2020年に事務所兼レーベル「DONAI paris」を設立し、5年ぶりに音楽活動を再開した古川本舗。
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2009年からVOCALOIDを用いた形で音楽活動を開始し、その後2011年にカヒミ・カリィや野宮真貴など様々なヴォーカリストを迎えた1stアルバム『Alice in wonderword』から4作のオリジナルアルバムを発表。作詞作曲だけでなくアートワークも含めたトータルな表現で評価を集めながら、2015年をもって活動を終了していた彼は、なぜ、どんな思いをもって活動を再開したのか。そして、「夜」をキーワードにした新曲で描こうとしたものとは。たっぷりと語ってもらった。
ーまず、古川本舗として音楽をもう一度始めようと思った理由から教えてもらえますでしょうか?
まず、何かしらの形で音楽をもう一度やるということに関しては既定路線でした。というのも、ラストライブが終わったあとに、ブログか何かで「すぐ戻ってくる」ということを言ったらしくて。
ーそうですね。当時のブログでは「どうか楽しみに待っていてほしい、1年以内に聴かせるよ」とありました。
そうなんです。実際、曲もありましたし、出すだけだったらすぐにでも出せたんですよ。なんですけど、いざやるとなると、それこそ「どんな名前で出すのか」とか「この曲でいいんだろうか」というところで二の足を踏んじゃって。
ーそこからギアが入ったタイミングというのはどういう感じだったんでしょうか。
小学校くらいの頃からずっと仲のいい20年来の友だちが1人いまして。年に1回ぐらい会うか会わないかぐらいの関係なんですけど、2、3年前ぐらいに飲んだ時に「最近何やってんの?」という話になったんです。その子は僕の小学校時代も知っているし、中学校から高校、大学といろんなバンドをやってた頃も知ってるし、東京に出てきて社会人として仕事を始めた頃も、古川Pとしてボーカロイドを触っていた頃も知ってるし、古川本舗時代も当然知っている。全てをフラットに扱ってくれる人なんですよね。僕は地方の人間なので、本名時代の友人は自分のことを本名で呼ぶし、東京に来てからの友人は大体「古川さん」とか「本舗さん」って呼ぶし、その時々自分が名乗っていた名前とかあり方によって、人からの呼ばれ方や見られ方が変わってきたんです。自分もそのつもりでいたんですけれど、その友だちからすると「結局どれもこれもあんたでしょう」みたいな話になった。「なるほど、そういう考えはあまりなかったわ」と思ったんです。
ーなるほど。音楽活動をどうするかという以前に、自分のアイデンティティをめぐる混乱があった。
そうですね。全くその通りです。そこから「古川本舗として新しいものを作ればいいんだ」という、シンプルな方向に切り替わった感じでしたね。それまではなんだかよくわからないけど、とにかく新しいものを作ろうとして、わけがわからなくなっていた。何を基準として古いとか新しいを考えればいいのかわからないから、着地できなかったんです。だけど、古川本舗として新しいものを作ればいいというシンプルな話になると、過去に作ったものがあるので、そこが基準になる。そこに行き着いた感じでした。
ーこれまでの古川本舗は、プロジェクト的な形態だったり、バンドっぽくなったり、いろんな形態で活動してきましたよね。
古川本舗でもう1回やるぞと決めてからは、あまり迷いはなかったですね。おっしゃるとおり、これまでの古川本舗って多様ではあったんですけれど、1枚目と2枚目のアルバムは同系統のところがあって。プロデューサー・古川本舗として1枚目の『Alice in wonderword』を作って、それを発展させて2枚目の『ガールフレンド・フロム・キョウト』を作ったという感じだったんです。そこからキクチリョウタという1人のヴォーカリストを立てて、ある種、アーティスト・古川本舗として作ったアルバムが3枚目の『SOUP』だった。それがバンドに発展したのが4枚目の『Hail against the barn door』だった。だから、2枚目から3枚目のところで分岐した感じなんですよね。当時はライブをやろうという話も盛り上がっていたので、ライブができる形態にこだわったというのもあったんですけれど、でも結果的に4枚目を出したあとで行き詰まってしまった。「その先はない」という結論に至った。だったら、今度作るべきものというのは僕がプロデューサーとして機能した作品であるべきだろうという考えになりました。やるべきこともクリアに見えたし、そこからは早かったです。
ーということは、今の古川本舗は『Alice in wonderword』や『ガールフレンド・フロム・キョウト』の時のように、いろんなヴォーカリストが参加する形態のプロジェクトとなるわけですね。
