ジャズ・ヴォーカルの女王、ダイアナ・クラールが3年ぶりのソロ・アルバム『ディス・ドリーム・オブ・ユー』を本日9月25日にリリース。彼女の才能を見出した名プロデューサー、トミー・リピューマとの最後の録音を収録した本作について、ジャズ評論家の村井康司に解説してもらった。


ダイアナ・クラールが、久々にジャズ・スタンダードに全面的に取り組んだアルバム『ターン・アップ・ザ・クワイエット』をリリースしたのは2017年5月のこと。実は発売直前の同年3月13日に、ダイアナを育て上げて『ターン・アップ・ザ・クワイエット』のプロデュースも担当した名プロデューサー、トミー・リピューマが、80歳で急逝したのだった。

育ての親にして最も信頼する音楽的パートナーだったリピューマの死は、彼女にとって非常に大きなショックだったはずだ。『ターン・アップ・ザ・クワイエット』発売時のあるインタビューで、ダイアナは「受け止めるのは、とても辛かった。25年間、仕事をしてきた。あまりに突然、何の前触れもなく亡くなってしまい、それからまだ1カ月しか経っていない。すごく辛いんです」と言って涙を流し続けたという。

トミー・リピューマの歩みを振り返った動画(英語)

それから3年が経過し、彼女はリピューマとの最後の仕事を含めた2016~18年の録音を編集した新作『ディス・ドリーム・オブ・ユー』を発表する。リピューマとの最後の仕事となった「バット・ビューティフル」を1曲目に置き、ジーン・ケリーの映画でおなじみの「雨に唄えば」で幕を閉じるこのアルバムの選曲は、『ターン・アップ・ザ・クワイエット』と同じく、まさに「グレート・アメリカン・ソングブック」というべきもの。

1920~40年代に作られたスタンダードの中に、ボブ・ディランの近年の曲「ディス・ドリーム・オブ・ユー」(2009年の『トゥゲザー・スルー・ライフ』所収)が混じっているあたりがなかなか渋く、『ウォールフラワー』(2015年)のタイトル曲といい、ダイアナはディランの渋い曲を探してくるのが好きなのかもしれませんね。ちなみにこの曲の参加メンバーは、ダイアナのヴォーカルとピアノに、チュアート・ダンカン(フィドル)、マーク・リーボウ(Gt)、トニー・ガルニエ(Ba)、カリーム・リギンズ(Dr)、そしてダイアナの叔父であるランドル・クラール(アコーディオン)だ。

「月に願いを」(原題:I Wished on the Moon)は1963年に公開されたミュージカル映画『The Big Broadcast of 1936』の劇中でビング・クロスビーが歌った楽曲。
この曲も生前のトミー・リピューマがプロデュースしたもので、ジョン・クレイトン(Ba)とのデュオで録音された。

『ターン・アップ・ザ・クワイエット』リリース時のインタビューでは、11曲しか入れられなかったけど、あと26曲ほど録音したマテリアルがある、と語っていたので、今回の12曲のうちのかなりの割合が、リピューマとのセッションでのテイクだろう。参加メンバーも前述のダンカンやリーボウの他、ジョン・クレイトン(Ba)、ジェフ・ハミルトン(Dr)、アンソニー・ウィルソン(Gt)、ラッセル・マローン(Gt)、クリスチャン・マクブライド(Ba)など、ほとんど『ターン・アップ・ザ・クワイエット』と同じだ。

とは言え、この『ディス・ドリーム・オブ・ユー』を聴いたときの印象は、『ターン・アップ・ザ・クワイエット』とはかなり違う。最大の違いは、ダイアナの「声」の近さだ。このことについて彼女はこうコメントしている。「私は(エンジニア、ミキサーの)アル(・シュミット)に、声を少しリスナーに近づけて、これまでとは全く違うバランスを実現できないかと尋ね、彼はそれを忠実に表現してくれました」

