デビュー40周年を記念して『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980-2004』『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 - 2020』の2タイトルのベスト・アルバムを同時にリリースした佐野元春

このベスト盤、全曲をテッド・ジェンセンがマスタリングを手がけ、さらに2つのレーベルに分かれたリリースにもかかわらずアルバムジャケットのイメージを統一するなど、佐野らしいこだわりが思う存分発揮されおり、制作に1年半を要したという。


その結果、ベスト・アルバムの領域を超え、新しい作品と呼ぶに値するアルバムとなった。ベスト盤の話とともに、ロックミュージシャン・佐野元春の深層に迫った。

―40周年ベスト・アルバムは単なるベスト盤ではなく、新しい作品とも言える内容でした。ディスク毎の選曲について聞かせてください。ソニー時代の楽曲が並ぶ『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980-2004』のVOL.1は、4thオリジナルアルバム『VISITORS』までの曲からのセレクトです。サウンドのテイストというと、NYで制作されたヒップホップ色全開の『VISITARS』はかなり異色ですが、なぜここまでをに収録したんですか?

佐野:アルバム『BACK TO THE STREET』『HEART BEAT』 『SOMEDAY』が自分の初期3作。その後に『NO DAMAGE』というコンピレーションアルバムを出して、米国に渡った。確かに、次に出した『VISITORS』は、それまでと音楽性は違うけれど、気持ちで言うと自分の中では『VISITORS』までがアーリー・デイズだと思っている。

―佐野さん的には『VISITORS』までが初期なんですね。

佐野:そうだね。80年代前半当時、日本の音楽界は保守的だった。デビューした後、その保守的なムードをぶち破りたくて米国へ渡った。
「黒船に乗って凱旋帰国するぞ」っていう思い。サディスティック・ミカ・バンドとは違うアプローチで(笑)。

―その時点における黒船的な佐野さんの音楽革命を、若い世代に説明すると?

佐野:それまでの日本語のポップロックの様式をぶち破ること。リリックも、唄い方も、曲のテーマも。僕なりにやってみた。VO.1にはその実験作が入っている。

―まさに言葉=歌詞における実験でした。なぜ歌詞に注目したのですか?

佐野:自分が聴いてきた欧米の音楽はディランにしてもレノンにしても歌詞が良かった。歌詞というか、それはポエトリーだった。でも当時、日本でポエトリーを感じるロックは少なかった。はっぴいえんどのような優れたバンドもあったけれど、アンダーグラウンドだった。だから自分はそれをメインストリームでやってみようと思った。


「孤高の戦い」ではなく「愉快な冒険」

―『VISITORS』は日本初のラップと言われています。

佐野:そうかな。日本語のラップといえば、雪村いづみが50年代のレコード「恋人になって(I WANT YOU TO BE MY BABY)」でごきげんなラップを披露している。共演して一緒に唄ったことがあるよ。ただ、ストリートワイズに根ざしたいわゆるレベルミュージックとしてのラップ、ということで言えば「COMPLICATION SHAKEDOWN」が初めてだったと思う。「フィジカルなダンス、メンタルなダンス、システムの中のディスコテーク」っていうカンジ。

―ええ。

佐野:要はラップでもそうでなくても、当時のキッズたちが「これは僕たち、私たちの音楽だ」といって楽しんでくれたのが良かった。コンサートでは全国のどこのホールも熱狂的だった。時代が変わると思った。

―そして日本の音楽は大きく変わりました。ただSNSもなかった当時は、そうした若き表現者の挑戦は当時孤高の戦いだったのでは?

佐野:孤高の戦いではなかったよ。
愉快な冒険をしている感じだった。まるで、マルクス・ブラザーズが場を混乱させているようなカンジ(笑)。なので、あるインタビューで「佐野元春さんの基本的な資質は何だと思いますか?」って聞かれたから、すかさず「コメディアン」と答えたよ。

―(笑)。ちなみに、今だから言えるNY時代の秘話ってありますか?

佐野:当時、国営放送でやっていたFM番組をNYから送っていた。NY特派員になって街をレポートしたり、最新の音楽を流していた。そこでいろんなことが起こった。

―例えば?

