2010年代を振り返るうえでEDMは避けて通れないだろう。世界中のオーディエンスを興奮させながら、フェスやヒットチャートを席巻してきたこのシーンでは、多くのDJ/プロデューサーたちが20代前後の若さで成功を勝ち取っている。
しかし当たり前の話だが、人生はその先のほうが長い。「アーティストとしての人生が大きくなりすぎて、人間としての人生がほんの少しになってしまった」というのは2018年に亡くなったアヴィーチーの言葉だが、若さゆえのテンションで走り抜けた結果、彼のように自分の生き方を見失ってもおかしくはないだろう。熱狂のピークタイムが過ぎたあと、それぞれが2020年代以降どんなキャリアを築いていくのかは気になるところだ。
そういう意味で、マデオンことユーゴー・ピエール・ルクレールが昨年リリースした2ndアルバム『Good Faith』は興味深い内容だった。全米ダンス/エレクトロニック・アルバム・チャートで1位を獲得しているが、彼の歌声が全編でフィーチャーされているほか、聖歌隊が参加しているのもあり、ダンスというよりは「歌」、例えばボン・イヴェールあたりに通じる美しさをもった作品で、これまでのサウンドとは明らかに一線を画したものだ。ステージ演出も見事だったマイナビ赤坂BLITZでの来日公演でも、マデオンは祈るように力強くファルセットを歌い上げていた。その光景は25歳になった彼が、「成熟」のあり方を示しているようにも映った。
1994年生まれのマデオンは、2010年に11歳で地元フランスのリミックス・コンテストにて優勝し、早熟の天才児としてシーンに名を馳せてきた。インターネット文化とともに育った彼は、アメリカのEDMカルチャーに距離を感じつつもアジャストし、レディー・ガガやコールドプレイとも制作を行い、盟友ポーター・ロビンソンとも共演しながら独自のポジションを確立している。2010年代のダンス・ミュージックにおける、ある側面を象徴する人物といっても過言ではない。


Photo by Masanori Naruse
―昔に比べて、見た目の雰囲気がだいぶ変わりましたよね?
マデオン:そうだね(笑)。
―何か思うところでもあったんですか?
マデオン:ようやくヒゲを生やせる年齢になったということかな(笑)。僕は17歳の頃からツアーを回るようになったんだけど、当時は実年齢よりさらに若く見られがちだった。でも数年経って……そうだね。自分のライブでは(背後のスクリーンに)シルエットが映し出されることが多い。(『Good Faith』のジャケットを指差し)これと一緒で、そのシルエットを見るだけでマデオンだと認識してもらえるようにしたかった。それが主な理由かな。
―2012年のSONICMANIAで初来日したのは18歳のときでしたね。作曲活動は11歳からスタートしたそうですけど、その頃を振り返ってみてもらえますか?
マデオン:昔は「探検」してるみたいだった。言葉を話せない国で迷子になったような感じで、音楽をどうやって作ればいいのか、時間をかけながら手探りで習得していったんだ。それが楽しかった。
―「無邪気」というのがどんな意味か、もう少し掘り下げると?
マデオン:間違ってる部分もあるし、音選びもトラディショナルな手法から外れていたり、今の自分から見ると荒削りでプロの仕事とは言いがたい。でも、そういう子供っぽい実験が、僕のアイデンティティを育んでくれたと思うし、現在の制作活動にも影響を与えている。それに、あの頃の曲作りをもう一度やろうとしても、今の僕は知識や反射神経を身につけてしまったから、同じように再現することはできないだろうね。
歌詞についても同様で、ティーンエイジャーだった頃は人生経験も積んでないし、同じテーマを扱うにしても、あの頃と同じような見解を持つことは今の僕にはできない。歌声についてもそうだろうしね。おそらく20年後、今作ってる音楽を聞き直してみたら同じように思うんじゃないかな。
「Pop Culture」ではダフト・パンクやジャスティスから、ELOにザ・フーまで39曲をマッシュアップ。現在、YouTubeでの再生回数は5200万回を突破。
―あなたの名前を一躍有名にした2011年の「Pop Culture」も、若い当時だったからこそ作れたんですかね?
