ちする広報担当者もいなければ、発言をアドバイスする世論調査専門家もいない。「彼は政治家とはかけ離れています」と、ヤン陣営のボランティアでトランプに投票したニューハンプシャー州のジーン・ビショップは言う。「彼は受けた質問に対して、正面から答えます。彼は新鮮な存在です」
大統領候補者としてはトランプと大して変わらないヤンは自分自身を、システムを再編し行き詰まった政党政治を打破することのできる門外漢と位置づけた。「ヤンもトランプも同じようなやり方ですが、ヤンのほうがより思慮深く真剣に取り組んでいます。国民は、現状のシステムを改革してくれる人間の登場を待ち望んでいるのです」と、ハーバード大教授で政治活動家のローレンス・レッシグは言う。ヤンによれば、「私がドナルド・トランプに投票した時に、あなたのような人がいてくれたら良かったのに」と言ってくれる有権者も多いという。
ヤン・ギャングの一員を目指す極右主義者や人種差別主義者の存在
2019年2月、ヤンはジョー・ローガンによるポッドキャスト番組『The Joe Rogan Experience』に出演した。ローガンは、2017年と2018年にApple Podcastsで2番目に多いダウンロード数を記録するほど幅広いプラットフォームを持っている。9年目を迎えるローガンの番組は、YouTube上に投稿される度に何百万人ものユーザーが視聴している。イーロン・マスクをはじめ、陰謀論者で栄養補助食品の行商人でもあるアレックス・ジョーンズ、ベストセラー作家で極右の代表格とされるジョーダン・ピーターソン、テレビ番組『Jackass』に出演したSteve-O、ボクサーから大麻起業家へと転身したマイク・タイソンなど、特に人気の高い対談番組もあり、ローガンによる親しみやすい自由主義的信条に触れることができる。
ヤンの出演したエピソードNo.1245はYouTubeで330万人が視聴したが、ローガンの基準からするとまずまずの数字だった。しかしヤンの選挙活動にとっては、ひとつのターニングポイントになった。彼のTwitterのフォロワー数は急増し、Twitterの共同創業者のジャック・ドーシーをはじめ多くのドナーから寄付金が集まった。2019年2月初めには、俳優のニコラス・ケイジが1000ドル(約10万円)を寄付している。ローガンのポッドキャスト番組から数週間の内に、ヤンは第一回討論会への参加資格に必要な6万5000人のドナーを集めた。
やがてヤンは、4chanやDiscordのようなインターネット上の一風変わった場所でもフォロワーを増やしていった。4chanは検閲を受けないRedditのようなもので、女性蔑視や反ユダヤ主義が蔓延している。またDiscordは、極右主義者や白人至上主義者がネット上で組織化するのにも利用されるチャットアプリだ。白人国家主義者のリチャード・スペンサーは、ヤンに対する好意的なツイートを投稿している。またネオナチのウェブサイトDaily Stormerは、ヤンの選挙キャンペーンに関心を示した。
ここで微妙な疑問が湧く。いったいどこまでがヤンの功績で、彼自身や彼の選挙陣営はどこまで把握しているのだろうか?
ヤンは、人種差別主義者や反ユダヤ主義者らからのいかなる支援も受けたことがない、と主張している。またヤンの選挙陣営は支援者やボランティアに対し、Reddit上の問題ある投稿の「down-vote」を呼びかけると同時に、ヤン陣営のコアバリューである「誠実と透明性」や「思いやりと寛容」のスローガンを共有するよう訴えた。「”あなたは人種差別主義者だ”、”それは人種差別的だ”、”それは侮辱にあたる”というような表現はせず、私たちは ”我々の支持する意見はこうだ”という言い方をします」と選挙参謀兼運転手のザック・グローマンは言う。
ヤンは、いわゆるインテレクチュアル・ダークウェブに協調する有名ポッドキャストへも積極的に出演した。ローガンの番組がその筆頭だが、ヤンはどのような取材も断らないというスタンスなのだ。台湾出身の移民の子として育った少年時代に民族的な差別やいじめに遭った経験から、彼はアンデンティティ・ポリティクスに反対の立場を取っている。ヤンは、白人の平均余命が短くなっているとTwitterで指摘しているが、これは極右思想を持つ支援者を手なづけようとしているのか、それとも現実の公衆衛生問題の危機について論じているのだろうか?
