―Buzz72+はどのようにして結成されたんでしょう?
松隈ケンタ(以下、松隈):2000年に僕とドラムの轟(タカシ)がBuzz72+の原型を始めて、途中からハル(井上マサハル)とベースのノリ(北島ノリヒロ)が加入する形で始まりました。それまで色々なボーカルとやってきた中で、曲を表現して歌えるボーカルが必要だなって感じていて。よく一緒に対バンして仲の良かったハルが当時の福岡で最強だなと思って、彼を誘いましたね。
―松隈さんは元々Buzz72+をどういうバンドにしたかったんですか?
松隈:昔から一貫してJ-POPをやりたかったんですよ。最初に憧れたのはZIGGYで、JUDY AND MARYやTHE YELLOW MONKEY、GLAYも聴いていました。あとは当時cuneというバンドが特に俺たちの目指すところにしっくりきましたね。最近はマニアックなことをしたい若いバンドが多い気がするんですが、彼らはポップスを大事にしているロックバンド、王道のJ-POPをロックでやっている感覚があったんです。
井上マサハル(以下、井上):松隈の作ろうとする音楽ってコアなところにはいかない、かっこよさよりも良い曲にするためのアレンジを重視している気がします。
ー井上さんはハードロックがお好きですよね。松隈さんの書くJ-POP的で分かりやすいメロディを歌うってどんな感覚だったんでしょう?
井上:昔からカッコいい音楽に憧れていていたので、松隈がやっていたポップな要素に対しても、もっとカッコよければ良いんじゃないかなって思っていました。でも、楽器をかじっていない人にストンと入ってくる心地良さもあって。13年ぶりにもう一回聴き直すと、シンプルで良い、かっこいいよりも染みる良い曲だなって思うんです。一方、僕はハードロックの背景もあるので、同じメロディを歌っていても根本にあるものが全然違うじゃないですか。だから今回のミニアルバムでは、ちゃんと僕らが同じもの、グルーヴを感じているのかという部分を話し合いながら歌えたのがすごく面白かったです。
ー松隈さんは当時、どのように楽曲制作をしていたんですか?
松隈:パソコンがなかったので、MTRを使っていましたね。我々の曲作りは当時から一緒で、演奏陣がスタジオでトラックを作って渡したり。逆に4人でセッションして好きに出した音から、俺がトラックを作ってメロディを入れたりもします。俺がアコギを弾きながら歌った曲を渡すことはあまりないですね。
井上:当時と今で変わっていないのは、ドラムから作るっていうことですね。
松隈:皆も完成形が見えないまま弾いて、俺が違う! って言うけど、何が違うかも分かんない(笑)。ベースとドラムだけだし。その後、俺がギターと歌を入れてきて皆がやっと完成形を分かるっていう。
ー当時から今のソングライティングとプロデュース哲学の原型があったんですね。
松隈:似ている感じはあります。ただ当時は歌に関して修正する技術も機材もなく、リファレンスを伝える術も弱かった。ハルは勿論ボーカリストの哲学があって、一方の僕は作曲的に歌を考えていたので、そこも噛み合っていなかった。スティーブン・タイラーっぽく歌ってとか言うとハルはすぐできるんでしょうけど、僕は例えば、ドとミをしっかり繰り返してっていう伝え方をするので。
井上;全体像が見えた上での松隈のディレクションと、歌しか見えていない自分の癖のぶつかり合いは当時あったと思います。今はちゃんとしっかり訊いて、伝え方も上手になっていますね。
―Buzz72+は2002年に福岡で結成されましたが、当時はGOING STEADYなど清純パンクのジャンルが盛り上がっていた時期でした。
松隈:福岡って面白いんですよ。インディーズバンドの中でもちゃんと売れている人がライブをしに来る場所で。東京に来てから思ったのは、バンドが多すぎてどれが売れているのかよく分からないんです。その点、福岡に来れるバンドってだいぶ頑張っているんですよ。名前は有名でも福岡で全く集客がない人もいるし、名前は売れていないけど集客のあるバンドもいて、そこがハッキリ見える。
―シーンの音楽性としてはどうでしたか?
