2011年に東日本を襲った大震災。西片明人が代表を務めるライブPAチーム、SPC peek performanceが中心となって、被災地支援活動とともに、東北三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設するために立ち上げたプロジェクトが東北ライブハウス大作戦だ。
その主旨は「人と人を繋ぐ」こと。2012年には宮古、大船渡、石巻のライブハウスがオープンすることとなった。今回、西片とTOSHI-LOWがインタビューに応じてくれた。

「続けなきゃ終わっちゃうんですよ。そこをみんなが共有してるのはスゴい」

ーそもそも東北ライブハウス大作戦はどのようにして始まったのですか?

西片明人(以下、西片):TOSHI-LOWに言われたことがスゴくデカかったんです。新宿レッドクロスでやったbloodthirsty butchersのライブ後に、中打ちみたいなのをやって。しっかり飲んで、「話があるからちょっと来い」って言われて。その時に、「いつまで金魚のフンみたいにくっついてるんだ?」っていう辛口が来たんです。そこから、「何ができるんだろう?」って自問自答を繰り返したんです。

TOSHI-LOW:その時に何で怒ったかというと、「TOSHI-LOWがいろいろやり始めた。ライブをやる。支援物資をやる。
俺は何もできないから、こういう風に一緒にやらせてもらうのはありがたいと思うんだ」って言われたから、カチンと来て。バンドはバンドでできることがあると思って、いろんなことを始めたんですよ。もちろん批判はいっぱいあったけど、結局、支援物資もチャリティ・ライブも動き出して、一緒のチームでやってると思ってたのに、「俺は何もできない。申し訳ない」みたいなことを言われて。もちろんそういうのは誰もがあったと思うんですけど、まさかこんなに近い人に言われるとは思わなくて。それで、「じゃああんたはPAとして何ができるんだよ? 俺からは見えないものが見えてるはずじゃない? それをやってみればいいじゃん」みたいなハッパのかけ方をしたんです。そしたらスゴく怒ってましたよ。

西片:ドンズバだったんですよ。そこから俺に何ができるのかめちゃ考えましたね。それで、震災から3カ月後の6月に、SLANGのKOが立ち上げた「POWER STOCK IN 宮古」というイベントがあって。そこに夜走りで向かってる時にストンと落ちてきた感じです。ライブハウスをやろうって。
で、主催の一人に「前に宮古でライブハウスをやろうと思ったけど」っていうのがいたんですよ。その日のイベントが終わってから話をしたら、二つ返事でやろうってなって。その後、大船渡に翌日から炊き出しに行く道中で、みんなが集まった時に、「ライブハウス作るわ」って言ったんです。

TOSHI-LOW:そこは先輩(注:西片明人のニックネーム)の役目だから。でもその前に、この10年を語るとすれば、2010年ぐらいに音楽が停滞してたと思うんですよ。

ー確かに、思い切り停滞していましたね。

TOSHI-LOW:AIR JAMが2000年で終わるじゃないですか。その前にはストリート・カルチャーのブームがあって。そこからいろいろな流れがあるじゃないですか。青春パンクが来たり、ヒップホップが来たり、横浜レゲエ祭が来たり。でもひと通りそういうのが終わって、すべてにおいて新しいものが生み出されないグチャッとした状態になった。なのに、そこで震災が起こって。
じゃあその時何が残ってたかというと、ジャンル同士の壁と、メジャーとアンダーグラウンドの壁と、四方八方に壁があって。単純に音楽が商業化して、切り取られて、仲良くなる術もない何かになってたんだと思うんですよ。で、俺らは俺らだし、あいつらはあいつらだし、テレビに出てるヤツらは信じないし、テレビに出てるヤツらは逆にこっちに気づかないし、みたいな感じで、スゴいレイヤーが今以上に分かれてて。本当に震災がなければ良かったと思うんですけど、この10年で音楽の中の縦と横の壁を一つずつ、崩せたとは思うんですよ。東北ライブハウス大作戦がなかったらと思うと、ここまで来れなかったんじゃないかな。もちろんAIR JAMもあったし、復活したハイスタ(Hi-STANDARD)の力もあったし。