自らヤン・ギャングの一員を目指す極右主義者や人種差別主義者の存在は、ヤンによる選挙活動の副産物といえる。彼は現状に不満を抱く有権者の心を掴むため、どのような場所へでも喜んで出かけていった。入場券が不要でほとんどの人が利用するインターネットも、その場所のひとつだ。彼は幻滅を感じている人々が、共和党も民主党もオートメーション化時代に対応した経済安定策を打ち出していない点を憂慮していることに気づいた。拒絶や非難をしようが、或いはReddit上でdown-voteしようがヤンは、長年の希望だった優位性を得られずに怒るインターネット上の白人を惹きつけてしまうのだ。
ヤンとしてはそのような人々からの支援を受けたくないとして、ヤン・ギャングからの排除を試みてきた。しかし同時に、ここまでの選挙戦が順調に進んでいるのは、彼を支援するインターネット上のコミュニティのおかげだという事実も認めている。
インターネット上だけではない、リアルな動員力
次に来る疑問は、「Yangstas」と自ら名乗るインターネット上の支援者たちを実際の票に結び付けられるかどうか、という点だ。彼の支援者集会に出かける人はいるだろうか? 彼がボランティアを募れば応じる人はいるだろうか?
ヒューマニティ・ファースト・ツアーと銘打ち、ヤンが2019年4~5月にかけて大都市で行った一連の演説が、これらの疑問に対する回答だった。ワシントンDCのリンカーン記念堂には2000人が集まり、ロサンゼルスでは3000人、シアトルには4000人がヤンの話を聴こうと集まった。ツアーの最終地となったニューヨーク市のワシントン・スクエア・パークには、土砂降りにもかかわらず2500人が集結した。ヤンが集めた聴衆の数は、大統領選への立候補を表明した何人かの上院議員や知事の集会をも上回っている。この状況に主要メディアも同調し、ヤンはFox News、MSNBC、CNNなどから出演依頼を受けた。
筆者が初めてヤンと会ったのは、彼がニューハンプシャー州を遊説中の2019年6月のことだった。同州では、大統領選の予備選が最初に行われる。雨の木曜日の真っ昼間、ニューマーケットの街角にあるクラックスカルズというカフェに60~70人が集まった。数週間前にオバマ政権で長官を務めたフリアン・カストロが同店で集会を開いた時はこの半分の人数だった、と店のバリスタが漏らすのを耳にした。
遊説中のヤンには、カリスマ性が感じられなかった。ダークカラーのズボンとライトブルーのオックスフォードシャツ、紺のブレザーでノーネクタイという、いわゆるベンチャーキャピタル・カジュアルのヤンは、人々を魅了したり鼓舞したりしようとはせず、人々を喜ばそうともしない。彼は自分の演説を、先行きの厳しい統計データと切迫した警告で味付けしている。トランプ同様、彼も米国の中産階級がいかに「崩壊しつつある」かを主張する。彼はよく「シリコンバレーの私の友人たち」や、人々の職業を奪う可能性のあるシリコンバレーのテクノロジーを引き合いに出す。
テクノロジーに先見の明を持つ人々が、ロボットが支配するこの世の終わりが来るだろう、と不安を煽るのは珍しい話ではない。しかし今回の大統領選においてそう主張しているのは、ヤンただひとりだ。ニューハンプシャー州での遊説中に集まった聴衆から判断すると、彼は自分の主張に対する支援者を得たようだ。高校生らが「MATH」と書いた青い帽子をかぶっている。トランプのスローガンをもじった「Make America Think Harder」の略だ。クラックスカルズ・カフェでヤンの支援者たちは彼のセリフを覚え、その後の演説中にヤンと聴衆との掛け合いで何を叫んだらよいかを学んだ。
米国人の平均余命が前回3年連続で縮んだのはいつか、とヤンが問いかけると、「1918年のスペイン風邪の流行!」と誰かが叫ぶ。
また、今既に毎年1000~2000ドルの最低所得を保障している州はどこかと問えば、聴衆は「アラスカ!」と答える。
「財源は何か?」
「石油!」
「21世紀の石油とは何?」
「テクノロジー!」
ヤンはさらに、民主党内で議論されている資本主義か社会主義かの議論は的外れだ、と続ける。「私たちは経済において先例のない変化に直面しています。20世紀の体制や政策は、今の私たちにもはや通用しないのです」
有権者は、ヤンの反体制的スタンスや近い将来の問題に対する単刀直入な物言いに惹かれている
彼の提唱する「自由の分配」は、職を失った人々をテクノロジー発展前の経済からITを中心とした新たな経済へと移行させる手助けをし、同時に地方経済の活性化にもつながるだろう。さらにヤンは経済状況を測定する主要な手段として、従来のGDPの代わりに「アメリカン・スコアカード」の導入を提唱している。同スコアカードには、平均余命、平均収入、健康成果、大気や水質の状態などが考慮に入れられる。彼が大統領になった暁には、一般教書演説の場でパワーポイントを使用してスコアカードの結果を公表するという。
