「FUJI ROCK FESTIVAL '23」で初日・7月28日(金)のヘッドライナーを務めるザ・ストロークス。彼らの歩みを振り返るべく、ローリングストーン誌2003年11月13日号のカバーストーリーを全文お届けする。
2作目『ルーム・オン・ファイア』を作り上げ、ビールを求めて夜明け前のニューヨークの街をうろつくロックンロールの救世主たち。バンドのその後を知る今だからこそ、なおさら味わい深い内容となっている。

21時に到着予定だった彼は、午前0時をとうに過ぎてからやってきた。その埋め合わせをするかのように、彼は以降7時間45分にわたって筆者と行動を共にすることになる。それは彼が筆者のことを気に入った、あるいは気に食わなかったからではなく、彼のいつものノリに筆者が付き合うことになっただけだ。ジュリアン・カサブランカスはロックスターになっていなければ、優しい心を持った近所の酔っ払いに過ぎなかったに違いない。

ニューヨークが生んだクールでレトロなロックの救世主、ザ・ストロークスのリードシンガーである彼は、無意味な発言を連発することで知られている。一晩中たわごとを話し続ける彼は、同じ内容を15分間繰り返したかと思えば、脈絡を見失ってまた冒頭から始めようとする。彼はどこかに向かっているわけではなく、ただその瞬間を生きているのだろう。携帯やコンピューターはおろか、彼は腕時計さえ持っていない。それでも、彼が他人を思いやれる人間であることだけは確かだ。

「ヘロインをやるのは、テロリストとつるむようなもんだ」鼻から薬物を吸引し始めた友人に、彼はそう言った。
わずか数インチの距離にまで顔を近づけ、呂律が怪しいながらも熱のこもった口調で、カサブランカスはその友人を20分間にわたって説教した。「パーティーにテロリストを連れて行くようなもんだ」彼はそう続ける。「それがいつ爆発するとも限らないんだぜ」

カサブランカスはポケットにU.S. GARBAGE COMPANYのプリントがあるグリーンのワークシャツと、色あせた黒いパンツを身につけている。そのシャツは彼のルームメイトであり、ストロークスのギタリストであるアルバート・ハモンドJrのものだ。手首には色の異なる3つのリストバンドが巻かれたままになっており、1つは先週行われたキングス・オブ・レオンのコンサート用、もう1つは2週間前に開催されたストゥージズのライブ時のもの、そして最後の1つはしばらく前に行われたザ・ヴァインズのショーのものだ。

その翌週、筆者はほぼ毎日カサブランカスに会うことになる。着ている服も手首のリストバンドもそのままだったが、下着と靴下だけはちゃんと交換していると彼は主張した。肉体関係はないという女性に毎晩介抱されていた彼は、ストリップクラブや夜驚症、そしてプリングルスが嫌いな理由について延々と話し続けた。しかし肝心のインタビューは、筆者が過去に経験したことのないほどお粗末なものとなった。それはわずか7分で終了した。

ガレージロックに留まらない音楽性

ザ・ストロークスは単なるバンドではない。自分たちが望む望まざるにかかわらず、彼らは何かを象徴する存在だ。
90年代初頭にニルヴァーナがグランジシーンの顔となったように、ストロークスはいわゆるガレージロック・リバイバルにおける主役となった。そしてニルヴァーナと同様に、ストロークスは高級ブランドのデザイナーたちから寵愛されている。それは真摯さの喪失の兆候に他ならない。

実際には、ストロークスはどんなシーンにも属していない。なぜなら彼らは、シーンの住人たちと何の交流も持っていないからだ。バンドのドラマーでアーティストであり、洞察力に優れたファブ・モレッティ曰く、ストロークスは当初ニューヨークのバンドマンたちが積極的に交流し、一緒に酒を飲んだり互いのライブに足を運んだりするようなシーンを作り上げようとしていたという。「でも当時のニューヨークはバンド同士の競争意識が強すぎて、誰もそんな風にオープンじゃなかったんだ」

