1978年1月14日に開催された、セックス・ピストルズのラスト・ライブを振り返る。空回りするステージ。
「騙された気分はどうだい?」と言い放ったジョニー・ロットン。バンドが終焉を迎えるまでの過程を、当日のライブ映像を交えながら、音楽評論家の小野島大に解説してもらった。

ロック史上最大級のスキャンダルにまみれたバンドのひとつであり、パンク・ロックという概念を確立・普及させた最大の功労者でもあるセックス・ピストルズ。彼らの登場は英国のみならず世界のロックの歴史を塗り替え、ロック・ファンの意識を大きく変えた。彼らによって人生を変えられたファンは世界中に数多く存在する。ピストルズ以前/以降で、世界の様相は一変したのである。

だがそのように世界を変えた彼らの実質的な活動期間はわずか2年余り。その間、シングルを4枚、アルバムを1枚リリースしたに過ぎない。アメリカ進出を目指し初のアメリカ・ツアーを開始した矢先に空中分解して、解散状態になってしまう。閃光のようにロック・シーンに現れ、あらゆる既存の常識や権威や価値観や美意識やモラルを徹底的に紊乱しぶち壊して、一瞬眩く輝いて、あっという間に消えていったのである。

そのセックス・ピストルズの最後のライブの模様を収めた動画がこれだ。

【動画を見る】セックス・ピストルズ最後のライブ(フル収録)

1978年1月14日、サンフランシスコのウィンターランドでのライブ。
わずか13曲、1時間に満たない演奏時間。最後の曲「ノー・ファン」が終わったあと、ジョニー・ロットンが「騙された気分はどうだい?」と吐き捨てたことで有名になったこのライブは、最初から最後までスキャンダルにまみれ、マネージャーのマルコム・マクラレンのメディア扇動とさまざまな策略で、フェイクなイメージが定着してしまった彼らの実像と、なぜ彼らが解散しなくてはならなかったのかを、赤裸々なまでに露呈している。

「最後のライブ」に至るまでの背景

1977年10月、1stアルバム『勝手にしやがれ』を全英チャート1位に送り込み、米ワーナーとディストリビューション契約を結んだ彼らの次のターゲットはアメリカだった。ワーナーの提案でアルバム・プロモーションのためのツアーを企画したものの、マルコムはあえてニューヨークやロス・アンジェルスといった音楽産業の中心地である大都市を避け、アメリカ南部を中心とした小さなヴェニューを回るツアーを組んだ。マルコムは決まりきったロック・バンドの成功パターンを踏襲したくなかった。流行の先端を行くスノッブな北部の大都市ではなく、あえて保守的で頑迷な南部に、秩序の紊乱者であるピストルズを放り込むことで起きる摩擦と軋轢を狙ったのである。より具体的に言えば、行く先々でピストルズのメンバーと現地の客がトラブルを起こし暴動・ケンカ沙汰にでもなってマスコミの話題になってくれれば、という皮算用があった。悪名は無名に勝る。それがマルコムのやり方だった。

ツアーは77年末から始まる予定だったが、逮捕歴のあるメンバーのビザが下りず延期され、結局78年1月5日、アトランタから始まった。そこからメンフィス、サンアントニオ、ダラスなどを回り、最後にサンフランシスコに辿り着く予定だった。いざツアーが始まってみると、ただでさえバラバラだったメンバーの統制はますますとれなくなっていった。
スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは酒と女に浸りっぱなし、重度のジャンキーだったシド・ヴィシャスは旅先でドラッグを調達することしか頭になかったし、行く先々で無用なトラブルを起こしてもいた。ジョニーはツアーの間中、ドン・レッツが作ったレゲエのミックステープを聞いていたが、他メンバーはそれに一切の関心を示さなかった。一方スティーヴやポールは十年一日のごときストゥージズやニューヨーク・ドールズのテープばかり飽きもせず聞いていて、ジョニーを呆れさせていた。そしてジョ二ーは書きかけの新曲「レリジョン」の歌詞をスティーヴやポールに見せたが、まったく無反応だったという。「レリジョン」は後にPILの1stアルバムに収録された。パンクの次に来るものを見据えていたジョ二ーと、旧態依然としたロックンロールにしがみつく他メンバーの乖離は、既に明らかだった。

マルコムはバンドに対する統制力と支配力を高めるため、メンバー同士の対立を煽り、内部分裂を狙っていた。古今の権力者たちが使う常套手段である。具体的には自分と対立関係にあったジョニー・ロットンを追い出してシドをフロントマンに仕立てようとしていた、という説が有力だ。もっともスティーヴは後に「ジョニー抜きのピストルズなんてありえないし、考えたこともない」と語っていたが、メンバー同士の険悪な雰囲気、特にジョニーとスティーヴ、ポール、そしてマルコムの深い溝は、もはや埋めようもないところまで来ていた。そしてもともとピストルズに加入してからベースを始めたシドのプレイは不安定で、そこにドラッグの影響や、ステージ上でマルコムの求めるワイルドで破滅的なロック・スター・イメージ通りに振る舞おうとしたこともあり、ライブはしばしば収拾不可能な混乱に陥ったりもしていた。観客のウケも悪く、演奏は生気を欠いた。


運命の日、ピストルズが見せた「限界」

そして訪れた運命の1月14日、サンフランシスコ・ウィンターランド。マルコムは米ツアー終了後バンドをブラジルのリオデジャネイロに連れてゆき、大列車強盗のロナルド・ビックスとレコードを作ろうとしていたが、これをコンサート直前に聞かされたジョニーが激しく反発、楽屋でスティーヴらと怒鳴りあいになった。ジョニーは「今夜はなにもかもぶち壊してやる」と宣言、メンバーは険悪な状態のままステージに上がった。