ーそこも震災後にすべてつながっていますからね。

TOSHI-LOW:打ち上げ花火だと結局続かないんですよ。その時だけチャリティ・イベントをやられても、後に続かない。やっぱりライブハウスが出来たことで、そこが続いていかなければいけないんですよ。作ることの方が簡単なんです。でもそれを続けていくことは大変だから。
そこがイベントと一つ違うところなんですよ。先輩が見ていたものというのは、その地域の中での10年の闘いになるわけですよ。

「40過ぎのおっさんがもう一回成長できたっていう実感もありました」

ー震災の半年後の2011年9月には、東北ライブハウス大作戦のホームページが立ち上がり、AIR JAM 2011が開催され、1カ月後にはBRAHMANが全国ツアーに出てと、一連の流れが出来ているように見えましたが。

TOSHI-LOW:無理やりシナプスをつなげちゃった部分もあると思うんですけど。何かをしなきゃと思ってた人が多いし、何ができるんだろう?っていうのを考えてたと思うんです。おまえのことなんて信用もしてないし、好きでもないけど、あの大きな震災の元であればやってやるよって。初めはそれだったと思うんですよ。でもそれで充分だったし、それがどんどん培われていって、X JAPANまでつながったわけじゃないですか。それって、まだ人間に残されてるヒューマンドラマとしては、夢のある話だなと思うんです。

ー西片さんはそこで音楽の持つ力、ライブハウスの力、バンドマンの力を信じていたんですよね。

西片:バンドマンは仲間だから信じてたけど、音楽で何ができるのかは俺は全然わからなかったですね。今となっては音楽の力を感じるところはありますけど。
その時被災地にあったのは、仮設住宅とか強制的に当てがわれたような場所だったから。自分の意思で集まれて、仲間作りができるような場所が必要なんじゃないかなって思ったのがライブハウスだったんです。俺自身もライブハウスでみんなと知り合うことができたし、仲間になれたので、そこは思いましたね。

TOSHI-LOW:ライブハウスを作るっていう目的を明確化したのはスゴく大きいと思うんです。

西片:逆に考えると、ライブハウスしか作れなかったんですよ。

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

ー震災がバンドマンに与えた影響はどのように見ています?

TOSHI-LOW:むちゃくちゃふるいが、わかりやすくかけられたんじゃないですか。スゴく威張ってる人が一目散に逃げたり、「何でも言って」って言ってた人が、何か言ったらいきなり連絡を寄こさなくなったり。それが露骨だったので、俺はかえって良かったなと思って。でも、人間って変わるものだし、「今だったらやれる」って言ってくれて、また仲良くなる人もいるので、拒絶してるわけじゃないんです。良い時は誰でも良いわけじゃないですか。でも、やっぱり悪い時とか本当に大変な時に声をかけてくれた人には感謝しますよ。逆に、そこで一生の宝みたいな人たちも増えたので。


西片:東北ライブハウス大作戦の活動を通して得たものの方が多かったと思いますね。40過ぎのおっさんがもう一回成長できたっていう実感もありました。起きなければ良かった震災ではあるんですけど、最悪の状態のところでどう踏ん張れるのか、手探りではあったんですけど、つかめるものはあったと思うんです。そういうことを良い経験としてとらえられる考え方になれたっていうのは大きいですね。

大作戦に関わった重要人物

ー東北ライブハウス大作戦に関わった重要人物も教えていただきたいんですが。

西片:各地の支部長、幡ヶ谷再生大学復興再生部で動いてくれてるゆかりさん、バンド仲間で言うと、細美武士、Kj(降谷建志)とか、新しいつながりがそこで生まれたのもスゴく多いんです。地元で頑張ってくれた人たちは、全く知らない中でのつながりが生まれた人たちで、入れ替わりは多少ありますけど、尽力してくれた人たちはたくさんいますね。

ー2012年には宮古、大船渡、石巻のライブハウスがオープンすることになったわけですが、形になったのは早かったですよね。

西片:早かったですかね。

TOSHI-LOW:ボロカス言う人も多かったですよ。そんな瓦礫だらけの町にライブハウスを作って、何だそれは?みたいな。それはバンドマンの人からも言われたし。「宮古に作って、誰が行けるんだよ?」って。「集客がなかったら俺ら行けないじゃん」みたいなことも言われたし。そもそも行く気がなかったんだろうなってね。2011~2012年の、みんな何かやりたいんだけど、自分は何もできないから、他の人がやってることをネガティブに言う、そういう流れを俺はずっとわかってたから。そこでしか自分を肯定することができなかったんだと思うんです。その人たちも来ればいいのになとは思ってて。でも、実際にその人たちが行くようになると、喜んで行ってくれてるんですよ。