はい、そうです。それも言っちゃって大丈夫です。
ーこの「知らない feat.若林希望」という曲はどういうモチーフ、どういうアイディアからできていったんでしょうか。
今回はアルバムというものを目指して制作をしているわけなんですけど、基本やっぱり夜作ることが多くて。創作意欲が全く昼に湧いてこないというのもありますし、思い切って「夜」というものをコンセプトに作ろうというのがあったんです。部屋で憂鬱にしてたり、ぼーっとしたりすることが多いんですけど、そういう時に邪魔にならないというか、いい感じのBGMであるものが自分にとっての理想の音楽であるというのをこの5年で感じていて。音楽を聴く上で、曲やアーティストに向き合って聴くという環境に、僕としてはどうしても居心地の悪さを感じるところがあるんです。なんだけど、たとえば「お酒を飲んでる時にかかったら、最高にいい」みたいな機能を果たしてくれる音楽に魅力を感じるんですよね。それが「Lifetime SoundTrack」というレーベルのコンセプトにも繋がってくるんですけど、たとえばこの場面でこの曲がかかってると、景色が綺麗だったり、酒が旨かったり、自分が主人公っぽくなったりする。そういうふうに人生のいろいろな情景を彩る機能を自分は音楽に求めていて。それでいくと、夜にもいろいろなシチュエーションがあるわけなので、そのシチュエーションに合うものを作ろうというところが発想の起点だったりはしました。
ー制作にあたっては、先に曲を作っていったんでしょうか、それともヴォーカリストとの出会いが先にあったんでしょうか?
今回は、わりと意識して半々にしてますね。
ー若林希望さんとはどういうきっかけで出会ったんでしょうか。
もともと若林の存在自体は5年ぐらい前に知っていて。彼女は自分でYouTubeに弾き語りの動画とかオリジナル曲とかを投稿していたんです。プロとして活動したいという意思があってそうしているというわけではなく、フラットに上げている子で。それで僕の曲を弾き語りしてくれているのをたまたま聴いて、それがめちゃくちゃよかったので記憶していたんです。で、いざヴォーカルを探そうという時に真っ先に思い浮かんだんで、Twitterでお声がけしました。
ー「知らない」以外にもいくつかのデモ段階の楽曲を聴かせていただいたんですが、全体的にローファイ・ヒップホップや、チルのテイストに通じるものを感じました。このあたりは参照軸になったり、何かしらの影響を受けたということはありますか?
それはあります。ローファイ・ヒップホップ系すごい好きなので。
ーただ、いわゆるローファイ・ヒップホップと言われているサウンドって、良くも悪くも匿名的で主張がないサウンドですよね。人の背後に隠れるタイプの音楽である。それに対して、古川本舗の曲には、ちゃんと詩情やエモーションがそこにしたためられていると思うんです。そこに関してはどうでしょうか。
まさしく今おっしゃられた通りで、いわゆるローファイ・ヒップホップをそのままやると、ほんとにバック・グラウンド・ミュージックになってしまうんですよ。でも自分が目指すべきところって、そのシチュエーションそのものを表現することである。それが自分の楽曲の主張となると思うんですね。曲から歌詞やエモーショナルな要素を引いていって本当にバック・グラウンド・ミュージックに徹しちゃうと、今度は「なんで自分がこれをやってるんだろう?」ってことになっちゃうので。
ーかつ、聴いていて感じたんですが、ローファイ・ヒップホップやチル・アウトと呼ばれている音楽って、古川さんがルーツとしてあげている90年代的なポスト・ロックやシューゲイザーとも、ある種のメランコリックな感触や、おっしゃるような夜の孤独感という意味で、実は接続できるものなんだと思ったんですね。エモーションのありかとして、単なる最近の流行りということではなく、時代を超えて人が音楽を求める時の感情のありかみたいなものに結びついているんだなということを感じました。
そう思っていただけると、すごくうれしいですね。シチュエーションとか心象みたいなものをどう表現するかということを考えるのが古川本舗の仕事であって、手法に関してはその都度おもしろいと思ってるものを使えばいい。そこを結びつけるのは絶対できるはずだという感覚はあるんですね。僕の中では、ポスト・ロックだろうが、シューゲイザーだろうが、ローファイ・ヒップホップだろうが、eastern youthだろうが、音楽というくくりの中では全部同じなんです。どれも感情を揺さぶる機能を持っているものとして分類できる。そこの種類には全く影響されないというか、どんな手法を取ろうが古川本舗になると思っています。
ー「夜」というキーワードが思い浮かんだのはどういうきっかけだったんでしょうか。去年、コロナ禍で人々の暮らしや価値観が変わったというのは、古川本舗としてのクリエイティブには作用しましたか?
