リー・カースレイクは、ランディー・ローズとともにオジー・オズボーンのソロアルバムに参加。
また、ユーライア・ヒープのギタリストであるミック・ボックスは、Facebookにて「リーはこの世で最も優しい奴だった。ブラザーは凄まじいドラマーで、シンガーで、ソングライターだった。これ以上ないほど情熱的な生涯を過ごし、ファンたちだけでなく、関わってきた全ての人に愛されていた」と、コメントした。
ゴッズやヘッド・マシーンなどのイギリスのバンドに関わった後、カースレイクは1971年の後半にユーライア・ヒープに、1972年に発表された『Demons and Wizards』からレコーディングに参加するようになった。カースレイクは1978年のアルバム『Fallen Angel』でバンドが休止状態に入るまで、計8枚のスタジオアルバムの収録を行なった。その直後、彼はブラック・サバスから解雇されたばかりのオジー・オズボーンにスカウトされ、ランディ・ローズやベーシストのボブ・デイズリーらとともに新たなバンドを結成した。
オジー・オズボーンは、ローリング・ストーン誌の選ぶ最も偉大なヘヴィ・メタルアルバムトップ100で9位の『ブリザード・オブ・オズ』40周年記念インタビューで「リー・カースレイクを捕まえたのは、文字通りスタジオに入った瞬間だった。
しかし、カースレイクの『ブリザード・オブ・オズ』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』への参加は、ベーシストのデイズリーと同様に後に削除され、10年後に再発表された際には再レコーディングが行われていた。この原因は、オジーと彼の以前のバンドメンバー間で、印税と作曲のクレジットを巡った長い裁判沙汰だった。最終的には、カースレイクはアルバムのリリース前に脱退、そして別のドラマーのトミー・アルドリッジが『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のドラマーとして表記された。
カースレイクが末期癌と診断されたことを受け、彼とオジーはこれらの問題の解決にあたった。最終的にオジーはカースレイクの貢献を認め、彼にプラチナレコードを送った。
アルティメット・クラシック・ロックのインタビューに対して、カースレイクは、「最近僕は、シャロンとオジーに手紙を送ったんだ。彼らになんとか『ブリザード・オブ・オズ』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のプラチナアルバムの認定証を送ってくれないか、死ぬ前に壁にかけたいんだ、ってね。
カースレイクとデイズリーの貢献はのちに30周年エディションのLPが発表された時に再び表記された。オジーとの決別の後、1982年の『Abominog』からカースレイクとデイズリーは再びユーライア・ヒープに参加した。2007年に脱退するまで、彼はバンドに貢献し続けた。
Its been 39 years since Ive seen Lee but he lives for ever on the records he played on for me, Blizzard of Ozz and Diary of a Madman. Lee Kerslake RIP pic.twitter.com/xWqVR0VJn6— Ozzy Osbourne (@OzzyOsbourne) September 19, 2020
From:Lee Kerslake, Ozzy Osbourne and Uriah Heep Drummer, Dead at 73