ガレージロックと括られがちなストロークスだが、2ndアルバム『ルーム・オン・ファイア』においては、ストゥージズやトロッグス等のバンドとの接点は皆無だ。ハモンドによると「オートマチック・ストップ」のレゲエ風ギターは、シンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」を意識しているという。カサブランカスは「ジ・エンド・ハズ・ノー・エンド」での高音ギターのトーンを、ガンズ・アンド・ローゼズの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」になぞらえている。一方で、ギタリストのニック・ヴァレンシはゴスに傾倒しているという。「1枚目のアルバム曲のベースラインの中には、モロにキュアーをパクってるやつもある」彼はそう話す。「あのアルバムを出すべきかどうか迷ったよ。
捕まっちまうんじゃないかってビビってたからさ」

ストロークスの代名詞とも言えるブギービートについて、ヴァレンシはこう語っている。「最初のうちは安っぽいダンスを誘発しそうな曲を書こうとしてた。『The Fresh Prince』のカールトンダンスとか、『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』に出てくるダンスみたいなやつをね」

ストロークス結成のきっかけは、クリスマスにベーシストのニコライ・フレイチュアの兄ピエールが、高校生だったカサブランカスにヴェルヴェット・アンダーグラウンドのCDをプレゼントしたことだった。普段からつるんでいたフレイチュア、カサブランカス、ヴァレンシ、モレッティの4人は、その音楽に啓示のようなものを感じ取った。カサブランカス曰く、ストロークス結成時の目標はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような音楽性で大衆性を獲得することだったという。「クールで非メインストリームだけどすごく人気がある、そういうバンドにしたかったんだ」

「ビッグで人気のあるバンドは、なぜ揃いも揃ってダサいのか?」彼はそう付け加える。「俺にはそれが理解できないし、そのセオリーを覆したいんだよ」

ジュリアン・カサブランカスは敏感になっている

ストロークスが最初のEPをレコーディングした地下スタジオの向かいにあるイーストビレッジのバー2Aで、カサブランカスはNestorという巨漢のプエルトリコ人の旧友と出くわした。

「俺らがどんな風に知り合ったか、覚えてないだろ」Nestorはそう話す。

カサブランカスは素直にそう認めた。

「とあるスパにいた時に、ジュリアンが近づいてきていきなりこう言ったんだ。『お前が女なら今すぐキスするんだけどな』」Nestorはそう話す。「思わずのけぞったよ。
それから彼がストロークスってバンドをやってて、Mercury Loungeでのライブに来てくれたら俺たちは一生の友達になるって言われたんだ。当時は誰も彼らのことを知らなかったけど、俺は行ってみることにした。でも会場のエアコンが壊れてて死ぬほど暑かったから、俺は3曲だけ聴いて外に出た。その後Cherry Tavernで彼を見かけて、ライブを見たよって言ったら酒を奢ってくれた」

通りを歩いていたカサブランカスは、レディオヘッドやベック、ニルヴァーナ等のブートレグCDを売り歩いている年配のアジア人女性とすれ違った。

「いくら?」カサブランカスは訊いた。

「1枚5ドル」女性はそう答えた。

「1ドルなら買うよ」彼はそう申し出たが、その女性は取引に応じなかった。

カサブランカスが持っているCDは、ボブ・マーリーのボックスセットの一部(『コンフロンテイション』と『アップライジング』)、そして『エッセンシャル・ジョニー・キャッシュ』のわずか3枚だ。

「あのレディオヘッドのCD、3ドルなら買ってたんだけどな」女性が去った後にカサブランカスはそう言った。「でもそしたら君が記事にして、俺がどっかのバックステージで彼らと会った時に、そのことを指摘されたりするんだろうな」

カサブランカスはメディアに対して敏感になっている。彼は頻繁に、自身の発言が雑誌のヘッドラインを飾り、それを撤回しようとする事態を妄想してしまうという。彼はニール・ヤングの声をけなし、直後にそれを撤回してこう言った。
「別にニール・ヤングが嫌いなわけじゃないんだ」。癖みたいなものかという筆者の問いに、彼はこう答えた。「バンドマンはいつもステージ衣装について考えなきゃいけないだろ?」彼はさらに続ける。「俺たちは最近、ステージ上では各自が着たいものを着るって決めたから、もうそういうことを気にする必要はない。俺は口を開くときも同じスタンスにしてるんだ。相手が誰であれ、常にインタビューを受けてるつもりで話してるんだよ」

