エンニオ・モリコーネが7月6日に91歳で亡くなった。西部劇の音楽の在り方を変え、映画史に残る傑作音楽をいくつも手掛けた巨匠の功績を振り返る。
500作以上もの映画とTV番組の音楽を手掛け、100曲を超えるクラシック作品を残した作曲家、エンニオ・モリコーネ(享年91歳)。寝る間も惜しんで作曲、編曲、演奏旅行を行いながら、レパートリーに磨きをかけては幅を広げ、様々なビジョンや移り変わりの激しい流行に柔軟に対応した。雑食でありつつも――いや、雑食だからこそ――多くの人々から「マエストロ」と呼ばれた彼の音楽は、最初の数小節を聞いただけで間違いなくモリコーネ作品だとわかる。彼の名前はマカロニウェスタン、とりわけセルジオ・レオーネ監督と組んだ『続・夕陽のガンマン』『ドル箱三部作』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』といった作品の代名詞となったが、他の偉大な映画監督にも手を貸した。ベルナルド・ベルトルッチ、ダリオ・アルジェント、ドン・シーゲル、ブライアン・デ・パルマ、ジョン・カーペンター。クエンティン・タランティーノの西部劇『ヘイトフル・エイト』では、アカデミー賞最優秀オリジナル作曲賞で初のオスカー像を手にした。
モリコーネは1928年、ローマ生まれ。生涯一度もイタリアを離れたことはなく、ハリウッドからの誘いを頑なに拒んだため、英語を流暢に話すことはなかった(2007年、アカデミー賞功労賞を受賞した時のスピーチは、レオーネ監督の秘蔵っ子クリント・イーストウッドが通訳を務めた)。初めて作曲したのは6歳のとき。12歳の時に名門音楽院のサンタ・チェチーリア国立アカデミーに入学したときから神がかり的な才能を発揮し、通常は4年間かけて学ぶトランペット和声学を6カ月で修了した。駆け出しのころはオーケストラの曲を書いたりジャズバンドで演奏したりしていたが、並々ならぬ順応性が認められ、RCAの一流スタジオアレンジャーとして人気アーティストの曲を作曲した。のちにペット・ショップ・ポーイズやk.d.ラング、アンドレア・ボッチェリ、スティング、その他大勢のアーティストの曲を書いたことはあまり知られていない。
マカロニウェスタンに与えた決定的影響
60年代初期、モリコーネは映画音楽の作曲に方向転換する。はじめは軽いタッチのコメディを手掛けていたが、1964年、彼のキャリアを決定づける2つの出来事が起きた。ひとつめは、即興とアバンギャルドなテクニックを積極的に作品に盛り込んだクラシックの作曲家集団、グルッポ・ディ・インプロヴィザツィオーネ・ヌオーヴァ・コンソナンザ(通称イル・グルッポ)に加わったこと。もうひとつはレオーネ監督に起用され、マカロニウェスタン・ムービー『荒野の用心棒』のスコアを書いたことだ。バーナード・ハーマンとアルフレッド・ヒッチコック、ジョン・ウィリアムズとスティーヴン・スピルバーグと並ぶ、作曲家&映画監督のコンビの先駆けだ。この時から、モリコーネ音楽の要素がすべて存在していた。シンプルで記憶に残るメロディ――この場合は穏やかなアコースティックのリズムに、強い口笛が重なる――そして銃声、馬の蹄の音、教会の鐘、そしてひときわ激しいギターの調べといった、予想外のサウンドが彩を加える。
レオーネ監督との共同作業で、モリコーネの音楽はウェスタンというジャンルを大きく変えた。彼の音楽は西部劇ではおなじみのだだっ広い荒野に、型破りで場違いともいえる荘厳さを与え、レオーネ監督が意図したアクションと詩的な緩慢さを際立たせた。1966年の『続・夕陽のガンマン』のメインテーマを支えていた遠吠え、ヨーデル、口笛、鞭を鳴らす音は、皆さんも覚えているだろう。おそらく彼が手がけた中でもっとも有名な作品だが、モリコーネという縁の下の力持ちがいなかったら、映画の重要なシーンも滑稽なほど冗漫になっていただろう。
『ヘイトフル・エイト』のサントラがゴールデングローブ賞を受賞した際、モリコーネの代理で賞を受け取ったタランティーノ監督は(この作品以前にも『キル・ビル』や『イングロリアス・バスターズ』でマエストロの音楽をサンプリングしている)彼をベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトになぞらえたが、映画音楽という「ゲットー」以外でも評価されるべきだと言った。だがモリコーネ音楽の特徴のひとつは、映画という織物の表面を飾り立てるだけでなく、繊維にしっかり織り込まれていることだ。彼は音響効果も楽器として扱い、それぞれのキャラクターに特定のフレーズを紐づける。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』では、チャールズ・ブロンソン演じる(アンチ)ヒーローに寂しげなハーモニカを結びつけた。『ミッション』では、ジェレミー・アイアンズ演じるイエスズ会の聖職者が劇中に奏でるオーボエを盛り込んで、繊細な曲を作った。