佐野:クラブなんかで取材するにはプレスの認証がないとだめだった。自分は持っていなかったので、いけないと思いつつも偽造した。証明写真はアルバム「ノーダメージ」の写真を使った。ちょうど正面を向いてる写真だったから、そこだけ切り取って使った。出来が良かったのか、そのIDでどこでもパスできた。


―ほとんど犯罪ですよ、佐野さん(笑)。

佐野:今だから言える話。ダウンタウンのレゲエ専門のクラブに行って、ライブ録音の許可をもらおうとしたんだけれど相手にされなかった。次の日の夜、知り合いから質のいいマリファナを買ってそのクラブに持っていった。もう一度交渉したら「好きなだけ録音しろ」と言われた。おかげでニューヨークの最新のレゲのライブを日本でオンエアできた。

―聞かないことにしておきます(笑)。

NYとロンドンのセッションを経て、インターナショナルなレコーディング方法を学んだ

―VOL2はどんなテーマが詰まっているのでしょうか?

佐野:『Cafe Bohemia』『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』『スウィート16』。3アルバムの曲をコンパイルした。

―『VISITORS』から『Cafe Bohemia』にかけて、何か変化はありましたか。

佐野:『VISITORS』はちょっとやり過ぎたなと思って、『Cafe Bohemia』は聞きやすく作った。

―なるほど。


佐野:その頃、自分の興味はニューヨークからロンドンに移っていた。ロンドンではサードワールドの音楽が入ってきて新しい音楽が生まれていた。そこにデジタル技術がからんで、新しくて楽しいポップ音楽が生まれていた。

―今から振り返ればそうでしたね。

佐野:しばらくロンドンに滞在した。そこから英国パブロックのミュージシャンたちとセッションした『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』のレコーディングに繋がってゆく。

―ストリート音楽からインターナショナル音楽へ。それがVOL.2には凝縮されている。

佐野:そうだね。NYとロンドンのセッションを経て、インターナショナルなレコーディング方法を学んだ。その後、いよいよ本物のメイド・イン・ジャパンのサウンドを目指した。それが『スウィート16』アルバム。
この作品を作りたいために、『VISITORS』と『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』があったと言ってもいい。

―その『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録されている「雪 -あぁ 世界は美しい」はシンプルな日本語だけで構築された詞で、英語が入っていた初期の佐野さん曲とはまるで違います。そしてこの歌を聴くと、日本語って本当に美しいと感じさせてくれる。

佐野:「雪 -あぁ 世界は美しい」は、東洋的なセンスが欲しかったので、日本の僕のバンドでレコーディングした。プロデューサーのコリン・フェアリーも気に入ってくれた。「西洋と東洋が高いレベルで融合した新しいポップロック」。そう言っていた。

―佐野さんの中にあるオリエンタルな意識というものを、もう少し詳しく教えてください。

佐野:西洋とか東洋という枠を超えたユニバーサルなもの。禅はその象徴だ。そういえば80年代、欧米から見たオリエンタリズムをポップに表現したバンドがいた。

―YMOですね。

佐野:彼らはクレバーだったからそれを戦略化できた。ただ自分の世代では、それを超えてあるがままの状態を提示したかった。

1990年中盤から2000年までのストーリー

―そしてVOL.3はアルバム『THE CIRCLE』の曲から始まりますが、このアルバムのツアー後に盟友・ザ・ハートランドが解散してしまい、僕は正直ショックでした。

佐野:僕はファンに背中を押されながら、さらに新しい実験をやりたいと思ってハードルを上げていった。そして、柔軟な魂を持った若い世代にもっと喜んでもらいたかった。その挙句、ザ・ハートランド解散という出来事になった。

―ザ・ハートランドでは佐野さんのクリエイティブな発想が可能ではなくなったということだったんですか?

佐野:違う。僕らザ・ハートランドは16年間で素晴らしい成果を上げた。何度も素晴らしいライブを経験した。でもこれ以上ピークは作れないだろうという漠然とした気持ちがあった。悩んだ挙句、ハートランドは解散することになった。メンバーの誰も反対しなかった。でも僕らの輪(サークル)は決して壊れることはない、そう思った。

【画像】佐野元春とThe Heartland/Tokyo Be-Bop、当時の写真ほか(写真3点)

―なるほど。

佐野:僕らは20代の若い頃に出会い、ヴィジョンを共にしてライブにレコーディングに明け暮れた。最後に『THE CIRCLE』というすばらしいアルバムができた。もうその事実だけで胸がいっぱいだ。最後に収録した「君がいなければ」は、今聴くとザ・ハートランドに捧げたような曲に聞こえる。この曲が彼らとの最後の曲になった。

