【ギャラリーを見る】ビリー・ジョエルの歴代ジャケット写真/アーティスト写真まとめ
ビリー・ジョエルの音楽人生は恐ろしく長い。ソロ歌手としてのキャリアは50年だが、最初に世に出たレコードはザ・ハッスルズの一員としてリリースしたシングルで、1967年。さらに歴史を遡ると、人気ガールグループ、シャングリラスの1964年のヒット曲「リメンバー(ウォーキング・イン・ザ・サンド)」などのレコーディングでピアノを弾いたことが知られている。ビリーのピアノが発売されたヴァージョンに採用されたかどうかは定かでないが、いずれにせよ15歳頃から音楽ビジネスに首を突っ込んでいたことは間違いないようだ。
地元のロングアイランドをベースに東海岸で活動したザ・ハッスルズだったが、2枚のアルバムはセールス不振に終わる。続いてハッスルズのドラマー、ジョン・スモールと2人でオルガン&ドラムスのハード・ロック・デュオ、アッティラとしてエピックと契約。1970年にアルバム『Attila』(当時の邦題は『フン族の大王アッティラ』)で再デビューしたが、これもさっぱり売れなかった。さらに悪いことに、ビリーはスモールの妻、エリザベスと不倫関係に。このエリザベスが後年ビリーのマネージメントを取り仕切り、ブレイクへと導く最初の妻になるのだが。親友を裏切り傷つけたことから罪悪感に悩んだビリーは、自殺未遂を図る。音楽から足を洗うことも真剣に考えたそうだ。

『ピアノ・マン』期のビリー・ジョエル
周囲の励ましもあって、シンガー・ソングライターとして再起することにしたビリーは、1971年に『コールド・スプリング・ハーバー』で3度目の”再デビュー”。
今回発売された『ジャパニーズ・シングル・コレクション』は、日本で発売された最初のシングルである「ピアノ・マン」(日本発売は1975年)から1994年までの日本盤シングルを、可能な限りシングル・エディットで収録したこだわりのCD2枚と、MVやライブ映像を満載した計42曲収録のDVD、3枚のディスクで構成。日本独自のシングルも含めて彼のキャリアを見渡せる、ボリューム満点のアンソロジーだ。

『ストレンジャー』期のビリー・ジョエル(Photo by Jim Houghton)
初めてフィル・ラモーンをプロデューサーに迎えた傑作『ストレンジャー』(1977年)からのシングルは、海外ではバラード「素顔のままで(Just The Way You Are)」(全米3位)が圧倒的な人気を誇るが、日本で最も愛されたのはタイトル曲「ストレンジャー」だろう。当時CMソングとして多くの人の耳に触れる機会を得たこの曲は、日本でもシングル・チャートで2位まで上昇。日本でのアルバム・セールスを100万枚まで押し上げる起爆剤となった。ファンキーな演奏が邦楽の作・編曲家たちに与えた影響も顕著。沢田研二「カサブランカ・ダンディ」、寺尾聰「ルビーの指環」、西城秀樹「ギャランドゥ」……70年代末~80年代の歌謡曲/シティ・ポップのアレンジに「ストレンジャー」の痕跡を見つけることはそう難しくない。
フレディ・ハバードなどが参加、ジャズへの接近を見せた『ニューヨーク52番街』(1978年)も、日本で100万枚を突破するベストセラーに。
80年代前半、時代の変化にもアジャスト
初の全米No.1シングル「ロックンロールが最高さ(Its Still Rock And Roll To Me)」を含む『グラス・ハウス』(1980年)では、ロックンロール路線へと大胆に方向転換。エルヴィス・コステロなどの影響からパワー・ポップへの接近を見せる一方、最新のシンセサイザーもたっぷり使ってイメージを刷新する野心的なアルバムだった。本作から「ガラスのニューヨーク(You May Be Right)」を変名の嘉門雄三名義でカバーした桑田佳祐は、日本でシングルに選ばれた「レイナ(All For Leyna)」を絶賛している。
バイク走行中に大怪我をして入院、妻エリザベスとの離婚と、問題だらけの時期に制作した『ナイロン・カーテン』(1982年)は、初めて社会的なテーマに向き合うシリアスなアルバムになった。奇しくも同年に問題作『ネブラスカ』をリリースしたブルース・スプリングスティーンとビリーは、共に1949年生まれ。盤石と思われていた大国アメリカの”闇”の部分に触れる作品を2人が同じ時期に発表した背景には、東西冷戦が続くレーガン政権への不安があった。
このアルバムからの1stシングル「プレッシャー」のMVは、それまでの彼のイメージを一新する、SF仕立てのシリアスな内容だった。
ジョン・レノン射殺事件のショックを反映、後期ビートルズの影響が表面化した『ナイロン・カーテン』だったが、続く『イノセント・マン』(1983年)は50s~60sのアメリカン・ポップスに対するオマージュで統一されたコンセプチュアルなアルバムに。やがて妻になるスーパーモデル、クリスティ・ブリンクリーとの恋に刺激され、数週間のうちに全曲を書き上げたという。2曲目の全米No.1シングル「あの娘にアタック(Tell Her About It)」はモータウンへのオマージュ。全米3位まで上昇した「アップタウン・ガール」は、フォー・シーズンズの形式を拝借しながら、独創的な転調を繰り返す構成でソングライターとしての技量を見せつけた。こうした換骨奪胎の手法に、一時ライターとして音楽誌に寄稿していた時期もあるビリーならではの音楽史観が透けて見えるように思うのだ。ビデオ作品としての楽しさも「アップタウン・ガール」のMVは群を抜く。50s的でありながらブレイクダンスもフィーチャーした内容は、オールディーズを80s的視点で再定義した『イノセント・マン』のコンセプトと合致していた。
50周年にふさわしいプレゼント
思うように曲が書けないなか、完成を急いだ『ザ・ブリッジ』(1986年)を最後にフィル・ラモーンから離れたビリーは、それまでのバンドを一旦解体。新作の共同プロデュースをエディ・ヴァン・ヘイレンに依頼するも多忙のため叶わず、エディの推薦でフォリナーのミック・ジョーンズを起用、『ストーム・フロント』を1989年に発表した。ここから、久しぶりの全米No.1シングル「ハートにファイア(We Didnt Start The Fire)」が生まれている。