しかし時間とビールが進むにつれて、そのスタンスは崩れていく。彼の発言は支離滅裂になり、ジョークは毒を増していく。頭の回転が早いがゆえに、彼がまったりとした口調で発する周囲を引かせるようなコメントは余計に笑いを誘う。

今夜のパートナーである女性2人の耳が届かないところで、彼は最近初めてストリップクラブに行ったこと、そしてそれが嫌になったことを明かした。初めて目にするラップダンスに衝撃を受けた彼は、自宅に帰るやいなや2回マスターベーションしたという。

彼がその時のことについて話していた時、ジュークボックスからはサム・クックのソウルフルな「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が流れ始め、パートナーの女性たちを喜ばせた。カサブランカスは一旦口を閉ざし、しばらくしてからこう言った。
「この曲を聴くと、いつもフラストレーションを感じるんだ」

その理由について尋ねると、彼はこう答えた。「どんなにあがいても、俺は彼のようには歌えないからさ」女性の1人が彼に、歌のレッスンを受けようと思ったことはないのかと尋ねた。

アルバート・ハモンドJrのしたたかさと野心

翌日の午後、筆者はイーストビレッジのタワーレコードでハモンドと会った。数日間放置しているであろう無精ひげを蓄えた彼は、裏返し状態のTシャツの上にピンストライプの古着のコートを羽織っている。毎晩同じものを着ているのは彼も同じだった。昨年強盗にCDコレクションを盗まれた彼は、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』、マグネティック・フィールズの『69 Love Songs』、そしてガイデッド・バイ・ヴォイシズのアルバム3枚を買い直した。フレイチュア曰く、メインストリームではなくとも活動を続けられるだけの金を稼ぎ、長いキャリアを通じて数多くのアルバムを発表し続けているGBVは、ストロークスにとって模範的な存在だという。

ハモンドは買ったばかりのCDを聴くのが待ち遠しい様子だ。「AVを買い込んで、ヌキたくてたまらなくなってるみたいな感じさ」彼は賢者のような口調でそう言った。

次に訪れたOther Musicでは、オーストラリアの若者4人によるガレージロックバンド、ジェットのCDが陳列されていた。「こいつらの曲を聴くと音楽をやめたくなるよ」ハモンドはそう話す。見た目はいかにもフェイクでオリジナリティは皆無、曲は全部似ていてアルバムは過大評価されている、それが彼の見方だった。だが実のところ、ストロークスは過去に全く同じ批判を浴びている。

「世間が俺たちのことをコケにしたがるのは理解できるよ」ハモンドはそう話す。「インタビューとかを読むと、俺たちが変に気取ったやつらとして映ると思うんだ。でも俺たちに会ったことがある人々は、それが事実じゃないことを知ってる。俺は他人に対して優しくありたいと思ってるし、思いやりのある人間であろうとしてる」

だが世間が本当に知るべきなのは、ストロークスというバンド、特にカサブランカスとハモンドの2人がいかにシリアスで、音楽に情熱を傾けているかということだ(バンド結成当初、ハモンドはライブのブッキングを自身でこなしていた他、過去に使ったPaul Spencerという偽名を用い、バンドのマネージャーとしてレーベルの重役たちとコンタクトをとっていた)。物腰が柔らかく笑顔を絶やさないハモンドだが、彼はしたたかさと野心を隠し持っている。

ストロークスのファッショナブルなイメージは彼によるところが大きい。バンドを結成する前からミュージシャンらしい服装をしていた彼は、出演者のふりをして度々コンサート会場に潜り込んでいた。またボックスオフィスの受付と20分に渡って口論し、Ticketmasterでチケットを買ったと言い張ることで(事実ではなかった)、ソールドアウトのウィーザーのライブを堪能したこともあるという。まさに羊の皮をかぶった狼だ。そして今、彼は腹を空かせていた。

