先日、アリアナ・グランデが新曲をリリースしました。「positions」という曲です。米大統領選の候補討論会の後に自らが大統領を演じたMVを公開したことで話題になっています。
虫の鳴き声がループとして使われており、どことなく風流です。イントロおよびヴァースの上モノは弦楽器が使用されていて、わりとエレガントな響きですが、やはりベースが凶暴。言うまでもなく一般的なエレキベースでは出せない音域で、ボリュームを上げないとよく聴こえないかもしれません。
「positions」のビートはざっくりとトラップ的なリズム感覚を伴ったものです。しかし、トラップの特徴のひとつであるハイハットの乱れ打ちは見られず、細かい刻みが時折顔を出すといった程度です。ハットは基本的に16分音符で刻まれています。とは言え、それでもトラップ的と言って差し支えないでしょう。
今でこそ気持ち良く聴けるものの、長らくトラップ的なビートに対して苦手意識がありました。苦手というか謎だと感じていたと言ったほうが良いかも知れません。
あるとき、そうした意識に変化が訪れます。それは、FACTmagazineの名物企画「Against The Clock」にアトランタ出身のトラックメイカー、ゼイトーヴェンが登場した回を見たことがきっかけでした。「Against The Clock」は様々なトラックメイカーが10分以内にトラックを完成させることに挑むという企画です。ゼイトーヴェンは4分弱でトラックを完成させたことが伝説となっています。
この動画で、注目すべきは彼の手際の良さではありません。トラックを制作しているときの彼の動きです。とりあえずリズムの取り方に注目したい。ゼイトーヴェンは頭を前後に振ったり、腕を縦に曲げて肘を上下させたりしています。この刻み方は自分がなんとなく想定していたものの倍でした。その様子を見て「なるほど! トラップってこういうふうにリズムを取る音楽なのか!」と思ったら、すとんと腑に落ちたのでした。
これはある種のダンス・ミュージックに限った話かもしれませんが、私は次のように考えます。
ポケットクイーンというインスタグラムで大人気のドラマーがいます。彼女がDrumeoというオンラインドラム講座を行うサイトの動画に出演したときに、聴衆をどのように踊らせたいのか意識し、それに即した演奏をすることが大事だと言っており、私は目を閉じて深く頷き、「それな」と一人呟いたのでした。やはり音と動きは分かち難い関係にある。実際、名人の演奏を聴いていると、なんだか音そのものが踊っているかのような感覚を覚えたりもします。
ところで、話は変わりますが、誰かのライブを観に行ったときに、ボーカルが「踊れぇ!」と煽ってきたら、その期待に応えるのはなかなかハードルが高いことなのではないでしょうか。いやいや、自由に踊れば良いじゃんという意見もあることでしょう。そのとおりだとは思いますが、真っ白いキャンバスを渡されて「なんでも好きに描いていいよ」と言われるようなものだから、困惑するのが現実といったところでしょう。たまに紫の照明がオレンジに変わったら、誰も踊ったことのないお前だけのダンスを始めなくてはいけないというルールを設けている場所があったりして、これがなかなかに大変なのです。
踊りを要求されることに比べると、手拍子を要求されるほうがまだコミットしやすいと思います。
ポピュラー音楽において、2拍目、4拍目というのは一般的にドラムのスネアが鳴らされるタイミングです。これをバックビートと呼びます。曲を漫然と聴くことから一歩踏み込んで、体を動かすなどして積極的にコミットしようと思ったときに、バックビートに合わせて手拍子を打つことが一番気楽にできることではないでしょうか。「いや、シンガロングのほうがイージーでしょ」という意見もあるでしょうが、ここでは捨て置きます。
そんなわけで、これよりアリアナの「positions」にコミットしていきたい。このトラックではトラップよろしくバックビートにTR-808のクラップの音が使われています。文字通り手拍子を模した音です。それでは、曲に合わせて実際に手拍子を打ってみましょう。さあ、どうぞ。
どうですか。わりと暇じゃありませんか。なんだか片手間で取り組んでいるような感じ。この暇さこそがまさにトラップの掴みどころがなさだったのかもしれないと今にして思います。だら~んとした印象を受けるというか。次はこの暇さ加減を解消するために、手拍子を倍にして打ってみましょう。「ワン・ツー・スリー・フォー」と4拍すべて手拍子を打つということです。
どうですか。暇ではなくなりましたが、なんというかベタッとしていて野暮ったい感じではありませんか。いまいち曲調にマッチしてもいない気もする。続いて、倍。さらに倍。
どうですか。ちょっと忙しないですね。「鬼さんこちら手の鳴るほうへ」と煽っている感じ。それに、バックビートで手拍子を打っているとき特有のノリのようなものが失われてしまいました。
手拍子元来の感覚を取り戻すために、音を間引いてみます。先程まで「ワン・エン・ツー・エン・スリー・エン・フォー・エン」と刻んでいたものを、長さはそのままにして、「ワン・ツー・スリー・フォー・ワン・ツー・スリー・フォー」というふうに捉え直してみます。つまり1小節を半分に分割して2小節に分けるということです。そのうえで、新たに設定した2拍目、4拍目で手拍子を打ってみます。原理的には、「ワン・エン・ツー・エン」の「エン」のみ手拍子を打つのと一緒です。