『ストーム・フロント』期のビリー・ジョエル
1993年の『リヴァー・オブ・ドリームス』は、今のところポップ・ミュージックのフィールドにおける最後のオリジナル・アルバム。当時の妻、クリスティとの仲が悪化していく過程で書かれた曲や、横領が発覚して告訴した元マネージャーへの怒りを反映したと思われる曲など、パーソナルな主題の曲が並ぶ。共同プロデューサーにダニー・コーチマーを迎え、マウンテンのレスリー・ウェストが3曲に参加、ロック色を再び強めたアルバムだが、シングル・カットされた「ザ・リヴァー・オブ・ドリームス」はサイプレス・ヒルなどヒップホップ、ミクスチャー系を多く手掛けたジョー・ニコロが制作陣に参加。ゴスペル、ドゥーワップをモダンに咀嚼し、全米3位まで上昇する大ヒットになった。

1997年撮影のビリー・ジョエル
『ジャパニーズ・シングル・コレクション』を一気に通して聴いていくと、メロディの打率の高さはもちろん、アルバムごとにサウンドをアップデートし続けてきたことに気付かされるはず。楽曲の完成度に対して徹底的にこだわり、自身の納得がいかない曲を容赦なくこきおろしてもきたこの巨匠は、それゆえ一度新作を作らないと決めるとテコでも動かない。「もうニュー・アルバムは出さない」宣言をここまで貫徹、72歳になった現在もコンサート中心の活動を続けている。4度目の結婚を経て2人の娘に恵まれたビリーだが、彼の決意は今も揺るがないのか――ここに詰まった名曲群に触れると、このまま新作を出さずにキャリアを終えてしまうのが非常に惜しく思えてくるはずだ。
しかし、そんな気持ちを少し和らげてくれる、うれしいプレゼントが『ジャパニーズ・シングル・コレクション』にはある。

ビリー・ジョエル
『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』
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【ラジオ特番情報】
12/25(土)06:00-25:00
FM COCOLO(大阪76.5MHz)
『FM COCOLO Celebrate 50 Years of Billy Joel DAY』
詳細:https://cocolo.jp/pages/pickup_detail/1997
12/27(月)21:30-22:20
NHK-FM
『ミュージック・レジェンド・ナイト』 ビリー・ジョエル(前編)
進行役:三原勇希 ゲスト:武部聡志
12/28(火)21:30~22:20
NHK-FM
「ミュージック・レジェンド・ナイト」 ビリー・ジョエル(後編)
進行役:三原勇希 ゲスト:武部聡志、阿久津知宏