「私たちはできるだけ早くこのビジョンを国内中に広めなければなりません」と彼は演説を締めくくった。「間もなく国民の皆さんは気づくでしょう。あるひとりの候補者が、トランプ支持者、無党派層、保守派、リベラル派、民主党員、革新派の有権者を幅広く取り込もうとしているのです。彼にご注目ください」
ヤンが演説を終えた後、筆者は聴衆の中をかき分けて何人かに話を聞いて回った。近隣の高校で専門職助手を務め、自らを「政治からは遠い存在」というキートン・ルークがヤンの演説を聴くのは、今回が2度目だった。「テクノロジーに仕事を奪われてしまう状況がすぐそこに迫っています」と彼は言う。「もう間もなく起こるべくして起こることです。ヤン以外にこの点を指摘する候補者はいません」
有権者は、ヤンの反体制的スタンスや近い将来の問題に対する単刀直入な物言いに惹かれている。さらに、高騰する株式市場や成長を続けるGDPと、多くの米国民が苦しみ続ける経済問題との間のギャップに対する彼の主張にも、共感が集まっている。「今後どうなっていくか、国民はわかっています」と、クライバーンDish Fryで出会ったヤンの支援者ジェニファー・ベイリーは言う。「バンドエイドを貼り続けるのはやめましょう。彼は将来を見据えてきました。彼は将来的な問題の解決を論じているのです」
しかしヤンの選挙活動に出かける人々は、自由の分配や仕事の未来について懐疑的だった。ニューハンプシャー州のある女性はヤンに対して、生活していくには年間1万2000ドル(約120万円)では不十分だという前提で、オートメーション化によって職を奪われたトラック運転手やコールセンターの従業員はどうなるのかと尋ねた。
「大いに役立ついくつかの案はありますが、残念ながら現時点では良い解決策とはなっていません」とヤンは答えた。また「仕事の概念を拡大」し、より多くの高校生に職業実習や商取引の体験をさせる必要性も訴える。さらに、自由の分配によって掛け算式に波及する効果についても言及した。彼は、分配したお金が使われる地域のコミュニティでは新たな仕事が生まれるだろうと主張する。「仕事の未来については、長い時間をかけて形成されていくでしょう」と彼は答えを締めくくった。

Photo by Sacha Lecca for Rolling Stone
その後のインタビューでこれらの問題について再度質問してみたが、彼の回答には全く説得力がなかった。彼は「多くのトラック運転手の仕事に将来はありません」と、遊説中に触れた話を始めた。「2018年にニューヨークで9人のリムジンとタクシーの運転手が自殺したという記事を読みました。そのうちの1人は市庁舎の前だったそうです」と彼は続ける。「彼らは経済的に困窮したために、自ら命を絶たざるを得なかったのです。それでも私たちの社会には、さざ波すら立っていません。亡くなった9人の運転手について原因を追求しようという国会議員はいないようです。亡くなった人数が90人、900人、或いは9000人だったら事態は動くのでしょうか? 残念ながら、私の意見では、もうその答えは出ているようです」
「自由の分配」の不完全さを指摘する声
筆者の参加したほとんどの選挙イベント会場でも無料配布されていたヤンの著書『The War on Normal People』では、彼の持論がより詳細に語られている。しかし同時に、多くの疑問も湧いてくる。著書の中で彼は、自由の分配は「既存の福祉制度のほとんどに代わるだろう」と書いている。しかし直接彼に質問をぶつけてみると、自由の分配は既存の社会保障制度をぶち壊すためのトロイの木馬でない、と否定した。ただし、食料配給券、貧困家庭向け一時援助金、住宅助成金などの支援を受けている人々が月1000ドルを受給することで、それら支援プログラムは縮小できると彼は主張している。「最終的に既存の社会保障制度を完全に廃止できるだろう、などと考えても意味がありません」と彼は言う。「社会保障制度の利用者が30%減れば、将来的には官僚政治も適宜対応してくれるのではないでしょうか」
ヤンが著書で主張している内容は、トランプの当選や白人ナショナリズムの台頭は経済的な不安が主な要因だったと考える人々とほとんど同じだ。著書の一節に「南部連合のシンボル撤去を巡り2017年にシャーロッツビルで発生した暴動もまた、経済的混乱が原因の一端を担っていると言える。デモ隊に自動車で突入し若い女性を轢き殺した運転手は、オハイオの経済的に衰退した地域に居住する男で、陸軍を除隊させられた経歴を持つ」とある。彼の記述は全て事実なのだが正確を期すために言っておくと、デモに参加していたヘザー・ヘイヤーを轢き殺したジェームズ・フィールズ・ジュニアはネオナチであることを公言し、かつてナチスドイツのダッハウ強制収容所を訪れた際に「奇跡の起きた場所だ」とコメントしたような人間である。
