米ローリングストーン誌の映画評論家のピーター・トラヴァーズが寄稿したコラムを掲載する。話題作が次から次へと公開される従来の夏の映画シーズンは、新型コロナウイルスによって消滅した。
『ブラック・ウィドウ』、『クワイエット・プレイス PARTⅡ』、『トップガン マーヴェリック』、ウェス・アンダーソン監督の至極のコメディ『ザ・フレンチ・ディスパッチ(原題)』など……本来なら、このコラムではヒットを予感させる夏公開の話題作を紹介するはずだった。だが、いまとなってはパンデミックによってこうした作品の公開は、人が密集するシネコンに観客が安心して行けるようになるはずの晩秋~来年の冬へと延期された。そのほかの作品も来年の公開まで待つようにと蓋をされ、どこかに押しやられてしまった。だから、『ワイルド・スピード』シリーズ最新作『F9(原題)』、”ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラント主演の『ジャングル・クルーズ』、リン=マニュエル・ミランダによる待望のブロードウェイ・ミュージカルの映画化『In the Heights(原題)』は、今年は諦めよう。その一方、一部のアナリストは今回のパンデミックによって世界的な興行収入に50億ドル(約5370億円)もの損害が生じると予測している。だが、これはまだ始まりにすぎない。
ここでショッキングな事実をお伝えしよう——今年の夏公開を予定している話題作は、たった3作品だ。まずは、壮大なタイムトラベルを描いたクリストファー・ノーラン監督最新作『TENET テネット』(7月17日公開/日本は9月18日公開)。ジョン・デヴィッド・ワシントンやロバート・パティンソンなどが登場する同作は、IMAX向けにカスタマイズされた最新鋭のVFX(CGやデジタル合成などの特殊視覚効果)を屈指している。その翌週に公開されるのは、ディズニーの実写版『ムーラン』(7月24日/日本では近日公開予定)。8月14日には、防弾ブレスレットにレーガン時代のファッションをまとったガル・ガドットとネコ科のスーパーヴィラン”チーター”に扮したクリスティン・ウィグが登場する『ワンダーウーマン 1984』(日本では近日公開予定)が公開される。
ジャド・アパトー監督&ピート・ダヴィッドソン主演の『The King of Staten Island(原題)』やアイサ・ライとクメイル・ナンジアニ主演のアクション満載のラブコメディ『The Lovebirds(原題)』など、劇場公開を飛ばして動画配信サイトに直行する話題作は、AMCシアターズやリーガル・シネマズといった映画館チェーンには何の救いにもならない。劇場で映画を楽しむ機会を奪う消費者へのダイレクトマーケティングは、映画館チェーンから見れば手っ取り早く金を稼ぐための背信行為だ。
どうやら愛する映画を奪われた映画ファンたちは、終末期研究の先駆者で精神科医のエリザベス・キュブラー=ロスが説いた死を受容する”5段階モデル”ならぬ悲しみを受容する”5段階モデル”を経験しているようだ。
第1段階「否定」:
ハリウッドの映画スタジオや映画館経営者たちが普段通りのビジネスに戻るための解決策をすでに見出していると信じ込む——実際にはそうでないとしても。
第2段階「怒り」:
映画館経営者たちは、収容人数(&収益)を最低でも半減させてシネコン内でのソーシャル・ディスタンシングを可能にしなければいけないことに腹を立てている。それに放映許可書はもとより、映画館に足を踏み入れるたび要求されるマスクやゴム手袋の着用、体温測定、消毒液で自分の座席を拭くこと(ウイルスは物の表面に付着した状態で何日も生きられるため)などの立ち入った衛生対策にどう対処すればよいのだ? 徹底した清掃作業は上映の合間にできるかもしれないけれど……上映中はどうしろと言うのだ?