網羅するのは困難、モリコーネは映画そのものだった
モリコーネはレオーネ作品とマカロニウェスタン以外にも、多岐にわたる素晴らしい楽曲を作曲した。あまりにも多種多様で膨大なので、モリコーネファンがお気に入りリストを作っても、どれひとつとして同じものはないだろう。いわゆるグレイテスト・ヒッツの筆頭に挙がるのは、おそらくレオーネ作品や『ミッション』、『ニュー・シネマ・パラダイス』のサントラだろう。映画のキスシーンを集めたモンタージュ映像とともに木管と弦楽器の音楽が流れる『ニュー・シネマ・パラダイス』のクライマックスシーンでは、涙腺が緩みっぱなしだ。他にも、比較的無名な作品もヒット作に劣らぬ秀作がそろっている。
『続・夕陽のガンマン』メインテーマを援用・サンプリング・カバーした曲を集めたプレイリスト
モリコーネのレガシーは映画音楽の垣根を超え、ジェイ・Zやメタリカ、レディオヘッド、ラモーンズ、ミューズ、ナールズ・バークレイ、その他大勢のポップスターたちが彼の音楽をサンプリングしたり、彼の音楽から影響を受けたり、あるいはその両方を経験している。彼はまた、リスナーにサントラアルバムを買いたいと思わせることのできる稀有な作曲家だった。歴代レコードセールスは7000万枚を超える。生涯現役を貫き、引退などどこ吹く風だった。アカデミー賞の功労賞はたいていお払い箱にされたアーティストに与えられるものだが、モリオコーネは受賞を新たなバネにして、約10年後には87歳にしてオスカー像を手にしている。
エンニオ・モリコーネは映画のサウンドだった。いや、映画そのものだった。
500作以上もの映画とTV番組の音楽を手掛け、100曲を超えるクラシック作品を残した作曲家、エンニオ・モリコーネ(享年91歳)。寝る間も惜しんで作曲、編曲、演奏旅行を行いながら、レパートリーに磨きをかけては幅を広げ、様々なビジョンや移り変わりの激しい流行に柔軟に対応した。雑食でありつつも――いや、雑食だからこそ――多くの人々から「マエストロ」と呼ばれた彼の音楽は、最初の数小節を聞いただけで間違いなくモリコーネ作品だとわかる。彼の名前はマカロニウェスタン、とりわけセルジオ・レオーネ監督と組んだ『続・夕陽のガンマン』『ドル箱三部作』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』といった作品の代名詞となったが、他の偉大な映画監督にも手を貸した。ベルナルド・ベルトルッチ、ダリオ・アルジェント、ドン・シーゲル、ブライアン・デ・パルマ、ジョン・カーペンター。クエンティン・タランティーノの西部劇『ヘイトフル・エイト』では、アカデミー賞最優秀オリジナル作曲賞で初のオスカー像を手にした。
モリコーネは1928年、ローマ生まれ。生涯一度もイタリアを離れたことはなく、ハリウッドからの誘いを頑なに拒んだため、英語を流暢に話すことはなかった(2007年、アカデミー賞功労賞を受賞した時のスピーチは、レオーネ監督の秘蔵っ子クリント・イーストウッドが通訳を務めた)。初めて作曲したのは6歳のとき。12歳の時に名門音楽院のサンタ・チェチーリア国立アカデミーに入学したときから神がかり的な才能を発揮し、通常は4年間かけて学ぶトランペット和声学を6カ月で修了した。駆け出しのころはオーケストラの曲を書いたりジャズバンドで演奏したりしていたが、並々ならぬ順応性が認められ、RCAの一流スタジオアレンジャーとして人気アーティストの曲を作曲した。のちにペット・ショップ・ポーイズやk.d.ラング、アンドレア・ボッチェリ、スティング、その他大勢のアーティストの曲を書いたことはあまり知られていない。
彼の作風の幅広さがお分かりいただけるだろう。
マカロニウェスタンに与えた決定的影響
60年代初期、モリコーネは映画音楽の作曲に方向転換する。はじめは軽いタッチのコメディを手掛けていたが、1964年、彼のキャリアを決定づける2つの出来事が起きた。ひとつめは、即興とアバンギャルドなテクニックを積極的に作品に盛り込んだクラシックの作曲家集団、グルッポ・ディ・インプロヴィザツィオーネ・ヌオーヴァ・コンソナンザ(通称イル・グルッポ)に加わったこと。もうひとつはレオーネ監督に起用され、マカロニウェスタン・ムービー『荒野の用心棒』のスコアを書いたことだ。バーナード・ハーマンとアルフレッド・ヒッチコック、ジョン・ウィリアムズとスティーヴン・スピルバーグと並ぶ、作曲家&映画監督のコンビの先駆けだ。この時から、モリコーネ音楽の要素がすべて存在していた。シンプルで記憶に残るメロディ――この場合は穏やかなアコースティックのリズムに、強い口笛が重なる――そして銃声、馬の蹄の音、教会の鐘、そしてひときわ激しいギターの調べといった、予想外のサウンドが彩を加える。