ー2012年8月13日に宮古にKLUB COUNTER ACTION MIYAKOがプレオープンした時、BRAHMANがライブをやりましたね。

TOSHI-LOW:「一番初めに歌うんだ? まっさらなところでマイクを持って歌うんだ? 俺が一発目に声を上げるんだ?」と思ったら、宮古の山本(正徳)市長が挨拶しちゃって。一発目を取られた(笑)。でもそこも含めて最高でしたね。

ー目的を達成できた時、どのような思いでした?

西片:めちゃうれしかったですよ。BRAHMANが立ってくれたのもうれしかったし。でも、目的を達成したというよりも、やっとこれから始まるんだって感じでしたね。だから、その日はうれしさもあったんですけど、プレッシャーも同時にかかってきて。

TOSHI-LOW:どの町もまだ瓦礫があるようなところでのオープンだったので。特に大船渡は、町が壊滅して、何にもないところの真ん中にポツンとライブハウスが出来たので、異様な光景ではあったんです。だから、それを面白く思わない人もいるじゃないですか。金沢にZeppが出来るっていう話でも、ライブハウスが出来ると悪い人が集まるんじゃないかっていう話が出るくらいだし。

宮古「KLUB COUNTER ACTION MIYAKO」

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

2012年8月19日、岩手県宮古市にオープンしたライブハウス。8月13日のプレオープンには、震災前からずっと宮古に通い続けていたBRAHMANが駆けつけた。
住所: 岩手県宮古市大通2-6-11  TEL: 0193-77-4567 http://kcamiyako.s2.weblife.me

大船渡「KESEN ROCK FREAKS」

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

2012年8月18日、LIVEHOUSE FREAKSとしてオープン。2014年11月28日、大船渡駅周辺地区土地区画整理事業の区画内に該当したため、移転を余儀なくされたが、RACCOS BURGER OFUNATO/FREAKSとして、大船渡夢商店街にリニューアル・オープン。2017年4月22日、新たにKESEN ROCK FREAKSとしてグランドオープンした。
住所: 岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前3-2-2410 TEL: 0192-47-5009 http://www.go-freaks.com

石巻「BLUE RESISTANCE」

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

2012年10月30日、宮城県石巻市にオープンしたライブハウス。
住所: 宮城県石巻市立町1-2-17
TEL: 0225-98-5876 http://blueresistance.com

猪苗代野外音楽堂

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦、西片明人とTOSHI-LOWがその歩みを語る

©︎東北ライブハウス大作戦

箭内道彦と共同で始まった東北ライブハウス大作戦 with LIVE 福島。「誰もが使えて、集える野外音楽堂を福島に作る」という目的で、2012年から活動を続け、2015年5月17日に完成したのが猪苗代野外音楽堂。ソーラー光発電により100%自然エネルギーにて稼動できる施設となっている。猪苗代湖、磐梯山を一望でき、猪苗代町のゆったりとした時間を一緒に共有できる場所。

ー何十年前の話をしているんですかね(笑)。

TOSHI-LOW:そういうアップデートできてない人たちがいっぱいいるんです。だからこそ、地域のつながりが大事だと思うんですよ。俺はライブハウスに行政が絡むとは思わなかったんですけど、実際に行政が来てくれたら、そういうネガティブな人たちの意見がコロッと変わるんですよ。市が認めてるのなら大丈夫じゃんって。だからやっていく中で、先輩はそこにトップとして間に入ってるから、気苦労は絶えないし、今からも絶えないと思うんですよ。人がたまったら文句を言われるし、それを解決していかなきゃいけないから。

西片:宮古の市長が来てくれたり、POWER STOCKというイベントを開催できたり、宮古市田老の球場を貸してくれたりっていうのは、スゴく信頼関係を作りながらやってこれたことだと思うんです。大船渡のライブハウスは何回か引っ越しをしてるんですけど、新しい町作りの中に誘致してもらったんです。是非入ってほしいと言われて、役所に何度も行ったんです。人が集まってつながる場所を作ろうと思ってる人間が、地域とのつながりをないがしろにしてたらしょうがないので。

TOSHI-LOW:気に食わないのが、俺らが初めに行っても動かなかったのが、MAN WITH A MISSIONのトーキョータナカが行ったらコロッと動くんですよ。やっぱり人気バンドはスゲエなって(笑)。でもまあタナカはスゴいですよ。ガンガン大きなものを動かすのが得意なので。

「続けなきゃ終わっちゃうんですよ」

ー2019年の今、何かが変わったという感触はありますか?