松隈:ジャンルで分かれていないんです。俺たち下北沢系、BUMP OF CHICKENみたいなもんだと真面目に思っていたくらいで(笑)。東京に来たら福岡っぽいねって言われて驚きました。九州はジャンルが雑多に混ざっていて、当時はメロコア・ヴィジュアル系・その他くらいの分類でした。ライブハウスもそんなに種類がないので、ある会場でヴィジュアル系のイベントがあったら、翌日にメロコア系のイベントがあったりもしましたね。
井上:僕も松隈と出会う前にSIAM SHADEみたいなバンドをやっていましたしね。ヴィジュアル系とメロコアが一緒のイベントに出ていたので、割と交流はありました。
松隈:今考えたら異常ですよ。僕らはフラワーカンパニーズとも対バンするし、ツアーで来たELLEGARDENやACIDMANともやる。dust boxとかLAST ALLIANCEもいた。だからこそ幅が広かった。ジャンルレスでたくさん吸収できたことと、めんたいロックのレジェンド達とも対バンをして、我々のジャンルは出来上がってきたんですよ。
ー松隈さんはアイドルの楽曲プロデュースだったら、オーダーに合う曲を考えると思いますが、Buzz72+だと自分の中から出てくる衝動や感情を曲にするじゃないですか。当時はどういう時にインスピレーションを得ていたのでしょうか?
松隈:当時は毎週のようにライブがあったんです。さっき挙げたようなバンドがツアーで福岡に来た時も一緒にやって、その都度、彼らの演奏を観て刺激を受けていましたね。毎週新しい音楽に触れている感覚はあって、そこからインスピレーションは感じていたと思います。そういう全国を回れるバンドは地元のバンドとはやっぱり違うんですよ。例えば、東京から来るバンドのリハを見て、「あんなヘンテコなベースの音で大丈夫か?」って思ったんですけど、バンドで一気にドーンと音を出すと音が塊で来る。
ー福岡での活動のあとは、上京してメジャーデビューを果たしました。地元への恩返しや地元の音楽シーンを引っ張っていこうという意識もあったんですか?
松隈:福岡は特殊で、地元愛が強いくせに上京志向が強い地域なんですよ。地元で音楽を盛り上げようとせず、東京に行くっていう思考なんですよね。実際、昔から東京で活躍する福岡出身のスターがたくさんいるし。
―武田鉄矢さんとかチェッカーズも福岡出身ですよね。
松隈:地元でちょっと頑張っても大して評価されず、やっぱり東京行ってなんぼみたいなこともあって。帰ってくる=売れずに帰ってきたと思われて、ちょっとダサく見えちゃう感じがあった。僕はそれが寂しいなと思っていたんですけど、僕の今の形なら帰っても自然だし、全盛期で帰りたい想いはあったので、僕個人のイメージ通りに進んだのかな。東京行かなきゃ埒が明かないっていう感覚を変えたくて、福岡だけでも盛り上げることはできるんじゃないかって今も思っています。
ー松隈さんと井上さんは、Buzz72+が解散状態になってから連絡を取っていなかったそうですが、他のメンバー2人とは会っていたんですか?
井上:僕はあまり会うことはなかったですね。
松隈:僕はたまに飲みに行ったりしました。やっぱり2人に音楽を辞めてほしくなかったので、僕のプロデュースしているBiSHとかBiSのレコーディングの手伝いとかしてもらっていましたね。BiSの「Give me your love全部」とか、BiSHのアイナ・ジ・エンドがBuzz72+の「屋上の空」をカバーしてくれた時は、僕が福岡に行ってスタジオを借りて彼らの演奏を録音したりしました。
ー井上さんはBuzz72+を脱退してから、当時をどう振り返っていたんですか?