リピューマとのコンビで数々の名盤の録音・ミックスを担当してきた名匠アル・シュミットは、1930年生まれ、今年90歳の大ベテラン。シュミットの素晴らしいキャリアに、また一つ特筆すべき成果が付け加えられた、と感じるのは私だけではないだろう。

ダイアナは言う。「この時のセッションで録ったいくつかの音源は『ターン・アップ・ザ・クワイエット』という形でリリースされていますが、『ディス・ドリーム・オブ・ユー』はその枠には当てはまらなかった”別のフレームから見た、全く異なる絵”なのです」

ダイアナ・クラールとトミー・リピューマの歩み

さて、ここでダイアナ・クラールのキャリアを、リピューマとの関わりに焦点を当てて見てみよう。

1964年11月16日、カナダのブリティッシュコロンビア州に生まれたダイアナは、15歳のときからピアニストとして活動を始め、17歳でバークリー音楽大学に入学、レイ・ブラウンの知己を得てロサンゼルスに移った。初めてのレコーディングは1993年3月。
ブラウンの愛弟子であるジョン・クレイトン(Ba)、ジェフ・ハミルトン(Dr)、そしてダイアナのピアノとヴォーカルのトリオ編成による『ステッピング・アウト』だった。

『ステッピング・アウト』を聴いてダイアナの才能に注目したのが、GRPレコーズの社長に就任したばかりのトミー・リピューマだった。1995年12月に発売された『オール・フォー・ユー~ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ』で、ダイアナの人気は急上昇し、このアルバムはダイアナにとって初のゴールド・ディスクとなった。

そして『ラヴ・シーンズ』(97年)、グラミー賞ベスト・ジャズ・ヴォーカル部門を受賞した『ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ』(99年)、『ザ・ルック・オブ・ラヴ』(2001年)と、ダイアナは「ジャズ・シンガー」の枠をはるかに超えたスーパースターに成長した。リピューマのプロデュースのすばらしさは、女性シンガーにありがちなキュートさやセクシーさを特にクローズアップせず、ダイアナの強さや誠実さを、ごく自然に提示したことにある。その後もダイアナの多くのアルバムはリピューマとダイアナの共同プロデュース名義になり、生前最後のプロデュース作が『ターン・アップ・ザ・クワイエット』だった。

トミー・リピューマのプロデューサーとしてのキャリアも実に華麗だ。インペリアル、A&Mを経て68年にブルーサム・レコーズを立ち上げたリピューマは、ガボール・ザボ、デイヴ・メイソン、クルセイダーズ、ニック・デカロ、ダン・ヒックス&ホット・リックス、フィル・アップチャーチなど多数のアーティストを担当し、デイヴ・メイソン『アローン・トゥゲザー』、ガボール・ザボ『ハイ・コントラスト』、ニック・デカロ『イタリアン・グラフィティ』などなど、歴史に残る名作を多数リリースした。76年にワーナーに移籍してからの代表作は、ジョージ・ベンソン『ブリージン』、ニール・ラーセン『ジャングル・フィーヴァー』、ドクター・ジョン『シティ・ライツ』、ビル・エヴァンス『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』、クラウス・オガーマン&マイケル・ブレッカー『シティスケイプ』、マイルス・デイビス『TUTU』、ボブ・ジェームス&デヴィッド・サンボーン『ダブル・ヴィジョン』など多数。また、来日時に聴いたYMOの新しさにいち早く気づき、彼らの世界進出のきっかけを作ったことも特筆すべき業績だろう。

90年代以降も数々の名盤、ヒット作を送り出し続けたリピューマだが、後半生の最大の功績は、やはりダイアナ・クラールを見出してスーパースターに育て上げた、ということに尽きる。

ところで実家が理髪店だったリピューマは、若い時に取得した理髪師免許をずっと更新し続けていた。
「この業界、いつ何があるかわからないからね」確かに!

ダイアナ・クラールが「育ての親」トミー・リピューマに捧げたソングブックを考察

ダイアナ・クラール
『ディス・ドリーム・オブ・ユー』
2020年9月25日発売
価格:2860円(税込、SHM-CD)
https://jazz.lnk.to/DianaKrall_tdoyPR
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