ファンクやソウルのリズムを取り入れたビートに、等身大で耳に引っかかる歌詞を載せて歌う4人組ロックバンド、トリプルファイヤーの音楽ブレインであるギタリスト・鳥居真道による連載「モヤモヤリズム考 − パンツの中の蟻を探して」。前回のヴルフペックの「Cory Wong」(ライブ・バージョン)の考察に続き、第12回となる今回はクラフトワークの楽曲「電卓(Pocket Calculator)」とファンクのリズムの関連性を徹底考察する。


先日、クラフトワークの創設メンバーの一人、フローリアン・シュナイダーがお亡くなりになりました。今回はクラフトワークの音楽から天啓のようなものを受け取ったときのことを書いていきたいと思います。「クラフトワークの音楽を徹底考察」といった趣向ではなく、大袈裟に言えば「我は如何にして『電卓』によってファンクを発見したか」という公共性に乏しいパーソナルな体験談となりますので、悪しからず……。

ある日、「電卓(Pocket Calculator)」を聴いているときに、「これってJB(ジェームス・ブラウン)と同じじゃね?」という閃きがありました。さらに「あ、ファンクってそういうことか!」というある種のユリイカ状態が訪れました。そこからファンクに対する観方、聴き方が変り、さらには音楽の聴き方さえも変わっていきました。このときに感じた「あ、ファンクってそういうことか!」という思いにおける「そういうこと」とはどういうことなのかといったことをきちんと言語化せずにいましたが、この機会に言語化してみようという試みであります。

今でこそファンクという音楽についてそれらしいことを書いているわけですが、学生の頃は、隣接するジャンルでいえば1970年代の都会的なソウルを好んでいました。日本においては「フリーソウル」と呼ばれることもある音楽といったら良いでしょうか。洗練されたコード進行、ハッとするメロディ、躍動するリズム、手練のミュージシャンによる演奏、カリズマティックなシンガーによる痛切で甘美な歌唱といったものに魅了されたわけです。とりわけ、自分が楽器を演奏することもあって、プレーヤーを主役と見做し、個々の演奏を主体にして聴く場合が多かったです。例えば、デヴィッド・T・ウォーカー、チャック・レイニー、バーナード・パーディ、コーネル・デュプリー、ポール・ハンフリーといったミュージシャンが参加したアルバムを探して聴くことに取り組んでいました。
彼らの立派なサインが入った個性的な演奏にうっとりするというのがベーシックな聴き方となっていました。この頃はすでに彼らの演奏がもたらす心地よさはリズムに秘訣があるはずという推論を立てて考えるようになっていました。

1970年代の洗練されたソウルを聴きつつも、ソウル自体に興味があったので、例えばピーター・バラカンの『魂のゆくえ』を参考に、レコード屋に行って気になるものを手にとって聴くことはしていました。例えば、サザン・ソウルやニューオーリンズのファンク、JBやスライ、P-Funkなどのレジェンドたちの音源といったものです。けれどもあまりピンと来ない。いや、ピンと来るところもある。ならば完全にピンと来るまで繰り返し聴こう。そんな気持ちで何度も再生するということをしていました。

ところで、三角食べをしなさいということを学校で言われませんでしたか。三角食べというのはおかず、ご飯、牛乳を少しずつ順序よく食べていくというものなのですが、わたしが子供のころはこれができませんでした。ハンバーグならハンバーグを平らげて、味噌汁を飲んで、ご飯はふりかけをかけて食べて、サラダは少し手を付けるだけみたいな食べ方をしていました。こういう食べ方を「ばっかり食べ」というそうです。


それがどうしたという話ですが、スタジオミュージシャンの演奏を聴くのは「ばっかり食べ」をしている状態ということができると思うのです。他にも、子供の頃に耳にした曲を今改めて聴いてみるとこんなアレンジだったんだとびっくりすることがあります。それは歌をばっかり食べしていたことの証左だと言えます。

話は冒頭に戻ります。『コンピューター・ワールド』の「電卓」を聴いているときに「JBみたいじゃね?」と思ったわけですが、「電卓」の何に対してJBみたいだと感じたのかという話です。端的に言ってしまえば、細かいフレーズの掛け合いが全体を形作っているところです。つまり音楽の構造が機械仕掛けのようになっているということです。

JBを聴いているときにはこうしたこの構造に気が付きませんでした。これはなぜなのか。

個々のプレーヤーの演奏をばっかり食べする癖があったからでしょう。例えば、モータウン作品を聴く際には「ジェームス・ジェマーソンのベースラインは奇跡」なんて言いながらベースラインばかり聴くところがありました。チームスポーツでいえば、スポーツ選手の神業のようなプレイに注視して、チームがどのように機能させているかということは気にしていないようなものです。
つまり俯瞰的な聴き方をしていなかったということです。さらに、JBの音楽はスタープレーヤーの神業的なプレイを前提にしておらず、個々の演奏は比較的匿名性が高いため、とっかかりが掴めずにいました。

それではなぜ「電卓」を聴いてその構造に気がつくことができたのか。

それはシンセという楽器に対する解像度が低かったからだと思われます。今でもそうですが、シンセという楽器が肌感覚として理解できずにいます。ギターであれば、少し聴いたらこれは箱物だとか、シングルコイルだとか、ダイナコンプを使ってる、指で弾いてるだとかいったことがある程度わかります。しかし、シンセの場合はそれがシンセであることしかわかりません。すなわち、楽器の音にピントを合わすことができないため、自ずとズームアウトすることになります。このことで俯瞰的に視点が得られ、アレンジ全体の構造を見渡すことができたのです。