この投稿をInstagramで見るJohnny Rotten(@sexpistols.official)がシェアした投稿 - 2020年 9月月3日午前9時24分PDT
ジョニーの「ロンドンへようこそ」というMCに始まる演奏は不安定極まりない。ギターのチューニングが狂っていて、おまけにアンプの調子が悪く音が途切れる。プレイは不安定でミスを繰り返し、やる気なさげにダラダラと続く。シドはしばしばベースを弾くことをやめ、古臭いロック・スターのポーズを決めることに忙しい。客席からはしょっちゅうモノが投げ込まれ、客はステージに無秩序に乱入する。演者も客も集中力、一体感を欠いていた。そんな中、ジョニー・ロットンだけが、語尾を強調し吐き捨てるような独特のロットン節全開で、迷走するバンド演奏の中で孤軍奮闘を続けている。まさに消えゆかんとするバンドの生命を、彼ひとりが必死に押しとどめようとしているようにも見える。その冷え冷えとした孤立感と空回り感が、見るたびに辛い。


演奏は後半に行くにつれ徐々にまとまりが良くなり、タフでソリッドなパンク~ガレージ・ロックンロール・バンドとしてのセックス・ピストルズの実力の片鱗を見せるようになる。だがそれだけに、このバンド、このメンバーの限界がはっきりと見える。この演奏がこの先行き場のないどん詰まりであることがわかるのだ。アンコールのストゥージズ「ノー・ファン」のカバー演奏の終盤、ステージにうずくまったジョニーの虚脱したような、諦めきったような、疲れ切ったような寂しげな表情が印象的だ。

ピストルズ解散、パンクが果たした功績

そして翌日、ジョニーはセックス・ピストルズ脱退を宣言する。この時のいきさつは当事者それぞれの証言の食い違いがありはっきりとしない。だがジョニーがマルコム抜きでのセックス・ピストルズ存続をスティーヴとポールに提案するが拒絶された、というのが真相のようだ。

「スティーヴとオレはマルコムを排除してバンドを続けることが正解だとは思えなかった。あとになってジョニーの言う通りだったとわかるんだけどね」(ポール)

スティーヴとポールはリオデジャネイロに向かい、ジョニーはロンドンに帰る交通費もない一文なしの状態でサンフランシスコに取り残された。シドはオーバードーズで人事不省となり入院するハメになっていた。結局ジョニーは現地の友人に援助してもらいロンドンに帰った。マルコム、スティーヴ、ポール、そしてシドによってセックス・ピストルズという名での活動はその後も続いたが、それも長くはなかった。


そして1978年10月、シドはガールフレンドのナンシー・スパンゲン殺害容疑で逮捕され、保釈後の1979年2月にヘロインのオーバードーズで死亡する。パンクのもっとも凝縮された純粋な象徴であり、アイコンでもあったシドの死によって、名実ともにパンク・ロックは終わった。その頃、ジョニーは本名のジョン・ライドンへと戻り、新グループ、パブリック・イメージ・リミテッドの革命的なデビュー・アルバム『Public Image: First Issue』をリリースしたばかりだった。時代はピストルズ的なものを置き去りにして、はるか先へと進んでいたのである。
この投稿をInstagramで見るJohnny Rotten(@sexpistols.official)がシェアした投稿 - 2019年 9月月30日午後12時07分PDT

最後に個人的なことを言えば、私はピストルズに出会って完全に人生を変えられたクチだ。あの時彼らの曲を聞いていなければ、今の自分は絶対にない。パンクが登場した最大の意義とは、それまでのロックが積み重ねてきた歴史や物語は一切無効であり、ここから先は何もない空虚であると宣したことだった。ジョニー・ロットンのニヒリスティックな哄笑の裏に見える虚無感は、なにもない空っぽな時代を生きるしかないという諦念を示していた。だが彼らに続く世代にとって、それは歴史や伝統、既存の秩序や価値観という重い鎖から解き放たれたということであり、マニュアルもガイドもない代わり、自由で無限な可能性が目の前に開けているということでもあったのだ。

だが、ラジオで「アナーキー・イン・ザ・UK」を耳にした瞬間の横っ面を張り飛ばされるような異様な衝撃と、それまで聞いていたオールドスクールなロックが片っ端からガラクタになっていくような、そびえ立つ建築物がすべて崩壊して目の前が一気に開けていくような感覚を、今の人に理解してもらうのはなかなか難しいとも思っている。今セックス・ピストルズのアルバム『勝手にしやがれ』を聞いても、良くできたオールドスクールなロックンロール・アルバムという以上の感想を持つことは難しいだろう。ラスト・ライブの映像は、ピストルズをピストルズたらしめていたものが欠落した結果の、いわば残骸にすぎない。
 

ピストルズの、パンクの衝撃は、それを体験した者の言葉の中にしか存在しないのかもしれない。気負った言い方をすれば、それを語り継いでいくのが私の使命だと思っている。

【関連記事】
●セックス・ピストルズ『勝手にしやがれ!!』 メンバーによる40年後の全曲解説
●セックス・ピストルズ、激動の1977年を駆け抜けた4人の素顔(写真ギャラリー)
●「パンク」史上最高のアルバム40選

>>>記事の最初に戻る
編集部おすすめ