どうですか。しっくり来ませんか。
そもそもの話、「Against The Clock」の冒頭で聴こえるクリックのBPMを計測すると176ぐらいなので、倍だと再解釈したテンポこそがデフォルトで、トラック自体がハーフタイムになっていると考えるほうが実情に即しているのかもしれません。つまり、トラップ的なビートにおいてスネアないしクラップが鳴るのは3拍目だと捉えるべきなのかもしれないということです。海外のサイトで「positions」のBPMを調べると、144と出てくるので、やはりハーフタイムとして捉えるほうが一般的な感覚なのだと思われます。
ちなみに、最初に取り組んだ暇な手拍子も、ゼイトーヴェンのように頭を前後に細かく揺らしながら打てばしっくり来るはずです。倍のテンポで頭を揺らしながら「positions」を聴いてみると、アリアナの麗しき歌唱がすすすっと耳に入ってくること請け合いです。
トラップを通じてテンポを倍で取ることの気持ち良さを覚えてから、それまで愛聴してきたファンクのビートの聴こえ方も変わりました。特に今回取り上げた「Position」と同じく、ハイハットが16分で刻まれるタイプのビートです。もっというと、片手で16分のハットを刻んでいるタイプのビート。有名なところだと、ジェームズ・ブラウンの「FunkyDrummer」やビル・ウィザーズの「Use Me」があります。ちなみに、前者はクライド・スタブルフィールド、後者はジェームス・ギャドソンが叩いています。比較的近年の作品には、アンダーソン・パークの「Come Down(Tiny Desk Concert版)」、チャイルディッシュ・ガンビーノの「Have Some Love」、クルアンビンの「August 10」などがあります。これらの曲のバックビートを3拍目だと解釈し直して、ゼイトーヴェンのように細かくテンポを刻んでいくと気持ちの良いことこの上なし。
こうしたタイプのファンクから今度はトラップを捉え返してみると、トラップもファンクの成れの果てという気がしてきます。トラップ=ファンク説。ちなみに、Spotifyの「アメリカ合衆国トップ50」というプレイリストをざっとチェックしたところ、ハーフタイム的なテンポ感の曲がほとんどでした。該当しないのはザ・ウィークエンドの「Blinding Lights」とBTSの「Dynamite」。そして、フリートウッド・マックの「Dreams」。現代は長らくハーフタイムが覇権を握っている時代といって過言ではありません。まさに終わることのないハーフタイムショー。今回はそんな良い感じの言葉で締めたいと思います。
鳥居真道

1987年生まれ。「トリプルファイヤー」のギタリストで、バンドの多くの楽曲で作曲を手がける。バンドでの活動に加え、他アーティストのレコーディングやライブへの参加および楽曲提供、リミックス、選曲/DJ、音楽メディアへの寄稿、トークイベントへの出演も。Twitter : @mushitoka / @TRIPLE_FIRE
◾️バックナンバー
Vol.1「クルアンビンは米が美味しい定食屋!? トリプルファイヤー鳥居真道が語り尽くすリズムの妙」
Vol.2「高速道路のジャンクションのような構造、鳥居真道がファンクの金字塔を解き明かす」
Vol.3「細野晴臣「CHOO-CHOOガタゴト」はおっちゃんのリズム前哨戦? 鳥居真道が徹底分析」
Vol.4「ファンクはプレーヤー間のスリリングなやり取り? ヴルフペックを鳥居真道が解き明かす」
Vol.5「Jingo「Fever」のキモ気持ち良いリズムの仕組みを、鳥居真道が徹底解剖」
Vol.6「ファンクとは異なる、句読点のないアフロ・ビートの躍動感? 鳥居真道が徹底解剖」
Vol.7「鳥居真道の徹底考察、官能性を再定義したデヴィッド・T・ウォーカーのセンシュアルなギター」
Vol.8 「ハネるリズムとは? カーペンターズの名曲を鳥居真道が徹底解剖」
Vol.9「1960年代のアメリカン・ポップスのリズムに微かなラテンの残り香、鳥居真道が徹底研究」
Vol.10「リズムが元来有する躍動感を表現する"ちんまりグルーヴ" 鳥居真道が徹底考察」
Vol.11「演奏の「遊び」を楽しむヴルフペック 「Cory Wong」徹底考察」
Vol.12 クラフトワーク「電卓」から発見したJBのファンク 鳥居真道が徹底考察
Vol.13 ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」に出てくる例のリフ、鳥居真道が徹底考察
Vol.14 ストーンズとカンのドラムから考える現代のリズム 鳥居真道が徹底考察
Vol.15 音楽がもたらす享楽とは何か? 鳥居真道がJBに感じる「ブロウ・ユア・マインド感覚」
Vol.16 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの”あの曲”に仕掛けられたリズム展開 鳥居真道が考察