1998年のチベタン・フリーダム・コンサートはサプライズに満ちていた。
その中でもとりわけ強く人々の記憶に残った出来事は、最終日に出演したパール・ジャムが予定よりも15分早く演奏を切り上げ、代わりにレッド・ホット・チリ・ペッパーズがステージに登場したことだった。彼らの出演は正式にはアナウンスされていなかったが、6年ぶりにジョン・フルシアンテを再びメンバーに迎えたばかりだったバンドは、そのラインナップで大舞台に立つ機会を欲していた。
雷雨の影響でフェスの2日目は中止となり、レッチリの出演もキャンセルされていた。「エディ・ヴェダーは、俺たちがフラストレーションを抱えてるってことを耳にしたらしかった」アンソニ・キーディスは2004年発表の自伝、『スカー・ティッシュ: アンソニー・キーディス自伝』でそう綴っており、さらにこう続けている。「彼らの持ち時間に俺たちを出演させることに同意しないなら、パール・ジャムは演奏しないと宣言したんだ。彼らの好意を、俺たちは決して忘れないだろう」
バンドは同月前半にはロサンゼルスのラジオ番組に出演し、またワシントンDCの9:30 Clubでウォームアップギグをこなしていたため、厳密には同ラインナップでステージに立つのはそれが3度目だったが、当初はその舞台こそが彼らの完全復活を告げる場となるはずだった。当日彼らが披露したのは、「ギヴ・イット・アウェイ」「アンダー・ザ・ブリッジ」「パワー・オブ・イコーリティ」の3曲のみだった(上記の動画はファンが撮影した「アンダー・ザ・ブリッジ」のライブ映像)。「オーディエンスは100パーセント俺たちを歓迎してくれてた」キーディスはそう綴っている。「ジョンと再びステージに立てる喜びを、俺はステージで噛み締めてた」
フルシアンテを含む4人はその勢いを保ったままスタジオ入りし、翌年に発表されるカムバック作『カリフォルニケイション』を完成させた。ノスタルジーとは無縁の挑戦的な姿勢を示した同作によって、バンドは新たな黄金期に突入することになる。