カニエ・ウェスト改めイェがスリリングなのは、常に問題提起を行い、誰もが当たり前と思い込んで疑わない常識に疑問を投げかけ続けてきたからだ。
例えば『The Life of Pablo』(2016年)は、今やイェの作品ではお馴染みとなったリリース後に配信音源の中身を差し替えるという行為が初めて行われた作品。「アーティストは必ずしも”完成品”をリリースする必要はないのではないか」という問いかけは、ストリーミング黎明期だった当時はアクチュアルかつ刺激的なものだった。
となれば、イェが新作『Donda 2』を既存のストリーミングサービスには一切出さず、彼と英Kano社で共同開発した音楽プレイヤー、Stem Playerだけでリリースしたのも決して突飛なことではない。
*Stem Player公式のインストラクション動画
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もちろん今回のリリース方法が意図しているのは、利潤を独占するストリーミングサービスのプラットフォームにアーティストはいつまでも(搾取されているとわかりつつ)依存していていいのか、という問いかけだ。新作を聴くために200ドルのガジェットを買わせるのはひどい金儲け主義ではないかという批判もあるが、アルバムが2500円だったり月1000円で聴き放題だったりというのも法律で決まっているわけではない。音楽家が自身の芸術を200ドルで売るのは間違った行為なのか、という理に適った問題提起にもなっている。
ただそれでも欧米メディアからは『Donda 2』に冷ややかな視線が浴びせられているのは、純粋に音楽作品としてあまり褒められた出来ではないという理由が多い。アルバムのリリースに際して配信されたリスニングイベントがグダグダな内容だったことも、少なからず評判に影響しているだろう。現時点で筆者はStem Playerを手に入れられていないので海外メディアの評に頼るしかないが、The Guardianは「離婚したキム・カーダシアンに対する非難や泣き言ばかり」「アルバムというより、ソーシャルメディア上のサーカスに目を奪われている間にバックグラウンドで鳴っている伴奏みたいなもの」と辛辣。Pitchforkも「精彩を欠いて煮え切らない」「今後アップデートやリヴァンプがあっても良いものにならなそう」と酷評している。
確かにカニエが音楽的革新を達成した作品は、歴史的名作『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』(2010年)を頂点としてゼロ年代に集中している。
ただそれは、2010年代がまさに音楽を取り巻くシステムや流通が激動したディケイドであり、アーティストはそこに眼を瞑って音楽制作に専念するという牧歌的な態度は取れないという意識の表れでもあっただろう。そこまでは決してイェも間違っていない。問題はその中身、つまり音楽そのものだ、というのが今回の欧米メディアの指摘だ。
『The Life of Pablo』で始まったリリース後の作品改変は、今やイェにとって中途半端な出来でも作品を出してしまうための言い訳になってしまった。システムに対する問題提起を続けてきたイェは、システムに飲み込まれてしまったのだろうか。その答えを確かめるには、あなたも200ドルのStem Playerを買い求めるしかない。
Edited by The Sign Magazine