後々気付いたんですけれど、去年の緊急事態宣言が出て、なるべく人と会わないでくださいということになったときに、みんな困ったという話をしていて。当然僕も東京に住んでいますから、同じ状況下にいるわけですけど、普段と何も変わらなかったんです。表現したい内容とか方向性がコロナによって変わったり、緊急事態宣言によって何かの影響を受けたりとか、そういうことはなかったです。至っていつも通り、誰にも会わなかった。ただ、だからこそより一層ちゃんと孤独感と向き合うということに共感してもらいやすい土壌にもなったと思います。たとえば、そういう状況で何を考えるのか、何を欲するのかということを他の人からも聞くわけですよ。「家にずっと一人でいると、なんかちょっと鬱々としてくるんだよね」みたいな話を聞いたりすると「なんで鬱々とするの?」みたいに思ったりもして。
ーその感覚はすごくわかります。人に会えないもどかしさがある一方、一人でいる時の心地よさというものは確実にありますよね。「夜」というキーワードでも、ヒリヒリと傷ついているというよりも、むしろ温かみがあって居心地のいいものになっている。楽曲にはそういう感触が色濃く出ているなという感じはしました。
その感じはあるかもしれないですね。昔から、自分の中では諦めの美学を考えて表現をしてきたみたいなところはあって。例えば、色恋の歌にしても、誰それと思いが通じたからうれしいとか、通じなかったから悲しいという、大きなインパクトの瞬間を曲として表現するようなことは、ほとんどやってないんですよ。むしろ、それに対して達観しているような状況を描くことが多かったんですね。
ー「色恋の歌」とおっしゃいましたが、「知らない」は恋について描いた曲ですよね。歌詞には猫も出てくる。「恋」と「猫」という、この二つが曲のモチーフになっていると思うんです。その理由についてはどう思いますか?
そこまで意識をしていたわけではないと思うんですけど、活動を実際にしてない時、自分の中にあったのがたぶん恋と猫しかなかったんだと思います。なんだろう……まず猫って、生き物として一緒にいると特に思いますけど、平たく言うと、わがままなんですよね。人間だったら、一緒にいる相手のことを考えて自分の挙動を変えたりするじゃないですか。でも、こいつらは当然、そんなことは一切しない。そういうわがままな生き物がずっと近くにいる状態って、なかなかおもしろくて。いろいろな反応を見る時と、自分の発想にはない行動をとったりもするわけですよ。めちゃくちゃ怒って噛みついてきたかと思えば、その次の瞬間に喉をゴロゴロ鳴らしていたり、その瞬間の感情の移り変わりに素直に生きている。そういうところが創作のヒントになったりするのかもしれないです。
ー恋に関してはどうでしょう?
色恋は多い方ではないと思うんですけど、題材としてやっぱりおもしろいとは思ってますね。たぶん、相手のことを思ったり考えたりする恋というよりは、誰かのことを好きになることで「この人のどこが好きなのか」とか、逆に「この人と考えが合わないのはなぜなのか」とか、自分がどういう人間なのかを考えることが多くて。そこから「考えがずれているからもう付き合えない」のか、それとも「ここは嫌いだけど人として好きだから一緒にいたい」とか、そういうようなことも考えたりする。人のことを好きになったり、嫌いになったりする過程って、複雑怪奇なわけじゃないですか。人によっても違うし、相手によっても違う。そこは尽きることがない題材と思っているところがあるのかもしれないです。
ー古川本舗としての今の活動のやり方についても聞かせてください。「DONAI paris」という自主レーベルを立ち上げて、自分の事務所から発信している。今の時代においてはもはや珍しいことではないとは思うんですが、この形を選んだ理由は?
