それと同時に、群馬県・みなかみ町観光協会の後援と協力を得たこと、入場者数を2500人(通常開催時の約4分の1)に動員を制限しソーシャルディスタンスを保つための環境を作ること、過去のニューアコ経験者(あるいは経験者を含んだグループ)のみの参加に限定することなどが、方針として示された。
イベント名に「(Lifestyle)」という言葉が入っているのは、人と人の物理的な距離感、精神的な距離感が離れていく今においての新しい生活様式を模索する意味合いを込めてのものだろう。逆に言えば、これまでずっとニューアコが追求してきたのも、フェスとしての在り方ではなく(あくまで『キャンプ』である)あくまで人と人の距離感と生活の在り方と、その一部としてふっと存在する音楽の姿なのである。
昨年の秋にTOSHI-LOWとニューアコに関するインタビューを行った際、「ニューアコを始めた当初から『できるだけルールを作らない』『エリアの垣根をセキュリティが仕切るようなものにしない』みたいな理想があった。その理想を叶えるためにどうしたらいいかと思ったら、結局、一人ひとりが気づいて行動に移してくれることが大事になってくる。自分で選択してここに来たっていう覚悟があるからこそ、どうするべきか。不備があればこちらが悪いけど、天気とか、自分たちで解決できることに関しては、イベントや人のせいにしちゃいけない。そういう姿勢を徹底してきた結果が今だと思う」と話していた通り、ガイドラインと方針を示しながらも、今回の開催を後押ししたのは何よりニューアコの歴史とそこに来場してきた人々への信頼である。
今回ばかりは、ニューアコ史上初めてと言ってもいい「ルール」として「あたらしいニューアコの、9個の約束」が提示されていたとはいえ、その内容を見れば、マスク着用やソーシャルディスタンス維持の徹底、コロナウイルス接触アプリダウンロードのお願いなどなど、人への思いやりにおいて最低限のものばかりだった。これはもちろん「あとは自己責任で好きにやれ」ということではない。イベント開始当初から、テント間、人間間、ステージ間をゆったりとしたものに設定することで人と人が思いやりをもって行動できる「距離感」をひとつのテーマにしてきたニューアコだからこそ、「ルール」という強制を与えるのではなく「人も自分も自由であるために守るべきこと」という能動的な思考を生むことができるのだろうし、それを信じての開催だったのだと思う。
会場で徹底していた感染症対策
その上で、会場のほうでは具体的な感染症対策が徹底的に行われていた。
【画像】ソーシャルディスタンスを保つための環境下で実施された今年のニューアコ(写真12点)
しかし今回に限っては、密集した環境を避けるための最低限の制限を敷くことで、ニューアコの本質的な穏やかさと自由を守ろうという意識がそこかしこに見受けられたのである。観客の密集が生まれやすいステージ前のエリアには、地面に埋め込まれたピンクのテープで立ち位置が示され、その位置から動かないようにという内容が繰り返しアナウンスされ、歌を歌ったり大声を出したりしないよう、注意喚起の看板がライブエリアに貼り出されていた。
ただ、そういった制限が数多く張り巡らされたとしても、最終的には観客同士の思いやりの意識によって成立していくのがこのイベントの素晴らしさで、たとえば飲食エリアではMAKOTOとRONZIがコラボレーションで製作したラーメン、KOHKI監修のたこ焼きには長蛇の列ができていたが、そこでも観客が自主的に間隔を広くとって場所を譲り合う光景が見られた。これは「コロナだから」「今だから」という意識と同時に、ニューアコが11年間の歴史の中で積み上げてきた自助の精神性が作り上げた景色でもある。人との距離感、人との触れ合いの在り方が改めて問われる今において、人と自分が最も穏やかでいられる方法とは何か?と想像力を働かせ、自分以外の他者の声をどう受け止めて生きていくのかは最も重要な社会的テーマだ。今年こそ上述した新しい試みが多くなされながらも、その社会的なテーマに対する姿勢を表し続けてきたのがニューアコなのだと、変わらぬ本質も同時に浮かび上がってくるのだった。
楽しさを伝える多彩なコンテンツ
来場者を絞ったことにも配慮して特設されたYouTubeの配信チャンネルではTOSHI-LOW自身がニューアコ会場を案内したり、出演アーティストのインタヴビューを行ったり、配信ブースではLOW IQ 01やG-FREAK FACTORY茂木などお馴染みのメンツによるお酒をたしなみつつのトークが展開されていたり、RONZIによる会場近辺の観光スポット紹介が行われたりと(RONZIが温泉に入るセクションはいろんな意味で騒然としていた)、出演者それぞれが飾りっ気ない人柄を見せながらニューアコの楽しさを間口広く伝えるコンテンツも多く用意されていた。