TOSHI-LOW:バンドで飯を食ってくことと一緒で、夢が叶ったって思っちゃうと、そこで終わりじゃないですか。満足するのってどこがMAXなのかわからないですよね。自分の中での達成感とか、スタジアムを満員にしたとか、金を持って満足しちゃうとか、女をはべらかして満足しちゃうとか、こっちからすればクソつまんないことで大体終わるじゃないですか。東北ライブハウス大作戦がそれとは一つ違うのは、やっぱり続けるという命題を持ってる人たちが、あんな人口もいない田舎町にライブ・バンドが来て、そのハコを継続しなきゃいけないっていうのを、一生やらなきゃいけないからなんです。だって、続けなきゃ終わっちゃうんですよ。難しいことなんですけど、そこをみんなが共有してるのはスゴい。だからと言って、ライブハウスが上手く回ってるかって言ったら、今だって月に何本かしか入ってないんですよ。だから、これを読んだバンドマンがいたら、是非来てほしいですよね。「行きますよ」って言ったまま今も行ってないバンドもいるので、心当たりがあるヤツは是非行ってもらいたいですね。俺は全部その人たちを覚えてるから(笑)。

ーライブハウスには地元のバンドも出演していますよね。地元のシーンの活性化にはつながりました?

TOSHI-LOW:この前の盛岡で、大船渡のライブハウスで育ったバンド、FUNNY THINKが対バンで。そういう当時中学生に毛が生えたようなバンドが大人になって全国を回れるようなバンドになれば、本当に一つは成し遂げたなと思いますね。

西片:この前、NAMBA69が3地域でライブをやった時も、3地域ともあえて地元のバンドを対バンにしましたね。震災から8年経って、まだ来てくれないのかじゃなくて、いつでも来てほしいんですよ。被災地のライブハウスに行くことに対して、被災した方たちのためにとか、それを逃すと行くタイミングがないとか、そんな風に言われたこともあるんです。でも、お客さんを連れていってあげればいいんですよ。そこで泊まって、飲み食いしてくれれば、その町の活性化につながると思うので。俺らが作りたかったのは、毎日その町にあるライブハウスなんですよ。いつか「震災があった町」っていう理由づけがなくなるくらいのライブハウスになれればいいなと思います。「何で行くの?」って聞かれた時に、「震災があったライブハウスだから」っていう答えじゃなくて、「いや、ライブハウスがあるから」って普通に答えられるようなところまで続けていきたいです。

東北ライブハウス大作戦
http://www.livehouse-daisakusen.com

西片明人
ライブ・サウンド・エンジニア。SPC peak performance代表。東北ライブハウス大作戦本部長。幡ヶ谷再生大学一期生。1968年新潟県生まれ。専門学校在学中から新宿ロフトでPAとして働き始め、28歳の時に独立。Hi-STANDARDの専属PAを皮切りに、これまでTHE BARRETT、BRAHMAN、HUSKING BEE、BEAT CRUSADERSなど多くのバンドを担当。2000年、SPC peak performanceを設立。年間200本以上のライブ現場を取り仕切りながら、「人と人を繋げる」をテーマに、現在も精力的に活動中。
Twitter: @SPC_nishikata

TOSHI-LOW
BRAHMANのヴォーカリストであり、OAUのギター・ヴォーカル。東日本大震災以降、迅速な決断と行動によって多くのアーティストに影響を与え、各地で起こる災害への支援を行い、現在もヒューマニズムあふれる支援活動を継続している。BRAHMANとして、2018年にアルバム『梵唄 –bonbai-』を発表し、単独では初の日本武道館公演を行った。OAUとしては、2019年9月4日にアルバム『OAU』をリリース、2019年5月には書籍『鬼弁~強面パンクロッカーの弁当奮闘記~』が発売された。
http://www.tc-tc.com
編集部おすすめ