第3段階「取引」:
もちろん、マスクは着用する。顔にも触れない(顔に触れずにポップコーンを食べるにはどうしたらいいのだろう?)。周りに感染者がいるなんて想像しないようにするし、行ったり来たりする防護具姿の清掃員に気を取られないようにもする。夜の映画館デートが病院訪問のような無菌オーラに包まれたとしても、気にしない。
第4段階「抑うつ」:
年末に感染の第2波がやってくるという米疾病対策センター(CDC)の予測に打ちのめされる。なぜなら、スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー(原題)』やドゥニ・ヴィルヌーヴ監督&ティモシー・シャラメ主演の作家フランク・ハーバートのSF古典作『デューン/砂の惑星』の大胆なリメイクといった年末公開予定の話題作さえ観られなくおそれがあるから。
第5段階「受容」:
映画の量と質の両方において2020年はすでに大不況であることを認める。人々を脅かす新型コロナウイルスのせいで映画が相次いで延期になるなか、今後状況が好転するなんてあり得ない。
ここでニューノーマル(新常態)について検証してみよう。科学者がワクチンを開発し、私たちが心から安心してポップコーンを頬張れるようになるまで、私たちはカオスの支配下に置かれる。大勢の人がふたたび映画館を訪れるまで、観客は安全対策を求め続けるだろう。新型コロナウイルスへの懸念によって制作を中断したハリウッドも同じような対策を押し進めながら映画づくりのスピードを加速させるはずだ。セットで働く俳優やクルーは、毎日検査を受けることになる。デジタル技術という魔法によって人混みのシーンはごまかせるかもしれないが、セックスシーンはどうなる? まさか、俳優に防護服を着せるわけにはいかないだろう。『コンテイジョン』(2011)のスティーブン・ソダーバーグ監督がトップを務める全米監督協会は、こうした懸念事項に取り組む構えだ。幸運を祈りたい。
・新型ウイルスの恐怖を描いた映画『コンテイジョン』が再注目された理由
映画には、そこまでして観る価値があるのか? アメリカ人の精神はどういうわけか、この質問に「ない」と答えることを許さない。それは否定ではなく、根気の証だ。
さて、ここで別の質問だ——外の世界の恐怖に幸福にも無知なまま、私たちがふたたびシネコンで声を出して笑える日は訪れるのだろうか? もちろん、その日は来る。いくつかのウイルス攻撃が原因で映画館に行くという習慣が永遠になくなることはないだろう。自主隔離中のスピルバーグ監督は、決して諦めないという気持ちをTwitterに投稿した。「今夜、映画を観に行くことができたらどれだけいいだろう。ポップコーン、ジュニアミント、お気に入りの炭酸飲料が入った大きなカップを持って、前から3列目に座ってアクション映画あるいはおどけたコメディ映画を観るんだ。本当に最高だろうな」。映画館は営業を再開する。人々も徐々に戻ってくる。その時、私たちは隣り合って座りながら、一緒に同じ映画に没頭するのだ。
だからと言って、映画ファンがシネコンの終幕を嘆くのはまだ早い。
『ブラック・ウィドウ』、『クワイエット・プレイス PARTⅡ』、『トップガン マーヴェリック』、ウェス・アンダーソン監督の至極のコメディ『ザ・フレンチ・ディスパッチ(原題)』など……本来なら、このコラムではヒットを予感させる夏公開の話題作を紹介するはずだった。だが、いまとなってはパンデミックによってこうした作品の公開は、人が密集するシネコンに観客が安心して行けるようになるはずの晩秋~来年の冬へと延期された。そのほかの作品も来年の公開まで待つようにと蓋をされ、どこかに押しやられてしまった。だから、『ワイルド・スピード』シリーズ最新作『F9(原題)』、”ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラント主演の『ジャングル・クルーズ』、リン=マニュエル・ミランダによる待望のブロードウェイ・ミュージカルの映画化『In the Heights(原題)』は、今年は諦めよう。その一方、一部のアナリストは今回のパンデミックによって世界的な興行収入に50億ドル(約5370億円)もの損害が生じると予測している。だが、これはまだ始まりにすぎない。
ここでショッキングな事実をお伝えしよう——今年の夏公開を予定している話題作は、たった3作品だ。まずは、壮大なタイムトラベルを描いたクリストファー・ノーラン監督最新作『TENET テネット』(7月17日公開/日本は9月18日公開)。ジョン・デヴィッド・ワシントンやロバート・パティンソンなどが登場する同作は、IMAX向けにカスタマイズされた最新鋭のVFX(CGやデジタル合成などの特殊視覚効果)を屈指している。その翌週に公開されるのは、ディズニーの実写版『ムーラン』(7月24日/日本では近日公開予定)。8月14日には、防弾ブレスレットにレーガン時代のファッションをまとったガル・ガドットとネコ科のスーパーヴィラン”チーター”に扮したクリスティン・ウィグが登場する『ワンダーウーマン 1984』(日本では近日公開予定)が公開される。
たしかに、数えきれないほどの夏の話題作を期待していた人々と赤字に苦しむハリウッドには物足りないラインナップだ。
ジャド・アパトー監督&ピート・ダヴィッドソン主演の『The King of Staten Island(原題)』やアイサ・ライとクメイル・ナンジアニ主演のアクション満載のラブコメディ『The Lovebirds(原題)』など、劇場公開を飛ばして動画配信サイトに直行する話題作は、AMCシアターズやリーガル・シネマズといった映画館チェーンには何の救いにもならない。劇場で映画を楽しむ機会を奪う消費者へのダイレクトマーケティングは、映画館チェーンから見れば手っ取り早く金を稼ぐための背信行為だ。
どうやら愛する映画を奪われた映画ファンたちは、終末期研究の先駆者で精神科医のエリザベス・キュブラー=ロスが説いた死を受容する”5段階モデル”ならぬ悲しみを受容する”5段階モデル”を経験しているようだ。
第1段階「否定」:
ハリウッドの映画スタジオや映画館経営者たちが普段通りのビジネスに戻るための解決策をすでに見出していると信じ込む——実際にはそうでないとしても。
第2段階「怒り」:
映画館経営者たちは、収容人数(&収益)を最低でも半減させてシネコン内でのソーシャル・ディスタンシングを可能にしなければいけないことに腹を立てている。それに放映許可書はもとより、映画館に足を踏み入れるたび要求されるマスクやゴム手袋の着用、体温測定、消毒液で自分の座席を拭くこと(ウイルスは物の表面に付着した状態で何日も生きられるため)などの立ち入った衛生対策にどう対処すればよいのだ? 徹底した清掃作業は上映の合間にできるかもしれないけれど……上映中はどうしろと言うのだ?
