音楽学校教師で産業カウンセラーの手島将彦が、世界の音楽業界を中心にメンタルヘルスや世の中への捉え方を一考する連載「世界の方が狂っている ~アーティストを通して考える社会とメンタルヘルス~」。第34回は、労働の中で生まれうる「感情労働」をテーマに産業カウンセラーの視点から考察する。


東京事変の「群青日和」では「演技をしているんだ あなただってそうさ」と歌われていますが、確かに人は生活する中で多かれ少なかれ演技をしているところがありますし、職業によっては働いている時に様々な演技を要求されることがあります。

社会学者のA.R.ホックシールドは、「肉体労働」と「頭脳労働」に加えて「感情労働」という概念を提示しました。これは顧客を不快にさせないように自分の感情を押し殺したり、反対に笑顔や賞賛する態度などを強調して表現したりするようなコントロールが必要となる労働のことです。典型的な職業としては、客室乗務員(CA)や看護士、介護士などがあげられます。ミュージシャンや芸能人などもこの「感情労働」に属すると言えるかもしれません。これら以外の職業でも、接客業や教育などの第三次産業は感情労働の割合が大きく、また、現代ではそうした職業に従事する人が増えていることもあり、多くの人にとって無関係ではなくなっています。そして、この感情労働を人は「表層演技」と「深層演技」の2種類の演技によって乗り切ろうとします。

「表層演技」とは「口角を上げる」「頭を下げる」など、身振りや外見などで感情表現を管理する、形式的・表面的な演技です。一方で「深層演技」は、俳優で例えるならば役に入り込んで「そう思い込むように感情をコントロールする」「なり切る」というような演技です。これは日常生活でも、「正しい(とされる)感情」を持つために行なわれることがあります。たとえば親友が重病を患ったという話を聴いた時、他の人がとても悲嘆にくれているのを見て、「自分の悲しみは足りないのではないか」と考え、より「正しく」深い悲しみを感じるように感情をコントロールするために、その親友との様々な記憶を思い出そうとするというようなケースです。

感情労働の質を高めるために深層演技をしすぎると、仕事や企業と個人の過度な同一化が起きてしまいます。
また、深層演技がなく表層演技のみを多用すると、自分が他者を欺いているような心理になり、そのために自尊感情や職務の質の低下を生じてしまいます。いずれにせよ感情労働は心理的な負荷になりますので、注意しないとメンタル面に変調を来してしまいますし、本来の感情を押し隠したり、なにかになり切ろうとしたりする行為は、前回取り上げたアイデンティティの喪失にもつながる可能性があります。企業や社会の要請に応えるために自分の感情を商品化することに無自覚であることは、とても危険なことなのです。

また、こうした感情管理は男性も女性も行ないますが、特に女性は社会的な構造の問題から、感情労働をより強いられる傾向にあります。ホックシールドは、女性は様々な資源(特に経済的な面)に関して男性よりも不利な条件下に置かれているため、自分の感情からつくり出した資源を男性に贈り物として提供し、その見返りとして資源を獲得しなければならないこと、幼児期から家庭の中で学習させられ、攻撃性や怒りの感情を克服するよう求められること、従属的な立場に置かれているため、他人からの言われのない感情表出に対して無防備になりがちであること、性別間の権力格差の帰結として、性的魅力や美しさ、対人関係の技術等を防衛手段として従属に対処していること、などを指摘しています。これらは以前連載の第16回でとりあげた「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」とも関連します。例えば今回とりあげた社会学者のA.R.ホックシールドは女性ですが、読者の方には無意識に学者=男性というイメージを抱いていた人もいるのではないでしょうか?

現代社会では、この感情労働を要求されることがとても多くなっています。それにより生じる問題を避けるためには、自分と企業や仕事との間に適切な線を引くこと、自分自身及び企業によるストレス・チェックが必要になります。そしてまずは自分がそうした感情管理を行なっていること、感情が商品化されていることを自覚することが大切なのです。

【参照】

「管理される心—感情が商品になるとき」 A.R.ホックシールド著 石川准・室伏亜希訳 世界思想社
「ホックシールド『管理される心—感情が商品になるとき』」 石川准 日本労働研究雑誌 No.669/April 2016

<書籍情報>
ミュージシャンも無関係ではない 自分の感情を商品化することの危険性


手島将彦
『なぜアーティストは壊れやすいのか? 音楽業界から学ぶカウンセリング入門』

発売元:SW
発売日:2019年9月20日(金)
224ページ ソフトカバー並製
本体定価:1500円(税抜)
https://www.amazon.co.jp/dp/4909877029

本田秀夫(精神科医)コメント
個性的であることが評価される一方で、産業として成立することも求められるアーティストたち。すぐれた作品を出す一方で、私生活ではさまざまな苦悩を経験する人も多い。この本は、個性を生かしながら生活上の問題の解決をはかるためのカウンセリングについて書かれている。
アーティスト/音楽学校教師/産業カウンセラーの顔をもつ手島将彦氏による、説得力のある論考である。

手島将彦
ミュージシャンとしてデビュー後、音楽系専門学校で新人開発を担当。2000年代には年間100本以上のライブを観て、自らマンスリー・ライヴ・イベントを主催し、数々のアーティストを育成・輩出する。また、2016年には『なぜアーティストは生きづらいのか~個性的すぎる才能の活かし方』(リットーミュージック)を精神科医の本田秀夫氏と共著で出版。Amazonの音楽一般分野で1位を獲得するなど、大きな反響を得る。保育士資格保持者であり、産業カウンセラーでもある。

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