アメリカの警察は何世紀にもわたって進化を遂げてきた。
常識や経験に加え、この数字こそが、我々の大多数がボサム・ジーンさんを殺したアンバー・ガイガー被告は罪を免れるだろうと考えた理由だ。まだ26歳だった若き会計士の遺族の表情からも見て取れるだろう。当時ダラス警察署の警察官だったガイガー被告は、ジーンさんが住むアパートのひとつ下の階に住んでいた。2018年9月6日、ジーンさんの部屋に入ったガイガー被告は、胸に一発発砲し、致命傷を負わせた。抗議の声をあげなくてはならない事態を予想し、ダラス郡裁判所に集まった活動家の意見からも分かるはずだ。ある黒人牧師は、のちにダラスモーニングニュース紙に「我々は最善が尽くされることを祈っていましたが、最悪の場合にも備えていました」と語った。
アメリカの根深い人種差別問題
それでもなお、ガイガー被告の事件は、まるでいたずら好きなある種の人種差別者が、黒人の我慢の限界を試すために仕掛けたかのようだ。白人警官が、同じアパートに住む黒人の部屋に入っていく。
ガイガー被告の弁護は誰が聞いても侮辱的だった。そしてその後我々は、被告に人種差別的な携帯メールを送る傾向があったことを知る。自分も高層アパートに住む人間として言わせてもらえば、住人の誰かが部屋を間違えるのはもちろんのこと、ひとつ上のフロアに間違えて入室するというのは――たとえ9月のあの日ガイガー被告がそうだったように、1日13時間以上の勤務明けだったとしても――あり得ないことだ。世にも奇妙な話ではあるが、白人の警官が武装していない黒人男性を殺した以上、なんとか彼女の言い分に信憑性を持たせようとした意図が見て取れる。彼女はベテラン警官で、警察官組合の組合長からもお墨付きを受けていた。事件が起きたその晩、会話を聞かれるかもしれないからと、パトカーに搭載されたドライブレコーダーのスイッチを切るように命じたような人物からのお墨付きだが。アメリカの法体系には問題はなかった。彼女は無罪放免になるだろうと私も予想していた。
判決の理由と意味
しかし、私はそのとき、まだ陪審の構成を把握していなかった。12人の陪審員のうち白人はたったの2人で、それが評決の行方を左右した。評決後、陪審員制度の公平性を目指すThe Juror Projectの創始者ウィリアム・スノーデンがオンラインマガジンSlateのインタビューに対して語ったように、弁護側が展開した利己的なマリファナ作戦が「違う価値観を持った」陪審には逆効果となって「陪審の同情は別の方向に向けられたようだ」と語ったのだ。彼らの同情は9月のある夜、テレビを見てアイスクリームを食べていただけなのに、制服姿の警察官がドアから入ってきて、人生最悪の勘違いをされた男性へと向けられていた。
しかしながら、今回の悲劇の核心と、多様な陪審員候補団からめったにない確率で選ばれた陪審員こそが、ジーンさんの遺族らに正義を果たした。と同時に、果たせたのが珍しく多様性に富んだ陪審だったおかげであることからわかるように、まだまだ先は長いことも改めて知らしめた。遺族の弁護士ベンジャミン・クランプ氏は興奮気味に、加害者が無罪となった人種差別的暴力事件の黒人被害者たち全員の名前を列挙した。「今回の評決は、トレイボン・マーティンのためだ。マイケル・ブラウン、サンドラ・ブランド、タミール・ライス、エリック・ガーナー、アントワン・ローズ、ジェメル・ロバーソン、EJ・ブラッドフォード、ステフォン・クラーク、ジェフリー・デニス、ジェネヴィーヴ・ドーズ、パメラ・ターナー」――ここで彼の同僚の弁護士リー・メリットが割って入り、オシェイ・テリーの名前を付け加えた。「武器を持たないアメリカ中の黒人、褐色人種の人々にとっても」と言って、クランプ氏はこう続けた。「今日の評決は彼らのためだ」
。クランプ氏の喜びと、遺族の痛みに応えたいという願いはひしひしと伝わってきたが、同時に怒りも込み上げた。
今回の判決は正義への希望になるか
ガイガー被告には5年から99年の終身刑が求刑されていたが、申し渡された刑は10年の禁固刑だった。正直、そんなことはどうでもいい。彼女に最長の刑が申し渡されていたとしても、今のアメリカでボサム・ジーンさんのような見た目でも安全に暮らせるようになるわけではない。黒人のティーンエイジャーの頭を戸口に叩きつけたニュージャージー州の警察署長を思い出してほしい。現在ヘイトクライムで裁判にかけられているこの男は、かつて「トランプ氏は白人の最後の砦だ」と公言して憚らなかった。アメリカの人種差別問題は収束するどころか、悪化する一方だ。
ダラスの裁判所で勝ち取った勝利に甘んじて、安心してはいけない。我々はまだ深い水底にいるのだ。水面に上がって息がつけるのはまだ先の話だ。黒人の命を軽んじる警察官の態度に対し、アメリカの政府は事実上放置状態なのだから。
キング牧師が最後に遺した予言的な言葉を言い換えるなら、この国はかつて紙の上で約束したことをことごとく裏切ってきた。だからこそ、日々問い続けなくてはならない。たとえカタルシスのさなかでも。いつかこの先、正義に驚かなくなる日がくるまで。