第3段階「取引」:
もちろん、マスクは着用する。顔にも触れない(顔に触れずにポップコーンを食べるにはどうしたらいいのだろう?)。周りに感染者がいるなんて想像しないようにするし、行ったり来たりする防護具姿の清掃員に気を取られないようにもする。夜の映画館デートが病院訪問のような無菌オーラに包まれたとしても、気にしない。
第4段階「抑うつ」:
年末に感染の第2波がやってくるという米疾病対策センター(CDC)の予測に打ちのめされる。なぜなら、スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー(原題)』やドゥニ・ヴィルヌーヴ監督&ティモシー・シャラメ主演の作家フランク・ハーバートのSF古典作『デューン/砂の惑星』の大胆なリメイクといった年末公開予定の話題作さえ観られなくおそれがあるから。
第5段階「受容」:
映画の量と質の両方において2020年はすでに大不況であることを認める。人々を脅かす新型コロナウイルスのせいで映画が相次いで延期になるなか、今後状況が好転するなんてあり得ない。
ここでニューノーマル(新常態)について検証してみよう。科学者がワクチンを開発し、私たちが心から安心してポップコーンを頬張れるようになるまで、私たちはカオスの支配下に置かれる。大勢の人がふたたび映画館を訪れるまで、観客は安全対策を求め続けるだろう。新型コロナウイルスへの懸念によって制作を中断したハリウッドも同じような対策を押し進めながら映画づくりのスピードを加速させるはずだ。セットで働く俳優やクルーは、毎日検査を受けることになる。デジタル技術という魔法によって人混みのシーンはごまかせるかもしれないが、セックスシーンはどうなる? まさか、俳優に防護服を着せるわけにはいかないだろう。『コンテイジョン』(2011)のスティーブン・ソダーバーグ監督がトップを務める全米監督協会は、こうした懸念事項に取り組む構えだ。幸運を祈りたい。
・新型ウイルスの恐怖を描いた映画『コンテイジョン』が再注目された理由
映画には、そこまでして観る価値があるのか? アメリカ人の精神はどういうわけか、この質問に「ない」と答えることを許さない。それは否定ではなく、根気の証だ。
プレストン・スタージェス監督のコメディ映画『サリヴァンの旅』(1941)のなかで手錠をはめられた囚人たちが集まってディズニーのアニメーションを観ながら声を上げて笑っているシーンを観てほしい。映画の価値は、いまも私たちの心に響いている。映画館に行くという行為は、共同の体験なのだ。
さて、ここで別の質問だ——外の世界の恐怖に幸福にも無知なまま、私たちがふたたびシネコンで声を出して笑える日は訪れるのだろうか? もちろん、その日は来る。いくつかのウイルス攻撃が原因で映画館に行くという習慣が永遠になくなることはないだろう。自主隔離中のスピルバーグ監督は、決して諦めないという気持ちをTwitterに投稿した。「今夜、映画を観に行くことができたらどれだけいいだろう。ポップコーン、ジュニアミント、お気に入りの炭酸飲料が入った大きなカップを持って、前から3列目に座ってアクション映画あるいはおどけたコメディ映画を観るんだ。本当に最高だろうな」。映画館は営業を再開する。人々も徐々に戻ってくる。その時、私たちは隣り合って座りながら、一緒に同じ映画に没頭するのだ。
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