マデオン:あれは若さ云々というよりも、一度きりしかできないことだったと思う。あの時点で、僕はすでに何年も音楽活動をしていた。そして、新鮮なアイディアを思いついて興奮していたんだ。一度作って世に出したら、あのときのワクワク感はもう味わえないよね。
―今になって振り返ったとき、「Pop Culture」が生まれたのは、当時の時代背景もリンクしていたと思いますか?
マデオン:どうだろう。あれは2011年当時、自分のフォルダに集めていた曲を使っている。だから、特に時代性は関係なくて、それよりは僕のパーソナルな趣味を反映したものだと思う。ただ、あの頃はエレクトロニック・ミュージックの影響力が大きくなり、世界的に注目されるようになった時期だった。それで、あそこまで反応してもらえたのはあるかもしれない。どうやって音楽を作っているのか、視覚的に伝わりやすかったのも大きかっただろうしね。
―「Pop Culture」を発表した2011年当時、インターネットのカルチャーから受けた影響は大きかった?
マデオン:そうだね、僕は多くの時間をオンラインに費やしてきた。仲のいい音楽の友達も、みんなネットを通じて出会ったし。
―ポーター・ロビンソンともネットで知り合ったそうですね。あなたが12歳のときに。
マデオン:そうそう。実世界で周りにいた人たちは、音楽にそこまで興味をもってない人ばかりで、誰も僕が作っているものに興味を示してくれなかったんだ。だから、ネットにいる人たちが、自分にとって最大の理解者だと感じていた。僕らはたぶん、ネットによって文化的なアイデンティティが形成された最初の世代といえるんじゃないかな。
―具体的にいうと?
マデオン:2011年当時は、多くのヴァイラルビデオが出回っていた。現在は存在しないフォーマットだけど、あれはユニークだった。何かおもしろいものがあれば、それが一気に拡散していったよね。あれは当時のネットカルチャーを象徴するものだったし、自分もそういう文化から得たものは多かった。今はもう、あそこまでの広まり方はなくなった気がする。
―たしかに。
マデオン:それにネットは、音楽とアクセスするための手段でもあった。アーティスト名さえ知っていれば、YouTubeか何かですぐに曲を聴くことができる。少し前まではありえなかったことだよ。そのスピード感で、音楽のカルチャーもどんどん形成されていった。それに、世界中のメディアにアクセスできるようになったのも大きかった。例えば、2010年ごろの僕は、日本のCAPSULEの大ファンだったわけだけど、彼らの曲はフランスのラジオ局では流れてこなかった。情報を探す方法はオンラインしかなかったんだ。そんなふうに、ネットのおかげでグローバルな音楽体験ができるようになったことが、今の自分にもつながっている。
中田ヤスタカによるマデオン「Pay No Mind」のリミックス
―以前から日本の音楽やポップカルチャーへのリスペクトを公言してますよね。最近も何か気になるものはありましたか?
マデオン:『君の名は。』には心から感動した。世界的なセンセーションを巻き起こした作品だし、僕にとっても映画における大きなハイライトになったよ。
それから、福居良という素晴らしいピアニストがいて。彼の『Scenery』というアルバムが最近のお気に入り。80年代の作品だと思うけど(実際は1976年リリース)、よく聴いているし影響も受けている。日本のポップ・プロデューサーやジャズ・ミュージシャンは、ジャズの理論を独自に解釈していて、個人的にはアメリカのジャズよりもユニークに感じるときもある。そこが僕にとっては大きいんだ。
―へー、おもしろい。
マデオン:あと、今はLAに住んでいるから毎週のように映画を見ていて、宮崎駿の作品には音と映像の両方でいつも感動している。特に音楽面はインスパイアされる部分が多くて、メロディのなかにある数学的なシンメトリーに困惑しながらも感銘を受けている。
ただ、こうやって話しながら気づいたんだけど、ここ最近は昔のお気に入りに依存しすぎたかもしれない。僕は日本に来るたび、タワーレコードで気になるCDを適当にピックアップして、それを全部聴くようにしている。そうするといつも大発見があるんだ。今夜もこのあと行く予定だから、もし1週間後に同じ質問をされたら、もっとフレッシュな回答になると思うよ(笑)。
―話を戻すと、2015年に1stアルバム『Adventure』をリリースしていますが、2010年代前半のEDMシーンをどんなふうに見ていましたか?