レオーネ監督との共同作業で、モリコーネの音楽はウェスタンというジャンルを大きく変えた。彼の音楽は西部劇ではおなじみのだだっ広い荒野に、型破りで場違いともいえる荘厳さを与え、レオーネ監督が意図したアクションと詩的な緩慢さを際立たせた。1966年の『続・夕陽のガンマン』のメインテーマを支えていた遠吠え、ヨーデル、口笛、鞭を鳴らす音は、皆さんも覚えているだろう。おそらく彼が手がけた中でもっとも有名な作品だが、モリコーネという縁の下の力持ちがいなかったら、映画の重要なシーンも滑稽なほど冗漫になっていただろう。
ピアノと管楽器が見事に融合し、ストリングとドラムと女性ソリストを壮大なクライマックスへと誘う「ゴールドの恍惚感」は、イーライ・ウォラックが墓場を駆け回るシーンのバックに流れている。「対決する3人~続・夕陽のガンマン」は、映画の山場となる決闘のシーンで流れる曲だが、炸裂するトランペットがじりじり展開する場面に壮大な雰囲気を与えている。
『ヘイトフル・エイト』のサントラがゴールデングローブ賞を受賞した際、モリコーネの代理で賞を受け取ったタランティーノ監督は(この作品以前にも『キル・ビル』や『イングロリアス・バスターズ』でマエストロの音楽をサンプリングしている)彼をベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトになぞらえたが、映画音楽という「ゲットー」以外でも評価されるべきだと言った。だがモリコーネ音楽の特徴のひとつは、映画という織物の表面を飾り立てるだけでなく、繊維にしっかり織り込まれていることだ。彼は音響効果も楽器として扱い、それぞれのキャラクターに特定のフレーズを紐づける。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』では、チャールズ・ブロンソン演じる(アンチ)ヒーローに寂しげなハーモニカを結びつけた。『ミッション』では、ジェレミー・アイアンズ演じるイエスズ会の聖職者が劇中に奏でるオーボエを盛り込んで、繊細な曲を作った。
網羅するのは困難、モリコーネは映画そのものだった
モリコーネはレオーネ作品とマカロニウェスタン以外にも、多岐にわたる素晴らしい楽曲を作曲した。あまりにも多種多様で膨大なので、モリコーネファンがお気に入りリストを作っても、どれひとつとして同じものはないだろう。いわゆるグレイテスト・ヒッツの筆頭に挙がるのは、おそらくレオーネ作品や『ミッション』、『ニュー・シネマ・パラダイス』のサントラだろう。映画のキスシーンを集めたモンタージュ映像とともに木管と弦楽器の音楽が流れる『ニュー・シネマ・パラダイス』のクライマックスシーンでは、涙腺が緩みっぱなしだ。他にも、比較的無名な作品もヒット作に劣らぬ秀作がそろっている。
『黄金の眼』のトリップ感あふれる60年代ファンク。『アルジェの戦い』の反乱のドラムとわめき声、繊細なハープシコード。部族の叫びを幾重にも重ねた『さすらいのガンマン』のサントラは、『キル・ビル』や『ハイスクール白書 優等生ギャルに気を付けろ!』でも耳にしたことがあるだろう。モリコーネがいなかったら忘れ去られていたであろう『暗殺の詩/知りすぎた男どもは、抹殺せよ』は、テルミンのような女性ボーカリストのトレモロとピアノのコンビネーションが耳について離れない。実際のところモリコーネは驚異のスピードで作曲したため、よっぽど熱烈なファンでない限り、すべてを網羅することは不可能だ。
『続・夕陽のガンマン』メインテーマを援用・サンプリング・カバーした曲を集めたプレイリスト
モリコーネのレガシーは映画音楽の垣根を超え、ジェイ・Zやメタリカ、レディオヘッド、ラモーンズ、ミューズ、ナールズ・バークレイ、その他大勢のポップスターたちが彼の音楽をサンプリングしたり、彼の音楽から影響を受けたり、あるいはその両方を経験している。彼はまた、リスナーにサントラアルバムを買いたいと思わせることのできる稀有な作曲家だった。歴代レコードセールスは7000万枚を超える。生涯現役を貫き、引退などどこ吹く風だった。アカデミー賞の功労賞はたいていお払い箱にされたアーティストに与えられるものだが、モリオコーネは受賞を新たなバネにして、約10年後には87歳にしてオスカー像を手にしている。
エンニオ・モリコーネは映画のサウンドだった。いや、映画そのものだった。
モリコーネのサントラをかけ、目を閉じて、ジャンルのパラダイスへと旅立とう。銃撃戦のアクションからフェロモンたっぷりのエロティシズム、はっと息をのむような美しさ。マエストロの瞳が再び開くことはないかもしれないが、傑作をまとめたモンタージュ映像は永遠に流れ続ける。
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