―聞いているだけで胸がいっぱいになってきました。

佐野:そこから2年は何もできなかった。でもじっとしているわけにもいかず、友人からの支援もあって、重い腰を上げて立ち上げたのが、『フルーツ』レコーディング・プロジェクト。一緒にやっていくミュージシャンたちのオーディションを兼ねたレコーディング・セッションだった。その中から精鋭のメンバーを集めて、ザ・ホーボーキング・バンドを結成した。

―新しい出会い、ということですね。

佐野:そうだね。彼らと組んですぐに全国ツアーを行った。その後、みんなをウッドストックに連れて行って、ジョン・サイモンのプロデュースで一枚のアルバムを作った。それが『THE BARN』アルバム。これが1990年中盤から2000年までのストーリーだ。

―ええ。

佐野:90年代後半。国内のメインストリームでは少女向けのダンスポップが流行っていた。『THE BARN』のようなロックアルバムに勝ち目はないかもしれないけれど、それでもかまわなかった。音楽的には十分自信があったので、僕のファンは付いてきてくれるはず、そう思っていた。

―『THE BARN』に収録されている「ロックンロール・ハート」は日本のロックの金字塔だと思っています。

佐野:ありがとう、嬉しい。あの曲は書いて良かったなと自分でも思う。多感な頃に聞いていた音楽への恩返しのつもりだった。はっぴいえんど、ムーンライダース、センチメンタル・シティロマンス、オレンジ・カウンティ・ブラザーズ。そんな彼らが70年代でやり遂げられなかったことに、90年代の自分が落とし前をつける。そんな気持ちもあった。

―そんな思いがあったんですね。<VOL.3>の締めは「太陽」。繰り返し出てくる”God”という言葉が印象的です。

佐野;この曲は時代に対するレクイエムでもあるし、EPICソニーへの惜別の歌、そしてこれから先の自分に対する応援歌でもある。この曲を最後に、デビュー以来、所属していたEPICソニーを離れることになる。

THE COYOTE BANDで見つけたロックンロールの形

―『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 – 2020』は、年代順ではない構成をされています。

佐野:EPICソニーを離れて、自分のレーベル、デイジーミュージックを立ち上げた。新しいバンド、THE COYOTE BANDを結成した。『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 – 2020』。このベストは、コヨーテバンドの15年間の記録だ。

―THE COYOTE BAND結成以降の勢いはすごいですね。

佐野:もちろんファンの支援があってのこと。活動は充実しているよ。

―意図的に若いメンバーを集めたんですか?

佐野:歳は関係ない。一緒にやりたかったメンバーだ。彼らとロックンロールしたい。すべてはそこから始まった。

―はい。

佐野:アルバム『COYOTE』を出して、次の『ZOOEY』まで3年ぐらい経った。その間、全国のライブハウスを回った。まさに「星の下 路の上」という曲のタイトルどおり、僕は街路に戻った。

―大きな会場でもできるのに、それを佐野さんのキャリアでやるのがすごいと思います。ソングライティングに何か変化は生まれましたか?

佐野:自然に変化したと思う。〈言葉〉〈メロディ〉〈ビート〉、この3つの間にどうしても垣根ができる。それを取り払って一つの表現としていくのが、僕のスタイルだ。

―佐野さんの中でそれができたと思った曲は何ですか?

佐野:「コヨーテ、海へ」はうまくできたと思う。言葉とメロディがぴったり寄りそっている。

―素晴らしい曲です。そして、佐野さんの音楽には、越境というテーマが見えてきます。越境と言うと、2010年代は分断/壁が世界的な問題になりました。トランプ大統領の誕生、SNSにおける誹謗中傷もそうですし。そういうものを佐野さんの音楽は超えている気がします。

佐野:世界のありようは日常の延長にある。だから曲はたいてい身の回りの出来事から生まれる。

―俯瞰と接近を繰り返している。

佐野:そうだね。

―もう一つ、佐野さんの音楽を語る上で欠かせないキーワードの一つが「愛」だと思いますが、人生で最初に書いたラブソングって何ですか?

佐野:十代の時に書いた「グッドバイからはじめよう」か「情けない週末」。ずっと後にレコード化した「君がいなくちゃ」もそうかな。書いたけれど忘れた曲もある。

―ラブソングや愛という概念に対する考え方は、この40年間で変化しましたか?