JBの伝記映画『ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』ではこんなシーンがあります。JBがミュージシャンを集めて曲作りをしているときに、サックス奏者のメイシオが他のパートに文句をつけるのでカチンときます。ドラムセットに歩み寄り、スネアを叩きながらJBは彼に問います。


「これは何だ」
「スネアですが?」
「つまり?」
「ドラムです」

ギターを指差し同じ質問をするとメイシオは「ギターです」と答えます。隣にいたピーウィーに同じ質問してみると、彼は「ドラムですか?」と答えます。

「では、メイシオの持っているのは?」
「ドラムです」

最後にJBが「お前らが持ってるその金ピカの楽器は何だ?」と尋ねると一同は「ドラムです」と答えます。そしてこう言うのです。

「俺たちは今全員でドラムを演奏している。キーがどうとか小節がどうとか惑星がどうとか知ったこっちゃない」

この映画を観たのは今回の話よりも後のことですが、妙に腑に落ちるところがありました。というのもクラフトワークの「全員シンセ」によってJBの「全員ドラム」の概念がぼんやりとインストールされていからでしょう。

また、クラフトワークの自らをロボットに模した機械的でクールな振る舞いもJBのファンクを理解するうえでヒントになりました。やはりJBのパフォーマンスは汗まみれになりながら絶叫し、踊り狂い、終いにはステージにへたり込んで、マントをかけられるものの、それを払って再び歌い出すという非常に身体を酷使するものであります。一方で、JBが従えるバンドの演奏は熱いものもありますが、構造自体は機械的でクールなものです。溜めて溜めてどこかで感情を爆発させるといったものではなく、エンジンさながら運動エネルギーを作り出すために小さな爆発の連続させるといったものです。

ここで少し補足します。
「JBJBって言ってるけど、どの時期のJBだよ」と思われた方がいるかもしれません。想定しているのは、『ColdSweat』がリリースされた1967年からコリンズ兄弟がバンドに在籍していた1971年頃です。まさにこの時期のスタイルが各パーツが全体を構成する機械仕掛けのファンクであったと考えています。

一般的なポップソングの形式は、人の一生の相似形になっていると良いでしょう。ある日生まれて、浮き沈みを経験し、酸いも甘いも噛み分けて、ある日死んでいくという。ファンクは生も死もないループ的な音楽です(実際は始まりと終わりがあるわけですが)。生命というよりは機械。ファンクは機械の内部構造をむき出しにした音楽と言えるかもしれません。それぞれのパーツが組み合わさって、それらが機能するところを見せています。むき出しになった内部構造をリズムの前景化と言いかえることもできるでしょう。

なぜこのユリイカ体験が、クラフトワークの他の曲ではなく「電卓」だったのかといえば、おそらく各フレーズのサブディビジョンが16分音符でかつシンコペーションが駆使されていたからでしょう。ワンコードであったことも重要です。
こうしたファンクとの直接的に類位があったからこそピンと来たと言えます。

もう少し言えば、我々がぼんやりと「グルーヴ」と呼んでいるものは、身体性に負うものだと考えがちですが、曲のデザイン自体に宿るものであるということを、ドイツ製のロボットたちから学びました。マン・マシーンなくしてセックス・マシーンなし。順番は逆だし、個人的な体験に根ざしたものゆえ、この標語に一般性はないのですが、クラフトワークの音楽と接していなければ、「セックス・マシーン」の聴こえ方もまったく違ったであろうと思われます。


鳥居真道
クラフトワーク「電卓」から発見したJBのファンク 鳥居真道が徹底考察

1987年生まれ。「トリプルファイヤー」のギタリストで、バンドの多くの楽曲で作曲を手がける。バンドでの活動に加え、他アーティストのレコーディングやライブへの参加および楽曲提供、リミックス、選曲/DJ、音楽メディアへの寄稿、トークイベントへの出演も。Twitter : @mushitoka / @TRIPLE_FIRE

◾️バックナンバー

Vol.1「クルアンビンは米が美味しい定食屋!? トリプルファイヤー鳥居真道が語り尽くすリズムの妙」
Vol.2「高速道路のジャンクションのような構造、鳥居真道がファンクの金字塔を解き明かす」
Vol.3「細野晴臣「CHOO-CHOOガタゴト」はおっちゃんのリズム前哨戦? 鳥居真道が徹底分析」
Vol.4「ファンクはプレーヤー間のスリリングなやり取り? ヴルフペックを鳥居真道が解き明かす」
Vol.5「Jingo「Fever」のキモ気持ち良いリズムの仕組みを、鳥居真道が徹底解剖」
Vol.6「ファンクとは異なる、句読点のないアフロ・ビートの躍動感? 鳥居真道が徹底解剖」
Vol.7「鳥居真道の徹底考察、官能性を再定義したデヴィッド・T・ウォーカーのセンシュアルなギター
Vol.8 「ハネるリズムとは? カーペンターズの名曲を鳥居真道が徹底解剖
Vol.9「1960年代のアメリカン・ポップスのリズムに微かなラテンの残り香、鳥居真道が徹底研究」
Vol.10「リズムが元来有する躍動感を表現する"ちんまりグルーヴ" 鳥居真道が徹底考察」
Vol.11「演奏の「遊び」を楽しむヴルフペック 「Cory Wong」徹底考察」

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