「俺のランチは常に2択なんだ」彼はそう話す。「ブレックファーストかスシ、そのどっちかさ」

彼はお気に入りのレストランの電話番号をすべて、携帯のスピードダイヤルに登録している。「電話番号案内で照会してもらった番号は、全部スピードダイヤルに登録してるんだ」彼はそう話す。「あのサービスは1回につき1ドルくらいかかるからね」。彼はBlue Ribbonで寿司を食べることに決めた。彼が席に着いた直後、手元の携帯が鳴った。相手が母親であることを確認した彼は、それを無視することに決めたようだった。

「俺は親不孝者さ」彼はそう話す。「俺からはあんまり電話しないんだ。母さんはしょっちゅう電話してきて『愛してるわ』なんて言うんだけど、俺は『わかったわかった、忙しいから切るよ』みたいな感じであしらってる。ツアーから帰ってきて彼女が家に来てる時に、誰も母親に電話をかけようとなんて思わないだろ?」

ハモンドは洗礼を受けた監督派教会員だが、1年半前に非公式にユダヤ教に改宗し、バンドメンバーのヴァレンシと同じユダヤ教徒になった。「ロスで自分がユダヤ教徒だって初めて主張した時のことはよく覚えてる」ハモンドはそう話す。「俺は相手の男に壁際に連れていかれて、それまで知らなかった世界を発見した。夜には女もあてがってもらったよ」

ファブリツィオ・モレッティの素顔

食事を済ませると、我々は一流ホテル60 Thompsonに向かった。そこのペントハウスのスウィートで、ストロークスは世界各国のジャーナリストたちを前に記者会見を行った。会場ではドイツ人の記者がモレッティとフレイチュアに、「今作と前作の違いは?」等の質問を投げかけている。フレイチュアに後は任せると言わんばかりに、モレッティは質問の途中で席を立った。「ただのアホだな」モレッティはそう言った。

外の階段に腰掛けると、モレッティは物憂げな様子で筆者の質問に答えていった。ガールフレンドのドリュー・バリモアが出演する『The Tonight Show With Jay Leno』を観るからという理由で、タイムリミットは午後11時30分と決められていた。筆者と話している間、彼は膝の上に置いた手で絶え間なくビートを刻み続けていた。考えと発言にリズムを持たせようとすると、いつも手が勝手に動き出すのだという。「あらゆる行為にはカデンツがあるんだよ」彼はそう話し、通りを歩く人々の足元を指差す。「みんな歩きながらビートを刻んでる。ワン・ツー、ワン・ツーって感じでさ。心臓の鼓動だってそうだ。どんなステップにもリズムがあるのさ」

彼が指でリズムを刻むのを嫌がる人も多いという。「友達、彼女、家族、みんなに嫌がられるよ」彼はそう話す。「うるせえんだよこのクソ野郎とか言われる」。元気が有り余っていた高校生の頃、初対面で彼のことを「ちょっとウザい」と感じていたカサブランカスから、自分がそばにいるときは口をつぐむように言われたという。しかし現在のモレッティは、メンバーの中でも穏やかで知的な存在というイメージだ。

取材を終えたモレッティは、『Leno』を観るためにイーストビレッジにあるバンドのオフィスに向かった。一方、Ricky Skaggsのシャツを着たシャイで気ままなフレイチュアはオフィスにやってくるなり、ギャラガとGolden Teeのアーケードゲームのそばにあるソファの上に倒れこんだ。カサブランカスは小中高の各私立学校で、後のバンドメンバーたちと出会った。バンドが本気で成功を目指すようになった頃、フレイチュアはクリスマスに祖母からプレゼントされたベースを真剣に練習し始め、当初はブラーやジャクソン5の曲を弾いていたという。彼はクラスメイトたちとは異なり、両親と兄、兄のガールフレンド、そして義理の妹と一緒に、2Kの小さなアパートで暮らしていた。彼は現在もそこに住んでいるが、今同居しているのは兄だけだ。父親はMacysのセキュリティマネージャーだったが、ある出来事で大恥をかいてしまう。その出来事とは、自分の店でルーク・スカイウォーカーの人形を盗もうとした息子のニコライを捕まえたことだった。

