マルーン5の最新作「Nobodys Love」を手がけた、3人のソングライターのマネジメントを担当する一人の女性。出産直後の心不全によって会社を退職し、音楽会社を起業した。
「周囲への気配りを忘れずに、ストレスを抱えすぎないように、と主治医に言われた私が何をしたと思いますか? 自分の会社を起こしたんです」。

めまぐるしく変化する音楽業界を牽引する人々の舞台裏に迫る、米ローリングストーン誌の連載「At Work(アット・ワーク)」。さまざまな職種や新しいアイデアの紹介、さらには新規参入者へのアドバイスをはじめ、音楽業界に関する多種多様なテーマを探求している。

大手レコード会社やタレント事務所で働き、有名な映画やテレビ番組の音楽の監修を任され、さらには長年の夢だった音楽出版社のA&R担当というポジションを手に入れるまで、ジェイミー・ゼラック=ヒンドリンは音楽業界を股にかけて活躍してきた。そんなゼラック=ヒンドリンを決定的に変えたのは、3年前の死を覚悟した娘ケイトの出産体験だった。

すべてが崩れ落ちたとき、ゼラック=ヒンドリンは未来に向けて大きな一歩を踏み出そうとしていた。当時の彼女は、いまやポップスターとして世界的ブレイクを果たしたラウヴをはじめとするアーティストと契約を結んだばかりだった。ゼラック=ヒンドリンはただでさえ産休をとることに不安を感じていたのに、医師は彼女に「心不全から回復するまで、あと半年は産休を延長しなければならない」と言った。絶望した彼女は、自身のキャリアを自らの手に委ねることにした。その後、マルチな才能の持ち主であるゼラック=ヒンドリンは2018年にホームのロサンゼルスにエンターテイメントサービスとアーティストマネジメントを専門とするNonstop Managementを自ら立ち上げ、はやくも音楽業界に復帰している。

そして現在、昨年9月にリリースされたナンバー1ポップソング「メモリーズ」に続くかたちでマルーン5が7月24日にリリースしたニューシングル「Nobodys Love」には、Jキャッシュ、ライアンOG、マイケル・ポラックといった指折りのNonstop Management所属のソングライターが参加している。ポラックといえばZEDDの新曲「Funny」を、キャッシュといえば先日リリースされたチャーリー・プースの新曲「Girlfriend」を手がけたソングライターであり、ポラックとキャッシュはケイティ・ペリーのニューアルバムとジョナス・ブラザーズとの新プロジェクトにも携わっている。
近年のNonstop Managementの成功、さらにはレコード会社のインターンから恐れ知らずの音楽業界のリーダーになるまでの道のりなど、ジェイミー・ゼラック=ヒンドリンが本誌に語ってくれた。

ーA&Rが何かわからない人が多くいるなか、どのようなことがきっかけでA&Rが自分の天職だと思うようになったのですか?

当初はワーナー・ブラザース・レコードでA&R(訳注:アーティストの発掘から育成、楽曲の提供までを担当する者のこと)のインターンをしていたところ、A&Rアシスタントの仕事をもらいました。A&Rはレコード制作というプロセスのなかでもクリエイティブな部分であり、音楽を制作するうえでもっとも近い場所からアーティストを支えられる仕事だと早々に気づいていました。私が目指すのはこれだと思ったのですが、知らないことが山ほどありました。レコード会社のA&Rと音楽出版社のA&Rの違いもわかっていなかったくらいですから。

レコード会社のA&Rのミッションは、担当アーティストに提供する楽曲を見つけること——ソングライターやプロデューサーとペアを組ませたり、しかるべき人材に音楽制作を依頼したりなどです。それに対し、音楽出版社のA&Rは最初の段階からソングライターとともに仕事をします。ソングライターと過ごす時間はもっと多くなります。

ーレコード会社を退社した理由は?

当時は、サイアー・レコード(ワーナー・ミュージック・グループの子会社)の従業員の多くが解雇されました。私の上司もそうです。気がつけば職を失い、次に何をしたらいいかわからない状態でした。

エンターテイメント業界のなかでも映画やテレビといったジャンルが大好きだったので、その方向を探ってみようと思いました。
幼い頃に音楽に興味を持つようになったきっかけはサントラでした。まさにスコット・ヴェナーに近づくチャンスと考えたのです。スコットは当時、『アントラージュ オレたちのハリウッド』(訳注:米HBOの大ヒットコメディシリーズ)の音楽を監修していました。私は彼の作品の大ファンで、彼と近づきになる方法を見つけました。当時の私は「今、あなたの下で無償で働きます。だから、何かお手伝いさせていただけませんか? 本当に勉強したいんです」というようなことを伝えました。そして、スコットの下で1年ほど働きました。『ビバリーヒルズ高校白書』のセカンドシーズンにも携わり、音楽の部分でスコットを全面的にサポートしました。でも、ここにはあまり成長の余地がないと徐々に気づいたんです。そこで、CAA(訳注:米大手タレント事務所)でアシスタントの仕事を見つけました。すべてが変わったのは、ここからですね。