井上:もっとこうしたらよかったかもって思っていたし、皆のことも気になっていました。当時から松隈は作りたい音楽にまっすぐで、でも僕としては理解できない部分があって。ステージ上の立ち振る舞いやMCに関しても、いつも皆にダメって言われ続けている感じがしたんです。相手が何を変えて欲しいのか、本質の部分が自分でもよく分かっていないし、色々なものが溜まって逃げ出したのかな。
松隈:僕も伝えることが下手だったし、何を言ってもやってくれないハルさんを見て、彼はもうバンドが嫌なんじゃないかなって疑心暗鬼に感じていました。蟠りがあるとマネージャーが間に入ってくるんですけど、これが更にこんがらがる原因にもなって。最終的にハルは脱退、バンドも事実上解散。こちらも辞めた人に興味を持っても意味がないと思ったし、過去を振り返っても辛かった。でも、『ボヘミアン・ラプソディ』を観て気持ちがちょっと爆発した感じですね、13年経ってハルが戻ってきたら、きっと面白いなって。
ー井上さんはこの13年間、どんな活動をされていたんですか?
井上:たまにライブもしていたんですが、フリーランスでボイストレーナーもやっていました。 僕がBuzz72+を辞めた一番の原因が、喉を潰したことなんです。歌えないし、高い音も出なくて自己嫌悪になり、ステージに立つのも怖くて冷静な判断もできず逃げ出したんです。もしあの時、喉の調子が良かったら、そんなに落ち込んでいなかったんじゃないかなと思って、そこから独学で喉を潰さない歌い方を学び始めました。その中で、すぐ喉が潰れちゃう後輩がいて、その子達にレクチャーしていく中でボイストレーナーという道を見つけたんです。歌を上手く歌うとかプロデュースではなくて、身体の使い方や楽に歌える方法を教えています。
松隈:ハルが喉を潰してバンドを辞めざるを得なくなったっていう話は、僕にも影響があって。BiSHのアイナ・ジ・エンドが何年か前に喉潰れそうになっちゃった時に、声が出なくなったハルと被ったんです。スタッフも混乱するし、本人も気が滅入ってたんですよ。僕も当時のハルに大丈夫だって言ってあげられなかった分、アイナをずっと励まし続けて。本人は歌わないといけないって思っているし、僕まで責めちゃったらもっと悪化するんじゃないかって色々考えました。ハルの時も、リリースもあるし歌ってもらわなきゃ困るってプレッシャーを与えていた部分もあったかもしれない。なんかこういうところも繋がっているんですよね。
ー13年の間、2人はボイストレーナーとアイドルの楽曲プロデュース業と、それぞれバンドと別のことをやられてきましたよね。
松隈:僕にとって、当時は Buzz72+が全てだったんですよ。またこの4人でやりたいっていう想いはずっとどこかにありました。あとは、BiSHらのプロデュースとかSCRAMBLESを通して、僕の中のロックは表現できるようになった今だからこそ、Buzz72+をまたやりたかった。昔は自分のロックを表現できる場所をBuzz72+に求めていたけど、今はこのメンバーで合わせて多少ずれていても、かっこいいじゃん! ってBuzz72+の良さが改めて分かったんですよ。そういう意味でも、バンドとプロデュース業っていうのは別ですね。
―松隈さんは、Buzz72+に関しては違う、もっと自分の中のピュアな部分でやっているのかなって思うのですが。
松隈:やっぱり昔は、自分たちを表現して売れたい、スターになりたい想いがあったんです。でもそれぞれがBuzz72+を離れた後に、それに代わるものに出会わなかったのかな。だから違う方向にフィードバックしたのかもしれない。
井上:それぞれがたくさん学んできてやっと分かったんですが、俺たちが松隈の部屋で宅録していた頃と今やっていることってそんなにブレていないんじゃないかな。当時はそれが分からなかった。あの当時わからなかったことが今は理解できる。こういうことを他のバンド仲間に話すと、すごく共感してくれるんですよ。