ソファに腰掛けたモレッティは、チャンネルを『Leno』に合わせるとボリュームを上げた。バリモアと付き合う上で苦労していることのひとつは、テレビで彼女が誰かとキスをするのを見なくてはいけないことだという。1年以上前にあるコンサートのバックステージで出会った2人は、最近イーストビレッジにアパートを購入した。画面に彼女が映ると、モレッティはもう夢中になっているようだった。「あのブレスレットは母親からもらったんだってさ」彼はそう話す。「ネックレスをあげたのは俺だけどね」

オフィスの外に1台の車が到着した。運転手はバリモアを空港に迎えに行くモレッティを拾いに来たのだが、彼は同番組を最後まで見届けようとした。画面のバリモアはレノに幾つか写真を見せており、そのうちの2枚はモレッティの写真だった。彼女は彼の名前を出したが、ストロークスには触れなかった。自分のことについて話すのが安っぽくて退屈だと思っているのかもしれないと、モレッティは不安げな様子だった。

「プライベートでも彼女はあんな感じさ」モレッティはそう話す。「いつもすごくポジティブで明るい。それが彼女の第一印象だった」

※編注:ファブリツィオ・モレッティとドリュー・バリモアは2007年に破局している。

ナイジェル・ゴッドリッチに関する質問

モレッティが空港に向かった後、筆者は2Aでハモンドとカサブランカスと合流した。カサブランカスは機嫌が悪く、どれだけプリングルスが嫌いかということについてまた熱弁をふるっていた。ハモンドは今Catherine Pierce(カントリー調ポップの姉妹デュオ、ザ・ピアーシズの片方)と付き合っているが、今夜は男友達とつるむことに決めているようだった。その晩の別れ間際、彼は自分の靴が見当たらないと地上に出る階段の前でぼやいていたが、彼は既に靴を履いていた。(カサブランカスはこう言った。「はっきりさせておくけど、俺たちは誰もドラッグはやらない。母さん、本当だからね」)

午前5時30分、筆者がバーを後にした1時間後、ハモンドが電話をかけてきて皆の居場所を知らないかと訊く。彼はまだ飲み足りない様子だった。その日の午後12時20分、彼は再び電話をかけてきた。

ハモンド:今朝電話くれた?

筆者:いや、かけてきたのは君だよ。覚えてないの?

ハモンド:そっか、ならいいんだ。気分はどうだい?

筆者:悪くないよ。君は?

ハモンド:あんなに飲み歩いたのは久々だよ。鬱憤が溜まってたんだな。

筆者:楽しんだみたいでよかったよ。

ハモンド:まぁね。パーティし過ぎて耳が痛いよ。

翌日の夜、イーストサイドにある隠れ家風のバー19th Holeで、カサブランカスにインタビューを行った。彼の服装は先日とまったく同じだった。その日『ルーム・オン・ファイア』のアートワークについてRCAと議論した後、記者会見での取材に応じていた彼は既に疲れていた。彼は自信たっぷりの様子で、「ナイジェル・ゴッドリッチに関する質問」に対する回答をついに考えついたと宣言した。当初バンドは、レディオヘッドとの仕事で知られるゴッドリッチを本作のプロデューサーに迎えていたが、両者のやり方は相容れなかった。どんどん先に進んでいこうとするゴッドリッチに対し、バンドは1音1音にじっくりと磨きをかけようとした。結果的に、バンドはデビュー作『イズ・ディス・イット』をプロデュースしたゴードン・ラファエルを呼び戻し、わずか2カ月でアルバムを完成させた。方向性は前作と大きくは変わらないが、スタジオ作業の経験を積んだバンドのよりタイトで洗練された楽曲の数々は、前作を擦り切れるほど聴いたファンたちの欲求を満たしてくれるだろう。

ゴッドリッチに関する質問に対する回答について尋ねると、カサブランカスはインタビューが始まったら教えると言った。はやる気持ちを抑えつつ、筆者はテープレコーダーの録音ボタンを押した。それが史上最低のインタビューの始まりだった。