これについては、成功も失敗も自分のものでありたいという信念があって。当然、誰かのおかげで成功するのも全然OKだし、今もいろいろな人に助けてもらってなんとかやれているので、その人たちのおかげなんですけれど。でも、自分の意思と違うことをやってしまったりとか、出さざるをえなくなってしまった時とかに「あいつのせいで」みたいな感じになっちゃうのが、あまり好きではないんですね。どんな状況でもそうなんですけど、一度自分の中に取り込んで咀嚼して納得してしまえば、それはもう他人の意見ではなく自分の考えなので、自分の失敗として吸収できる。でも、大きなレコードメーカーさんとかと一緒にお仕事をさせてもらうと、何か一つの案件をやった時に、何が良かったのか、悪かったのかみたいな話をクリアにしきれないことも増えてくると思っていて。僕自身、20代の「武道館目指します!」みたいなバンドとかとは考え方が全然違うわけですよ。ありがたいことにお仕事は別にあって、音楽があろうがなかろうが、生活自体は成り立っている。そうすると、音楽に求めるものって、自己満足の究極みたいなことが欲求として大きいわけなんですね。その自己満足というのは音楽で成功するとか、そういうことではなくて。むしろ、成功も失敗も自分の経験として、自分の支配下に置きたい。そこから全部自分でやろうと考えました。そもそも、古川本舗を始めたときも、自分で曲を作って、歌詞を書いて、ジャケットも作ってたし、なんだったらMVも作れるわけで。そうすると自分でやれないのは宣伝と流通くらいだったんですよね。
ーこのインタビューを行っているのは「知らない」のMVと配信リリースがされた直後ですが、こうして自主レーベルでやってみての実感はどうでしょうか?
それこそニコニコ動画でやっていた時って、曲を作って、自分で動画らしきものを作って、自分でTwitterで宣伝して、反応を見たりしていたんで。「懐かしい!」って思いながらやってました。リリックビデオを出すというときも「やったことある!」みたいな(笑)。
ーそれこそ10年前のニコニコ動画の頃と、DIYという意味で本質的には変わっていない。
当時もそういうのが楽しかったですからね。売上的にどうのこうのというよりも「あいつが格好いいのを出したから、俺も出す」みたいな感じだったし。出したら、お互いTwitterで自慢しあったり、無駄に褒め合ったり、酒飲んで「あいつクソだな」ってけなし合ったりして。そういうのって、まあまあ健全だったんじゃないかなと思うんですよね。その感覚は好きだったし、やっぱり、作ってる側の人間の感覚は、たぶんそんなに変わらないんじゃないかなと思います。
ーこの先についても聞かせてもらえればと思います。この先のリリースに関してはまだ何も発表されていないですが、古川本舗として、少なくとも「知らない」1曲だけで終わるということではないわけですよね。1つのまとまりのあるアルバムのアウトプットに向けて動いているのは間違いない。
はい、そうですね。ただ、今は基本的にフィジカルで盤を出すつもりがあまりなくて。今まではアルバムを作るっていうことが当たり前にあって、それを前提にアルバムとしての構成を考える作り方だったんですけど。今回は起点がそもそもそこになくて。今後に向けて「アルバムを目指して曲を作っています」というのは言えるんですけれど、最終的に出たものが、アルバムという形なのか、単純に10数曲の塊なのか、そのあたりは今の段階ではなんとも言えないんですよね。ただ、当然1曲で終わりって考えているわけではないですし、別に隠しているわけでもないです。これは自主レーベルの強いところでもあるので、試行錯誤している過程も含めて見せられたらいいなと思ってますね。
<リリース情報>

古川本舗
『知らない feat.若林希望』
発売中
古川本舗 HP: https://fullkawahonpo.jp