「ブラック・ミュージックはこんにちのアメリカの音楽産業を支える柱だ。ほかのどんなかたちの音楽と比べても、ブラック・ミュージックは経済状況の変化に影響されることがもっとも少なかった。大きな問題は、すべての社会階層からの幅広く開かれた支持が欠けていたこと。この欠如は、本質的に人種差別な感情に基づくものだ」
この意見は、先週Instagramにポストされていてもおかしくなさそうなものだ。音楽産業が人種間の不平等に関する対話でもちきりになっていたからだ。しかしこの発言は1982年、ポリグラム・レコードにおけるブラックミュージック・マーケティング部門のトップであったビル・ヘイウッドによるもので、ブラック・ミュージックの今後について特集したビルボード誌に掲載された。
歴史は繰り返すことの証拠はまだあって、該当する号にはこんなタイトルの記事も乗っている。「ラジオはブラックネスを軽視している:アーバンというイメージによる異なる聴衆の融合」。この記事では、「アーバン」というラベルを用いるメリットについて番組ディレクターたちが議論している。「アーバン」は白人の聴衆に黒人のアーティストを売り込むのに便利な言葉だと見る者もあれば、ラジオ局が仕えるべきコミュニティを安売りしてしまうような妥協だと見る者もあった。
ラベルを変えるだけでは問題解決にはならない
今日、「アーバン」なるカテゴリーは再び議論の源になっている。
・米グラミー賞「アーバン・コンテンポラリー」名称問題、「プログレッシブR&B」に変更
この投稿をInstagramで見るRepublic Records(@republicrecords)がシェアした投稿 - 2020年 6月月5日午前9時53分PDT
音楽産業のいくらかの人びとは、慎重ながらも楽観的だ。ショーン・バロンはモータウンのA&R部門のトップだが、リパブリックの動向を「正しい方角に向かった一歩」と評する。続けて、「『アーバン』というラベルは決まった枠にあなたをあてはめてしまう」という。「私たちはみんなあらゆる種類の音楽が好きなのだから、ポップな音楽をやりたいというときに『おお、君はアーバンミュージックをやるんじゃないの(だからできるわけがないだろう)』なんてことになってはいけない」
他方、「アーバン」という言葉を使わなくなっても、実際のレーベル運営に変化はもたらさないのではないかと懸念する者もいる。ペンキは塗りたてだがその下の家屋自体は変わらず、基礎は腐ったままだ。
この言葉を使わないという選択は「私たちが生きる今、特にこの10日間においては良さそうに見える」と語るのはダニエル・”バード”・デジール。デジールはリッキー・ラックス、タズ・テイラー、ニック・ミラなど多くの売れっ子プロデューサーのマネジメントを手掛けている。
「レーベルは単に言葉の使い方を変える以上の注意深い判断をする必要がある」と付け加えるのはデヴィッド・”スワッグ・アーシリアス”・ハリス。作曲家兼プロデューサーで、H.E.R.との仕事で知られる。「私たちに必要なのは構造的な変化で、ラベルを変えるかどうかではない。さもなければ『アーバン』と似たような『ブラック』の言い換えがまたできるだけだ」
ジャンルの分類は白人側の事情で行われてきた
答えのでないこの議論はさまざまなかたちをとって数十年にわたって繰り広げられてきた。黒人のアーティストによるポピュラー・ミュージックはずっと分類され、再分類されつづけている――分類するのはいつも白人が所有する組織であり、あるいは白人のリスナーの関心を惹くために行われてきた。1940年代、黒人のミュージシャンによる音楽の多くは、ビルボード誌では「ハーレム・ヒット・パレード」というタイトルのランキングに載った。その後、このタイトルは「レイス・レコード」と改められる。「リズム・アンド・ブルース」という単語が導入されたのは1949年、ジェリー・ウェクスラーによる。ビルボード誌に勤めたのちにアトランティック・レコードを率いた人物だ。
ジョン・リー・フッカーが1948年に発表した最初のヒット曲「Boogie Chillen」は「レイス・ミュージック」と分類された。以降のシングルは「リズム・アンド・ブルース」と呼ばれた。
ウェクスラーの「リズム・アンド・ブルース」が用いられたのは1969年までで、ビルボード誌は同年からR&Bから「ソウル」に呼び方を変えると発表した。
「アーバン」が広まったのは続く10年間のこと。ブラック・ミュージックをかけるラジオ局が、偏見を持つ白人の広告主に訴求できるようつくられた新語だった。いまなおR&Bラジオの拠点でありつづけているニューヨークのWBLSは、この言葉を先頭に立って批判した。ネルソン・ジョージはヴィレッジ・ヴォイス誌をはじめとした媒体でR&Bとヒップホップについて書き記してきた重要な証言者だが、彼は「アーバン」フォーマットを次のように記している。いわく、「メロウで、誘惑的で……計算づくで流行に媚を売る」ものだと。
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1982年、ボストンの有名な番組ディレクターだったサニー・ジョー・ホワイトは、彼自身は好きではなかったにも関わらず、それでもこの単語が必要だと考えた理由についてこのように説明している。「遺憾ながら、マーケティングの問題だ」とホワイト。「多くの広告代理店は、今日の黒人消費者の購買行動についてほとんどなにも知らないままのようだ。だから、ラジオ局は自分たちをアーバンと呼んだ。もっと代理店の気を惹こうと……。こうしたステレオタイプな考え方によって、黒人ラジオ局でさえ自分たちのブラックネスを軽く扱うように強いられた。