「史上最低」の一部始終

話が脱線するのはカサブランカスの癖だが、しばらく付き合いを続けていれば、彼があらゆる物事に並々ならない注意を払っていることが分かるはずだ。筆者は彼にそう伝えた。

「それは君の意見だ」まるで自分を擁護するかのように、彼はそう話す。「俺は自分の視点でしか自分を見れない。言い換えれば、他人が自分をどう見ているかは知る由もないってことさ。俺はただいい奴であろうとしてるんだけど、どうもうまくいかないんだよな」

そう言うと、カサブランカスはテープレコーダーのスイッチを切った。彼を見ると、カサブランカスも見つめ返してきた。筆者は再びレコーダーのスイッチを入れ、より易しい質問から始めることにした。

筆者:さっき話していたナイジェル・ゴッドリッチの質問に対する回答というのは?

カサブランカス:くたばれ。その質問に答える気はない。

筆者:何だって?

カサブランカス:次の質問。

筆者:はっきり言って、これは……。

カサブランカス:史上最低のインタビューってか?

彼は爪の汚れた手で、再び録音停止ボタンを押した。彼は座ったまま体を左右に揺らしながら、筆者の顔をじっと見つめている。インタビューは中止し、テープレコーダーのスイッチを入れた上で普通の会話をしようという筆者の提案を、カサブランカスは拒否した。

「深みのあることなんて何も言えないからさ」彼はそう話す。

深みのある発言を期待してはいない、筆者は彼にそう伝えた。

「隠すことは何もない」彼はそう話す。「さっき何を言ったのかもう覚えてないけど、俺が言わんとしたのは、やるべきことが死ぬほどあるのに時間がまったく足りないってことだ。でもって俺が言うべきことは、このローリングストーンのインタビューには使わせない」

彼は多くの人が神と呼ぶ、目には見えない大きな力の存在を信じており、それが今は何も口にするなと彼に呼びかけているのだという。彼が口を開くのは、ストロークスが「誰にも否定できない」何かを成し遂げ、全世界が彼らを認めた時だ。

「俺はただ、何か意味のある発言ができるくらいの存在になりたいんだよ。ちなみに、それは言葉じゃないぜ。俺はそういう未来の到来を心待ちにしていて、うんたらかんたら…」

数分後、カサブランカスはビールグラスを手に取り、その4分の3を一口で飲んでから叩きつけるようにテーブルに置くと、そばにあったGolden Teeのアーケードゲームに向かった。彼は振り向いて店内を見渡しながら、ろれつの怪しい口調でこう言った。「誰か一緒にGolden Teeをやらないか?」

誰からも返事はなく、彼は4分後にテーブルに戻ってきた。「Golden Teeは酔ってる時にやるもんじゃないな」彼はそう口にした。

そして彼は筆者の膝の上に座り、首筋に7回キスをした。口にキスしようとする彼を筆者は2度交わしたが、1度は互いの唇が触れた。筆者が口元を拭いている間、彼はふらふらと外に出て、放置されていた車椅子に乗って帰路に着こうとしていた。

ジュリアン・カサブランカスのアルコール依存

翌日の夜、筆者はGramercy Dinerで再びカサブランカスに会った。昨日のような失態は繰り返さないと話す彼の目は、明らかに睡眠不足で充血している。「俺は夜驚症気味なんだ」カサブランカスはそう話す。「何でもいいからゾッとするような状況を想像してみてくれ。俺はそれを日常的に経験してるんだ。夢の中で23通りの方法で死んだこともある」

彼は改めて昨夜の失態について詫びた。酔っていたのだという。

筆者:周囲の人はあなたの酒癖の悪さについて心配したり、酒をやめさせようとしないのですか?

カサブランカス:いいや。度を過ぎると俺が自発的にやめるってことを、周りの奴らはみんな知ってるんだろうな。

筆者:度が過ぎているかどうか、どう判断しているのですか?

カサブランカス:アルバムを作ってた時は、5カ月くらい禁酒してたよ。

筆者:どういった方法で?