ーでも、タレント事務所にも長居はしませんでしたね。


CAA在職中にジョディ・ガーソン(米ユニバーサル ミュージック パブリッシング グループの現CEO)に出会いました。当時ジョディは、私の上司のクライアントでした。私に音楽出版について教えてくれたのは、ジョディなんです。タレント事務所での仕事はあまり好きではありませんでした。私が期待するようなクリエイティブな職場ではなかったのですが、次のキャリアへの踏み台として活かせる経験にはなりました。それだけでなく、タチの悪いアシスタント・従業員として働く機会にも恵まれました。最終的にジョディはケイティ・ウェルというソニーATVミュージックパブリッシングのA&R担当のひとりとの面接の約束を取り付けてくれました。ケイティは、受付係兼A&Rアシスタントとして私を採用しました。

そこで、いまは私の夫で、私の会社がマネジメントを担当しているJキャッシュに出会いました。彼は、私がこの業界で出会った最初のソングライターのひとりでした。私の上司が彼と契約を結び、私は彼のスケジュール管理を任され、一緒に仕事をはじめました。そして、2年半ほど務めてから、コーディネーターになるために退社しました。


Prescription Songs(訳注:音楽出版兼ライセンシングの会社、以下Prescription)で働いていたベカ・ティシュカーが、PrescriptionのA&R部門の立ち上げと事業拡大のために私を採用してくれました。Prescriptionに移籍した当時はJキャッシュもそこに所属していたので、ふたたび彼の右腕のクリエイティブ担当に復帰したわけです。

ー初契約はいつのことですか?

Prescriptionにいたときです。初めて契約にこぎつけたのは、Blueprintというソングライター兼プロデューサーのユニットと、Bantuというジンバブエ出身のソングライター・プロデューサー・アーティストでした。2015年に契約を結んだラウヴは、3人目です。

ー会社を辞めてNonstop Managementを創設したきっかけは?

妊娠中は、Prescriptionを退社するつもりはありませんでした。でも、娘を出産したあとに心不全を患ったのです。通常の休暇から復帰するように、当初は3カ月だった産休が約8カ月の医療休暇になってしまいました。心臓が完全に回復するまで、それくらいの時間が必要でした。心不全になったときは、仕事に復帰できると医師に言われたのですが、復職はおろか、Prescriptionに復帰できるか不安でした。私のような経験をした女性の多くは、心臓が完全に回復することはないんです。医療休暇が終わるにつれて、「復職して誰かのために仕事をするのが私の本当の夢だとは思わない。
だから、いまここで変えてみよう。私の夢はなんだろう? それは、一緒に仕事をするソングライターやプロデューサーが集まる自分の会社をつくることだ」と思うようになりました。

当時は、マネジメントが簡単に思えたんです。音楽出版社を自ら起こすなんてとても無理です。それに、音楽出版社で十分なソングライターやプロデューサーのマネジメント経験を積んだ気でいました。こうした人々と近い場所で仕事をしていたので、「これならやったことあるわ!」程度に考えていたんです。担当するクライアントのリストは、わりとすぐ出来上がりました。ひとりがふたりになり、どういうわけか10人にまで膨らみました。それが何を意味するか、私はその状況にどっぷり浸かるまで気付きませんでした。マネジメントは、音楽出版とは違います。自分の子どもを産んだ直後に「うわっ、11人の子どものお母さんになっちゃった」的な状態に陥りました。

「周囲への気配りを忘れずに、ストレスを抱えすぎないように」と主治医に言われた私が何をしたと思いますか? 自分の会社を起こしたんです。
まさに言われていたことの真逆ですね。最初の2年は娘の育児に専念するべきだったのかもしれませんが、やりたいこと、広げたいこと、携わりたいことがあまりにたくさんあったのです。

ーキャリアの目標に向かって進むだけでなく、ご自身の健康の健康管理から娘さんの世話まで、どのようにこなしていたのですか?

これは最高に難しいことでしたし、いまもそうです。ちょうどいいバランスを探し続けているんです。クライアントに限らず、人とのあいだに境界線を設けるのがずっと苦手でした。ずっと「どんなときも対応できるわ! 24時間、いつでも電話OK!」的なスタンスで働いてきました。だから、そこから変えなければいけませんでした。必要とされているときに対応できないのは辛いのですが。瞑想アプリも役に立ちます。あとは、ストレスを取り除くためにワークアウトするのも好きです。たいていの場合は、ヨガなんですけどね。

ー最近は、ソングライターのロス・ゴーランと仕事を始めましたね。ゴーランといえば、セレーナ・ゴメスやアリアナ・グランデといったアーティストの人気曲を手がけた人物です。

ロスは、私の親友のひとりです。一緒に音楽をつくるのが大好きなので、いくつかのソングライターたちと契約したんです。ふたりでちょっとしたプロジェクトを企画しています。いまの段階では、これ以上は言えないのですが。

ー外出自粛期間中は、TikTokの凄まじい影響力をご自身で目の当たりにされたと思うのですが、それについてどう思いましたか?