白人の広告主の影響力が増したのは、音楽産業がビッグ・ビジネスへと展開してゆく流れの一部だった。音楽産業の主役となったのは、黒人のインディペンデントレーベル――おそらく史上最も成功した黒人所有の音楽レーベルであろう、あのモータウンさえも――を吸収し、そうしたレーベルにいた才能ある黒人を引き抜いた巨大企業だった。
白人企業国家としてのアメリカが、突然黒人のアーティストやレーベルに関心を持ち出した理由のある部分は、ハーバード大学による1971年の報告書に求められる。そこでは、ソウルミュージックが音楽市場全体の10%ほどを占めると推測されていた。
企業国家アメリカが大枚をはたく新たな意欲を示したことは、深刻で広範囲に及ぶ影響を残した。「1975年から80年の時期を振り返ると、ブラック・ミュージックをコングロマリットが支配することで築かれた経済統合が、黒人のミュージシャン、インディペンデントな黒人(そして白人)のビジネス関係者、そして黒人コミュニティのあいだの相互関係を引き裂いていたことがはっきりする」ジョージはこのようにも書いていた。CBSレコードは、黒人アーティストの曲から、特に白人のリスナーにウケるシングルを選んでいることを誇ったものだ。それを受けてヴィレッジ・ヴォイス誌はこのような懸念を表明するに至った。「黒人のラジオリスナーは、白人の聴衆をターゲットにしたレコードを聞かされる存在に還元されてしまっている」。
こうした事態が起こっていた一方、チャートの管理人は黒人アクトによる音楽に対してどんな言葉を使うか再検討していた。元ビルボード誌編集長でモータウンの研究者でもあったアダム・ホワイトによると、1978年、レコード・ワールド誌は「R&B」チャートを「ブラック・オリエンテッド」に変更した。「キャッシュ・ボックスという別の業界紙も、1980年に同じことをしている。
人種にかかわらず、どんなジャンルでも働けるようになるべき
今日も、レーベルが使う言葉はさまざまある。しかし「アーバン」はラジオのエアプレイを調査するメディアベースという企業でよく使われるため、多くのラジオ向けプロモーションスタッフは、ラップとR&Bのシングルを推すことに注力する「アーバン」部門を持っている。
他方、コロンビアレコードはラジオに限らない「アーバン」部門を持っていて、インタースコープもそうだし、イベンター大手のライヴ・ネーションも同様。アトランティック・レコードには「ブラック・ミュージック部門長[President of Black Music]」がいる。しかし、それに対応する「ホワイト・ミュージック部門長」はいない。なぜなら、そいつは会社全体を動かすトップのことだからだ。
こうしたさまざまな名付けの慣習はレーベルがどう運営されるかに対した影響を持たない。人種に紐付いた部門名をとりやめた企業であっても、黒人の重役はもっぱら黒人のアーティストと――白人の重役による監督のもとで――仕事をし、白人の重役はそれ以外なんでも担当、という原則に従って組織されたままだ。そして、リパブリックのInstagramへのポストから表現を借りて言えば、こうした「過去のもはや時代遅れの構造」が変わらない限り、「アーバン」という言葉を放棄しても、音楽産業の人種差別的な過去という遺産を乗り越えるには及ばないだろう。
最近起こっている変化は、メジャーレーベルが取り組みたがらなさそうな数多くの制度的な問いを提起している。たとえば、リパブリックと契約する白人のシンガーであるアリアナ・グランデが、次のシングルの制作にあたってラップやR&Bの要素を多く借りようというとき、そうしたジャンルに特化したA&Rと仕事をするのか、それとも白人が大部分を占めるポップス担当スタッフと仕事を続けるのか。マーケティング予算は白人のアクトとこれまで「アーバン」と呼ばれたアクトで平等に割かれるようになるのか。黒人アーティストは白人と同じくらいポップス向けのラジオ局で腕試しできるようになるのか、そうだとして、黒人の広報幹部もポップス向けの局を担当できるようになるのか。そして、黒人のアーティストや幹部は、望むときに、会社の万全のサポートのもと、ヒップホップやR&Bの外でも仕事ができるように果たしてなるのか。
「私たちの肌の色は、私たちの関心、知識、あるいは専門性のあり方を決定づけるものではない」と語るのは、アトラス・ミュージック・パブリッシングのA&R部門長、ラトーヤ・リーだ。「私はカラオケに行ったらキャリー・アンダーウッドを歌うし、パニック!アット・ザ・ディスコも歌う。サックスを演奏して育ち、『ティアドロップス・オン・マイ・ギター』以来のテイラー・スウィフトのファン。人種にかかわらず、どんなジャンルでも働けるようになるべき」
リーが目指すのは、根本から変わった音楽産業だ。それはサニー・ジョー・ホワイトが1982年に「アーバン」という言葉についてたずねられたときにそれとなく示したものと一致している。「酷すぎる」と彼は答えた。「なんであれ、私たちが(ジャンルという)ラベルを使わなければならないということが」
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