ヤンの主張するオートメーション化問題、AI、最低所得保障制度に関して、何人かのエコノミストの意見を聞いたが、皆口々に彼の理論の不完全さを指摘ししている。見当違いとまでは言わないが、今後の展開に関する考えや見通しが不十分だという。米経済政策研究センター(CEPR)の共同設立者で2007~2008年の世界金融危機を予言したディーン・ベイカーは、ヤンによる警告は「現実と180度食い違っている」と指摘する。徹底的なオートメーション化が仕事を奪ったとしても、生産性は急激に向上するだろう、と彼は言う。しかし現実に我々は、生産性の伸びが低い時代を乗り越えようとしているのだ。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムも担当するエコノミストのポール・クルーグマンは、オートメーション化に関するヤンの主張には「データによる裏付けが全く無い」とツイートしている。例えばドイツなどハイレベルのオートメーション化が進む他の国々では、広範囲に渡る失業問題など発生していない点も、ヤンによる主張の弱さを露呈している。
ノーベル経済学賞を受賞したエコノミストのジョセフ・スティグリッツは、オートメーション化は「重大な関心事」としつつも、化石燃料からの脱却や米国における深刻な所得格差への取り組みの重要性に比べれば足元にも及ばない、とコメントした。さらに、労働者に損害を与えるのでなく支援するためのイノベーションを推進する政策を政府が打ち出す中で、人力からテクノロジーに置き換わるのは当たり前のことである、とも指摘している。
オートメーション化は果たして「悪」なのか?
オートメーション化に詳しいMITのエコノミスト、ダロン・アセモグルは、オートメーション化の与える影響と、多くの製造業の仕事が減少したミシガン州、オハイオ州、ペンシルベニア州、ウィスコンシン州におけるトランプの選挙勝利とを関連付けたヤンの考え方は正しい、と述べた。しかし、製造業で400~500万人の失業者が出た原因をオートメーション化だけのせいにするのは無理がある、とも指摘している。確かにオートメーション化も要因のひとつではあるが、重工業の長期的な衰退と対中貿易問題にも大きな原因がある、とアセモグルは言う。「私の見解では、多くの人が意見を出し合い、繁栄を共有するための方策を練る必要があると思います。彼の意見に賛同できないかもしれませんが、彼の主張には耳を傾けるべきです」
立候補に対する批判の声が上がっていることを承知しているヤンは、将来に対する議論に火を付けるのが目的だという。しかし同時に、自分たちのテリトリーに踏み込むヤンのような政治的部外者を認めようとしない政治の事情通や学者からの批判を受け、彼がやや守りに入る可能性もある。「とにかく最も大きなテーマは、いったいヤンは何者なんだ、ということです」とヤンは言う。「一部の元エコノミストやメディアの人間が、何年もかけてワシントンの雇われ政治家体制を育ててきました。そこへインターネットの世界から私のような人間が現れれば、当然彼らのリアクションは”こいつはいったい何者だ?”となるでしょう」
賑やかなマンハッタンのミッドタウン西39丁目から薄暗いロビーへと足を踏み入れる。野球の話で盛り上がるスーツ姿の2人の男たちの横を通り過ぎて階段を上り、玄関ホールへと降りると、そこは大統領候補ヤンのオフィスだ。選挙キャンペーンはスタートアップのようなものだと言われるが、ヤン会社の本社はその陳腐な表現をそのまま実現している。バスケットボールのミニリングが設置されたオフィスではインターンたちがパソコンに向かい、履歴書が机の上に散乱している。壁には映画『マトリックス』のモーフィアスを思わせる縁なしの黒いサングラスが掛かる。筆者が訪問した時、オフィスには31人のスタッフがいたが、その多くは複数の役割をこなしていた。バーニー・サンダースの選挙陣営は、ニューハンプシャー州の現場だけでももっと多くのスタッフが働いている。「各スタッフの肩書がはっきりしないですが、仕事内容も肩書同様にはっきりしないのです」と、ヤンの選挙副参謀でインターネットのオーガナイザーを担当するカーリー・ライリーは言う。
第一回民主党討論会の第2夜が開催される数日前のことだった。数千万人が注目する討論会は、ヤンのお披露目の場となる。討論会ウィークはヤンの選挙陣営にとってひとつの転換点になるとライリーは見ている。「私たちは従来型の選挙キャンペーンに変わろうとしています。より具体的な行動をベースにした組織づくりが必要とされているのです」と彼女は言う。つまり、ヤン・ギャングを本格的に動員する時が来たのだ。
「目標を達成するためには、私が米国大統領になるのが最も現実的な方法だ、と確信している」
ヤンと筆者は、彼がスティーヴン・コルベアのテレビ番組の収録に出かける直前に、約1時間半に渡り話し合った。筆者は、4カ月前にヤンがジョー・ローガンへ語った内容を復唱した。「私のアイデアや政策が取り上げられ、問題を解決することができたなら、私は米国大統領になれなくても全く構わないと、ずっと思ってきました」とヤンは発言していたのだ。彼は今でもローガンに述べたように、選挙の勝利よりも自身のアイデアの実現を優先したいと考えているだろうか?