佐野:大きな変化はないな。「愛」というのは表現者にとって尽きることのない深いテーマ。テーマとしてはこの上なく魅力的なんだけど、厄介極まりないものでもある。

―そうですよね。

佐野:男女の愛もあるし、広義な意味での人類愛もある。「憎しみ」の本質を見極めるための概念でもある。

―僕は「シュガータイム」が本当に好きなんです。

佐野:あぁ、「シュガータイム」。キュートなラブソング。今書け、と言われても書けないな。あの年齢、あの時代だから生まれた曲だと思っている。そして思いのほか生命力が強い。今でも好きな曲だ。

正直な表現とは?

―更に佐野さん音楽を語る上で欠かせないキーワードが「真実」だと思います。「スターダスト・キッズ」の”本当の真実がつかめるまで”という言葉に影響を受けた若者たちが沢山いました。最近でも「荒地の何処かで」で”真実が見にくい幻ならば 僕らは何を信じればいいんだろう” と歌っています。

佐野:”本当の真実なんてどこにもないのさ”って毒舌を吐いている「ザ・サークル」っていう曲もある(笑)。

―佐野さんの中で「真実」の追求は永遠のテーマなんですか?

佐野:追求したって迷うだけ。でもその本質に迫れたらいいなと思っている。答えが見つからなくてもいい。そこに向かうプロセスが表現者として大事だと思う。

―「ザ・サークル」を聴いて、「佐野さんはもう真実とは向き合わないんだ」「がっかりした」という声もなかったわけではないと思います。

佐野:それは実際にあったね。でも歌い方で意味が違って聞こえることもある。

―そのとおりですね。

佐野:良いことばかり歌っている曲は信じられない。かといって、毒づいてばかりいる音楽もどうかと思う。得たり失くしたりを繰り返すような、揺らいでいる状態の中に真実があるのかもしれないと思っている。

―〈愛〉〈真実〉〈善〉の三つを追求していくためのフラグメントの記録。

佐野:うまくまとめたね。

―(笑)。僕はコヨーテバンドの音が好きです。表現が出てくる瞬間って2つあると思うんです。緊張感の中で絞り出すものと、リラックスしている時に出てくるもの。コヨーテバンドを聴くと、リラックスした状態で出てきている、正直で純粋な表現を感じるんです。

佐野:あぁ、そうだね。確かにコヨーテと比べたら、若い頃の音は力みすぎているところもある。

―追い込んでいる感じはありますよね。それが良かった部分でもあるんです。僕も若かったので。

佐野:でも、正直な表現、って大事だな。ニール・ヤングも、レナード・コーエンも、トム・ウェイツも、ランディ・ニューマンも、僕が尊敬するソングライターの曲を耳にすると、共通して彼らは人として正直だと感じる。そして技術ではなく、歌心と言葉使いとパフォーマンスでもって、真実を見せている。「こうなったら俺もその域に行くぞ」という感じですね。こうなったらって、どうなったらだよって話ではあるけれど(笑)。

―ありがとうございました。

佐野:どうもありがとう。

<INFORMATION>

佐野元春が40年の歩みを語る 言葉・メロディ・ビートへの意識と挑戦

『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980-2004』
https://www.110107.com/s/oto/page/sano_collection?ima=0205

佐野元春が40年の歩みを語る 言葉・メロディ・ビートへの意識と挑戦

『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 - 2020』
https://www.moto.co.jp/EssentialTracks2005-2020/

佐野元春 & THE COYOTE BAND TOUR 2020
「SAVE IT FOR A SUNNY DAY」

=ツアー日程=
2020年12月13日(日)愛知・日本特殊陶業市民会館フォレストホール 
2020年12月15日(火)東京・LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
2020年12月16日(水)神奈川・神奈川県民ホール 大ホール0
2020年12月19日(土)京都・ロームシアター京都 メインホール
2020年12月21日(月)大阪・フェスティバルホール

チケット情報:全席指定・9800円(税込)
※ガイドラインに従って、会場キャパシティーの50%以下の座席数となります
■年齢制限:3歳未満入場不可・6歳以上チケット必要
■枚数制限:おひとり様2枚まで
ファンクラブ先行受付:2020年10月31日(土)~
各種先行受付:2020年10月31日(土)~
前売り一般発売: 2020年11月14日(土)~

公式ウェブサイト「MWS」:http://www.moto.co.jp/
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