ー松隈さんはBuzz72+が究極のアマチュアバンドだと他の記事で仰っていましたが、この形容がすごくぴったりだなと思うんです。アマチュアバンドならではの人間関係の面白さもあるし、生活と直結してる感じ、時間を経て集まってまたやれる感じとか。
井上:そうですね、今はすごくバンドメンバーに会うのが楽しみです。昔はいつも怒られるから会いにいくのが怖いなって思っていたんですけど(笑)。
松隈:上を目指すということは美しくもあり、どこか無理することがたくさん出てくるんです。Buzz72+も色々な方に手伝ってもらっているんですけど、やっぱりメーカーから出してしまうとギクシャクしてしまうと思ったので、今回は4人の意見だけで曲順とか収録曲、リリースまで決めることを最初に約束しました。4人がやりたいことはやる、やりたくないことはやらない、それ以外の意見は完全無視って約束したんです。これで売れなくても迷惑するのはこの4人だけですし。これが究極かなって思います。
井上:最初に再結成の話をした時に「どうせ売れんけん」って言ったのは面白かったですね(笑)。
松隈:売れなくてもかっこいい、楽しそう、羨ましいって思われることをやりたい。僕らくらいのことを他の人にはできないだろうって気持ちがあります。もっと売れているバンドなら華々しく再結成するし、地元の仲間でやってるバンドなら細々と仲間内だけでやると思うんですよ。僕らくらいのバンドが13年ぶりに再結成して、身体絞ってMVも撮影して、インタビューまでしてもらうって羨ましいでしょ。
ーバンドマンのセカンドライフとして、こういう人生もあるんだなって思います。バンドで描いていた夢は叶わなかったかもしれないけど、別のところで成功して改めてバンドを良い感じの塩梅でやれる環境を作る。
松隈:Buzz72+の姿を見て、夢を諦めたバンド達も復活してくれるかなって思うんです。少なくとも、当時のバンド仲間は「うちも再結成しようかな」って冗談半分でも言ってくれてすごく面白いです。こういう形もあるって気付いてもらったら面白いと思うんですよ。
井上:ある人は絶対に戻れないくらい溝があるとかって言う話もあったりとかね。でも俺たちのほうが溝ありましたからね。そう考えると、やっぱり時間を経てでも仲良くした方がいいなって思います。
ーあんな関係だったBuzz72+ができるなら、うちもできるかもって思って欲しいですよね。でも、最近のコロナウイルスの影響で再結成ライブも中止になってしまいましたね。
井上:1年半くらいかけて準備してきたので純粋に悔しいです。今は何もできないけど、再結成して40過ぎたおじさんに喜怒哀楽の色々な感情が湧いてくるんですよ。新作のMVもずっと見ちゃう。当時たくさん経験した分、今の一個一個の出来事や関わってくれる人々にピュアな感情を持てていると思います。
ーこれを乗り越えればまたドラマになりますね。
松隈:もう中止は決めたんですけど辛いです。ガッツリ活動している人なら延期したりできるけど、我々は先のことを考えずに一発入魂で仕込んでいたので。8月くらいにはワンマンライブもやれればいいなと思っていたので、それを具現化していきたいな。情勢を見つつ、東京でも何かやりたいと思っています。バンドも誰か死ぬまでやろうって話している定期的に活動していくつもりなので、落ち着いたらまた色々やっていきたいですね。
Edited by Story Writer
<リリース情報>

Buzz72+
ミニアルバム『13』
発売中
価格:2200円
=収録曲=
1.Beret city
2.光の射す方へ
3.奇跡の歌
4.フライングヒューマノイド
5.屋上の空
6.太陽賛歌Buzz72+ オフィシャルサイト:https://buzz72.com