マデオン:僕はEDMというタームが使われるようになる前から活動をスタートさせていた。その呼び方が目立つようになったのは2012年くらいのはずだけど、自分の音楽とEDMにそこまで関連性はなかったと思う。というのも、僕はダフト・パンクや中田ヤスタカのように、エレクトロニックなツールを使っていても、クラブ・ミュージックというよりはエモーショナルなポップ・ミュージックを作る音楽に影響されてきたから。それに、あのビッグルーム・サウンドにも馴染めなかった。
マデオンによる2013年のDJセット
―なるほど。
マデオン:でもたしかに、2011~12年頃というのは本当にクールな時期だった。シーンがどんどんエネルギッシュになり、世界中の若者がエキサイトしているのが感じられた。あらゆるサウンドが新鮮に聴こえたし、それによって新たなドアも開かれた。
スクリレックス、ポーター、ゼッド……みんな大好きな友人だ。僕らの人生は一夜にして、世界がひっくり返るように大きく変わった。でも、ダンス・ミュージックでそこまでビッグになれるなんて、最初は誰も想像してなかった。本当にとんでもないサプライズだったんだ。そこは今と全然違うよね。昔と比べて、今はエレクトリック・ミュージックで成功する姿が想像しやすくなったと思う。でも、僕らが音楽を作り始めた頃は、そこまで大きな夢をもつことは考えられなかった。
今はいい時代だよね。ジャンルの定義に縛られることなく、誰もが好きなように音楽を作れるようになったから。クラブ・ミュージックでも、エモーショナルでスロウな音楽でも、速い音楽でも、イージーな音楽でもなんでもいい。ただ、自分にフィットすることをやればいいんだ。数年前まではジャンルの縛りがあったけど、今はずっとオープンになっている。ダンス・ミュージックの歴史において、もっとも自由な時代だと思う。僕も昔より今のほうがやりやすいよ。


Photo by Masanori Naruse
―ニューアルバムの『Good Faith』はこれまでの作品と比べて、パーソナルでメロウな印象を受けました。こういった作風の変化はどこから生じたのでしょう?
マデオン:僕はマデオンを「プロデューサー・プロジェクト」ではなく、「アーティスト・プロジェクト」にしようと考えた。ダンス・ミュージックでは曲ごとにボーカルをフィーチャーすることが多くなりがちで、それはそれでいいんだけど、アルバムの統一感が表現しづらくなってしまう。それよりも僕は、もっと自分らしさを感じられるアルバムを作りたかった。だから『Good Faith』では、僕がすべての曲を作っているし、ほとんど自分が歌っている。
そんなふうに、ひとつの声で統一されたアルバムにしようと思ったのは、ポーターとの共作で、僕が歌と作詞を担当した「Shelter」の影響が大きかった。あの曲をライブで歌うと、観客がみんなシンガロングで応えてくれたんだ。その経験から得た感動がインスピレーションになっている。このアルバムでも妥協することなく、自分の感情やパーソナリティをピュアな形で反映させようと思ったんだ。
―「Shelter」のときに歌おうと思ったのは、勇気がいることでしたか?
マデオン:『Adventure』の頃も少し歌っていたけど、シングル曲ではやってなかった。でもポーターとコラボすることになって、僕は即座に歌うことを決心したんだ。ふたりとも「本物」の表現を切望していたし、僕もマデオンとしての活動を通じて自信を得ていた。それに、僕が影響を受けたアーティストやアルバムの多くで、作者本人の曲が歌われていることにも気づいた。そのほうが聞き手と密接につながることができるんだなって。この『Good Faith』を作るときも、自分のなかで炎が燃えたぎっていた。このやり方が名案なのか、トレンドにマッチしているかなどは考えず、とにかくやることにしたんだ。
―「アーティスト」としてのマデオンが、このアルバムで伝えたかったことはなんでしょう?
