1. バンドの歩みと個性が導き出した「次の一手」
新谷洋子
「足りないのはカッコいいバラードだな」
サマーソニックの前々日にあたる8月18日、東京・豊洲PITで行なわれたマネスキンの単独公演を観終えた時、そう思った。なぜって、あの夜のショウは予想以上に長かった。オリジナルの持ち歌はまだ25曲程度しかないし、初来日だし、あれだけの熱量のショウなら1時間程度でも文句はなかったのだが、カバー曲を交え、「I WANNA BE YOUR SLAVE」を2回プレイし、アンコールを含めて計15曲、90分くらいあっただろうか?
ただヘッドライン・ショウは、限られた時間内に見せ場を詰め込んで押しまくる、フェスでのパフォーマンスとはわけが違う。スローな曲は序盤に配した「CORALINE」だけで、少々抑揚が足りず、途中で一息吐く数分間が欲しくなった。願わくばライター/ケータイを灯して、一緒に歌いながら揺れていられる数分間が。それに、ナマでも全くブレないダミアーノの美声をもっとじっくりと味わいたかった。そう、マネスキンにとっての「Nothing Else Matters」、あるいは「Under the Bridge」が必要だった。

8月18日、東京・豊洲PIT公演にて(Photo by Yoshie Tominaga)
果たして、ここに届いた「THE LONELIEST」は、クワイエットとラウドのコントラストでスケール感を醸し、トーマスのフルシアンテアンなギターソロで盛り上げ,ダイナミックなメロディでダミアーノの声の深みを引き出した、快哉を叫びたくなる王道のロックンロール・パワーバラードではないか!
そもそも彼らのアルバムの収録曲の中でバラードと呼べるのは、1st『Il ballo della vita』の「Torna a casa」と「Le Parole Lontane」、2nd『Teatro DIra: Vol.1』の「CORALINE」と「VENTANNI」のみ。歌詞はいずれもイタリア語で、メディテラネアンな切なさを湛えていて、ロックバラードとはまた異なる独自のカテゴリーを構成しているようでもあった。他方の「THE LONELIEST」は、初めてロックなダウンテンポ・ソングに英語ボーカルを乗せたというだけでなく、その英語詞の趣も、シニカルな表現やロックンロールなクリシェに傾きがちだった従来のそれとは違って、イタリア語詞にあるポエティックなロマンティシズムを共有しているという点においても注目すべき1曲だ。ダミアーノは23歳にして”自分の人生はあとどれだけ残っているのか”と問いかけ、情熱的なラブレターであると同時に遺書だと言われても納得できてしまうメロドラマティックさが、彼にはやけに似合う。
じゃあ、今こんな曲を発表したのはなぜなのか? バンド自身もツアーをしながら「足りないのはカッコいいバラードだな」と感じたのかもしれないが、ひとつインスピレーションとして考えられるのが、映画『エルヴィス』のサントラに提供したエルヴィス・プレスリーの「If I Can Dream」のカバーだ。なんでも監督のバズ・ラーマンは、敢えてマネスキンらしいアップテンポな曲ではなくバラードを提案したそうで、厳密には彼らにとってこれが初の英語バラードであり、閃きの瞬間だった可能性もある。
また、「SUPERMODEL」でマックス・マーティンやジャスティン・トランターとコラボした4人は、今回もマックスの一番弟子ラミ・ヤコブらと共作し、プロデュースは、2枚のアルバムを一緒に作った地元の盟友ファブリツィオ・フェラグツォと行なった。メインストリーム・ポップとのコネクションを保ち、持ち前のポップネスに磨きをかけながら、イタリアに軸足をやや戻した形だ。「だからといって俺たちは魂を売ったわけじゃないよ」と言わんばかりに。「THE LONELIEST」はそういう意味で、慎重に歩を進めて人脈を広げ、ツールを増やしてきたこの1年半の成果でもある。
人脈と言えば、「I WANNA BE YOUR SLAVE」のニュー・バージョンで共演した、イギー・ポップの言葉を最後に挙げておきたい。自らDJを務めるBBCラジオのレギュラー番組で度々マネスキンの曲をかけている彼は、番組の中で”最高のボーカリストを擁し、自分たちがやるべきことを心得ている、イカしてて、如才がなくて、洗練されたハードコア・ロックバンド”と彼らを評していた。この曲を聴いていると、この賛辞に頷かずにいられない。
2. メインストリームの最前線で変化し続ける王道ロック
辰巳JUNK
「今の若者はギターソロを聴かない?」……そんなギターソロ議論が加熱した2022年の日本でマネスキン旋風が起こったことは、幸先いい偶然かもしれない。現行ロックリバイバルの象徴と評されるこのイタリアン・バンドは、サマーソニックやTV番組の出演を落として、ここ日本でも熱狂を生み出した。そして、待望の新曲「THE LONELIEST」は、ゴージャスなギターソロが鳴り響いている。
「THE LONELIEST」がバラードであることは、マネスキンというバンドの面白さも示しているだろう。オリヴィア・ロドリゴ「drivers license」のメガヒットが示すように、喪失のバラードは今でも普遍的人気を誇っている。しかし、ギターのトーマスによると、こうしたバラードの類は、元々バンドメンバーにとって自然に選択するものではなかったという。「VENTANNI」のような楽曲も出してはいるが、ヨーロッパでの脚光を獲得したユーロビジョン優勝曲「ZITTI E BUONI」、アメリカ人気を確かにしたフォー・シーズンズのカバー「Beggin」など、彼らが得意とするのは、愉しさにあふれたアップテンポだからだ。
しかし、さまざまな影響をとりいれて変化していく姿勢こそ、マネスキンの音楽性だ。世界進出が本格化した今年、彼らはバズ・ラーマン監督直々のオファーにより、映画『エルヴィス』劇中歌としてエルヴィス・プレスリー「If I Can Dream」のカバーを発表した。自分たちの「安全圏」から逸れるスロウバラードではあったが、思い入れある楽曲だったため挑戦してみたら、想像以上の仕上がりになった一曲だという。そして今回、成功体験を活かすかのように、自分たちでオリジナルのバラードをリリースしてみせたのだ。
70年代調ロックをベースにラップやファンクの要素を取り入れてきたマネスキンは、王道のバラードもモノにしている。「THE LONELIEST」は、日本でもウケるであろう、いわゆる泣きメロだ。同時に、セクシーなボーカルと荒々しきバンドサウンドが合わさることで、まごうことなきロックバラードとなっている。補足するなら、アメリカのティーンドラマ『プリティ・リトル・ライアーズ』をオマージュした気配のカバーアートも、彼ららしい遊び心と言えるだろう。

