【動画】ビデオにはウッドが苦悶の表情を浮かべるシーンも
2007年に公開された「Heart-Shaped Glasses」のミュージックビデオで、マンソンは当時19歳だったウッドにハート型サングラスをかけさせた。未成年の少女に恋する男を描いたウラジミール・ナボコフの小説を原作に、スタンリー・キューブリックが1962年に監督した映画『ロリータ』のポスターと酷似している。「(サングラスは)とても象徴的だ。ユーモアのセンスがある人と出会ったことで、OK、実際どうかはさておき、世間は『ロリータ』系の友情/恋愛関係をおもしろがるだろう、と思ったのさ」とは、2007年にマンソンがスピン誌に語った言葉だ。
ビデオでは、血のりの雨が降り注ぐ中でマンソンとの激しい絡みが出てくる。
「あんな風になるなんて全く思っていませんでした」。ウッドはドキュメンタリーの中でこう語っている。「私が聞かされていた話とは違っていました。話し合いでは、行為しているフリををすることになっていましたが、いったんカメラが回り始めると彼は本当にしてきたんです。
当時ビデオの撮影現場にいたクルーの1人にローリングストーン誌が接触したところ、彼もウッドの主張を裏付けた。報復を危惧して匿名を希望したこの人物は、「たしかに、何度か実際に性行為があったと思います」とローリングストーン誌に語った。「クルーも非常に気まずい思いをしました」。この人物によれば、1~2テイク撮影した後、マンソンとプロデューサー陣および撮影クルーとの口論がエスカレートしたため、絡みのシーンの撮影は終了したそうだ。
「自分たちがどんなアーティストを相手にしているか全員が理解していました。でも僕らはポルノを撮影しに来ているわけじゃない」と彼は言った。「僕のキャリアの中で、こんなことに遭遇したのは後にも先にもありません。
「2人が撮影したのはかなり濃密なシーンでした。2人とも息がぴったりでした」と言う別のクルーは、性交が実際にあったかどうかはわからないと言う。「キャストもクルーもみな蚊帳の外でした。周りにいた私たちがなんとなく気まずくなったのも、そのせいです」
あのビデオは暴力の始まり
ウッドはドキュメンタリーの中で、当時インタビューでビデオが話題に上がったらどう発言するべきか、ワーナーから「はっきり指示された」と主張している。「本当に素敵な、ロマンティックな時間でした、と言うことになっていましたが、どれも噓っぱちです」と彼女が言うと、スクリーンには「本番はしていない」という彼女の発言を引用した記事が映し出された。「でもどのみち怖くて、ブライアン(・ワーナー:マンソンの本名)を怒らせるようなことはできませんでした。あのビデオは、その後関係が続くにつれてエスカレートしていく暴力の始まりにすぎませんでした」
ローリングストーン誌に宛てた声明の中で、マンソンの弁護士を務めるハワード・キング氏はウッドの主張にことごとく反論した。「エヴァン・レイチェル・ウッドがブライアン・ワーナーに対して行った虚偽の主張の中でも、15年前に撮影された『Heart-Shaped Glasses』のミュージックビデオ制作に関する想像力に富んだ回想はもっとも厚かましいものです。大勢の証人がいますから、簡単に嘘だと証明することができます」とキング氏は述べた。
「あのシーンは撮影に数時間かかりました。違う角度から何度も録り直し、カメラ設営の間は長い休憩を何度かはさみました」とキング氏はさらに続けた。「ブライアンは撮影セットでエヴァンと性行為はしていません。彼女もそれが真実だと知っているはずです」
2部構成のドキュメンタリー映画は、年内には米HBOでフル放映される予定だ。第1部ではワーナーとの波乱含みの関係やその後の顛末と合わせて、ウッドの壊れた家庭環境も深く掘り下げている。彼女が当時36歳だったワーナーと出会ったのは2006年、ロサンゼルスのホテルChateau Marmontだった。当時彼女は18歳で、2人はほどなく交際を始めた。「(年の差が)自分の感情の未熟さに合っているんだと思う」と、当時のインタビューで彼はこう述べている。「マリリン・マンソンである以上、世間一般の方法で育つわけにはいかないからな」
ドキュメンタリーの一部は、ウッドがレイプと身体的虐待でマンソンを公に告発する以前から撮影された。ドキュメンタリーの中でウッドは保管していた当時の新聞記事を読み上げ、今になって思えば「危険信号」だったと思われる箇所を挙げた。「私たちはあっという間に親友になりました。どんどん共通点が増えていきました――本当、怖くなるくらい」と、彼女は声に出して読み上げた。
「最初のうちは猫を被っていたんです。『自分は君に力を与え、自由にするためにここにいる。本当の君の姿を見せてあげるためにいるんだ』と」 彼女はドキュメンタリーの中でこう語る。「彼は私が解き放ちたいもの、恥らいを捨てたいと思うもの全てを体現していました」
頭蓋骨をハンマーでたたき割る妄想
マンソンは2009年にスピン誌のインタビューで、ウッドと一度別れた後のことを語っている。「(2008年のクリスマスの日)彼女に電話をかけるたび――実際158回も電話した――俺は剃刀を手にして、自分の顔や手に傷をつけた……彼女が俺にどんな痛みを負わせたのか、わからせてやりたかった。『お前の仕打ちを物理的に見せてやりたい』ってね」 。さらに彼は、「毎日、彼女の頭蓋骨をハンマーでたたき割る妄想」を抱いていた、と続けた。
ウッドは2016年のローリングストーン誌とのインタビューで、過去に「身体的・精神的・性的」虐待を受けていたことをほのめかし、翌日にはメールでこう付け加えた。「ええ、私はレイプされました。大事なパートナーから、交際している期間中に」
2019年には動画チャンネルSELFでも、「当時の関係をいま振り返ってみれば、家庭内暴力の典型でした」と語っている。「家庭内暴力の記事を読むと、まるで自叙伝を読んでいるかのようです」
だが彼女がマンソンを名指しで公然と非難したのは2021年2月になってからだった。「私を虐待した人物の名前はブライアン・ワーナー。
マンソンに対する本格的な捜査の一環として、ロサンゼルス保安官局は去る11月に彼の自宅を家宅捜索し、「複数のデータ保存デバイス」を押収した。ローリングストーン誌は家宅捜索に先駆けて、ワーナーから性的・身体的・精神的虐待を受けたとする数人の女性たちの暴露記事を掲載した。ウッドが最初に主張して以来、マンソンから虐待を受けたと主張して名乗り出た女性は十数人に上る。
ドキュメンタリー映画『Phoenix Rising』では、その後ウッドが性的暴行の被害者たちの活動に励む様子も描かれる。家庭内暴力の時効を延長し、被害者が加害者を訴追できるようにしたフェニックス法制定までのいきさつも追っている。映画の中でウッドは、他の女性たちがマンソンから受けた虐待を耳にしたことも活動に火が付いた一因だと語っている。
「自分がシリアルキラーと付き合っていたのが分かったような感じでした」とウッドも語っている。
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from Rolling Stone US
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