「Savage Love」というトラックが——そのときはまだインストゥルメンタルでした——TikTokで爆発的に拡散していました。私たちも耳にすることが多かったのですが、その背景までは把握していませんでした。自粛期間が3週目に入ろうとしたとき、ジェイソン・デルーロからキャッシュにあることを依頼してきました。ジェイソンとキャッシュはほぼ毎回一緒に仕事をしていて、ジェイソンのヒット曲の多くはキャッシュが手がけたものです。ジェイソンはキャッシュに例のトラックを送り、「マジでビートが最高だ。TikTokで拡散しまくってる。これに歌をつけるのを手伝ってくれないか?」と言いました。そこでキャッシュは「もちろん。君が言うならなんだってやるよ。任せてくれ」と応じました。

リリースまでの道のりはなかなか大変でした。私が思うに、ジェイソンはプロデューサー(Jawsh 685)の許可なしにトラックをリリースしたんです。ただTikTokにリークして動画をつくった感じですね。その後、トラックを削除しろ! という反動が生じました。契約締結プロセスの真っ只中にいたJawsh 685にとってフェアじゃないというのが人々の言い分でした。人々はジェイソンが楽曲を乗っ取ったと非難しましたが、徐々にジェイソンのバージョンへとシフトしていきました。Jawsh 685のチームと関係者全員もこれはもう止められないと判断し、リリースしないのは馬鹿げていると考えました。私たちはようやく許可を得、リリースするや否や、「Savage Love」はふたたびバイラルヒットとなりました。人々は、この楽曲をずっとYouTubeで聴いていました。YouTube以外に聴けるところがなかったからです。だから、いまは誰もがハッピーだと思います。

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ーこのようなエピソードは例外ですか? それとも、TikTokでビートを探すアーティストが増えているのでしょうか?

正直なところ、初めての経験でした。TikTokで拡散している楽曲の多くはすでに正式にリリースされているもの、あるいは歌のいらないビートだけのものです。これは、じつに興味深い状況でした。前代未聞でしたね。それに、ジェイソンはとてもクレバーでした。

ーTikTokで発掘されるソングライターは増えていますか?

ええ、私はいつもTikTokでソングライターを発掘しています。ソングライターのTikTok投稿を見るわけではないのですが、バイラルヒットを見つけたらクレジット情報をチェックし、誰が作曲したものかを突き止めるようにしています。

ー新型コロナウイルスによるマルーン5の新曲リリースへの影響は?

私の会社の数多くのスタッフが個別に作業し、最後につなぎ合わせてこのすばらしい楽曲をつくりました。アダム(・レヴィーン、マルーン5のフロントマン)が彼らしいタッチを加え、本当の意味で彼の楽曲に仕上げてくれました。これは、いまの時代にかなった方法だと思います。すべての人を結びつけてくれるのですから。もとのアイデアは自粛期間前からあったのですが、動き出したのは自粛期間に入ってからですね。最終的には、ひとつの部屋での同時セッションとは異なる方法で完成しました。すべて、Zoomでつくったんです。アダムのレコーディングもZoomで行いました。ちょっとした機材のセッティングはしましたが、レコーディング中はアダムひとりでした。担当エンジニアたちがZoomにログインし、Source Elementsという新しいツールを使いました。Source Elementsとは、自粛期間中にリアルタイムでレコーディングするためにエンジニアが使用するリモートレコーディング用ツールです。これがすべてを変えましたね。もう二度とスタジオでレコーディングする必要がなくなったようなものですから。

ーかつては、ご自身の音楽出版社を起こすという夢があったそうですね。その気持ちはいまも変わっていませんか?

変わっていません。まさにいま取り組んでいます。近いうちにびっくりニュースをお伝えしますね。

ーいままで得たなかで最良のアドバイスは?

上司だったサイアー・レコードの社長を見ているだけでとても多くのことを学びました。彼はこんなことを言ったんです。「きみがこの業界で学ぶことはすべて、肌で吸収しながら学びなさい。きみはただそこにいればいい。そうすれば、やがてはきみの一部となる」。これは本当です。飛び込むことで私はすべてを学んだのですから

産後に死を覚悟したからこそ新しいキャリアを見つけた女性起業家|音楽ビジネスストーリー


連載:AT WORK

音楽業界を牽引する人々の舞台裏に迫る、米ローリングストーン誌の連載「At Work(アット・ワーク)
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