観客はもちろん出演者自身も自然体でいられる場所であること、その自然体を守るための制限を逆手にとってより一層自由なコンテンツにしてしまうアイデアがあること。フィジカルな触れ合いが叶わない状況だとしても、その距離感を埋めることは可能だという想いがあること--本質が一切変わらないまま新しく生まれ変わったニューアコの姿を随所に垣間見られたし、たとえば今年得たノウハウの数々や、今年強めることができた「個々の自治」の意識はそのまま、来年以降の新しい可能性になっていくのだと思う。
そして、実際のライブはどうだったか。たとえば、昨年は「ボツになった曲たち」を交えて大笑いしながらのライヴを行っていたハナレグミ。「去年はボツ曲を演奏しながら緩いライヴをやったんですけど、今年はストレートに演奏していこうと思います」というひと言からSUPER BUTTER DOG時代の楽曲「サヨナラCOLO」を歌い上げるなど、ニューアコ特有の観客との親近感を「楽しいライブ」に繋げるのではなく、音楽を鳴らし音楽を直接的に共有できる場所があることへのありがたみを噛み締めていくようなライブを見せた。
【画像】ソーシャルディスタンスを保つための環境下で実施された今年のニューアコ(写真12点)
EGO-WRAPPINはイベントへの感謝を口にしながらも、言葉より音楽で人と対話したいと言わんばかりに矢継ぎ早に歌を繰り出していく。アコースティックアレンジによってじっくりとした歌唱へ変貌し、それによってむしろ中納が歌に没入していく際の凄みが際立っていた。MONOEYESは、観客と共に歌うことが制限されようとも、音楽によって生まれる内側の熱を共有することは可能だと伝えるように、細美がステージの際まで乗り出してくるアグレッシヴなアクトとなった。「Borders & Walls」では、「レッツゴー!」に合わせ歓声の代わりに拳とバンザイが原っぱいっぱいに広がり、大人から子供まで全員が、歌を歌わずとも歌と一体化していく光景が感動的だった。
TOSHI-LOWがライブで語ったこと
さらにTOSHI-LOW曰く「ニューアコの真の王様」であるLOW IQ 01は、初っ端からTOSHI-LOWを呼び込み、自身の楽曲を聴かせることよりも、誰かと音楽を通じて繋がり、戯れ、遊んで大笑いする様を見せることで観客それぞれの笑顔を引っ張り出していった。観客の前でライヴをすることが制限され、音楽を表現することが縛られた時期を経たことで、出演者それぞれにとっての音楽の在り方、歌への気持ちが改めてピュアに表出するようになったというか。それぞれにとって、人と音楽を共有することの意味がライブの中で発見されていったというか。
「このイベントをやれないことはないと思えたのは、何よりもあなた方が、守るべきことを守ってくれたおかげ。だから、まずはあなた方自身に感謝を送ってください。ステージ上はいつも通りのライブだったから、TOSHI-LOW酒飲んでるじゃねえか、細美武士に酒飲ませてんじゃねえかっていう声もあるかもしれない。でもね、どんなに新しい世界になろうとも、まず大事なのは楽しむこと。自分たち自身が楽しむ中で答えを見つけていくことが大事だと思ってる。俺たちはコロナっていう同じ時代を生きて、ここで見つけた何かを次の世代に伝えていかなくちゃならない。夢みたいな世界をともに生きているのなら、夢みたいな世界をともに楽しんで、最後に全員がいなくなる前に伝えていきたいよね」
新しい価値観、新しい距離感を拒むのではなく、それを真っ向から受け入れた上でいかにして楽しみ、自由を感じながら生きていけるのか。その模索までをイベントの随所で正直に見せ、その上で、変わることのない音楽の喜びを存分に謳歌する。言葉にすればたったそれだけだが、自由という言葉のリアリティが変わっていく今だからこそ、音楽を通じて表現し続けた自由を守るためにどうしたらいいのかを探求する場所としての稀有さが際立つ2020年の『New Acoustic Camp』だった。OAUが奏でた「New Tale」や「夢の跡」は、過去曲へのノスタルジーではなく、ファンタジーと現実がことごとく引っくり返った世界を真っ向から迎え撃つためのファンファーレとして聴こえてきたのだった。

公式HPに掲載された「New (Lifestyle) Acoustic Camp 2020 新型コロナウイルス感染症対策に対するご協力への御礼とご報告」
https://newacousticcamp.com/news/2020/10/05/1561/