カサブランカス:酒が自分のパフォーマンスに深刻な影響を及ぼし始めてるって気付いたんだよ。このままじゃ二日酔いでまともに歌えなくなるだろうと思った。酒を控えようとすると精神面がやられちまうから、結局また飲んじまう。二日酔いの時って、ネガティブ思考が止まらなくなるんだよ。で結局、「飲まずにやってられっか」ってなっちまうんだ。飲んでる間だけは気分が良くなるからね。

筆者:周囲の人々の反応はどうでしたか?

カサブランカス:ガールフレンドは去り、母親に怒鳴られた。でもそれが音楽に悪影響を及ぼしてるって自覚した時に、これはダメだって思ったんだ。

筆者:初めてやらかしたのはいつ?

カサブランカス:多分10歳の時のディナーパーティーだな。テーブルの上にいろんな酒があって、俺はそれを片っ端から飲んでった。「何これ? すごい気に入った」とか言いながらね。体がそれを求めるのがわかったんだ。人生ってバラ色だなって思ったよ。

「ロクでもないところも含めて愛してるよ」

タバコで一服入れた後、カサブランカスはビールとジャック&チェダーチーズとベーコンを注文し、我々はその後約3時間にわたって話した。彼は学生時代にベルトルト・ブレヒトの『コーカサスの白墨の輪』で役を演じて表彰されたこと、高校を2年で中退したこと、ニルヴァーナとパール・ジャムにインスパイアされて音楽を始めたことなどを語ってくれた。「あの時の興奮は言葉にできないよ」彼はパール・ジャムの「Yellow Ledbetter」を初めて聴いた時のことについてそう話す。「初めて酒を飲んだ時と同じくらい衝撃を受けた」

彼はもしミュージシャンになっていなければ、自分が「作家になることを夢見るバーテンダー」になっていただろうと推測する。

その夜のカサブランカスは前日とはまるで別人であり、どんな質問にも答えてくれた。唯一のタブーはElite Modelsの創設者である父親、ジョン・カサブランカスのことだ。両親はジュリアンが9歳の時に離婚している。父親とは今でも会っているが、彼は自分の様々な悪癖、特に女グセの悪さは父親譲りだと考えている。父親から教わった雄牛の集団についてのジョークを、ジュリアンは今でも覚えている。ある雄牛は日に10回セックスできると自慢し、別の雄牛は日に20回できると豪語し、また別の雄牛は日に50回できると主張した。するとまた別の雄牛がこう言った。「相手の雌牛が同じじゃないならの話だがね」

「全然面白くないよな」カサブランカスはそう話す。「でも言わんとすることはわかる」

「こないだ親父に言ったんだ」カサブランカスはそう話す。「いろんな欠陥やロクでもないところも含めて愛してるよってね」

※編注:ジョン・カサブランカスは2013年に70歳で死去

その時筆者の携帯が鳴った。相手はハモンドで、カサブランカスと話したいという。携帯を持っていないシンガーを捕まえるには、このやり方が一番なのだろう。2人は今夜、映画『フレッチ/殺人方程式』を一緒に観る予定だという。

以前ストロークスは、メンバーの大半が同じ屋根の下で暮らしていた。しかし1人また1人と、他所に移ったり彼女の家に転がり込んでいった。現在シングルなのは、メンバーの中でカサブランカスだけだ。外では激しい雨が降っていたが、カサブランカスは傘もささずに歩き始め、わずか数秒のうちにびしょ濡れになっていた。彼の姿が見えなくなると、筆者はテーブル上に残されたものに目をやった。食べかけのサンドイッチ、空になったいくつかのビールグラス、空のタバコの箱、そしてくしゃくしゃに丸められた1枚の紙。広げてみると、それはWalgreenで2.99ドルの買い物をした時のレシートだった。今日付のそのレシートに打たれていた品はただひとつ、ラージサイズのプリングルスだった。

ザ・ストロークスが「ロックの救世主」と謳われた、2003年の1万字秘蔵インタビュー

FUJI ROCK FESTIVAL '23
2023年7月28日(金)29日(土)30日(日):新潟県 湯沢町 苗場スキー場
※ザ・ストロークスは7月28日(金)出演
公式サイト:https://www.fujirockfestival.com/
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