マデオン:「喜び(Joy)」だと思う。ただ「喜び」を祝福するだけでなく、見つけること、失くしてしまうこと、どういうものか追求することもそこには含まれている。制作をスタートさせた2015年頃はNYで仕事していたんだけど、そこでいきなり「喜び」のヴィジョンが見えてきて、興奮のあまり1週間くらい眠れなくなってしまった。ギターの音色だったりどんどんアイディアが湧いてきたので、僕は次々と音楽を作っていき、自分の内面が求めるサウンドを録りためていった。当時の僕は、その「喜び」が永遠に続くものだと考えていたんだ。でも、あるとき急に消えてしまった。そこから1カ月は途方にくれてしまったよ。
だから『Good Faith』では、いつまでもあると信じていたインスピレーションがなくなった状態を克服しながら、それがどこからやってきたのか理解し、パーマネントな「喜び」を再び見つけ出すまでの過程をテーマにしている。だからメンタルヘルスとか、自分との格闘だったりも関係している。
―前作から4年間もスパンが空いたので、何かパーソナルな浮き沈みがあったりしたのかなとも想像していました。
マデオン:たしかに落ち込むことは多かったけど、いいこともあったよ。ポーターとの「Shelter」で1年間ツアーを回ったりとか。でもそのあとに、ミュージシャンとしての自分を見つめ直す時間が必要だった。10代の頃からツアーを続けてきたから、同じ場所に落ち着いて、普通の人生を過ごすということを僕はやってこなかったんだ。
だから、今回の制作については焦らないようにした。時間をかけて正解だったし、そういう時間を自分に与えることができたのもよかった。これは僕の人生にとって必要なステップだったんだ。完成したアルバムを誇りに思うし、聴き返すといろんな記憶が走馬灯のように蘇ってくる。多くの浮き沈みがあったけど、そのプロセスこそがアルバムのストーリーにつながっている。そして、僕は成長することで「喜び」を取り戻すことができたんだ。
―『Good Faith』でドリーミーな音作りが目立つのも、今の話と関係ありそうですか?
マデオン:そうだと思う。僕が好きなアルバムは大概にして、表面上から受ける印象とは違う美しさを持っていることが多い。『Good Faith』もそうしたつもりで、一見楽しげなサウンドに満ちているけど、その根底にはダークな感覚が横たわっているんだ。例えば「Be Fine」という曲は、音自体は非常に楽観的なんだけど、しっかり歌詞を読み解くと、そこでの「喜び」が危なっかしくて落ち着かないものとして描かれていることに気付くはずだ。ある種の間違った「喜び」というか。たしかにアルバムの音は全体的にドリーミーだけど、表面を引っ掻いて、その下にあるものを覗いてもらえたら嬉しいね。
―最後の質問です。2010年代のダンスシーンで活躍してきたDJやプロデューサーが、これから2020年代を迎えるうえで、どういった人生設計を描いているのか興味があります。若くして亡くなった人もいるし、目標を保ちながらキャリアを長く維持するのは並大抵のことではないでしょう。あなたはどんなふうに考えていますか?
マデオン:マデオンの活動について判断するとき、僕はいつもふたつのことを考えている。ひとつ目は、いかにオーディエンスを楽しませるか。僕が尊敬しているアーティストは、音楽を通してファンに豊かな体験を与えられるよう、クリエイティブな表現に取り組んでいる。マデオンも単なるビジネスではなく、音楽による小さな世界を創り上げ、誰もが興奮を見つけられるコミュニティにしていきたい。
もうひとつは、マデオンをやっている自分がハッピーかどうか。もしそうじゃなかったら、何かを変えなければいけない。マデオンはこれまで何度もバージョンアップしてきた。そうやって変化してきたからこそ、ファンも信頼してくれるし、僕のプロジェクトにも関わってくれる。だから、自分に誠実であれば大丈夫と思えるようになった。この間のアメリカのツアーでも、僕はより大きな会場でライブすることができた。広大なEDMシーンのなかで、僕は自分のやり方で成長することができたんだ。
2020年代に最初にやることは『Good Faith』のサイクルを終わらせること。ひとつの章が閉じたら、また自問自答の日々が始まるだろう。自分にとってマデオンは「喜び」であり、人生で一番重要なことだ。僕にはこれしかないとも言える。だからこそ、慎重にキャリアを築きながら、人間らしさを残せるくらいのバランスを保っていけたらと思っているよ。

Photo by Masanori Naruse

マデオン
『Good Faith』
発売中
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