音楽学校教師で産業カウンセラーの手島将彦が、世界の音楽業界を中心にメンタルヘルスや世の中への捉え方を一考する連載「世界の方が狂っている ~アーティストを通して考える社会とメンタルヘルス~」。第30回は、過度のポジティブ「トキシック・ポジティビティ」をテーマに産業カウンセラーの視点から考察する。


COVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大も含め、社会状況が急激に変化したり不安定になったりする時には、不安や恐怖、悲しみ、怒りなど、いわゆる「ネガティブな感情」が生じます。そういうときに「そんなネガティブなことを言わず、もっとポジティブに行こう!」という空気が広がったり、そのような言葉が数多く発信されたりすることがあります。ものごとをポジティブに捉えるということは悪いことではありませんし、それによって問題が解決するということはあります。しかし、過度のポジティブさは人にとって「毒」となります。それをトキシック・ポジティビティ(Toxic Positivity)と言います。
 
そもそもネガティブな感情が生じるということは、人としてごく自然なことです。ネガティブな感情があるからこそ、慎重にものごとを考えることができたり、危険を察知して回避することができたりする面もあり、人が生きていく上でとても必要なものでもあります。そうした感情を否定したり隠蔽したりするということはむしろ不自然なことで、過度のポジティブさを要求したり、自分にそれを科したりすることは、本来の人間らしさ、その人らしさを抑圧することにもつながってしまいます。そのような抑圧はストレスを生じさせ、結果的にメンタルヘルスを害してしまう場合もあります。そして、過度なポジティブさは、ネガティブな感情を抱くことを「恥」と捉えさせてしまい、それが心理的な痛みを生じさせます。その痛みから逃れるために何かに依存したり、問題行動を起こすようになったりしてしまう場合もあります。

また、「ものは考えよう」という類のポジティブさがあります。
確かにものごとには複数の見方があり、考え方やものの見方を変えてみることで問題が解決することもあります。カウンセリングにおいてもそのようなやり方をとる場合もあります。しかし、過度にポジティブなものの見方をするとき、本来は社会や環境の問題であるはずなのに、そうした根本的な問題から目を逸らし、「個人の気の持ちよう」と問題を矮小化してしまったり、個人の犠牲による問題解決にすり替えてしまったりする危険もあります。
 
周囲の人も、例えば「それについては考えないで、ポジティブにいこう!」ではなく「あなたの感じていることを聴かせて」、「心配するなよ、ハッピーに行こう!」ではなく「あなたはストレスを感じているようだけれど、何か助けられることはない?」などのように、きちんとネガティブな感情を認めて、それを受け容れることが大切です。そうした「傾聴」を行うことがカウンセラーの役割でもあります。自分の中のネガティブさにも向かい合い、それを含めて自分である、と認めることが大切で、それが本来の自己肯定感と言えます。また、そうしたネガティブさを含めた自分をそのまま受け容れてくれる人が周囲に一人でもいれば、自然とポジティブに生きていけるようになるものなのです。

ハワイのカウアイ島で1955年に生まれた子どもたちを対象に、30年間にわたって追跡調査した「カウアイ研究」というのがあります。この子どもたちの約30%は、貧困や親の不和・アルコール依存・精神障害などの環境に置かれていた「ハイリスク児」でした。彼らの2/3は、10歳までに学習面や行動面で問題が起き、18歳までに非行、精神障害などの問題を抱えてしまいます。しかし、その2/3の子どもたちで精神衛生上の問題を抱えていた人も、30歳になる頃には80%が回復し、非行歴のある者の75%は立ち直っていました。その転機となったのは、家族・親類・友人・先輩・教師・教会関係者などの支えがあったからでしたが、それは「パーソナリティや心身のハンデキャップの有無に関係なく、無条件に受け止めてくれる人が周囲に最低でも1人いた」ということでした。
その条件が満たされれば、意外と人間のレジリエンス(回復性)は高いということがわかったのです。

2010年代を、そして今後も時代を代表するであろうバンドの一つ、THE 1975。彼らの新作ではメンタルへルスの問題にも言及されていて、そこでは「いつだって僕が抱えているのは脆い心」と、自分のネガティブな部分にも向かい合い、それを表明しています。またスウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリさんのスピーチをフィーチャーした曲もあるのですが、そのグレタさんのスピーチの中には「今は礼儀正しく語ったり、私たちに何ができて何ができないかを語るべきときではありません。今は率直に物を言うべきときなのです」という言葉があり、以前この連載でも取り上げた「トーンポリシング」のような主張を抑圧する動きや、ネガティブさを否定し過度にポジティヴに振る舞うように要求する圧力に対して、明確に抗っているようにも思えます。中心人物のマシューはインタビューで「エスケーピズム(現実逃避)の時代は終わった」と、しっかりとネガティブな面に目を向け、声を上げていくことがこれからの時代であると語っています。また、これまでにこの連載で取り上げた、ビリー・アイリッシュをはじめとした現代のアーティストたちは、しっかりと自分の、そして社会のネガティブな部分に向かい合い、それを表現上でも個人の発言としても発信しています。アーティストたちは「炭鉱のカナリア」のように、時代の危険性や、進むべき方向を真っ先に提示する力があります。2020年代は、ネガティブさも含めた自分や社会をしっかりと見つめて、感じたことをはっきりと表明していく時代なのかもしれません。

参照

Toxic Positivity: The Dark Side of Positive Vibes
THE PSYCHOLOGY GROUP By: Samara Quintero, LMFT, CHT and Jamie Long, PsyD
https://thepsychologygroup.com/toxic-positivity/
「なぜアーティストは壊れやすいのか?: 音楽業界から学ぶカウンセリング入門 」 手島将彦著 SW
The 1975『仮定形に関する注釈』が日本人にも響く理由 「物言うべき時代」への変化から考える Real Sound 2020.05.27金子厚武
https://realsound.jp/2020/05/post-558068.html
The 1975のマシューが語る、怒りと希望のメッセージ「美しさはこの世で一番鋭い武器」Rolling Stone Japan
Yukako Yajima |2020/05/21 18:00
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33892

<書籍情報>
ネガティブな側面も受け容れるべき 過度のポジティブさが孕む危険性とは?


手島将彦
『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』

発売元:SW
発売日:2019年9月20日(金)
224ページ ソフトカバー並製
本体定価:1500円(税抜)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909877029

本田秀夫(精神科医)コメント
個性的であることが評価される一方で、産業として成立することも求められるアーティストたち。すぐれた作品を出す一方で、私生活ではさまざまな苦悩を経験する人も多い。この本は、個性を生かしながら生活上の問題の解決をはかるためのカウンセリングについて書かれている。
アーティスト/音楽学校教師/産業カウンセラーの顔をもつ手島将彦氏による、説得力のある論考である。

手島将彦
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライブを観て、自らマンスリー・ライヴ・イベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。Amazonの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり、産業カウンセラーでもある。

Official HP
https://teshimamasahiko.com/
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