Photo by Tommaso Ottomano
「THE LONELIEST」により、世の中のロックリバイバルはより盛り上がりを増すだろう。同時に、マシン・ガン・ケリーやウィローといった、ムーブメントを担うソリストとマネスキンがやっていることは異なる、というダミアーノの見解も示唆的だ。彼いわく、今日の大勢のアーティストに共通しているものが、歪んだギターやアナログバンド演奏、ステージダイブなどの、ロックンロールのエナジーである。「音楽はつねに発展途上。すべてが衝突して、うまい具合に混ざりあう」。ゆえに「誰もロックンロールを殺すことはできない」。
実際、冒頭で引いたギターソロにしても、ハリー・スタイルズやリル・ナズ・X等が近作で取り入れている。このことが示すように、現在のロックリバイバルは、基本的にポップ/ラップのスターを中心としたジャンルブレンディング志向の大波のなかにある。そうした折衷的ムーブメントのなか、抜群のバランス感覚を持ったロックバンドとして「新しい王道ロック」を示す存在こそ、マネスキンと言えるだろう。一聴すると普遍的バラードでありながら、聴けば聴くほど彼らにしか奏でられないロックンロールだと知らしめる「THE LONELIEST」こそ、その証明だ。
3.「THE LONELIEST」とパワーバラードの系譜
つやちゃん
「THE LONELIEST」を聴いて真っ先に感じたのは、マネスキンがついにパワーバラードに挑んだという驚きである。もちろん、これまでのディスコグラフィにもバラード曲は存在していた。

Photo by Francis Delacroix
そもそも、パワーバラードとは一体何なのだろうか。この曖昧な呼称によって成立している謎めいたジャンルは、細分化されたロックの中でも特に摩訶不思議さを際立たせている。
率直に言って、ロックというフォーマットにおいてバラードほど難しいものはない。なぜなら、音の一つひとつが各小節を目いっぱい占拠することによって、背後に隠れていた母音を必要以上に顕在化させるからである。落としたBPMに乗せ否応なしに引き延ばされる感情的な母音、のっぺりとした包容力をもって発される物語性の高い音――。バラードは、電気エネルギーの力であらゆるサウンドと思想を振動させながら増幅を果たしていくロックに反-リズミカルなストーリーを持ち込む(ゆえに、AC/DCはほとんどバラードを作らない)。
さらに、パワーバラードとはそれら母音の物語性を肯定し、むしろ割り切り合理的に処理していく、ハードロックによって作られた型である。音圧の高いハイトーンボーカルによって、母音はこの上なく強調される。
実は、マネスキンの「THE LONELIST」はその点でパワーバラードの王道をいっている。ギターとボーカルでセンチメンタルに始まる冒頭から徐々に盛り上げていき、サビでは「me/be」での「i」、「mine/my eyes」の「a」の引き延ばした押韻を中心に母音が強調され、終盤はギターソロで結ばれる。だが、そこで弛緩ぎりぎりの一歩手前において踏みとどまる彼ら彼女らの表現を見落としてはならない。
”Youll be the saddest part of me/A part of me that will never be mine/Its obvious, tonight is gonna be the loneliest”という、バラードにしては狭い音域を低く渋い声で発するダミアーノ。その発声にはいつも通り口腔や鼻などの器官から発される雑味が含まれ、濁った力強さとも言うべき魅力が感じられる。ギターソロも、音数を制限し抑揚を抑え、タイトさをキープしている。むやみやたらに感情の襞(ひだ)を伸張させ平面にすることなく、襞を低い位置で保つ美徳がある。その点、どちらかというとステインド「Outside」やクリード「With Arms Wide Open」といった曲に代表される、ニューメタル勢のバラードへの向き合い方に近い。
弛緩し平面的になりがちなパワーバラードのアプローチを駆使しながらも、例外的に優れたパフォーマンスを成し得た曲の一つとして、私はスキッド・ロウの「18 and Life」を挙げたい。”18 and life You got it/18 and life you know/Your crime is time and its/18 and life to go”というサビの短い音の塊、抑揚のなさ。母音の伸張を最低限に留め、物語を連ねずに切断していくような潔さがある。物語が先行することはなく、音の集積によって自然と物語が立ち上がっていく。マネスキンの「THE LONELIST」も、そのようなクールさを擁している。

マネスキン
「THE LONELIEST」
配信中
再生リンク:https://ManeskinJP.lnk.to/THELoneliestRS