「目標を達成するためには、私が米国大統領になるのが最も現実的な方法だ、とますます確信しています」と彼は言う。「かつては、いつか誰かが私の全てのアイデアを採用し、実現してくれるものと信じていました。しかし今は、それは現実的でないと思っています。だから、自分自身でやらねばならないと考えるようになったのです」
討論会でのヤンは、うまく自分の主張を伝えられなかった。彼は後に、当日は司会者の声がよく聞こえなかったのだと弁解している。だから討論会での最初の発言が「すみません、もう一度お願いします」だったのだ。ヤンとしては、数万人の有権者が「ジョー・バイデンの隣に立っているアジア人」のキーワードでネット検索してくれることを期待していたという。しかし政治と縁のなかった候補者の中で検索ワードのトップを取ったのは、自己啓発の伝道師マリアン・ウィリアムソンだった。
ヤンが後に語ったところによると、討論会で彼のマイクはオフにされており、討論に参加できなかったという。彼のインターネット上のフォロワーたちは、#LetYangSpeak(ヤンに喋らせろ)というハッシュタグを付けて苦情を拡散した。討論会を主催したNBCテレビは、彼のマイクは切れていなかったと否定している。討論会のステージ上でヤンは、車のヘッドライトに照らされて脚をすくませたシカのようだった。彼は経験不足を露呈した。
討論会後の数日間、ヤンはTwitter上で討論会でのふがいなさの言い訳や、討論会に出席した他の民主党候補者に対するサブツイートに追われた。それから数日後、筆者はヤンと電話で話した。彼は「パフォーマンス重視の討論会独特の雰囲気」に飲まれたという。また、コマーシャルの時間にバイデンが寄ってきて、第四次産業革命と中産階級の未来についてヤンと討論したい、と言ったことも明かした。
今後ヤンはさらに何度か民主党討論会に参加すると思われる。筆者は彼に、ポッドキャストに出演していた候補者が、キャッチフレーズを掲げて冒頭や締めの言葉を述べ、30秒間の選挙宣伝をしなければならない状況をどう思うか尋ねてみた。
「バランスを取るのが難しいことですが、私の選挙キャンペーンのテーマのひとつは、私たちのいるべき場所に今いる唯一の理由は私が人間らしくありたいから、ということです。それは比較的はっきりしたことです」と彼は言う。「その状況に適応するためには、望まずとも最低2時間はケーブルニュースの下僕にならねばなりません。でもご存知の通り、私は人間の将来のために戦っているのです」
ヤンの立候補はひとつの教訓であり、戒めになる。米国では、トランプをホワイトハウスへ送り込んだ時の状況が今なお続いている。人種差別主義や荒らしはもちろん、政治に対する嫌悪感、資金集めマシンとなってしまった議員への失望感、そして既存のシステムをぶち壊してくれる門外漢の出現を待ち望む声も広がっている。トランプは期待はずれだった。たぶんアンドリュー・ヤンならやってくれるだろう。少なくともヤンは、不安定な将来を見据え、手遅れになる前に人々を導いてくれる候補者を有権者が待ち望んでいる証拠だと思う。
自由の分配は解決策にならない。アンドリュー・ヤン自身もまた解決策ではないだろう。しかし前回の大統領選挙で政治の素人が現れて国民を熱狂に包んだように、ヤンの立候補は現在の米国や国民が抱える無視できない現実を明らかにしている。